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2.待ち人来たらず

あれから蓄音機の調子は、浮いたり沈んだりの繰り返し。

数日に一、二回程度しか繋がらないし、繋がったとしても十数分が限度だったわ。

そのせいで軽い身の上話をするだけで精一杯。

ただ、お互い蓄音機の傍にいる時だけ繋がるみたいだから、会話し損ねるという事にはならなかったわね。

変な話だけど、今も私はこの不思議な現象を誰にも言えずにいる。

手紙を出した、お父様やお母様にも。

当然だけど屋敷の従者達にも悟られないようにしている。

理由は、何かしら。

正直な所、自分でも良く分かっていない。


そうして週を跨いで、別の貴族が主催するパーティーに参加する。

以前よりも規模は小さいけれど、面子はまた違う。

貴族の令息令嬢にとって、パーティーは楽しむためだけじゃない。

新たな出会いを、権力を持つ者同士の繋がりを見つける場。

私の姿を見て、我先にと寄ってくる人も当然いた。


「ラナ・ラキュラス嬢! 是非とも、この私と!」


金蔓目当てなのが丸わかり。

以前の私なら、適当に受け入れつつ相手の立場も尊重していたでしょう。

でも今は少し違う。

私は近づいて来た何処ぞの令息を片手で制する。


「およしになって」

「えっ」

「せっかちな方は嫌われますわ。もう少し、周りの目に気を配って下さいまし」


周りに配慮して、小声で忠告する。

向こうはそんな対応をされるとは思っていなかったようで、間の抜けた顔をした。

こちらの様子を窺っていた他の令息達も、その空気を感じたみたいで、一歩引いたまま動かない。

もしかしたら私は、押せばどうにかなるタイプなどと思われていたのかもしれないわね。

心外だけど清々する。

そして気に掛けるのはこれだけじゃない。


「相も変わらず、はしたないこと」


遠巻きのご令嬢達も、相も変わらず囁き合っている。

今の所、はしたない言動はしていないのだけど。

仕方がないので、ツカツカと歩み寄って彼女達の輪に突撃する。


「それはもしかして、わたくしの話ですか?」

「!?」

「折角のパーティー、楽しまなくては損です。少し、お付き合い頂けませんこと?」


パーティーとは多くの人を比較し合う場。

向こうがあくまで牽制してくるなら、直球で挑むだけ。

冷静に考えてみれば、こういった人達がどんな人物なのか知らなかったわ。

嫌味を言われたという、そんな下らない印象しかない。

だから聞く。

貴方は何を思ってこのパーティーに参加し、これまで何をしてきたのか。

押された分だけ押してみる。

次第に彼女達は気圧されたみたい。

それからは、はしたないという単語を聞くことはなくなったわ。


少し、いえ大分満足していた。

前々から私が失望していたのは、パーティーという場が憧れからかけ離れた場所だったから、だけじゃない。

きっとこんな場所では、何の出会いも見つけられないと心の何処かで悟ったから。

でももう、その心配もいらないわ。

無理に背伸びをする必要はない。

ラキュラス家という考えを捨てて、自分なりに振る舞ってみましょう。







その日のパーティーも終わり、私は屋敷に戻る。

自分でも緩んだ表情をしていたのね。

出迎えた従者達が、良い事があったのですかと聞いて来るくらい。

今まで私は、どんな顔をして帰って来ていたのかしら。

思った以上に酷い様子だったのかもしれないわね。


「それなら、少しはマシになれたのかしら」


結果的に同性のご令嬢達と仲を深めてしまったけれど、それで良かったかも。

何処となくやり遂げたような達成感すらあるのだから、悪くはないのでしょう。

自室に戻ってそう考える。

でも一つだけ残念なこともあった。


彼の姿は何処にもなかった。

それらしい人も見当たらなかったわ。

お互い声だけのやり取りで、耳を澄ましていれば何処かにいるかもしれないと思っていたけれど、結局見つからず終い。

周りの令息達からも、同じように探る気配はなかったし。


「それとも、今回は参加していなかったのかも」


思い返すと、乗り物酔いが酷いと言っていたわね。

元々あまりパーティーに参加する人ではないのかもしれないわ。

だとしたら、勝手に期待した自分が情けない。

別に会う約束をしていた訳でもないし、自然と溜め息をついてしまう。


「会える、だなんて酷い勘違いだわ……」


柄にもない。

独り言を呟いた瞬間だった。


『僕の事かい?』

「!?」


身体が飛びあがった、ような気がする。

いつから繋がっていたのか。

例の蓄音機からヴァンの声が聞こえる。

向こうは何の気なしといった態度だったけれど、私はそれ所ではなかった。

聞かれた。

聞かれてしまった。

思考が混乱して思わず声を荒げる。


「ヴァン!? いつから聞き耳を立てて……!」

『そのつもりはなかったんだけど、急に蓄音機から声が聞こえて来てね。ごめん。君の独り言を聞いてしまったよ』

「う……」

『……もしかして、僕を探していたの?』

「し、知りません。そんなこと」

『といっても、探していたのは僕も同じだけどね』


恥ずかしさを隠すために否定したのに、アッサリ同意する。

同じという事は、彼も私を探していたのかしら。

もう一歩だけ蓄音機に近づくと、残念そうな声が聞こえてくる。


『昨日のパーティー、実はライナらしき人がいないか見回っていたんだ』

「そうだったの?」

『結局、見つけられなかったけどね。どうもお互い、間が悪かったみたいだ』

「べ、別に私は探していた訳では……ないのだけど……?」


あぁ、何を言っているの私は。

よく分からなくなって、変な返事をしてしまった。

今の発言が嘘だと言っているようなものじゃない。

こんな筈じゃなかったのに。

そう思っていると、ヴァンが微かに笑う。


「な、何かしら?」

『ライナは嘘が苦手みたいだね』

「も、もう! からかうのは止めてったら!」

『あぁ、ごめん。何だか少し、懐かしくて』


少し怒ると、彼は謝りつつ神妙に答える。


『継承権が入れ替わってから、僕の周りは堅苦しいことばかりだ。誰も彼も、僕の利益を狙う者ばかり。どれだけ父や兄が苦労していたかが分かる。だからこそ、かな。こうしてライナと話していると、少しだけ落ち着くんだ』

「……」

『会えなかったけれど、それでも声は届くんだ。蓄音機が機嫌を損ねるまで、僕と話をしない?』


彼がどんな経歴を持っているのか、私には分からない。

どんな風貌なのか、それ以前に年齢すら知らない。

それでも一つの共通点のようなものを感じていた。

誰にも自分の思いを打ち明けられず、今だけは遠慮なく告げられる、そんな場所。

だから私は彼の問いに応えた。

難しい理由なんて何処にもなかったわ。

ただ、ヴァンの事が知りたい。

それだけだった。


話していく内に、彼が私より2歳年下だと分かった。

意外だった。

確かに言葉遣いにその片鱗はあったけれど、大分落ち着いているから同い年か年上だと思っていたわ。

何だか負けた気分。

ヴァンは私が年上と知って、敬語にした方が良いかなと気にしていたが今更だわ。

逆に戻されても困る。

比べる必要もないし、別に気にしないと言っておいた。


それから話し込んだけれど、彼は趣味で音楽鑑賞をしているみたい。

向こうにも私のモノと同じ蓄音機があるようだし、不思議な話でもないわね。

私だって、こうやって自室に置いているし。

お気に入りのレコードとかも教えてもらった。

最近のものではないクラシックが多かったけれど、レトロな好みがあるのかしら。

本当に年下という感じがしない。

何だか負け……いえ、勝ち負けではなかったわね。

そんな流れで私も、日課にしている弓術の話をしてみる。

するとヴァンは興味を示した。


『凄いと思うよ』

「え?」

『僕は射撃が苦手で、銃も碌に使えないんだ。弓だって一度、弦で思い切り顔を打ってから苦手になって……』

「あぁ……それは痛い……」

『だからそういった事が出来る人は、素直に尊敬できるんだ』

「嗜んでいるだけで、別に上手い訳ではないわよ」

『それでもライナは進んで、自分からやってみようと思ったんだよね? それはとても大事なことだと思うな』

「……」

『ちなみに顔を打たない方法を教えてほしいんだけど。あれ、本当に痛いんだ』


まぁ、普通に痛いわね。

初心者がやりがちで、射形が崩れてしまう厄介な癖だわ。

口頭では難しいけれど、ヴァンに顔を打たない方法を教えてみる。

そうして、ふと思う。

考えてみれば、私は誰とも趣味の話なんてしてこなかった。

するのはラキュラス家の家柄や、どういった経緯で財産と地位を築いてきたのか。

そんな家柄の話ばかり。

当たり障りのないものから、私たちの会話は軽やかに弾んでいく。


「――という訳で、あの時も貴方が蓄音機の方ですか、と伺う訳にもいかなかったの」

『お互い偽名だし、顔も分からなかったしね。まさか大声で、蓄音機と話したことはありますか、なんて言えないし。そんな事をしたら、流石に変人扱いだよ』

「ふふ。何だか不思議ね。名前も顔も分からない人と、こんなに語らえるなんて」

『僕も同じ。こんなに気兼ねなく話せるのは、本当に久しぶりかも』


楽しそうな声が聞こえるし、私も同じだった。

そんな中でたまに冗談を言ってくれるのも、とても新鮮に感じる。

まだ幼かった頃、今では疎遠になってしまった友達とも、こうして話し合っていた気がする。

でもこの会話も偶然。

どんな原理で繋がっているのか分からないし、直ぐに途切れてしまう。

今度また繋がる保証だってない。

だから私は、こうして話す前に考えていたことを思い出す。

パーティーの最中、ヴァンを探していた時のことを。


「……あの」

『どうかしたの?』

「今度、直接会うつもりはない?」


一瞬だけ沈黙が流れる。

代わりに顔が熱くなった。


『それって、もしかして……?』

「か、勘違いしないで。この現象だって、いつまで続くか分からないわ。これはそうなった時のための保険。改めて貴方にお礼を言いたいのよ」


まただ。

また、やってしまったわ。

思わず両手で顔を覆いたくなる。

どうしてこう、率直に自分の思いを告げられないのかしら。

ただ一言、会いたいと言えば良いのに。

これまでずっと当たり障りのない会話ばかりしてきたせいなのかも。

本心を伝えるのが無性に恥ずかしい。

恥ずかしがったところで、逆に相手を困らせるだけだと分かっていてこれだもの。

不甲斐ないわ。

するとヴァンは、微かに笑ったような息遣いをした。


『ヴィオル・ヴェルレーヴェン。それが僕の名前だよ』

「!」

『良ければ君の本当の名前も教えて。今度、直接会うためにも』


彼は、ヴィオルはそんな私の考えに気付いたのか、気付いていないのか。

ただ受け入れてくれた。

そしてヴェルレーヴェン。

その名に聞き覚えがあるよりも先に、私は自分の名前を口にしていた。


「ラナ・ラキュラス、です」

『ラナ、か。うん。良い名前だね』


ラキュラスではなく、ヴィオルは私の名を呼ぶ。

相手は年下だ。

年長者として落ち着いた態度をすべきなのは分かっている。

けれど名を呼ばれたことがとても嬉しかった。

そして浮かれるような気持ちのまま、私達はお互いに会う日取りを決めていった。







「ヴェルレーヴェン……まさか、あの公爵家のご子息だったなんて……」


此処は王都の中心、国一番の時計塔前。

正午になれば雄大な鐘の音が鳴り響いて、そうなる時も間近。

陽の光を浴びながら、私は人通りの多さを感じながらそんな事を呟く。

あまり驚く気はなかったのだけど、最初に知った時は流石に息を呑んだわ。


ヴェルレーヴェン。

王族との関わりすら持つ公爵家の一つ。

彼はそのご子息だった。

私であっても本来、気安く話ができるような相手じゃない。

特にヴェルレーヴェン家は内務卿と深く関わりがあって、法律制定でも重要な位置にいる。

言わば国の根幹を支える側の一人。

そんな中で私は蓄音機を通して話し合い、こうして直接出会う日取りまで決めてしまった。

まさか、こんな事になるなんて夢にも思わなかったわ。

以前までは人と関わり合うことすら無駄だと思っていたのに。

今ではこうして、彼と出会う時を心待ちにしている。


「でも不思議。ヴェルレーヴェン家は、数年前に当主継承が行われたばかりの筈。何か理由があるのかしら?」


ただ、気になる点もある。

ヴェルレーヴェン家の現当主は、ダルク・ヴェルレーヴェンという方。

彼はまだ若いし、ご子息がいるという話も聞かない。

ヴィオルはどういった立ち位置なのかしら。

次期当主として継承権が入れ替わったと言っていたけれど、そんな噂は聞いたことがない。

何か複雑な事情があるのかもしれないわね。

あまり疑っても仕方がない。

私は思考を打ち切って、後方の時計塔の針を見る。

待ち合わせは正午きっかり。

時計塔の鐘が鳴るまで、まだ時間があるみたい。


「……少し早かったわね」


予定よりも30分も早く来てしまったんだから、少しじゃないのかも。

でも遅れたくはないし、逸る気持ちもあったから仕方ないわ。

よくよく周りを見て見ると、道行く人が私を気にするように見ている。

お忍びという事で一般人に変装しているけれど、やっぱり目立つわね。

何故なら、私の傍らには蓄音機が並んでいるから。


別に持ち寄ると言った話はしていない。

ただ目印にもなるし、何となく持ってきてしまった。

蓄音機を小さなキャスターで持ち運ぶ、変な人に見られていないかしら。

いえ、多分見られているわね。

道行く人が不思議そうな視線を送って来るもの。

従者だってコレを持ち寄ると言ったら、不思議そうにしていたのだから。


しまったわ。

慣れない事なんてするものじゃないわね。

でもこうしないと、互いに誰か分からないかもしれないし。

そうやって自分に言い訳をしていると、急に蓄音機が雑音を響かせる。

記憶に新しい音。

これって、もしかして。

思わず緊張しつつ、私は耳を傾ける。


『少し早すぎたかな。正午の鐘と言ったけれど、考えてみればあまり意味はなかったかも』

「あ、あの……」

『あれ? その声はラナ?』


ヴィオルの問いに、私は自分が情けなく感じた。

あの、って何なのよ。

もっと他に言葉があるでしょうに。

私ってこんなに奥手な人間だったかしら。

取り敢えず、繋がっているという事がどういう訳なのか。

頭を回転させ、人目を避けつつ小声で話しかけてみる。


「え、えぇ。そうなのだけど……もしかして、貴方も蓄音機を持ってきていたの?」

『目印にもなるし念のためにね。偶然繋がったのは運が良かった。近くにいるの?』

「時計塔の正面にいるわ」

『そうなの? おかしいな、僕も同じ場所にいるんだ』

「え? でも、この辺りには誰も……?」


どういう事かしら。

私は思わず周りを見渡してみる。

でも見えるのは、ごくごく普通の人ばかり。

蓄音機を運ぶ人なんて見当たらない。

時計塔の正面を勘違いして、別の場所にいるのかしら。

だったら塔の周りをグルッと回れば出会えるかも。

そう思って、キャスターの取っ手に触れた瞬間。


「うわーーーん! パパ、ママーーー!」


何処からともなく子供の泣き声が聞こえてくる。

幼い男の子みたいだわ。

周りに親らしき人は、いないわね。

街に出掛けに来て、両親とはぐれてしまったのかしら。


『今の声は?』

「迷子みたい。街の子が泣いているの」

『迷子……辺りには見えないけど、放ってはおけないね』

「待って。私が事情を聞いてみるわ」


ヴィオルの方には見当たらないみたい。

やっぱり彼は、塔の別の場所にいるようね。

私は考えるよりも先に、男の子のほうへと向かう。

勿論、蓄音機の乗ったキャスターもゴロゴロと動かす。

見ず知らずの子だけど、放っておく訳にもいかないわ。


「どうかしたの?」


そう言って、男の子を見下ろす。

別に威圧感を与えたつもりはなかった。

でも、どうした事か。


「う、うわーーーーん! 怖いよーーーー!」

「えぇ!?」


男の子は更に泣き出してしまった。

ちょっと、まだ何もしていないのだけど。

もしかして知らぬ間に怖い雰囲気を漂わせていたのかも。

その、普通に困ったわ。

どうしたら泣き止んでくれるの。

流石のヴィオルも困惑した声で聞いてくる。


『ど、どうかした?』

「声を掛けただけ、なのだけど」

『うーん。この様子だと話を聞くのは難しそうだね。よし、僕に任せて』


何だか自信ありげに答える。

でも近くに彼が来るような気配はない。

一体、どうするつもりなのかしら。

そう思っていると、男の子の泣き声と重なるように笑い声が響いてくる。


『フッフッフ。どうやら僕に気付いたようだな』

「……ふぇ?」

『僕の名はヴァン! 良くぞ、この正体を見破った!』


まさかと目を丸くする私に代わって、男の子が泣き止んだ。

泣き腫らした顔を上げて、傍の蓄音機を見上げる。

原理も分からずに繋がっていた蓄音機が、この子の目にも不思議な現象に映ったみたい。


「ラッパが喋ってる……」

『実は昨日、魔法の実験に失敗してしまってね! こんな姿になってしまったのさ!』

「ま、魔法!? 本当に!?」

『本当だとも! 僕と彼女は、魔法使いなのさ!』


向こうからは何も見えない筈だけれど、ヴィオルはわざと偉そうな態度で演じ切る。

そして私も普通に巻き込まれたわ。

さっきまで怖がっていたその子は、私を驚いた表情で見つめてくる。

と、取りあえず笑っておくことにしましょう。


『どうやら君は、ご両親とはぐれてしまったようだね。だが安心すると良い。僕達が一緒に探してあげよう』

「い、良いの……?」

『勿論さ。ただ、その前に自己紹介は必要かな。先ずは、君の名前を教えてはくれないかい?』


ヴィオルは彼の両親を探す前に、安心させるために色々な話を振っていった。

名前だけじゃなく、王都に何をしに来たのか、些細な話から上手く場を繋いでいく。

私もその輪の中に入った。

いきなり泣かれたのでどうしたものかと思ったけれど、既にこの子は喋る蓄音機に興味津々。

あっさりと私を受け入れてくれた。

そうしてお互いに魔法使いを演じ切っていると、暫くして騒ぎを聞きつけた二人の男女がやって来る。

男の子は二人の姿を見て、ぱぁっと顔を明るくした。


「ユーリ! 此処にいたのね!」

「良かった! 怪我してないか!?」

「あっ! パパ、ママ! 見て見て! この人達、魔法使いなの!」


どうやら、探しに行く必要はなかったみたいね。

心の中で安堵しつつ、頭を下げてきた両親達に会釈をする。

彼らにも蓄音機のことが知れてしまうのかと思ったけれど、二人は私が適当な言葉で魔法使いを自称していると思ったよう。

そして私達が貴族であると気付いた様子もない。

何度も礼を言う彼らに、私は会えて良かったですと微笑するだけだった。


「魔法使いさま! ラッパさん! ありがとう!」


まるで嵐のようだったわね。

大きく手を振って去っていく家族に、私は小さく手を振り返す。

けれど不意に私がやり取りしている、お父様やお母様との手紙が思い浮かぶ。

何故かしら。

あの三人の姿を見ていると、少し寂しい。

手を繋いで歩いていく、そんなごくごく普通の風景がとても眩しく見えた。


『一件落着、かな』

「まさか、あんな大立ち回りをするなんて……」

『困っている人を放っておいては貴族の名折れ。無事に会えて良かったよ』


ヴィオルは元の調子に戻って、満足そうに答える。

こうは言っているけれど、彼は離れた場所で独り芝居をしていた事になる。

凄い目で見られていても不思議ではないわ。

現に私が今いる場所でも、私が腹話術でもしたのかと思われて視線を集めているのだから。

周囲にどう思われるのか、そんな恐れもないのかしら。

私は思わず呟いた。


「貴方は……」

『え?』

「貴方は、怖くないの?」


何の意味もない、不意に出た言葉だった。

あぁ、またやってしまったわ。

そんな事を言われても困るだけでしょうに。

最近、こんな事ばっかりじゃない。

焦って取り繕うと口を開いたけれど、その前にヴィオルの静かな声が聞こえる。


『僕には兄がいるって、前に話したよね』


その声が少しだけトーンを落とす。


『兄上は人格者でね。父の遺言があったからこそ継承権は入れ替わったけれど、僕に越えられないと思わせるだけの威厳と、教養を兼ね備えた人なんだ。だから僕も、兄上と自分とを比べて怖くなる時がある』

「……貴方のお兄様、凄く優秀な方なのね」

『うん。でも、そればかりを考えても仕方がないんだ』

「?」

『兄上に勝つことが僕の役目ではないし、勝ち負けで幸か不幸かを決めるなんて虚しいだけ。無理に優劣なんて見ずに、自分なりに歩いていくことが本当の生き方なんじゃないかと、僕は思う』

「……」

『だからラナとこうして話していることも、とても大切なんだよ』


最後にそう付け加える。

彼は優劣を付けない。

自身が公爵家の次期当主であることに驕るつもりもないし、だからこそ私と対等に接しているのね。

迷子で泣いていたあの子にも同じように手を、もとい声を差し伸べた。

ヴィオルがどうやって、どんな達観した考えに至ったのかは分からないわ。

私には想像もつかない。

けれど、一つ分かった事がある。


『あ……ごめん。君の事情も図らずに、こんな事を……』

「そう、だったのね」

『?』

「やっぱり私は、怖かったんだわ」


周りにウンザリしていた、なんて嘘だ。

ただのハッタリ。

私は心の奥底で恐れていたんだわ。

自分への評価だけがどんどん高くなって、一歩も踏み出せずにいた事に。

でも今は一人じゃない。

気付かせてくれた彼に会えれば、きっと――。


瞬間、後方から鐘の音が鳴る。

正午を伝える時計塔の音色だわ。

私はゆっくりと振り返り、待ち合わせの時間になったと気付く。

色々あったけれど、これでようやくヴィオルに会える。

そう思っていたけれど、彼の様子は違っていた。


『え? どうして鐘の音が?』


明らかに動揺した声だった。

何だか様子がおかしいわ。

鐘の音が鳴った事が、そんなに不思議なのかしら。

何の変哲もない音色を聞きつつ、私は聞き返す。


「どうかしたの?」

『お、おかしいんだ。時計塔は今、修理中で鐘は鳴らないはずなんだよ』

「修理? そんな話は聞いていないけれど?」

『え? でも時計塔は工事の垂れ幕がされているし、間違いはない筈……』

「垂れ……幕……?」


微かに抱いていた違和感が膨れ上がる。

もう一度、時計塔を見るけれど垂れ幕なんて下がっていない。

修理の話は聞かないし、それらしき形跡も何処にもない。

徐々に私は胸騒ぎを覚える。


どういう事。

そうだわ、初めからおかしかった。

何故、彼は現れないの。

同じ時計塔前にいるという話なのに、どうして彼に会えないのか。

迷子の子が私の傍にいて、どうして同じ場所にいる筈の彼には見当たらなかったのか。




ヴィオルは一体、何処にいるの?




『ん、風が吹いて来たね』


風の音が蓄音機を通して聞こえる。

でも私の今いる場所に、風はない。

何も、感じない。

同じ場所にいる筈なのに、見えているものが、感じているものが違う。

それが何を意味しているのか。

私は蓄音機を見返し、思い至った。

まさか。

まさか、そんな事があり得るというの。

私は自然と声を震わせた。


「ね、ねぇ……今、何年か分かる?」

『太陽暦1025年だね。それがどうかしたの?』

「……1030年よ」

『!?』

「今……私のいる此処は、1030年なの……」


そう、今は太陽暦1030年。

決して1025年ではないわ。

そしてヴィオルと会えない理由も、自ずと分かった。

場所が違うんじゃない。

時間が、違うんだわ。

彼もそれに気が付いたのか、信じられないといった声が聞こえてくる。


『ま、まさかラナは……5年後の未来にいるの……?』


正午の鐘の音が止まった。

残響だけが残り、徐々に消えていく。

その感覚が私の身体を駆け巡り、新たな事実を思い立たせる。


「っ!?」

『ラナ?』

「嫌な予感がするわ! ヴェルレーヴェン家、何かがおかしいと思っていたの! ま、まさか……!」

『い、一体何が――』


それから蓄音機からは何も聞こえなくなった。

違和感は最初からあった。

時計塔に来るよりも前、ヴェルレーヴェン家の話を聞いた時。

あの時は何か事情があるのだろうとしか思っていなかった。

でも、違う。

事情なんてない。

それが、既に終わっている出来事なのだとしたら。


何度呼びかけても、蓄音機は反応しなくなった。

それだけで私の不安を掻き立てる。

通じなくなった蓄音機を従者に預け、私は最寄りの図書館へと急いだ。

抱えていた予感が何なのかを確かめるために。


今この時間にヴィオルはいない。

幾つかの社交界でも全く会えなかった。

それは5年前、私が伯爵令嬢の地位を授かる前に何かがあったからだわ。

彼が現れないだけの理由が、必ずある筈。

考えたくはなかった。

嫌な予感が、現実のものになるのが恐ろしい。

けれど、知らないまま放っておける訳もない。

図書館の司書に5年前の、特にヴェルレーヴェン家に関する記事を持ってきてほしいと伝える。

本来、そんな事を言われても戸惑う筈。

それなのに司書は思いのほか早く用意した。


それはきっと。

直ぐに思い浮かぶ程、大きな出来事があったからで。

目当ての記事は大きく取り上げられていた。




【太陽暦1025年、●月◆日――ヴィオル・ヴェルレーヴェン氏――視察中に起きた不慮の事故で――】




「ヴィオルが……事故死……」


5年後の今、ヴィオルが既にこの世にはいない事実を、私は知った。





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