3.変わらない運命
「今すぐ視察を中止して!」
翌日。
やっと繋がった蓄音機に向かって、私は叫んだ。
過去と今が交差する唯一の手段を前に、私に出来る事はこれしかなかった。
ヴィオルは視察中に山崩れに巻き込まれて命を落とす。
掲載していた新聞には、過ぎ去った事実だけが記されていた。
彼は既にこの世にはいない。
けれどここで語り掛ければ、何かが変わるかもしれない。
そんな一心だった。
繋がるまでは、何も手につかなかった。
もう二度と繋がらないんじゃないかと思うと、焦りばかりが沸き上がって居ても立ってもいられなかった。
従者も心配する程だったわ。
けれど事情を話した所で、何も変わらない。
王都で出会った、迷子の家族と同じ反応をされるだけ。
そして夕暮れ時の自室で、ようやく繋がったヴィオルに私は全てを明かした。
過去と今が繋がっていると。
これから訪れる事故についても。
ヴィオルはそれを黙って聞いていた。
王都で会えなかった事、そして私と同じような異変を感じたみたい。
『分かった。ラナを信じる』
「!」
『ラキュラスという名前を聞いた後、少し疑問に思ったんだ。遠方の国で耳にした商家の名と同じだったから。それでその視察は明後日の話なんだ。もし本当に事故が起きるのだとしたら、これで何か変わるかもしれない。日程を変更してもらえるよう、地主に掛け合ってみるよ』
疑われなかったわ。
それどころか私の話が真実だという前提で、視察を中止すると言ってくれた。
正直、否定されるかもと思っていたのだけど。
まさか、こんなに簡単に信じてもらえるなんて。
安堵しながらも私は意外に感じる。
「あ、ありがとう。まさか、信じてもらえるなんて」
『ラナが必死なのは、声からも伝わって来た。寧ろ僕の方が感謝をしたい位だよ。君は僕にとって、命の恩人だ』
「それはちょっと、言い過ぎよ……」
『言い過ぎなもんか。きっとこうしてラナの時代に繋がった事も、奇跡か何かだと思う。だから僕は、それを信じたいんだ』
ヴィオルの声は真剣だった。
どうして蓄音機が時を越えて繋がっているのか。
そんなものは些細な問題なのね。
彼は私が自分の命を救おうとしていると知って、信頼してくれた。
こんな、声だけで実際に会った訳でもない相手のために。
少しだけ。
いえ、とても嬉しい。
ヴィオルを救えただけじゃなくて、話を理解してもらえたという事が何より安心できた。
『どうせなら、5年前のラナにお礼を言いに行こうかな』
「……多分それは、難しいわね」
『そうなの?』
「貴方が言っていた通り、5年前の私達はまだ各国を飛び回っている筈。それに昔の私にはサッパリだから、今行っても混乱するだけよ」
『うーん、それもそうだね。今の君に会うのは難しい、か。だったらもう一度、会う日取りを決めておこうよ』
5年前ともなると、お父様やお母様に付いていく形であっちこっちを移動していたわね。
向こうの時間で今、私が何処にいるのかも覚えていない。
なので会うのは難しいと伝えると、彼はいつもの陽気な様子に戻っていく。
時計塔で会えなかった分、再開する日程を決めておきたいみたい。
勿論、それは私も同じだった。
『これで、5年後の君に会えるって事だね』
「事故を回避できたなら、そうね。きっと……」
『何だか浮かない……? もしかして5年の間に忘れてしまうかも、って心配してる?』
「べ、別にそんなつもりは」
『大丈夫! 僕は約束を守る! 絶対に、ラナに会いに行くよ!』
5年は、流石に短くはないわ。
私にとっては富豪から伯爵まで駆け上った、激動の期間だったのだから。
場所も、周りの状況も、あっという間に変わっていく。
それでも彼は必ず会いに行くと言った。
だから私も信じることにする。
ヴィオルと、また逢えることを。
それにしても、過去が変わるとどうなるのかしら。
ヴィオルの死が回避できたとして、それが今にどう繋がるのか。
周囲の状況が変わると、私の記憶にも変化があるのかも。
流石に分からない。
そもそも5年前で2歳年下という事は、結局ヴィオルは私より3歳年上じゃない。
何だか、どう接すれば良いのか分からなくなって来たわ。
今まで通りで良いとは思うけど、話し方もかなり大人びているんじゃないかしら。
どちらにせよ、これで解決した。
まさかこんな私が人一人の命を救うことになるなんて。
最初はどうなる事かと思っていたけど、この蓄音機には感謝しなくちゃ。
●
ヴィオルの死は変わる。
視察を中止するとも言ってくれた。
だからきっと、新聞の記事も変わっていると思っていたわ。
「嘘……」
でも、違った。
その後、屋敷内の書庫に保管されていた記事を見て私は愕然とした。
【太陽暦1025年、◆月▲日――外泊中に火災に見舞われ――】
内容が変わっていた。
当初の事故死よりも数週間後の話。
ヴィオルが火災に巻き込まれて亡くなる、という記事だった。
猶予が伸びた、という見方は出来るかもしれない。
でも、何も変わっていないわ。
ヴィオルの死は変わっていない。
どうして、と私の中で消えた筈の疑念と喪失感が襲ってくる。
思わず私は、書庫を管理している屋敷の司書に問い掛けた。
「少し、良いかしら」
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
「この事故のこと、教えて頂戴」
「え? あぁ、ヴェルレーヴェン家の……。とても痛ましい事故でしたよ。まさか貴族の方々が宿泊される宿屋で火災なんて。深夜でなければ、炎が回る前に気付いたかもしれませんが……」
「彼は、本当に亡くなったの?」
「はい。一時は放火の疑いもあったのですが、真相は分からないまま結局は宿屋の管理責任になったようで。それに現当主のダルク様の取り乱しようと言ったら……下手に口を挟もうものなら首を刎ねられかねない勢いで……」
司書はこの国で雇った元図書館の従業員。
当時の事を思い返すように語った。
それが改変された事実だと気付くこともない。
ヴィオルの死は、過ぎ去ったものとして扱われていた。
訳が分からない。
死は回避できたはずじゃない。
しかも前に起きた視察中の事故とは、全く関係がない。
関連性のない事故に、彼は立て続けに巻き込まれるとでも言うの。
そんな事が、あって良い訳がない。
顔色を悪くした私に、司書が大丈夫かと尋ねてきたけど返答する余裕はないわ。
話さないと。
このままじゃ何も変わらないまま、ヴィオルがいなくなってしまう。
会えなくなってしまう。
私はまた、蓄音機を前に念じるしかなかった。
大丈夫。
火災の事故は、以前の山崩れから一週間後の話。
王都で待ち合せた時の事を考えるなら、蓄音機先のヴィオルと私には、5年ピッタリの差があるわ。
年数を除けば、月日は全く同じ。
だから今まで気付けなかったし、きっと私と同じようにヴィオルにも一秒一秒の時間が流れている。
この間に、一度でも繋がればそれで良い。
たったそれだけ。
それだけでヴィオルは助かる。
『王都の宿で火災? そんな事が……』
「安心して、未来は変えられる。こんな結末なんて認めないわ」
『どうして、そこまで……』
「どうしてって、私はそこまで薄情じゃないわよ。困っている人を放っておいては貴族の名折れ。ヴィオルがそう言ったんじゃない。それに私はまだ、貴方に恩を返せていないのよ」
『……』
「私は諦めないわ。貴方と出会えるまではね。だから貴方も諦めないで」
『……分かった。せめて僕も、身の回りを警戒してみるよ。もしかしたら、何か分かる事があるかもしれない』
数日後、ヴィオルは明らかに元気がなかった。
それも当然だわ。
回避できたと思っていた死が、またやって来るなんて。
何も見えなくても、恐れのようなものが伝わってくる。
私はヴィオルを励ました。
彼が私にそうしてくれたように、今度は私が恩を返す番。
また別の異変が起きたとしても、私がいるのは5年後。
幾らでも変えられる。
絶対に諦めるものですか。
【太陽暦1025年、▲月■日――複数人の暴徒に襲われ――】
ヴィオルの死は変わらなかった。
今度は事故ではなく事件。
書庫でその記事を見た私は、もう一度彼へ伝えた。
そこには絶対に近づかないよう、場所と日時そして身辺を警戒するよう警告した。
幸い、暴徒の名前と素性も乗っていたから先回りがし易かったわ。
彼はそれを信じ、彼らに対して調査を行うと言ってくれた。
つまり暴徒化もしないし、襲われることもない。
結末は変わった筈だった。
【太陽暦1025年、▲月▲日――訓練中に銃の誤射で――】
また変わった。
いえ、変わっていない。
死神が彼に憑りついたまま離れない。
それでも私は蓄音機で伝えた。
同じように、彼に声を差し伸べる。
ヴィオルは少しずつ元気を取り戻していったけれど、私に心配を掛けさせまいとしているみたい。
無理に気丈に振る舞っているのが声からも分かって、とても辛い。
でも、だからこそ、いつかは逃れられる。
助けられる。
そう、思い続ける。
「どうして……」
あれから一週間が経った。
私はその度に書庫に赴いて、ヴィオルの死を変えようと記事を探し続けた。
いつかは死を知らせる記事は消え、彼の名が過去に消えることも無くなる。
きっとあの蓄音機は、そのために過去と繋げてくれたのだと。
それなのに――。
【太陽暦1025年、■月▲日――原因不明の病魔によって――】
変わらない。
何度変えても、変わる気配すらない。
おかしい。
こんなの理不尽じゃない。
どうして彼にばかり死が付いて回るの。
しかもこれまでの事故や事件と違って、対策のしようがない。
私は思わず手を震わせた。
「何なの病死って……こんなの、どうしろって言うのよ……!」
「お、お嬢様!?」
「この病死、何が原因なの!? 教えて頂戴!」
「も、申し訳ありません。流石にそこまでは……」
司書も詳しい事情は知らない。
自分の声が荒立っていると気付いて、私は冷静さを取り戻す。
いけないわ。
私が焦ってどうするのよ。
一番不安なのは、今も抜け出せないヴィオルの方なのに。
悪い考えを振り払いたくて、私は首を振った。
こうして何度も過去を変えても、結末は収束する。
徒労に終わる。
無意味なんじゃないかと思ってしまいそうになる。
けれど、一つだけ良いことも起きている。
ヴィオルの死は徐々に後ろに延びている。
最初の山崩れから、今では月を跨いでいるのよ。
冷静になりなさい。
決して悪いことばかりじゃないんだから。
それにこの原因不明という文面も、分からないから無理、なんて諦めるつもりもない。
何処かに記録が残されている筈。
先ずはそれを探すべきね。
「何度もこうして記事を見てきたけど、これ以上の情報は得られない、ということかしら」
「あの」
「何か思い出したの?」
「い、いえ……何度も記事を閲覧されている、というお話なのですが……」
司書が困惑している。
何か、様子がおかしい。
変な事を言ったつもりはないのだけど。
怪訝そうにしていると、司書は不意に尋ねる。
「お嬢様が過去の記事をご覧になられるのは、今回が初めてですよね?」
「……え?」
「ヴェルレーヴェン家の事故というのも、お嬢様からは初めて聞きまして……。その……お嬢様は、別の場所で同じ記事をお探しになられたのですか……?」
ヴィオルの事故や事件について、今まで何度も説明してくれた司書。
そんな彼女が私に向かって、初対面のような態度で接してくる。
ストン、と身体が落ちた気がした。
●
『病死……今の僕にそんな自覚はないけれど……』
「だ、大丈夫よ! 健康に気を付けていれば、先の未来だって変わるかもしれないわ! 自覚がないのなら、一度お医者様に診てもらうのも良いかもしれないわね!」
ヴィオル自身、全く身に覚えのない話みたい。
本当に不思議そうに話す様子に、私は少しだけ明るく振る舞った。
結局、詳しいことは分からなかったわ。
ヴェルレーヴェン家の事情は当然だけれど、個人の情報。
今までの事故とは違って、一般に公開されている話でもない。
広まっている噂だけでは、何も得られなかった。
まだ時間はある。
そう思うけれど、いつヴィオルが倒れるか分からない。
もしかしたら、会話をしているこの瞬間にも異変が起きるかもしれない。
そんな恐れで、考えが纏まらずに沈黙ばかりが続いてしまう。
本当にどうしようもないわ。
伯爵令嬢という地位も、こんな時には何の役にも立たない。
そんな中、ポツリと彼は話し始める。
『もしかしたらこれは、必然なのかもしれない』
「必然……?」
『僕が死ぬことは、運命として定められているんじゃないかな。だからどれだけ回避しても、死は追ってくる。今までのラナの話を聞いて、そんな気がしてきたんだよ』
「!?」
急にそんな事を言い出し、言葉を失う。
続いて頭を殴られたような感覚が駆け巡った。
どうして。
今までそんな事、一度も言わなかったのに。
『こうしてラナと話し合えることが奇跡だと、前に言ったけれど本当だった。きっとこれは死を迎える僕に、神様が与えてくれたチャンスだったんだ』
「何を……何を言っているの……?」
『もしそうなら、もうこれ以上は……』
それ以上の言葉は耐えられず、私は声を荒げた。
「止めて! ヴィオル、どうしてそんな事を言うの!? このままだと貴方、死んでしまうのよ!?」
『……』
「あ……ご、ごめんなさい……」
『いや、気にしないで。ラナの言う事は尤もだ。諦めちゃいけない。でも……嫌な予感がするんだ』
罪悪感が押し寄せるよりも先に、私の身を案じるような声色が聞こえてくる。
『死の運命を変え続けると、どうなるのか。きっとそれは、良いことじゃない気がする。だからその反動で……君まで危険な目に遭うかもしれない。僕はこれ以上、ラナを巻き込みたくないんだ』
「そんな……」
『大丈夫! 今の言葉で元気が出たよ! 今までも気合で何とかしてきたんだ! 僕だってヴェルレーヴェン家の次期当主! 自分の力で未来を変えられるよう、頑張ってみないと!』
彼が一人でいる間に何を考えていたのかは分からない。
けれどそんな考えに至ってしまうなんて、あんまりじゃない。
どうしてヴィオルだけがこんな目に遭わなくちゃいけないの。
彼は何も悪いことなんてしていないのに。
そう憤りかけて、同時にある単語が私の頭の中を駆け巡る。
ヴェルレーヴェン家、次期当主。
その言葉の意味に、ようやく気付く。
「そうよ……ヴェルレーヴェン家……」
『?』
「貴方のお兄様は、5年後の今も健在だわ! 彼に力を貸してもらえば、この状況も切り開けるかもしれない!」
『もしかして、兄上に会いに行く気かい!?』
「えぇ! 私の辞書に妥協の二文字はないわ!」
『あの……慎重の文字は……』
「ないわ!」
そうよ。
どうして最初に気付かなかったの。
ヴェルレーヴェン家は今も尚、続いている。
例の病魔とやらも、当主様なら何か知っている筈だわ。
いっその事、蓄音機のことも明かしても良いかもしれない。
実の弟の声だもの。
信じるに決まっている。
兎に角、行動しないと。
動揺するヴィオルに対して、私はヴェルレーヴェン家当主、ダルク・ヴェルレーヴェンとの接触を決意した。