6.造られた指輪
「顔色が優れないようだが、何かあったのか?」
着替えて朝食に向かうと、ダルク様はそんな事を聞いてきた。
私の様子がおかしいと気付いたみたい。
でも彼の態度も、妙に距離が近い気がするわ。
客人というより知己の間柄のような、そんな感覚すら抱かせる。
気のせいかしら。
いえ、今までの異変を考えるなら、気のせいなんて言っていられないわ。
部屋だけじゃなく、持ってきたはずの蓄音機を含めて、全てを入れ替える。
これは彼が細工をした可能性だってあるんだから。
でも、一体何のために。
そんな事をして、何の意味があるの。
私が警戒して返答に困っていると、控えていたメイドが代わりに答える。
「昨日の深夜、気を失われたのではないかと」
「深夜? 昨日は直ぐに就寝していたと思うが……?」
ダルク様は不思議そうにするだけ。
自然な反応で、何かを隠しているようには見えないわ。
その態度が余計に、私を疑わせた。
「……私は客室を使っていた筈では?」
「まさか。わざわざ君に客室を使わせる理由がない。それに以前からずっと、君はあの貴婦人の間を使っていた筈だ」
当然のことのように言う。
けれど、そんな訳がない。
客室に案内したのは、他でもないダルク様だもの。
昨日の今日で忘れてしまうなんて有り得ない。
それとも、始めからそんな事実はなかったというの?
内心、動揺を必死に抑えていたけれど、食が進まない様子から異変を感じたのか。
彼は深刻な表情を見せ、控えていたメイドに告げる。
「何か妙だな。医師の診断を受けた方が良いかもしれない。朝食を終えたら、直ぐに手配しよう」
「だ、ダルク様。本当に、何もご存じないのですか……?」
「安心してくれ。君の身の安全を守るのも、公爵家当主である私の役目だ」
ダルク様は紳士的な態度を崩さない。
そして微妙に会話も噛み合っていない。
この感覚は、知っている。
過去を変え、他の人と話が通じなくなった時と同じだわ。
まさか、ヴィオルに何かが起きたのでは。
居ても経っても居られず、私はもう一度彼に問い掛けた。
「ダルク様。その、蓄音機は何処に?」
「……蓄音機? 音楽室に行けばあるだろうが、何か気になる曲でもあるのか?」
けれど、好転するような答えは返ってこない。
隠しているのではなく、本当に何も知らないみたい。
その時点で私は、問いを投げることが無意味だと知った。
これ以上伺っても、私がおかしいと思われるだけ。
下手をすれば、屋敷から追い出されるかもしれない。
現状を理解するためにも、ここは耐えないと。
結局私は、医師の検査を受けることになった。
見合いという状況下で、こんな事になるなんて思いもしなかったわ。
貴婦人の部屋に戻った私は、消えた自分の荷物を思い返し、改めて部屋の中を探ってみる。
予想通り衣服や装飾品は全て、私の身体に合った物ばかりが用意されていた。
「明らかに昨日までとは違うわ。それに本当にあの人達が仕組んでいるなら、もっと上手く隠す筈よ。ダルク様達の中では、私はこの部屋に始めからいた事になっているんだわ……」
どうして、こんな事になっているの。
酷く、気持ち悪い。
確かに大きく変化はあるけれど、それ以上に嫌な感覚が私を取り巻いていた。
何かもっと別の、取り返しのつかない事が起きたような。
そんな気にさせる。
それに消えた蓄音機も気になるわ。
アレがないと、ヴィオルと会話が出来なくなってしまう。
彼を助けられなくなってしまう。
まさか捨てられたなんて考えたくもない。
絶対に、この屋敷の何処かにある筈だわ。
何としてでも探し出さないと。
けれど今、その猶予はない。
ダルク様が手配した医師が、直ぐにやって来た。
私は何処も悪くはない。
至って正常だし、錯乱もしていない。
けれど、これは逆にチャンスかもしれないわ。
現れた女性医師は、恐らくヴェルレーヴェン家のお抱えに違いない。
ヴィオルの持病、もとい原因不明の病を知っている可能性がある。
医務室に移動し、特に意味もない診察を受けつつ、私は目の前の医師に聞いてみる。
「あの」
「ラナ様、もしやお身体に異変が? 些細な事でも、何なりとお申し付けください」
「いえ、そうではなく。貴方がこのヴェルレーヴェン家専属の医師ということで、良いかしら」
「え? は、はい……そうですが……?」
診察の最中、医師は困惑しながらも頷く。
体裁を考えている場合でもないわ。
些細な事でも何なりと、と言われたので尋ねなければ。
単刀直入にヴィオルの件を口にする。
「ヴィオル・ヴェルレーヴェンのことを教えてほしいの」
「……?」
「彼の持病について、貴方なら何か知っているのではなくて」
一瞬の間。
医師は今まで動かしていた手を止める。
仮に口止めをされているなら、私に対して疑念や敵意を抱くかもしれないわね。
少しだけ私は身構える。
しかしそんな予想に反して、彼女から全く違う答えが返ってきた。
「あの方に持病なんてありませんでしたよ?」
さも当然のように、そんなことを言う。
「……どういう事?」
「そう仰られましても……それ以上にお伝えできるものは何も……」
「持病がないなんて、そんな訳がないじゃない。持病で亡くなったと、貴方達が言った事なのよ? それとも、ダルク様に真実を明かすなとでも言われているの?」
「お、落ち着いて下さい、ラナ様。病死などと、そのような事は……」
思わず追求する私に向け、彼女は慌てて押し留める。
嘘を暴かれて、という雰囲気ではない。
これは、ダルク様や他のメイドたちと同じだわ。
話が噛み合っていない。
辻褄が合わない。
まさかと思ったけれど、予感を抱く間もない。
続けて医師は、有り得ない事を告げた。
「ヴィオル・ヴェルレーヴェンは、王都で処刑されたではありませんか」
「な……!?」
思考が止まった。
昨日までとは話が違う。
処刑って、どういうこと。
どうしてそんな事になっているの。
医師は絶句している私を見て、憐れむような表情を見せた。
「記憶に混乱があるようですね。ラナ様は、まだお若い。環境が変わったことによる、過度なストレスが原因でしょう。確かに……私どもに配慮が足りませんでした。申し訳ありません」
「……」
「先ずは安静になさってください。このお屋敷に、貴方の敵となる者はいません」
まるで何かに怯えているような、そんな風に見えたのか。
結局私は、精神的に疲弊しているとの診断を受けた。
部屋で休息を取った方が良いと言われ、無理矢理元の部屋に戻され、ベッドに寝かされる。
でも、そんな事をしている場合じゃないわ。
落ち着ける訳もなく、暫らくしてベッドから飛び起きる。
処刑だなんて、相当な大罪を犯さなければ執り行われない筈。
しかもそんな、苦しむような方法で命を奪われるなんて。
私は思わず首を振った。
ヴィオルが大罪に手を染めるなんて、考えられない。
それに死因が変わった理由は自ずと分かってくる。
「まさか、過去が変わったの……?」
また、事実が改変されたんだわ。
きっと昨日のヴィオルとの会話の後、彼が何かしらの行動を取ったに違いない。
だから結末が変わった。
今までの身の回りの変化も、これが原因。
でもそれがどうして、病死から処刑に変わるのよ。
事故死から病死という飛躍もおかしかったけれど、今回は幾ら何でも意味が分からない。
確かめないと。
今の段階では、処刑以外の事実が何も分からない。
まさか5年前の今、ヴィオルはもう――。
抑えられない衝動と共に、私は僅かな手掛かりを求めて、ある場所へと向かった。
そこは昨日、ダルク様と足を踏み入れたヴィオルの部屋。
既に持ち主を失った書斎に、何か情報が残されているかも。
そう思い、屋敷の従者達の目を盗んで辿り着く。
けれど、そこには。
「ヴィオルの部屋が……ない……」
何も、なかった。
ヴィオルの部屋は物置部屋になっていた。
沢山あった本やレコードすら無くなっていて、用済みになった家具ばかりが積まれている。
まるで見たくないものを塗りつぶすように、完全に痕跡を消されていた。
どうして。
私は思わず後ずさった。
これも過去が変わった影響だとでも言うの。
一体、何処まで変わってしまったの。
ここまで状況が変化するなんて、今まで無かったのに。
すると不意に、遠くから声が聞こえてくる。
「ダルク様も気の毒に。まさか、身内殺しだなんて」
「もう5年も前の話。ダルク様はあの悲劇から立ち直ろうとしているのです。そのためにも、同じ境遇に近いラナ様に手を差し伸べたのでしょう」
「この一件で、お二人に幸福が訪れれば良いのですが」
「ええ、私もそれを願うばかりです」
よく分からない言葉だったけれど、最早考える必要もなかった。
きっと知らないのは、私だけなのだわ。
何が起きて、何が終わってしまったのかも。
私は、話しあう屋敷のメイド達にゆっくりと近づいていった。
「ラナ様……!?」
「書庫は何処?」
「えっ」
「過去の記事が読みたいの。案内して頂戴」
ヴェルレーヴェン家にも書庫の一つや二つはある。
気迫に圧されたのか、メイド達は戸惑いながらも案内してくれた。
ラキュラス家の書庫よりも断然に広いそこは、王都の大図書館と変わらない位の量が並んでいた。
そして過去の記事を探す。
同じことを繰り返す。
でも今までで一番恐ろしくも感じ、目当ての記事は直ぐに見つかった。
『公爵家で起きた凶行! 公爵家前当主、ヴァン・ヴェルレーヴェン氏を毒殺――ヴィオル・ヴェルレーヴェンの処刑が執行され――』
最後まで見ていられず、私は記事から視線を逸らした。
メイド達が言っていたのは、このことだわ。
身内殺し。
5年前の時点で、ヴィオルのお父様は既に亡くなっていると聞いていたけど、それが毒殺だったと改めて事件化された。
そしてそんな容疑を掛けられて、彼は命を落とした。
あまりにふざけているわ。
ヴィオルが家族を殺めるなんて有り得ない。
だって彼は自分と他の人とを比べる事を嫌がっていた。
比較の末路でもある他殺だなんて、絶対にする訳がない。
私は記事を握り締める。
けれど代わりに病死が消えた。
さっきの医師の言葉からもそれは明白。
原因不明だった病よりも遥かに対処しやすいわ。
そしてもう一つ、ヴェルレーヴェン家のあの人物に対して、更に疑いが深まった。
「ヴィオルが毒を盛るなんて、そんな訳がないわ。でも病死という線も消えた。兎に角、今は消えた蓄音機を探し――」
蓄音機を探し出して、ヴィオルと会話をしなければ。
そう思った時だった。
別の新聞が手から滑り、バサリと音を立てて床に落ちた。
日付は全く別のもの。
既に私には必要のない筈だった。
でも開かれた新聞の一面には、ある筈のない文面が並んでいた。
「なに……これ……」
そこに書かれた文字を理解するのに、暫く時間が掛かった。
だって、そうじゃない。
その記事は、あまりに現実味がなかったから。
いえ、現実である訳がないわ。
嘘に決まっている。
私はもう一度、その記事を見た。
『視察中に起きた悲劇か。ラキュラス家の――』
嘘よ。
そんな、訳がない。
だって何も関係がないじゃない。
けれど、それに反するように動悸を感じる。
呼吸が徐々に乱れていく。
「違う……。こんなの……ちが……」
「ラナ!」
背後から声が聞こえ、恐る恐る振り返る。
ダルク様が、そこにいた。
彼からは敵意や疑いは見えない。
そもそも、そこにある真意を見定めるための余裕も、今の私にはない。
「従者に此処にいると聞かされた。やはり、その記事を見ていたんだな」
「ダルク様……これは、どういう……」
「心配しなくて良い。君はもう、一人じゃないんだ」
あくまで気遣うような仕草で歩み寄って来る。
震える手を優しく握ってくる。
その時点で、私はもう一度だけ悟った。
知らないのは、私だけだと。
『ラキュラス家のご夫妻――崖崩れに巻き込まれ――。残された一人娘、ラナ・ラキュラス氏は――』
そう。
今の私は何も知らなかった。
過去の記憶が、改変された事実が思い返される。
存在しない筈の、書き換えられてしまった過去の事故。
信じられない。
お父さまとお母さまが、もう何処にもいないなんて。
こんな事が現実になるなんて、信じられる訳がない。
呼吸が苦しい。
自覚もなく身体が、声が震える。
「嘘、ですよね……? こんなの……嘘に決まって……!」
「大丈夫だ。私はラナの傍から離れたりはしない。私の持てる全てを、君に捧げる」
呆然とする私に、ダルク様は真摯な態度で落ち着かせようとする。
昨日とは違う、妙な距離の近さ。
離れない。
全てを捧げる。
そんな言葉が如実に表していた。
そして疑問が浮かぶよりも先に、彼が答える。
「私は君の、婚約者なのだから」
何が、起きているの?
自分の手元を見てようやくソレに気付き、呼吸すら忘れる。
私の指に、覚えのない婚約指輪があった。