4.ヴェルレーヴェン公爵家
「博打のつもりだったけれど、まさか本当に受け入れられるなんて……」
あれからまた週を跨いだ、ある日。
私は馬車に揺られながら、近づいてくるヴェルレーヴェン家の屋敷を見る。
広大で煌びやかな外装が、私の眼を細めさせる。
正直、此処まで上手く行くとは思わなかったわ。
ヴィオルの死因を探るには、より近しい人に接触する必要がある。
そして公爵家であるヴェルレーヴェン家に近づくための正当な理由は、ただ一つ。
見合いという交際の申し込みだけ。
幸い当主のダルク様は未婚。
他のご令嬢から見合い話が殺到しているという話だったからと打診すると、驚く程に早く承諾の返事がきた。
私の素性も、ある程度知っているのかしら。
何にせよ、お父様やお母様には申し訳ないことをしたわね。
無理を言って見合いの打診に協力してもらったんだもの。
手紙の文面だけでも凄く驚いていたし。
でも今更引き返すつもりはないわ。
このチャンスを活かして、必ずヴィオルの死の原因を突き止めないと。
私は傍らに置いてある蓄音機に触れつつ、固く決意する。
「高齢者が安心して暮らせる場を。それが私の掲げる行動指針だ。決して妥協は許されない。内務卿には改めて私から進言しよう」
気圧されるような屋敷の中を通されて応接間に着くと、厳格そうな声が聞こえてくる。
濃い赤髪の、彫の深い男性が待っていた。
ヴィオルと違って壮年になったばかりの印象だわ。
長身で私の頭一つ分くらいは差がある。
彼、ダルク様は従者を下がらせると同時にこちらに気付き、私は小さくお辞儀をする。
「お初にお目にかかります。私はラキュラス家の長女、ラナ・ラキュラスと申します。こうしてお会いできること、心待ちにしておりました」
「それは私も同じだよ。まさかあの社交界の薔薇、ラキュラス家の御令嬢がお相手とは」
「薔薇、ですか?」
「巷で噂になっている。どのような御令息相手であっても、悠々たる立ち振る舞いでその場を制する。数ある花々の中で、異彩を放つ紅薔薇だとね」
「ヴェルレーヴェン家の当主であるダルク様に覚えて頂けているとは、恐縮でございます」
「はは。まだ当主になって数年の若輩者さ。肩の力は抜いて対等に接してくれると、私としては有り難いかな」
そんな風に言われていたなんて、知らなかったわ。
良い意味なのか悪い意味なのか、判断が付きづらいわね。
あまり深く考えても仕方はないのでしょうけど。
私の心配を拭うように、ダルク様は微笑する。
彼は人との距離を縮めない気難しい方だと聞いていたけれど、思ったよりも接しやすく感じるわね。
でも相手は公爵家。
本来の目的を話すには、まだ早いわ。
失礼のないように振る舞おうと、改めて気を引き締める。
先ずはというように向かい合う形で座ると、ダルク様はおもむろに口を開いた。
「一つ、聞いても良いだろうか」
「はい」
「この屋敷、君の目にはどう見える?」
どういう意味かしら。
質問の意図が見えない。
もしかすると私の優劣を、この質問で見極める気なのかもしれないわね。
変な返答はしないよう注意しないと。
私は屋敷の全景と部屋の周りを一瞥する。
第一印象は絢爛豪華。
歴史的な建築技術もふんだんに取り込まれていて、これを超える建造物となると王宮くらいじゃないかしら。
この印象は私だけでなく、誰もがそう思うことでしょう。
無難に締めるなら、これを言ってしまえば良い。
でも私は知っている。
目に見える華美に気を取られるつもりは、元から無い。
何のために此処にいるのか、それは始めから理解していること。
だからこそこの屋敷はあまりに広くて、そして寂しく見えた。
「とても、静かに感じます」
「……静か?」
「はい。耳を澄ませば、小鳥の声すら聞こえてきそうですわ」
この空気は知っている。
私の屋敷と似ている。
お父様やお母様と会える日も少なく、いるのは顔見知りの従者だけ。
別に彼女達と親しくない訳ではないけど、それは主人の娘と従者という関係でしかない。
今いるヴェルレーヴェン家の屋敷にも、同じ雰囲気を感じる。
ダルク様は私の返答を聞いて、意外そうに目を丸くした。
そして少しの間の後、小さな声を出して笑った。
「……やはり君は、他のご令嬢とは違うらしい」
「?」
「同じような質問をするんだ。この屋敷が、父や弟と共に暮らしていたこの場所が、どのように見えるのか。大抵は、素晴らしくそして華やか屋敷だと言われる。当然の反応だろう」
無難な答えは、聞き飽きたものだったのかしら。
ダルク様もそれを答えたからと言って、拒絶する気はなかったみたい。
でも私の言葉に何を思ったのか。
真っ直ぐに私の眼を見つめる。
「だが目先の美しさに囚われず、静かだと言われたのは初めてだ。君には、何か別のモノが見ているように思えるな」
「……とんだご無礼を」
「いや、気にしてなどいないよ。寧ろ私は、君に興味を持ってしまった」
ダルク様の瞳は赤黒く、渦を巻いているように見えた。
錯覚かしら。
何だか吸い込まれそうな、妙な印象すら抱いてしまいそう。
駄目よ、落ち着かないと。
一瞬だけ返答を誤ったかと思ったけど、乗り切れたのは間違いないわ。
気を取り直すと、彼は私に促すように手を差し伸べた。
「教えてくれないか。商家から伯爵の地位を賜るまでの、激動の5年間を。この広すぎる屋敷は、本当に静かだからね」
そうして私達は過去の出来事を話し合うようになった。
ダルク様は本当に優秀な方のようね。
当主になる以前からヴェルレーヴェン家の第一子として期待されていたみたい。
自分の事を若輩者と言っているけれど、内務卿と討論できる時点で非凡であるのは間違いないわ。
でもどうして、継承権が入れ替わったのかしら。
お父様の遺言によって変わったと、ヴィオルは言っていたけれど。
それと中々、ヴィオルの話が切り出せないわ。
いきなり打ち明けて、変に警戒されたらそこで終わりだし。
蓄音機の話なんて、根拠がなければ信じてもらえる訳もない。
出来る事なら繋がっている所を聞かせてあげたいけど、元々あの蓄音機もどのタイミングで繋がるか分からない。
どうすれば良いかしら。
少し考えていると、ダルク様が座っていた椅子から立ち上がる。
「折角だ。屋敷の中を見て回らないか」
「宜しいのですか?」
「構わない。軽い散歩にもなるだろう」
気分転換に、とでも言いたいみたい。
これはチャンスね。
頃合いを見計らってヴィオルの事を聞き出せるかも。
私は二つ返事で頷き、ダルク様の後に続いた。
屋敷の中は私の暮らすそれよりも広く、眩いもので敷き詰められている。
何十と飾られている壺一つだけでも、一般の家一つ買えるくらいの価値はあるわ。
でもそんな絢爛さで、何かを埋め尽しているようにも感じる。
先程聞いた話だと、彼は一般の人達に向けて新しい公約を発表しているみたい。
内容は確か、高齢者の支援だったわね。
候補者たちが色々な公約を掲げているのは知っているけれど、わざわざ年齢層を限定している事には意味があるのかしら。
本題を切り出す前に、私はその事情を聞いてみる。
「ダルク様は高齢者の方々を支援する公約を掲げている、とお聞きしております。そう思うに至ったことには、何か切っ掛けがあったのですか?」
「切っ掛けか。それは多分、私の家族が関係しているのだろうな」
屋敷を案内していたダルク様は、不意に窓の外を眺めた。
「母は若くして亡くなり、父は認知症を患い、弟は持病で亡くなった。あの時、少しでも医師の診断が早ければこんな事にはならなかったかもしれない。そこで私は、天寿を全うすることは全ての人に与えられた権利で、守られるべきものだと気付いたんだ。敬老者の支援は、その足掛かりだな」
「何れは全ての方に行き届くよう、尽力なされているのですね」
「そうだな。あまり理解されにくい話ではあるが、そう言ってもらえると助かるよ」
認知症。
確かここ最近になって解明された症状だわ。
まさかヴェルレーヴェン家の前当主様に、そんなことがあったなんて。
私が返答すると、彼は少しだけ安心したように見えた。
考えてみれば、このヴェルレーヴェン家を一人で維持しているんだもの。
並大抵の努力では済まないわ。
でもそれを分かち合える人は、近くにいない。
他人と距離を置きたがるという噂話も、これが関係しているのかもしれないわね。
そして案内されて改めて分かったのだけど、この屋敷は本当に広いわ。
地図でもないと迷ってしまいそう。
ダルク様は、幼い頃は飾られているインテリアで場所を把握していたと語った。
確かに幼い頃の私も、家にあった骨董品を意味もなく覚えていた時があった。
一室にあった品の名前を従者に教えてもらい、その全てを記憶し終えたら、お父様やお母様に随分驚かれたこともあったような。
懐かしみつつ、外に見える庭園を通路沿いに歩いていく。
そうして通り掛かった一室の前。
私は立ち止まった。
自然と息を呑んで、視線をその部屋の方へ向ける。
見覚えなんてない筈だった。
けれど覚えのある雰囲気を感じて、思わず呟く。
「ここは……」
「弟の部屋だ。殆ど昔のままにしている。こうしていると、いつかフラッと帰ってきそうな気がしてね」
ダルク様は立ち入りを拒否しなかった。
それどころか何故か促され、流れのままに足を踏み入れる。
今までの場所と違って、置かれている家具は殆ど木製。
高価なものの代わりに、本棚と書物が収められている。
書斎、という一言が最も適しているわ。
掃除も行き届いているし、ついさっきまでそこにいたような気配すら感じる。
この場所に、ヴィオルはいたのね。
ゆっくりと手を握り締めると、棚の隅に並べられていたレコードが目を引く。
歩み寄るつもりはない。
無暗に触れ回るのは礼を失する行為。
けれど遠目からでも分かった。
見たことのあるレコードの表紙が、そこにはあった。
これは。
このレコードは、私がヴィオルに紹介したものだわ。
少し古いレコードが好きなのでしょうと、似たような年代のクラシックを伝えた事がある。
あの時は世間話のついでで、話題の一つとして取り上げただけだったのに。
ヴィオルは手に入れて、その音楽を聞いていたのね。
そう思うと涙ぐみそうになり、下唇を噛んでグッとこらえた。
不思議に思ったのか、ダルク様が問い掛けてくる。
「何か、気になる事が?」
「……おとぎ話のようなことを、お聞きしても良いですか?」
動揺を悟られないように、私は彼に向き直った。
伝えるタイミングはここ以外にないわ。
こうしている間にも、ヴィオルの死期は近づいている。
全てはヴィオルを救うため。
そして5年後、この場所で出会うためよ。
きっとダルク様も協力してくれる筈。
だって、家族なんだから。
私は思い切って視線を上げた。
「ダルク様、実は――」
「失礼いたします」
けれど屋敷の従者に割って入られてしまう。
あまりにもタイミングが悪い。
思わず口を噤んでしまい、ダルク様が代わりに振り向く。
「どうした。今は彼女を案内している所だ。急用でなければ後にしてくれ」
「申し訳ございません。ラキュラス様のお荷物をお持ちしました。どちらにお持ちすれば」
「あぁ、それなら客室の……」
そこまで言って、彼の動きが止まった。
何かと思って見てみると、視線の先に例の蓄音機があった。
他の荷物と一緒に運ばれていたのね。
わざわざ蓄音機を持って来るなんて、おかしく思ったのかしら。
気になって顔色を窺う。
「あの?」
けれどダルク様の表情は、私の想像とは違った。
あるのは疑念、疑惑。
そして憂い、畏れ。
「この蓄音機、何処で手に入れた?」
赤黒い目が、渦巻く瞳孔が、私を見返した。