表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/21

8.景吉との距離2 ※

 先に教室へ戻ってきた私は、午後の授業に備えて机の上に教科書とノートを広げる。

 それから机に突っ伏して、さっきのできごとについて考えた。


 正直なところ、私は景吉がメモ用紙に書いたお願いが『ほっぺにちゅー』だと知っていた。

 たまたま私が紙を宙にかざした時に、中身が透けて見えてしまったのだ。


 その時は、冗談で書いたのだろうと思った。

 景吉が勝負に勝った時は、「ガハハ、負け犬め! おとなしくちゅーしろ!」「うう、屈辱だ……」みたいなノリで楽しむつもりなのだろうと思っていた。

 なぜなら、そういうノリでバカみたいに笑い合うのが、()()()()()()()だからだ。

 

 もちろん、景吉が冗談をかますつもりなら、私もそのノリに合わせるつもりだった。

 キスは少しやりすぎだと思うが、それも込みで嫌々と応じれば面白おかしい雰囲気にはなると思った。


 だが、あろうことか景吉は、メモ用紙を食べて証拠隠滅を図るという行動に出た。

 景吉は紙を食べたこと自体がボケだったという態度をとっているが、少し無理があるだろう。あれはどう見ても、とっさに思いついた緊急手段だった。

 つまり景吉は、自分で『ほっぺにちゅー』と書いておきながら後になって後悔し、なかったことにしたのだ。


 恐らく景吉は、キスはネタとして攻めすぎたと感じたのだろう。

 正直なところ、私もちょっぴりドキドキしていた。

 景吉の家で勉強している時にも、キスすることになったらどうしようと意識することが何度かあった。


 だから景吉の奇行によって全部がうやむやになり、安心したのも事実だ。

 景吉にキスするのが嫌なわけじゃない。ただ、一歩踏み込んだキスという行為に不安に感じていただけのことだ。

 恐らく、景吉も似たような気持で『ほっぺにちゅー』というお願いを撤回したのだろう。


 だけど、私はその日の晩に色々と考えた。

 本当に景吉は、冗談のつもりで『ほっぺにちゅー』と書いたのだろうか。

 仮に冗談を貫き通すつもりなら、わざわざ撤回はしないだろう。少なくとも、意識してなければそんな行動は取らない。


 ならば、景吉は私にキスしてほしかったのだろうか。

 昨日の晩は、そのことばかり考えていた。

 

 例えば、好きな人にキスされたら誰もが嬉しいと感じるだろう。

 私だって不安だとかなんとか言いつつ、景吉といいムードになってキスされたら嬉しいと感じるだろう。なんでそう感じるか、という理由を考えるのは人として野暮というものだ。


 しかし、男は女にキスされたら相手が誰でも大体喜ぶ生き物だという話も聞いたことがある。

 確かにアニメや漫画では女が愛情表現ではなくお礼としてキスするシーンなんかも多い。そして男は、鼻の下を伸ばしてそれを喜ぶ。見境がないように思えるが、それが男だと言われれば納得できる。


 それじゃあ、景吉も異性にキスしてもらえれば相手が誰でも喜ぶのだろうか。

 別に私のことが好きじゃなくたって、とりあえず私にキスされたら嬉しいのだろうか。

 もしも景吉がそんなつもりで『ほっぺにちゅー』と書いたなら、ちょっぴり腹が立ってくる。


 だけど、メモ用紙に『ボクが勝ってもカゲくんのお願いを聞いてあげる』と書いた私は、もともと景吉に勉強を教えてもらったお礼をするつもりだった。

 景吉のお願いなら、多少の無理でも聞いてあげるつもりだった。


 だから私は、景吉にキスしてやった。

 あのキスは愛情表現のような重いものじゃない。景吉を喜ばせるための、私からのお礼だ。


 ムッツリスケベの景吉は、今ごろ喜んでいることだろう。というか、そうじゃなかったら、それこそ腹が立ってくる。

 いくらお礼と言っても、キスは安売りできるものじゃない。私だって、勇気を出したんだ。もちろんお礼以上の深い意味はないけど。


 と、そんなことを考えつつ腕の隙間から教室の出入り口を観察していると、授業開始直前になって景吉が教室へと戻ってくる。

 私は顔を合わせないよう、突っ伏したまま景吉が席に座るのを待った。


 ……自分で深い意味はないと言い聞かせているのに、景吉が近くにくるとドキドキする。

 キスした時の雰囲気や感触が頭から離れなくなり、顔が熱くなってくる。


 その時、不意に背中にこそばゆい感触が伝わった。


「ひゃうっ!」


 たまらず変な悲鳴と共に顔を上げると、いつの間にか教卓に立っていた教師とクラスメイトから注目を浴びる。

 私はすぐさま振り返り、抗議のつもりで背中を触ってきた張本人――景吉を睨みつけた。


「なにすんの!(怒りの小声)」


「ええと、そろそろ授業始まるから起こしてあげようと思って……」


 気持ちは嬉しいが、お陰で大恥かいてしまった。

 私は返事もせずにプイと向き直り、何事もなかったかのように教科書とノートを広げる。


 そのまま授業が始まると、なんだかだんだんと腹が立ってきた。

 そもそも、景吉が『ほっぺにちゅー』などというお願いを書かなければ、たかがキスひとつで悩まずに済んだのだ。

 賭けの賞品にキスを要求しておきながら後で撤回する景吉も男として情けないし、何がしたかったのかよくわからない。


 今私が恥を書いたのも、なんだかドキドキして落ち着かないのも、全部景吉のせいだ。景吉が悪いんだ。

 私は抗議のつもりで、授業中に出た消しカスを景吉の座っている後ろに放り投げてやる。

 授業が終わった頃には頭が消しカスだらけになってるだろう。


 だけど、もしも――もしも景吉が私のキスで喜んでくれたなら、許せてしまう気がする。

 私のことが好きとか嫌いとか、そんなレベルじゃなくて、私のお礼で景吉が喜んでくれたのなら、それで気が済む気がする。


 私って、自分で思っているより単純なのかも。

 そんなことを考えていると、午後の授業にはまったく集中できなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ