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18.打ち上げ花火、どこから見るか2

「ヤだよ! 私だって、楽しみにしてたんだよ! 頑張って浴衣だって着たのに、それなのに、私のせいで台無しなんてヤだよ! ヤだよ……」


 そう告げた澄恵の頬には、涙が伝っていた。

 はらはらととめどなく流れるその涙には、一体どんな感情が込められているのだろうか。


 澄恵は、「楽しみにしていた」と言った。

 単に花火が見たいだけで子供のようにダダをこねているわけではないだろう。

 今日の花火は、俺が急に誘った外出だ。毎年恒例でもなければ、前々から期待していたイベントというわけではない。そもそも、引きこもり気質の俺と澄恵は、元々花火のような行事へ積極的に参加するようなタイプではない。


 ではなぜ、俺はそんな行事に澄恵を誘ったのか。

 それは、澄恵と一緒なら楽しめるだろう、思い出作りになるだろう、と思ったからだ。

 花火を見ることが目的じゃない。澄恵と一緒に楽しむことが目的だった。

 

 だからこそ、俺は今からでも引き返した方がいいと思った。

 今日花火が見られなくとも、来年また行くことだってできる。花火にこだわらなくとも、別の場所に出かけることだってできる。これから家に帰って、スーパーで手持ち花火を買ってきたっていい。これから花火が見られなくたって、他に遊びようはいくらでもある。


 だから俺は、今日の花火なんかより澄恵の体を優先した。

 澄恵の体を気遣うことができなかった己を悔い、せめてこれ以上澄恵が傷つかないよう、最善の措置を取ろうと思った。

 それが澄恵のためにもなると思った。


 だが、澄恵は涙を流して帰ることを拒絶した。

 痛いだろうに、歩くのも辛いだろうに、どうして帰りたがらないのか。


 もしかして、澄恵は()()()()()()この花火を、大切にしたいのだろうか。

 俺に誘われ、頑張って浴衣を着て、肩を並べて一緒に歩いた、()()()()()を、澄恵は大切にしたいのだろうか。


 考えてみれば、俺は澄恵のことを好きになってから、初めて純粋な遊び目的で外出を誘った。

 今日の花火は、俺と澄恵にとって初めての純粋な『デート』と言えるかもしれない。泳ぎの練習目的でプールに行くのとは意味合いが異なる。


 澄恵は、「私のせいで台無しなんて嫌だ」と言った。

 もちろん俺は、澄恵のせいで台無しになったとは微塵も思っていないが、確かに今から引き返せばデートは台無しと言えるかもしれない。

 それも思い出のうちだという考え方もあるだろう。体の方が大事だという考え方もあるだろう。


 だが俺は、涙を流して己の感情を露わにした澄恵に、強く心を揺さぶられた。

 澄恵を悲しませてはならない――それが己の使命であるかのように感じた。


 だからこそ、俺は考えた。

 大好きな澄恵に何をしてやれるか、何が澄恵のためになるか考えた。


 そして、全身全霊で思考を巡らせた俺は、最終的な結論を導き出した。



 * * *



 それから俺は、近くのコンビニで絆創膏と消毒液を買って、澄恵の足に応急処置を施した。

 これで少しは痛みが軽減されるだろうが、歩くのが辛いだろうことに変わりはない。

 だから俺は、目的地を急きょ変えることにした。


 俺と澄恵は今、花火会場から少し離れた街中に立つ雑居ビルの非常階段にいる。

 その雑居ビルは四階建でそれほど高くないが、外縁に露出した鉄骨製の非常階段を登ると、ちょうど建物の陰を超えて花火会場を展望することができた。

 

 澄恵が足を痛めていることに気づいてから、俺はあまり移動せずに花火が見られそうな場所を必死に考えた。そして思いついたのが、この場所だ。

 もちろん、あまり褒められた場所ではないし、会場から離れているので花火はそれほど大きく見えない。

 それでも、これが澄恵のためにできる俺の精一杯だった。


 非常階段の最上段で肩を並べて腰を下ろした俺と澄恵は、コンビニで買ったお揃いのフラッペを片手に、花火が始まるのを待つ。

 そして、スマホで受信したFMラジオで会場の実況を聞いていると、いよいよ第一発目打ち上げのアナウンスが入った。


「お、いよいよか」


「も~、待ちくたびれちゃったよ~」


 俺と澄恵がそんな言葉を交わすと同時に、一発目が打ち上がる。

 地面から打ち上がった一筋の火球は、高く高く大空へと舞い上がり、そして姿を消したと思った瞬間、閃光を放って大きな光の花を咲かせる。


 ここから見える花火は、手のひらサイズといったところだろうか。

 それでも、鮮やかな赤や白に輝く無数の光源は俺と澄恵の体を照らし出し、数秒後にはお腹へ響く轟音がここまで届く。


 それから、花火は絶え間なく打ち上がる。

 赤、青、黄色と様々な色と形の花火が次々と打ち上がり、大空を彩っていく。

 俺はフラッペを飲むのも忘れて、花火を見るのに夢中になっていた。


 生で花火を見るのは久しぶりだ。

 正直、俺の住む街の花火など、隅田川で行われるような大花火大会と比べて、かなりショボイ規模なのだろう。

 それでも俺は、目の前で打ち上がる手のひらサイズの花火を、心から美しいと思えた。


 たぶん、一人で見ていたなら、そう思えなかっただろう。

 たとえ小さくとも、数が少なくとも、好きな人と一緒に見ているから、感動的なまでに美しく見えるのだろう。

 

 もちろん、綺麗なのは花火だけではない。

 ちらと横に視線を向ければ、目を赤く腫らした澄恵が視界に入る。 

 かわいらしい浴衣を纏ったその姿は、どこまでも魅力的で、尊く思えた。


 さっきまで俺は、花火なんていつでも見に来られると思っていた。

 だけど、初めて澄恵をデートに誘って、そして勇気を出して浴衣を纏ってくれた澄恵と一緒に花火を見られたのは、間違いなく今日だけだったのだろう。


 だから俺は、こうして澄恵と一緒に花火を見られたよかったと思った。

 しかも、怪我の功名と言うべきか、この場所には俺と澄恵しかいない。ここは、俺と澄恵のためだけに用意された特等席だ。


「カゲくん、花火見ないの?」


 すると、俺の視線に気付いた澄恵が話しかけてくる。

 普段の俺なら、適当な言い訳ではぐらかして、視線を逸らしていただろう。


 だけど、今日は不思議と素直になれる気がした。


「ごめん。浴衣姿のスミちゃんに見惚れてた」


「そう、なんだ……」


 いつもの澄恵なら、冗談と捉えて茶化していただろう。

 だが、今日は恥ずかしそうに顔を赤らめ、視線を泳がせている。


 ふとその瞬間、俺の右手と澄恵の左手が不意に接触する。

 恐らくそれは、偶然による接触だったのだろう。


 俺は、その接触を偶然だけに終わらせず、勇気を出して澄恵の手を握った。

 小さな澄恵の手は少しひんやりとしている。それでも、二人の体温が共有されると、すぐに温かくなった。


 俺に手を握られ驚いた澄恵は、花火の明りに照らされながら、再び俺と視線を交わす。

 先ほど泣き腫らした澄恵の表情はどこか切なげで、とても儚く見えた。

 今見つめておかなければ、どこか遠くへ行って消えてしまいそうな気がした。


 だから俺は、目を逸らすことができなかった。手を離すことができなかった。

 澄恵と離れたくなかった。澄恵を求めたくなった。


 俺と澄恵は、花火の明りに照らされた互いの瞳をじっと見つめる。

 時より鳴り響く轟音が体を揺らし、心臓の鼓動をさらに高めていく。


 そして、気付いた時には、俺と澄恵の唇が重なっていた。

 どちらかが先に求めたわけではない。まるで、それが自然な行為であるかのように、俺と澄恵はキスを交わしていた。


 そのキスは、たった数秒のできごとだったのに、永遠のように長く感じられた。

 それから、キスを終えた俺は静かに呟く。


「好きだ」


 その瞬間、澄恵は再び涙を流した。

 そして、「うん、うん」と嗚咽混じりに、何度も頷いてくれた。

 言葉にされなくてもわかる。澄恵からの返事は、それだけで十分だった。


 それから俺は、とめどなく涙を流し続ける澄恵と再びキスを交わす。

 澄恵の流した涙が驚きによるものなのか、喜びによるものなか、それとも安心によるものなのかは、俺にはわからない。


 それでも、澄恵の流した涙の味だけは、俺にもわかった。


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