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11.涙の訳

「あー、血が止まってるなら大丈夫だね! 私、体育館で倒れちゃった子の様子見に行くから、心配ならここでちょっと休んでて! ええと、それですごく具合悪そうな子が来たら私を呼ぶか、職員室行ってもらえないかな! 色々頼んじゃってごめん! それじゃよろしく!」


 と、軽く俺の診察をして矢継ぎ早に言葉を並べた中年女史の先生は、白衣をはためかせ駆け足で部屋から出て行った。

 さすがは全校生徒の参加する運動行事だけあって、今日は保健室の先生も大忙しらしい。


 そんなわけで、ほんのりと薬臭い保健室に取り残された俺は、周囲を観察しつつこれからどうするかぼんやりと考える。

 どうやらベッドを使っている生徒はいないらしく、クーラーの効いた涼しい室内はしんと静まりかえっている。


 いい機会だと思った俺は、血まみれになった体操着の上着を脱いで、近くのベッドに横になってみた。

 考えてみれば、保健室のベッドで寝るのは初めてだ。今まで具合が悪ければ素直に学校を休んでいたので、授業中に体調を崩した経験はない。

 

 だが、この保健室を訪れたのは初めてではない。

 春頃に体調を崩した澄恵の付き添いで一度だけ来たことがあった。

 澄恵は体が弱く、時たま体調を崩した時は俺が介抱している。それほど頻度は多くないが、やはり辛そうにしている澄恵を見ていると心配になるものだ。


 まあ、今日は俺がケガ人なのでゆっくりさせてもらおう。

 蒸し暑い体育館での応援がサボれたのは不幸中の幸いだ。

 

 しかし何もすることがないのは、それはそれで退屈というものだ。

 俺は不規則な筋模様の入った白天井をボンヤリと眺めながら、色々と考え事をする。


 そういえば、俺が体育館を離れる時、澄恵は随分と深刻そうな顔をしていた。

 あれは俺を心配して見せた表情なのだろうか。そう思うと少し嬉しい気もするが、単に血を見て驚いただけかもしれない。

 それに、あの澄恵なら俺が無事とわかれば「やっぱカゲくんってトロいよね~」などと煽りかねない。そういう素直なところも魅力のひとつではあるが、やはりこういう時は心配してほしいものだ。


 と、そんなことを考えながらウトウトしていると、保健室の扉が開く音が聞こえた。


「し、失礼しま~す……」


 その声色ですぐにわかった。

 今しがた、保健室に入ってきたのは澄恵だ。恐らく、俺の様子を見にきたのだろう。


「あの~、センセ~……?」


 澄恵は保健室が無人なので当惑している様子だ。

 ちなみに、俺が寝ているベッドはカーテンで仕切られているため、入口側からは死角になっていて澄恵からは見えていない。つまり、澄恵は俺の存在に気付いていないのだ。

 こうなると、イタズラ心に火がついてしまう。


 俺は静かに掛け布団をかぶり、全身を覆い隠す。

 澄恵が近づいてきたら、いきなり飛び出して驚かせようという算段だ。


「カゲくん、いるの……?」


 耳をすませていると、カーテンの裏側を確認するために近づく澄恵の足音が聞こえる。

 そして、カーテンが動く音でタイミングを計った俺は、勢いよく布団から飛び出した。


「バア!!!」


「きぁああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 その瞬間、けたたましい悲鳴をあげた澄恵は、腰を抜かして盛大に尻餅をつく。

 イタズラを仕掛けた俺も驚いてしまうくらいオーバーなリアクションだ。ドッキリ作戦は大成功と言えよう。


「はっはっは、スミちゃんは相変わらずビビりだなぁ」


 と、俺がベッドの上で満足げに高笑いしていると、へたり込んだ澄恵は怯えたように眉をひそめて俺を睨み付ける。


「うっ、うぅ……えっぐ……ううっ……」


 そして、いきなり涙をぽろぽろと流して泣き始めた。

 この反応はまったくの予想外だ。まさか泣くほどビックリしてしまうとは思わなかった。


 さすがに罪悪感を抱いた俺は、すぐさまベッドから降りて澄恵の背中をさすってやる。


「い、いやぁ。ごめんごめん。まさかそんなにビックリするとは思わなくて……」


「ばかっ! ばかっ!」


「ぐえっ!」


 澄恵は涙を流しながら、唐突に俺の胸元を何度も殴打し始める。

 澄恵のよわよわパンチでも肺を叩かれるとさすがに痛いし苦しい。


 だが、俺は澄恵を泣かせてしまった懺悔のつもりで、殴打を続ける澄恵の手を止めようとはしなかった。

 すると、次第に殴打の威力が弱くなり、最後には俺の胸に縋りつくような形になる。


「心配してたのに、脅かすなんてひどいよ……ぐすっ。カゲくんなんて、ボールに当たって死んじゃえばよかったのに……」


 そんな暴言とは裏腹に、澄恵は俺の肌着をぎゅっと掴み、顔を胸に押し付けてくる。まるで親に甘える赤子のようだ。


 もしかして、澄恵の見せた涙は驚きによるものだけでなく、俺が無事だったことに安心して流してくれた分もあるのだろうか。

 少し自意識過剰な気もするが、もしそうなら嬉しさ半分、申し訳なさ半分といったところだ。

 理由はどうあれ、好きな女の子を泣かせたのだから反省するべきだろう。


 俺は縋りついてくる澄恵の頭を優しく撫で、冗談交じりに慰めてやる。

 こういう時、素直になれないのが俺の悪いところだ。


「おーよしよし。今日はお詫びにコンビニでお菓子買ってあげるから元気出して」


「……カゲくん、ボクのことバカにしてるでしょ」


 そう告げた澄恵は、ゆっくりと顔を上げて俺を見上げる。

 眉をひそめ、目を腫らした弱々しいその表情は、どこか不思議な魅力がある。

 こういうのを、庇護欲を掻き立てると言うのだろうか。軽くドキドキしてしまった俺は、たまらず視線を逸らしてごまかすように笑って見せた。


「冗談だよ冗談。だけど、お詫びするつもりがあるのはホントだからさ、ちょっとくらいのワガママなら聞いてあげるよ」


「じゃあ……」


 すると、澄恵は再び俺の胸に顔を埋めて小さな声で呟く。


「もう、私のこと庇って危ないことしないで……」


「えっ?」


「駅前のクレープ買ってって言ったの!」


 そう告げて顔を上げた澄恵は、なぜか俺の胸を再び殴打する。

 みぞおちにクリーンヒットを受けた俺は、たまらず咳きこみながら澄恵から距離をとる。よわよわパンチとは言え、これ以上の累積ダメージは無視できない。


 そして、どこか興奮気味の澄恵を見据えた俺は、ついさっき澄恵が告げた言葉を振り返る。

 俺は聞き返すようなそぶりを見せたが、ちゃんと全部聞こえていた。


 どうやら澄恵は、自分が庇われたせいで俺がケガしたことに罪悪感を抱いているようだ。

 普通に考えればバレーボールが当たったくらいどうってことないだろうに、澄恵は相変わらず心配性だ。


 だが俺は、クレープを買ってというワガママはきけても、『澄恵のために危ないことをするな』という要求は聞くことができないだろう。


 なぜなら俺は、澄恵のためなら死んでもいいと思っているからだ。

 澄恵がか弱くておバカだから守りたいと思うんじゃない。本気で好きだから、守りたいと思えるのだ。


 だから俺は、この身を賭してでも澄恵を庇ってしまうだろう。

 たとえ澄恵が望まなかったとしても、今日のように自然と体を動かしてしまうだろう。

 そんなことがなければいいが、覚悟くらいはしている。


 そんな矜持を胸に秘めた俺は、まるで自分に言い聞かせるように静かに頷く。

 そして、なるべく優しげな笑みを作りながら、静かに澄恵へ語りかけた。


「駅前のクレープは高いから、コンビニのにしよ」

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