1.まるで雷に打たれたような
「流石はラキュラス家! この数年の進展には目覚ましいものがあります!」
「有難いお言葉、恐縮ですわ」
「そしてラナ・ラキュラス嬢! 貴女の輝きと美しさの前では、どのような宝石すら見劣りするでしょう! 今後は是非、私共と良好な関係を!」
「……ご謙遜を。貴方達が宝石であるなら、私は原石にも及びません。今は自身が為せることを愚直に行うまでですわ」
あぁ、退屈だわ。
私は何のために此処にいるのかしら。
煌びやかな社交界の中、何処ぞの貴族令息を受け流しつつそんな事を考える。
近くには私や私の家柄を称賛する声ばかり。
まぁ、それも仕方ないのかもしれないわね。
5年という短期間で商家から大富豪、そして伯爵にまで成り上がった貴族。
そんなラキュラス家の一人娘が私。
周囲にとって、私は突如現れて爵位を得た例外中の例外。
危険視するのは当然なのでしょう。
そして利益の見込める相手に取り入ることは、商売でもよくあること。
打算的な表情で近づく次男、三男辺りの多いこと多いこと。
それだけなら、まだ許容できたのですが。
「……所詮は商家上がりの成金でしょうに」
「金で買った爵位など、純然たる貴族である私達の足元にも及びません」
「男にばかりすり寄って……いやらしいこと……」
別にすり寄ってなどいないし、距離を置いているのに。
勝手に近づかれて迷惑しているのは私の方だわ。
そんな事など知らず、影ではヒソヒソと声が聞こえてくる。
あちらでもこちらでも、私と比較して上か下かを競うばかり。
貴族にとっては、それがステータスなのでしょう。
領地の治安だったり、家柄の維持だったり。
何が幸せで、何が不幸せか。
いかに相手よりも優れているのかを見せびらかすのが、このパーティーの本質。
誉れである社交界の、本当の姿。
正直、失望しかないわ。
色々な本を読み漁って、憧れの高飛車なご令嬢を目指していた私の気持ちを返してほしいくらい。
これならまだ商家だった頃の方がマシだったかもしれないわね。
と思っても、それは個人的な話。
伯爵令嬢という立場に成り上がれたのも、お父様やお母様のお蔭。
心から感謝するのは当然のこと。
だからこそ私は、初めての社交界でも体裁を崩すことなく乗り切る。
令息達の纏わり付くような視線も。
令嬢達の嫉妬の視線も。
全て、受け流すだけ。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「えぇ。貴女もご苦労様」
「ご主人様方より手紙を預かっております。こちらをどうぞ」
「……ありがとう」
ようやく社交界から屋敷へ帰った私に、従者から手紙が渡される。
お父様と、お母様からの手紙だわ。
やっぱり、今日も帰って来なかったのね。
比べるばかりの社交界から帰っても、広大な屋敷にいるのは私と従者だけ。
後は高価な骨董品ばかり。
今までに何度見たかも分からない封筒を、自室で開けてみる。
『ラナ、初めての社交界はどうだった? 本当なら貴方の帰りを待つべきなのに、執務の合間を見つけられなくてごめんなさい。何かあったのなら、直ぐに返事を頂戴』
『家のことなんて気にせず、思うようにやってみなさい。暫くしたらまた帰れるだろうから、その時は話をたくさん聞かせてくれ』
相変わらず元気そうなお父様とお母様。
そして、これが私たち家族の会話。
幼い頃から各地を飛び回っていて、今も執務で忙しいので、お二人に会う機会は年に数回。
寂しくなどないわ。
これが普通だと思って、今まで過ごしてきたのだから。
商家の頃からそうだった。
身の周りは常に移り変わっていく。
環境も、出会う人も、そこに渦巻く思惑も。
一つの場所に留まる事もなかったので、親しい友人など出来た試しもない。
爵位を得れば少しは落ち着けるかと思ったのですけど、やはり難しいようね。
これからも、きっとそれは変わらない。
別にそれが悪いことだとも思わないわ。
涙で枕を濡らすような子供でもないし。
「オーホッホッホ! 悪(?)に孤独はつきものですわ……!」
はぁ、駄目ね。
気丈に高笑いをしてみたら、余計に虚しくなったわ。
結局、私も周りと比べて、自分が不幸だとでも思っているのかもしれないわね。
情けない。
兎に角、お二人へ返事を書かなくては。
そう思って机に向かうと、窓の外から雨音が聞こえてくる。
「雨? 急に降り出したわね……?」
帰ってくるときは降っていなかったのに、通り雨かしら。
今は家の中ですし問題はないけれど。
夜の暗闇に視線を移して、窓に反射した私の顔だけを見る。
そしてまた視線を戻すはず、だった。
本当に突然のこと。
いきなり窓の外が光ったかと思うと、耳を劈く轟音が響き渡った。
「きゃっ!? か、雷!?」
思わず握っていた羽ペンを取り落とす。
しかもこれ、結構近いわ。
胸騒ぎを感じて部屋から出ると、慌てた従者が私の元にやって来る。
「お嬢様、ご無事ですか!?」
「え、えぇ……。もしかして、敷地に落ちたの……?」
「そのようです。私共が確認いたしますので、くれぐれも外出はお控えください」
流石に出るつもりはないのだけど。
少しだけ慌しくする従者を尻目に、私は部屋に引っ込む。
そして遠目から窓の外を見る。
いつの間にか、雨は止んでいるわ。
もう雷は平気かしら。
これ以上、らしくない悲鳴は出したくない。
あぁもう、集中が乱れて机に向かえないじゃない。
仕方なく私は気を落ち着かせるために、部屋を見渡す。
そして部屋の隅に置かれていた、小型の蓄音機が不意に目を引く。
あれは以前、骨董品として売りに出されていた品物。
私が気紛れに買い付けたものだったはず。
でも、何だか様子がおかしいわね。
レコードを再生した覚えはないのに、微かに雑音が聞こえるわ。
今の雷で、何か影響を受けたのかしら。
私は気になって蓄音機に近づく。
するとザラついた音に混じって、別の声が聞こえてきた。
『す、凄い雷だし、外も酷い雨だ。これは早めにパーティーを切り上げておいて、正解だったね』
「っ!?」
思わず息を呑む。
どういう事、なの。
若い少年の声が蓄音機から聞こえてくる。
故障、と言うには不自然すぎる。
ゼンマイすら巻いていないのだから、音が出る訳もない。
私の知る従者達の声ではないし、一体誰なの。
意味が分からず、私は思わず呟いた。
「ど、どういう事……?」
『え? 今の声は……誰かいる……?』
「貴方、何者ですか!? 屋敷の者ではないわね!? 一体どんな細工を……!」
『っ!? まさか、この蓄音機が喋っているのかい!? おかしいな……ゼンマイを巻いた覚えなんて……? も、もしかしてこれって、お伽話にある魔法という類じゃ!?』
「……私は魔女ではありませんわ」
何なの、この男は。
場に不釣り合いな声を聞いて、私は脱力した。
●
『俄かには信じがたい現象だけれど。どうやらさっきの雷で、僕と君の蓄音機が繋がったみたいだ』
「まさか、信じられませんわ……。貴方、ひょっとしてこの部屋の何処かに潜んでいるのではなくて……?」
『それは誤解だよ。見て、僕はしっかりと僕の部屋にいるんだ』
「声だけで、何も見えませんけれど」
『あ……それもそうだね』
本当に何なの、この男は。
随分と間の抜けた言葉が私の元まで聞こえてくる。
でも辺りを見回しても、誰かがいる様子はないわ。
蓄音機を調べても、特に目立った異常は見られないし。
彼の言う通り、雷が落ちた影響だとでも言うの。
『しかしこれは非常に興味深いよ! まさか人と会話が出来るなんて! 今日は社交界と乗り物酔いで酷い一日だったけど、最後の最後で思わぬ収穫があった!』
「社交界? 貴方もしかして貴族、なんですの?」
『そういう君も貴族みたいだね。話し方から察しは付いていたけど、あまり聞き覚えのない声だ』
「……一応、名乗っておきましょうか?」
『うーん。ここは互いに偽名で語り合おう。正式に名乗ってしまえば、社交界の時と何も変わらない。今はこの特別な状況を楽しもうよ』
「はぁ……」
よく分からないけれど、名乗り合う事になってしまったわ。
いえ、それ以前に彼は今日のパーティーに参加していたのね。
一々声なんて覚えていないし、誰だったのか心当たりもない。
仮に相手が私の事情を探って来るようなら、直ぐにでも大声を出すつもりだったけれど。
彼はこの不思議な現象を、心の底から楽しんでいるみたい。
変な人。
取り敢えず偽名なら、変に期待もされないでしょう。
色々考えた末に、私は受け答える。
「ライナと申します」
『僕はヴァン、よろしく。それにしても、君も今日の社交界に参加したの?』
「えぇ、一応は」
『やっぱり。アレは中々に辛かったよね? 何と言っても、周りの空気があまりに――』
辛かった、とはどういう事かしら。
もしかすると、彼もあのパーティーに嫌気が差していたのかも。
少しだけ共感しそうになって、耳を傾ける。
でもそれから徐々に、彼の声は遠くなっていった。
まるで偶然繋がっていた何かが途切れるように。
遂に何も聞こえなくなってしまった。
「あの……? もしかして、途切れたのかしら?」
コンコンと蓄音機を小突いてみても、何も起きない。
試しにレコードを流してみたら、聞き覚えのある曲が流れてきた。
何だったのよ、もう。
気味が悪いし捨ててしまおうかしら。
でもこれは高値で買った蓄音機で、結構なお気に入りだし。
それにこの不可思議な状況は、少しだけ気掛かりだわ。
何だか、空虚だった日々に衝撃が走ったような気分。
雷が落ちた時の感覚が抜けきっていないのかしら。
或いは、私が勝手に生み出した幻聴なのかも。
分からない。
分からないまま、私は今の出来事を誰にも話せなかった。
●
翌日。
結局、あれから蓄音機は何も言わず。
お父様やお母様も、相変わらず外出していて屋敷にいるのは私と従者達だけ。
いつも通りの日常が戻ってくる。
やっぱりあれは、私が見た夢か幻聴だったのね。
きっと疲れているんだわ。
昨日のパーティーを終えてから、今日は特に行事らしきものもないし。
兎に角、ゆっくり休むことにしましょう。
敷地内の庭園を散歩して、気分転換をしつつ。
弓術で精神統一をした後は、学術書を読んで平静を整える。
あの時の衝撃や、僅かな高揚感も徐々に収まっていく。
あっという間に時間が過ぎて、今は昼下がり。
全く、どうにか調子が元に戻って来たわね。
ファンタジーじゃあるまいし。
蓄音機が人の声を発するなんて、ある訳がないじゃない。
冷静になって考えれば分かる事だったわ。
自室に戻って、例の蓄音機を見てみる。
案の定、ソレは沈黙したまま。
ほらね、何も言わない。
ようやく安心出来るわ。
息をついた私は、途中だったお父様たちへの手紙をもう一度書くため、机に向かおうとする。
そうして椅子に腰かけた時だった。
何もしていない筈の蓄音機が異音を発する。
ザラついた雑音に覚えがあって、私の身体が硬直する。
まさか、いや嘘でしょう?
信じられない思いで蓄音機を見ると、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
『……どんな原理で繋がったのかサッパリだ。それともアレは僕の夢か、幻聴だったのかな?』
「!」
『でも夢にしては妙に現実味のある、透き通るような声で……。うーん……』
「……全部、聞こえていますわよ」
『っ!? ら、ライナなの!?』
「仰る通りで」
『そっか! 夢じゃなかったんだ! 安心したよ!』
何てこと。
例の貴族、ヴァンの声が聞こえてくるわ。
昨日の現象は本当だったのね。
頭が痛、くはないわ。
あれが幻聴ではなく、自分がそれ程に追い詰められていなかったという意味では、逆に良かったかも。
私は腰かけていた椅子から離れ、蓄音機に歩み寄る。
ゼンマイは巻いていないし、やっぱり声が聞こえる原因も分からないわね。
彼の方も、きっと同じことを考えているんだわ。
すると向こうから、申し訳なさそうな声が聞こえてくる。
『昨日はごめん』
「え?」
『人にはそれぞれ感じ方があるのに、僕の社交界に対する考え方ばかり喋ってしまった。あれじゃ、君が不快に思っても仕方がなかったよ』
「いえ……そもそも喋り始めから声が遠くなっていたので、殆ど分かりませんでしたの」
『そうだったの?』
「貴方は社交界について、思う所があるようね」
『う、うん。どうにも僕は、人と比べられる事が苦手みたいだ』
「比べる……」
思わず私は呟く。
人と比べるという言葉に、社交界の光景が思い浮かぶ。
家の功績を褒め称える人。
そんなモノは紛い物だと見下す人。
彼も同じように、嫌気が差していたのかしら。
そう思うと私は、自然と蓄音機に向き直っていた。
「少し時間を頂けるかしら」
『え……?』
「折角です。私の愚痴に付き合って下さる? それでお相子にしましょう?」
相手が申し訳ないと思っているのなら、それに甘えてしまいましょう。
誰にも打ち明けられなかった、私自身の思いを話していく。
ヴァンは止めなかった。
私が抱いていた貴族への思いと、その差に幻滅したことも、遮ることなく聞いていた。
ひとしきり喋り終えると、少しだけ後悔が押し寄せる。
彼は何を思ったのかしら。
愚痴を吐くような、情けない女。
それとも庶民の感覚が抜けきらない凡人、とでも感じたかもしれないわね。
何だか自分が情けない。
すると不意に、優し気な声が響く。
『君も苦労しているんだね』
「……!」
『どうかしたの?』
「い、いえ……別に……。兎に角、出る杭は打たれるものなのでしょう」
『確かに、その気持ちは良く分かるかな』
「……本当にそう思っているの?」
『周りの態度が急に変わるのは、僕にも覚えがあるんだ』
ヴァンは心当たりがあるように、自嘲気味に答える。
『少し前に、当主継承権が入れ替わったんだ。今まではパーティーでは脇役だったのに、その瞬間から注目の的だよ』
「そんな事が? 先日のパーティーの話、ですよね?」
『うん。他の貴族からは、貴方のことは始めから信じておりました、なんて言われてね。その日の僕は、人というものが信じられなくなりそうだったよ』
「気付かなかったわ……」
『それは僕も同じさ。お互いあのパーティーでは、自分の事で手一杯だったみたいだね』
「確かに、あの時は帰りたい気持ちで一杯でした」
『あぁ、その気持ちは分かるな。ただ僕の場合は、馬車酔いも酷くてね。進むも地獄、退くも地獄だったよ』
「行きはどうやって?」
『気合! で何とか、ね!』
彼は陽気に笑う。
お互い様とは言え、私の愚痴を気にした様子もない。
何だか、とても温かな気持ちになる。
どうしてこんな、訳の分からない感情を抱いてしまうの。
別に顔も見えないし、どんな人なのかも分からない。
もしかしたら今までの言葉だって、嘘かもしれない。
それなのに何故か受け入れられたような、そんな思いすら抱いてしまう。
「……貴方は変わった方ですね」
『そうかな?』
「えぇ。貴族とは表では笑い合い、裏では比べて蹴落とし合うものかと思っていました」
『はは……比べるばかりでは、悪い方向ばかり考えちゃうし。僕としては、程々を心掛けているよ』
「比べることが、悪い訳ではないと?」
『適度に競い合わないと、成長も出来ないからね』
彼はそんな事を言う。
『上には上がいるし、凄い人達ばかりだ。だから比べてばかりだと、自分ばかりが小さく見えて……後ろ向きな考えになる。それはきっと、今の自分に満足していない証拠だ』
「……」
『でも、だからと言って周りを傷付けちゃ駄目だ。大事なのは、比べ過ぎないことかな』
「……私も、同じなのかしら」
『そう思えるのなら、ライナは十分に分かっていると思うよ。社交界ってものは、どうしても周りを俯瞰しがちになる。だから自分の手の届く範囲で無理なくやるのが、一番じゃないかな』
背中を押すようで、見守るような言葉。
あぁ、そうだったのね。
ようやく気付く。
今まで、私は誰かと対等に話した事なんてなかった。
従者は勿論、お父様やお母様とも手紙での会話ばかり。
私はこうして自分の考えを、誰かと分かち合いたかったんだわ。
色々な垣根を取り払って、ただ真っ直ぐに。
だからこんなにも、温かな気持ちになってしまう。
それに彼の考えにも少しだけ共感できる。
商人として、大富豪として、そして貴族として。
私は背伸びし続けてきた。
物語に出てくるような高飛車な女性に憧れていたのも、その延長。
上を目指していれば、いつかは寂しさからも逃れられる。
隙間が埋められると、そう考えていたんだわ。
でも、そんな事では埋まらない。
本当に欲しかったのは、きっと――。
「何だか、胸がすく言葉だったわ。ありがとう。私も、肝心なモノを見落としかけていたのかもしれません。……って、ヴァン?」
返答がないので聞き返したけれど、何も聞こえない。
気配が感じられない。
まさか、と思って蓄音機を小突いてみる。
ちょっと、これってもしかして。
「また切れてる……」
私は息を吐く。
この前と同じだわ。
これでは、さっきの言葉も届いていたのか怪しいわね。
勝手に切れたり繋がったりと、本当に格好がつかない。
でも何故かしら。
昨日ほどの、雷に打たれたような衝撃はない。
あるのは、感慨深さ。
次はいつ繋がるのだろう、なんて考えが私の中で浮かんでいた。