7・怪獣←恐怖(時雨)
辺りに建つどんなビルよりも大きなずんぐりとした影。必要があるのかわからない小さな前足。ともすれば滑稽に見える短く太い後ろ足に、太い首。体を支えるためなのかやたらと長い尻尾。見えているのかいないのか、感情の読めない目。薄く開いた口には乱食いに生える棘のような歯。
僕らはあれを知っている。
決して暴力的とは言い難い、ただただ自立することが可能な形状に無理やり落とし込めたような、生物として不完全な姿。
動きは遅く、腕で周囲を薙ぎ払う事もなく、足で車を蹴り飛ばすでもなく、機動力もないからじりじりと牛の歩みをするばかり。
ただただそこにあって、ただただ進む。
其れだと言うのに、人間なんかよりもずっと強大なその存在そのものが、周辺をすり潰し、轢き潰し、瓦礫の山に変えていく。
どうやっても防ぎようのない災害の権化。
古くは鯨や海坊主、大入道と言われた妖怪の類。
僕らの親を殺した災害の……。
喉が渇いて張り付いたように声が出ない。何とか、何か、言わないと。
「あのゴジラモドキ……どうにかしなきゃな」
青晴が忌々しい物を見るように目をすがめる。
こいつがこんな顔するのは凄く珍しいんだ。怒っても悲しんでも、こいついつも笑ってるから。
「俺あいつ嫌いだなあ」
そのしみじみ呟かれた言葉は間違いなくこいつの本音なんだろう。僕だってそうだ。
「僕もだ……嫌いだ」
まさか僕たちがそんなことを呟いていたからではないだろうけど、ゴジラモドキがゆっくりと、本当にゆっくりと背中に光をため始めた。
「げえ」
呻く青晴。
僕らは知ってる。あれはきっと航空機をも打ち落とす熱戦を吐く前段階だ。
「逃げるぞ青晴!」
僕らは駆けだした。
少なくともここは安全とは言えない。
けど今すぐここから駆け下りて、山陰に隠れるようにすれば、もしかしたら助かるかも。
「こっちに!」
急いで階段を駆け下りる。けど僕はたまらず足を止めてしまった。
公園から公道に続く長い階段途中に、まるで見たこともない位真っ黒い水が押し寄せてきていた。
またも青晴が呻く。
「何っだこりゃ……」
僕だって呻きたい。でも声が出ない。
本当に何なんだよこれ。
さっきまでこんなもの無かった。こんな、囂々と唸るような振動を伴う音も、鉄錆びのような匂いも、まるで水の底から人の手が浮かび上がってきそうな、不自然に黒く蠢く影も、さっきまで無かった!
さっきの骨の人形といい、ゴジラモドキといい、この謎の水といい、何なんだ!
何でこんな住宅地の中にある山のただなかまで水があふれてきてるんだ!
確かに東京は低地だよ、でもだからって、ここはたぶん海抜から二十メートル以上は上だ。こんな場所にまで水があふれるような津波の予兆も、河川が増水して溢れるような大雨だってなかった。
こんな、有り得ない災害起こるはずが……。
「こんな……」
起こるはずがない災害、そう言いかけて、
「これ、魔王水害なんじゃ?」
思い当たることがあった。
青晴は聞いたことが無いと首を傾げる。いやあるだろ聞いたこと。
「何だよそれ」
「十年くらい前にあった水害……」
十年と聞いて、思い出したらしい。
「神奈川の?」
「ああ……」
十年前の春。神奈川であり得ない水害が起きた。
不意に現れた町を一個丸っと飲み込むほどの洪水。
あまりにも突然現れ、突然収束した災害で、被害人数は定かではないが、最低でも五桁人数の人間が亡くなったらしい。
調査をどれだけ行っても、その水害の起こった理由も本質も特定はされず、ただただそういう災害がありました、とだけ記録が残ったという。
青晴は不思議そうに問う。
「何で魔王?」
「魔王の力が噴出したことで起きた水害だって言われてる」
魔王の力ってのは、今更説明するまでもない。
世界には時々火山の噴火のように、謎のエネルギーが噴出することがある。大昔はこのエネルギーを使って、魔法と呼ばれる技術を確立させていたらしいのだけど、ある時そのエネルギーは枯渇したらしい。
しかしそれも完全な枯渇ではなく、時々は思い出したように、そのエネルギーが噴出してくることがあった。
世界が持つエネルギーの噴出。それを歴史上の魔王と呼ばれた人間たちは手にしてきた。結果、いつの間にかそのエネルギー自体や、そのエネルギーがふいに引き起こす大災害を「魔王」と総称するようになった。
人間の身では簡単には太刀打ちできない存在、って意味で、こう言われているとも。
「だから魔王水害って? 単純」
ははっと笑って、青晴はその黒く蠢く謎の水に、自分の手にしていた刀の鞘を突き立てた。
「けどこれたぶん幻だ」
ニヤリと笑って青晴は水を指し示す。
「え……」
「匂いがあんましない、音も水の音にしちゃおかしい……布一枚向こうのような、ぼやけた音だ」
それを証明するように、青晴は何度か鞘を水に刺して見せる。確かに鞘が水の抵抗を受けている様子がない。
「分かった」
僕も真似して、流れに掉さすように、鞘を差し入れてみる。
「本当だ、流れない」
鞘に水が当たる感触が無い。
これは幻、だったら……。
青晴と僕の鞘が同時に淡く光る。水面を跳ね上げるように鞘を弾けば、水は一瞬で掻き消えた。
やっぱり。
これもあの骨人形も幻とほぼ変わらないような物ならば、もしかしたらあの怪獣も?
だったら何も怖くない!
「行くぞ! 聡さんを探すんだ!」
僕は階段を飛ぶように駆け下りた。