1・旧首都東京某所にて(時雨)
東京のはずれにある某オフィスビルの地下。
天井はそれなりに高く造ってあるものの、窓が無いので妙に閉塞的な空気感のオフィスでのこと。
僕と青晴のバイト先の社員さん、聡さんと俺はマンツーマンで向き合っていた。
「俺は手書きの文章は嫌いなんだ。君らの考えてることが逐一分かる。それが不愉快なんだよ」
徹夜何日目だと思わせる目の座った、隈浮きまくった顔で聡さんが言う。
その手には、僕の相方が提出した手書き報告書。
「君は良い、まだ丁寧に書こうとしてるのが分かる。それに当日中に報告書を書こうとしても、今や23区内はまともな電気の通ってる場所は少ないしな。だから俺は電子データでなくていいと言った」
そりゃあそうだ。そもそも手書きの報告書じゃなくて、口頭の報告でいいと言われていたのを、無理やりその辺りにあった紙に書き殴って、僕に届けさせたあいつが悪い。
「けどな、あの馬鹿は何で俺に直接会いたくないからと、俺の手間を増やすんだ?」
たぶん徹夜二日か三日目くらいだろう。
ちゃんと睡眠がとれた時は、こんな乱暴な物言いをするような人ではないから。
「文字を見れば、その手癖でその時の心理状況が分かるって知ってたか?」
「いいえ」
「だよな。あの馬鹿は今度直接ここに来るように言ってくれ。いや、俺が直接行こう。これをワードに打ち直すよりも、音声で記録した方が圧倒的に早い」
ミミズののたくったような、を絵にしたらこうなるだろうと思わせる文章を前に、聡さんは大きなため息を吐いた。
本当にこの人には頭が上がらない。
「すみません。よろしくお願いします」
だからと言って、僕が頭を下げなきゃいけないってのも、なんだか違う気がするんだけどな。
「……帰るかい?」
「はい」
「送っていくよ」
疲れた顔に、付き合いが長くなくては分からない程度の笑みが浮かぶ。
「いえ、大丈夫です!」
「大丈夫じゃないさ。もう日暮れの時間だ。君をこんな時間まで働かせていたのは俺だからな。きっちり安全な場所まで送るよ。あーいや、もう一緒に帰るか……仕事は、残りは持ち帰り可能な物ばかりだしな」
「すみません」
そんな時間があるのなら、少しでも仮眠を取ってください。以前そう言った時、聡さんはとても渋い顔をした後、結局他の人に僕を家まで送らせた。
後で知ったが、その後もサトルさんはこの地下のオフィスで働き続けていたらしい。
ワーカホリック。
仕事中毒というか、生きる意味が仕事というか、たぶん他人のために自分を捧げなくては呼吸すらできなくなる人なんだろうとは、相方の言。
僕もそう思うし、自由人を標榜するあいつが、そんな聡さんを苦手なのも理解できる。
怒っても声を荒げるでなく、じわじわと目の前で憔悴されるのが、とても苦しくなるというのは分かる。けど、だからってそれでこの人の仕事を増やしてどうするんだろうか。
帰ったらあいつ殴ろう。
聡さんの車の運転は凄くスムーズだ。まるでそうなると分かってるかのように、何度も反復練習をしたかのように。
「僕も車ほしいな……」
「バイクの免許で我慢しなさい。あとで書類をファックスるするから、教習受けることが決まったら必要なことを記入して、ファックスで返してくれていい。講習いくらになるかは調べなくていい。事前にこちらが渡すのでも構わないが、出来るなら受講料なんかは、支払った後に領収書付きで請求してくれ。金の流れは透明に、って、最近煩いんだ」
「あ、はい」
あー聡さん仕事モードか。世間話をしようとしても、仕事のことが返ってくる。
この人本当に仕事以外どんなことをして生きているんだろうか?
知ってはいるけど、なんていうか、うん……。
少しだけ無言が続いた後、聡さんは凄く優しい声で問いかけてきた。
仕事モードじゃない聡さんだ。
「時雨は、今の仕事きつくないか?」
「きつくはないです」
「そうか。悪いな、人手がどうしても足りないんだ。君らばっかりを現場に向かわせることを許してくれ」
そうは言うが、聡さんは僕たちとは違って一般市民だ。
何の力も持たない、ただの普通の人間。もし聡さんが僕たちと同じことをしようとしたら、きっと一日と持たずに死んでしまう。
僕たちの仕事はそういう仕事だ。
「聡さんに言われて、嫌だって言えないです」
親のいない僕たちを拾って、親身になってくれる人なんてそういやしない。
この人を裏切れるわけがない。
だから僕は、今この場にいない相方を十回は殴ろうと心に決めた。