「決断」
母が父に殺されたあの幼き日。おれは嘆き悲しみ、そして怒りに狂った。決して許すまじと。
されどその後を継ぎし姉、天照の力は遍く全ての存在を超えし天賦の才。只逆らえば只々拙く屍と成り果てるは必定。我が身可愛さに今日まで怨嗟を燻らせるのみであった。
そんなある時分、我が不肖の兄の唱えた「異邦よりの協力者を連れて来る」との奸計はこのおれにとってまさに千載、いや万載一遇の好機であったものだ。
かの荒唐無稽なる実力に抗うには確かに妙案だ。そして共闘なとど言えど、昨日の友は今日の敵となる公算は大いに大よ。
なれば如何な強者の訪れのあろうと決して遅れは取るまいと、必要とあらば月読ごと斬り伏せてくれようと、おれの闘志にも改めて豪炎が灯ったのだった。
そして来る日も来る日も寝ても醒めても鍛錬に励んだ結果、風を斬り海を裂き地を割るほどの力を得た。【一騎当億】と、己をそう称するに相応しき程に。
『くっ、痛っててて! いや〜皆すっかりズダボロのコテンコテンになっちゃったわねヨミちゃん? 勝てたからいいけど』
『ええ。そうで……御座いますな』
『んで、今の感想は? アタシは言うまでもなければタケちゃんもあの通り満身創痍で、おまけにお義父さんだってもう虫の息。見事アンタの目論見通りね』
『フフ。まさに……仰せの通りで』
だのに此度の体たらくは一体どうしたことか。以前より遥かに強くなったこのおれが、全身全霊を賭しても一太刀浴びせることすら叶わなかったなどとは。
そればかりかそんな宿敵の首を、相討ちとは言えどもよもやあの男――るしふぁーにむざむざ奪われてしまったなどとは。
そしてそこのろきの弁同様、今この場で五体満足を保っているのは月読のみ。敵も味方も一切の障壁を排した上での最後の一人勝ちか。ふん、まんまとしてやられたものよ。
『建速よ。聞こえているか? それともやはりそうして跪き、肩で息をするのみで精一杯か?』
くっ。その眼その笑み、案の定か。そして彼奴めの言うままに身体は依然言うことを聞かぬ。
『あっ、兄者! 建速にロキ殿も! ご無事にあらせられたか!?』
しかしその時我が背後の、瓦礫の山の陰より躍り出でし一ツの姿があった。それは先刻の闘いでおれとろきが窮地に陥るや否や何処へかと雲隠れした臆病者、蛭子であった。
兄者、兄者と駆け寄ってゆくその背より、光の筋が小さく煌めくのが見える。目を凝らしてみれば、短刀を握り締めた右の拳が密かに腰へと回されていた。
ほう、漁夫の利を得んとする者が此処にも一人か。これで賽の目の行方もまだわからぬというもの。もし残るのが月読でなく蛭子ならば、今のおれでも――
『嗚呼、誠に! 誰ひとりとして命を散らすこともなく! まこと何よりで御座いました!!』
感涙と共に左手をあちらの背へと添えてみせるが、その右手はずっと微動だにせずまま片割れとの同調を一向に拒んでおり、そればかりか衣と履物の間に沈み消えた始末だ。
くっ、奴めどうしたというのだ。今になって日和見か。それとも、
『グッ! ハ……ッ!? ガッ……フッ!!』
『……』
『あっ! 兄……者!? 何っ……故ッ!?』
『……』
『わっ……私は思いと! 留ま……のに!!』
『……』
『あっ……争うよりも! 共に……この……』
莫迦めが……。その身は呆気なく返り討ちとされ地に崩れ落ちる。
『おおっ、やったわねぇ! そう、さっきヒルちゃんにも言ったのよ。3人寄らば△か▽のどっちかにしかなんないってさ』
『……』
『さあて、んでどうする? ついでにアタシのことも殺してみる?』
『いいえ、生憎このわたしも多少の義理は持ち合わせております。我が妻となるヘル殿が悲しむことをなぜできましょうか』
『ふうん、そりゃどうもありがと』
『そして、貴方様の望みは我ら兄弟がいかな選択を下すか、その様を愉しむことのみ。もとより我が敵には成り得ないゆえ』
『あっそ、何だかんだお人好しね』
『……』
ろきとの問答を終え、いよいよ月読がこちらへ歩みを進めて来る。
『最後に言っておこう。正攻法ではとても御せぬ剛力、姉上を除き最も厄介はそなたであった。されどそれも、ここまでよ』
柔らかな唇の綻びとは裏腹に、奴めの言葉に違わぬ固く鋭い漆黒の意志がその冷たき眼光と、此方へと向かう静かなる足運びを通し伝わる。くっ、終ぞおれもここまでか――
『ツッ、ツキヨミ様!! ルッ、ルシファー様のご容態が――!!』
だが、再びその断行を遮る一声が上がった。主はへるだった。月読が一瞬顔色を変えし後に、おれから背を向け踵を返す。
『どうしましょう……ワタクシの力をもってしても治せないなんて』
『案ずるな……ヘル殿。このわたしに任せよ』
『えっ、ツキヨミ様? その“槍”は、一体?』
『【魂を分かつ禁術】。かつてある国の、不義の子を孕みし光の巫女はこれを用いその命ごと己が弱きを棄て去ったと言う』
『……』
『そしてその半身を【不犯の聖母】と称し教義が為に利したそうだが、それはまた別の物語だ。兎も角これで義父上を――』
奴らめ二人が何やらぼそぼそと囁き合っている。おれの居る地点では聞き取るは叶わなかったが、段々と霞みゆく意識の中ろきが呆れたような薄ら笑いで、
『ハァ、やっぱしまだまだ甘ちゃんだったか』
と呟いたのはしかとわかった。そしてその決断が我らの、ひいてはこの国の運命をも大きく変える事となるとは、この時はまだ知る由もなかったのだ――。