「蹂躙」序
『うう……痛い。苦し、いよ……ぉぉぉ……っっ』
『淡島……しっかり!! 母はここにおりますよ!! 気を確かに、っ!!』
『血が……止ま……な。目の、前。水……流……』
『そんな――淡島ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!』
ある時のことだった。苛烈なる修練の日々に耐えきれず先ず妹が力尽き、その小さき骸は舟に乗せられ何処へかと流されて行った。
私が生を受けるその前は、理由はわからぬが先に生まれた兄も父の逆鱗に触れ殺されたという。そしてやがて私の番もやってきた。
『期待はしておらなんだが、やはり貴様も“器”になかったようだな。蛭子よ』
『おやめ下さい伊邪那岐様! わたくしたちの――いいえ! どれだけ我が子を殺めれば気が済むのですか!!』
『成程、蛭子と淡島が使えぬのは貴様の所為か。ではその穢れた血ごとここで消え失せい!!』
最後には母も殺され私も死んだ。――そのはずであった。
* * *
『ここ、は――?』
『ふっ、無事お目覚めで何よりだ。兄御前よ!』
『父上から逃げつつ三日三晩手当てをしていたのだ。いやあ、難儀だったぞ』
『おお、兄者、建速! この恩は決して――!』
すぐ上の兄、月読と末弟の建速の手で一命を取り留めた私は、兄弟三人寄り添い密かにその日その日を暮らし始めた。そしてしばらく経ったのち私たちの前に、
『私にそなたたちの、後見をさせてもらいたい』
と、申し出る者が現れた。名は“るしふぁー”。かつてこの地、いや天に在った、遥か遠くの国の者だと言った。
『かつてそなたたちの父の乱心せし原因を作ったのは私だ。すべての責めは私にあるゆえ、どうか任せてほしい』
『わたしは父を超え、そしてその傀儡たる姉をいずれ倒したい。お力を貸して下さると言うのならゆきましょう』
『父と通じていた者など信用できぬな。まっぴら御免蒙る。おれは唯の独りででも生き、強くなってみせよう!』
『見事に分かれたか、それもよし。どちらもあの頃のやつめによく似ている』
『わたしはこの御仁とともにゆく。お前も来るか、蛭子よ』
――そうしてさらに数年ののち。
『国を、出る? 本気なのですか』
『ああ。義父上とともに外界の、さらに海の向こうを巡る旅に出る。見聞を広め、より力を磨いて来るつもりだ』
『……』
『“今回は流石について行けぬ”。そんな顔だな』
『……私とて不安は抱きますゆえ』
『わたしはないぞ。嫌うものならふたつあるが』
『再びばらばらとなるのですな。我ら、兄弟は』
暫しの沈黙ののち兄者は言った。
『伊達酔狂でも物見遊山でもない。義父上のお力とその足跡を頼りに、名だたる将たちと“盟”を結びに征くのだ』
『盟――ですと?』
『うむ。天照に勝つため使える手はすべて使う』
出奔の間、わたしのこの国での歴史は空白となってしまうのが口惜しいがな、と兄者が笑う。
『長き苦難の果ての勝利、逆境からの大どんでん返し、どうせならばその方が箔も付こう。わたしは必ずこの国の王となり、未来永劫後世に名を成してみせるぞ』
* * *
――そして現在。ここに我ら三兄弟が再び集結した。兄者の言った、その盟友たちもともに。
『アースガルズってとこから来ました、ロキでぇす! 殴り合いよりも謀略と嫌がらせの方が得意ってことでヨミちゃんと意気投合しました! よろしくね~♪』
『その娘ヘルと申します。特技は傷の癒しにて、お怪我の際は何なりとご用命下さい。不肖の父ともども、よろしくお願い致します』
さらに、かの“育ての親”が私たちの前に語る。
『久しいな蛭子、建速。成長したそなたらの力、とくと見せて頂くとしよう。期待しているぞ』
『我が武は兄が為にも、貴殿等が為にも非ずよ。おれは奴さえ斬れれば良い。馴れ合いはせぬ』
フフフ、素晴らしい。まさか本当に、異邦よりの協力者を伴ってくるとは。
『もはや姉上に後れをとることはない。待たせたな蛭子よ』
『これは、流石の一言に御座いますな。感服致しましたぞ』
私の言葉を受け、微笑んだあと兄者は言った。
『わたしが義父上とともに世界を巡り知ったことは、どの国でも太陽こそ頂点にして、天我独尊。対する月はその陰に隠れる他ない木偶の坊という扱いだったよ』
『……無情ですな』
『されどこれまでの歴史において、時として“日食”なるモノの訪れがあった』
『日食?』
『月が陽に重なり完全に隠れる空のことを言う。日を喰らう――なんとまあ素晴らしき響きよ』
そして、それはまさに今こそと瞳を輝かせる。
『万にひとつでしかなかった賽の目を覆す刻だ。今の我らには、百万を乗ずる力があるゆえに』
フフフ、無茶苦茶なことを。されど胸の奥より覚えしこの滾り。かような“希望”は久しく忘れておりましたな。
『開幕よ。日を食らう月、とくと御覧じよ天照』