6.結果発表!
なんだかんだと勉強漬けの日々を送っているうちに、期末試験はあっと言う間に終わっていた。
採点期間を終えて全ての答案が返却された今日は、まさに天下分け目の日だ。
放課後になって俺の部屋を訪れた澄恵は、どこか得意げな様子でローテーブルの前へ座り、カバンから答案用紙の束を取り出す。
対する俺は、鍵付きの引き出しから互いの『お願い』が記された封付きのメモ用紙2枚を取り出し、どこか厳粛な雰囲気でローテーブルの上に並べた。
俺が勝てば、勢いで書いた『ほっぺにちゅー』というお願いが提示される。
もちろん、澄恵に『ちゅー』してもらいたい気持ちはあるが、それ以上に澄恵からどう思われるか心配で、今から心臓が高鳴り冷や汗が背中を濡らしている。
そして、俺と澄恵は返却された10教科の答案用紙を手元に用意し、開示の準備を整えた。
ちなみに、各教科の点数はお互い隠していたが、澄恵の敗北条件である赤点はひとつもなかったようだ。
とりあえず澄恵の赤点回避という当初の目的は達成できたので、俺としても喜ばしい限りだ。後は、粛々と勝負の結果を受け止めよう。
「さて、負けを認める準備はできたかなお嬢さん」
「フフ、それはこっちのセリフだよ坊やくん」
「それじゃ、いくぞ」
「「せーの!」」
その瞬間、ローテーブルの上に互いの答案用紙が叩きつけられる。
目に入る点数で瞬時に判断したとろこ、点数状況は圧倒的に俺が勝っている。
ただしハンデを上回るほど差がついているかと言われると、かなり際どい感じだ。
俺はすぐさまスマホの電卓アプリを起動し、点数計算を始める。
すると、9教科の計算が終わったところで、俺と澄恵の点数は250点のハンデ込みで綺麗に並んだ。残る1教科の優劣で、勝敗が決まる。
答案の束に埋もれていた最後の教科は、『保健体育』だ。
俺と澄恵は、大学入試教科にほぼ入らない家庭や情報、保健体育といった教科は、ほとんど勉強していない。
つまり、素の状態でどっちが保健体育に詳しいか、という微妙に恥ずかしい能力差で勝敗が決まろうとしているのだ。
「くっ、保健体育で勝っても嬉しくない……が、自信がないわけじゃない。この勝負、もらったぜ!」
「ぐぬぬ、ここで勝ってしまったらムッツリスケベのカゲくんよりエッチな乙女になってしまう……でも、ボクだって!」
互いに保健体育の答案を底から引っ張りだした俺と澄恵は、用紙を広げてローテーブルへと叩きつける。
澄恵の点数は、88点。
俺の点数は、86点――つまり、俺の負けだ。
この瞬間、勝敗は決した。
お互い保健体育はそこそこ得意でしたという、あまり触れたくない一面が露呈すると同時に、熱い戦いに幕が下ろされたのだ。
2点差の敗北は悔しい結果だが、全力を出し切った勝負の結果なので潔く受け止めることができる。
……まあ、本音を言えば『ほっぺにちゅー』というお願いが露呈しなくて安心しているだけなのだが。
「俺の完敗だ……つーか、スミちゃん他の教科は平均ちょい下くらいなのに、なんで保険体育だけバリバリ高得点なんだよ」
「いや~、勝ったのは嬉しいけど、ハンデ貰ってるから素直に喜べないな~」
はぐらかしたなムッツリスケベめ。
まあ、乙女のセンシティブな部分はあまり追及しないでおこう。それが紳士というものだ。点数が高いのはお互い様だしな。
というわけで、勝者の澄恵は晴れて『ご褒美』を得ることができる。
俺と澄恵が散らばった答案用紙を回収すると、ローテーブルの上に封をされた2枚のメモ用紙が残る。
今になって思えば負けた時のことをあまり意識していなかったが、澄恵は一体どんな『お願い』を書いたのだろうか。ヤンチャでおバカな澄恵のことなので、嫌がらせ系が出てきても不思議ではない。
とは言え、多少の苦行くらい受け入れなければ、賭けの興が冷めるというものだ。それで澄恵が満足するなら、俺は謹んで願いを聞こう。
ここにきて捕虜になった軍人のような心地になった俺は、腕とあぐらを組んでどっしりとその場に構える。
「とにかく俺の負けだ。後は煮るなり焼くなり好きにしな」
すると澄恵は、ニヤニヤと不気味に口を歪めながら、自分が書いたメモ用紙の封を切る。
「それじゃ、お言葉に甘えてボクの考えた世にも恐ろしいお願いをカゲくんに聞いてもらおうかな~……はい、どうぞ!」
次の瞬間、澄恵はビビる俺に向けてメモ用紙を広げて見せる。
恐る恐る内容に目を通すと、こんな言葉が書かれていた。
『ボクが勝ってもカゲくんのお願いを聞いてあげる』
俺は一瞬、そこに書かれている言葉の意味が理解できなかった。
すると、澄恵はイタズラっぽくクスクスと微笑み、片手で摘まんだメモ用紙をひらひらと空中で泳がせる。
「も~、そんなにビビらなくたっていいじゃんよ~。ボクは勉強教えてもらった立場なんだから、カゲくんにお願いすることなんて何もないよ。だから、ボクが勝ってもカゲくんのお願いを聞いてあげるつもりだったんだ~」
その言葉を聞いた瞬間、俺はがくりと頭を下げて自分を恥じる。
俺は澄恵の良心を信じきれず、苦行を強いられるかもと邪推してしまった。
澄恵はヤンチャでおバカな小娘だが、恩を仇で返すような子じゃない。そんなことは、俺が一番わかっているじゃないか。
だというのに、ありもしない澄恵の悪意に怯えるとは、なんと情けないことか。
同時に俺は、サプライズ恩返しを演出した澄恵の粋な計らいに、たまらず感動してしまった。
恐らく、お願いを紙に書いておこうと提案した時から、澄恵はこのサプライズを考えていたのだろう。
自分がご褒美をもらう権利を放棄してまで恩返しをするとは驚きだ。
「せっかく俺がご褒美するつもりだったのに、スミちゃんはそれでいいのかよ?」
「いいのいいの。カゲくんには日ごろからお世話になってるからね~。たまには恩返ししないとバチが当たっちゃうよ~。それじゃ、カゲくんのお願いは――」
そう告げた澄恵は、俺が書いたメモ用紙の封を切ろうとする。
その刹那、俺は紙の中身が『ほっぺにちゅー』だったことを思い出し、全神経を瞬時に逆立させる。
完全に油断していた。こんな和やかなムードの中で、『ほっぺにちゅー』という下心丸出しなお願いだけは見られてはならない。
どうにかして開封を阻止せねば。
そう脳が命令を放った瞬間、俺は瞬時に澄恵からメモ用紙を奪い取り、何を思ったのか口の中に放り込んでいた。
呆気にとられた澄恵は、俺が咀嚼を始めると同時に声を裏返らせてドン引きする。
「えっ? ……ええっ!? いやいやいやいや、カゲくんなにしてんの! 何で食べたの!? ばっちいよ! ホントなにしてんの!?」
しゃもしゃとメモ用紙を噛み砕き薬臭い味を堪能した俺は、十分に唾液が染み込んだところで勢いよく飲み下す。
それから、恐ろしく気まずい沈黙が場を支配した。
いや、なにやってるんだよマジで。
『ほっぺにちゅー』を見られるより、突然メモ用紙を食べる方が明らかに引かれるだろ。焦りすぎて状況判断を見誤ってしまった。
しかし、やってしまったものはしかたない。どうにかしてごまかす他無い。
「いやあ、急に紙食べたくなっちゃってさ。俺、前世は羊だったんだよね……と見せかけつつ、ホントは紙を食べたように見せるマジックでしたー。ビックリさせちゃったかな?」
「いやいやいや、言い訳適当すぎるでしょ! そんなにボクに見られたくないこと書いてあったの!? ていうか、紙なんて破けばよかったじゃん! 何で食べたの!? ホントなんで!? しかも紙食べるのは羊じゃなくてヤギだよ! ホント頭おかしいでしょ! 信じらんないんだけど!」
それから俺は、まるで壊れた機械のように無理のある言い訳を垂れ流し続けた。
 




