「再誕」
『うっ……っ』
差し込む光で目を覚まし、途端感ずる痛みの先を見やれば布が、全身を幾重にも夕空のごとく紅く包んでいる。すでに乾いているが、これは己の血か。
『そうじゃ、わらわは』
娘が記憶の糸を手繰り始めたと同時に“ジュウ、ジュウ”という何かを焼く音と、如何とも形容しがたいニオイが鼻をつく。
それが発する方へ目をやると小さな竈があり、辺りをさらに見渡せば藁葺き屋根に柱と何のことはなし、ヒトの日々暮らす住まいの中に居たようだ。
されど珍妙極まりなし。ムラはあの時、天をも焦がす業火で何もかも焼滅したはずである。ならばここはどこで、そして自分を匿った者は誰なのか。
『おお姫よ、ご起床か』
娘が椅子で思索していると、不意に真横より声がかかった。
即座に身構えるも、巻かれた布が動きの妨げとなり床へ落ちてしまう。現れたその男は娘へ近寄ると、優しく笑い手を差しのべた。
『無事で何よりよ。ようこそ此処へ』
娘は無言のまま手を払うとそそくさと寝床へ戻り、立て膝を両腕で包み己の中へ閉じ篭った。それを見て男は火の具合を確かめつつ笑う。
『うら若き娘でこの手を取らなかった者は初めてだ。ははは』
『……』
『だがもう何も案ずることはない。安心して傷を癒すがよい』
あくまで柔和に、かつ飄々とした物腰を崩さぬ男。いよいよ毛ほどの敵意もないことを確かめたのち、娘は静かに尋ねる。
『そなたは何処の、何者ぞ。なぜわらわを助けたのじゃ――』
『問いはひとつずつで頼む。火加減が難しく気の散るゆえに』
『此処で一体何をしておるのだ。国造どもはどうなった。澄ましておらずに答えよ』
『ひとつずつと言っていように。さあ、もう少しだ。外の国の友直伝たる、頬の落ちるほどの美味をたらふく馳走しよう。話はそれからよ』
『くっ……!』
『これでよし。熱いうちに賞味あれ』
男が鍋の中身を手際よく盛るが、差し出されたそれを見て娘はたまらずむせいだ。
これは何とも、童の飯事遊びがごとく汚らしい盛り合わせで、面妖なる物体某とも呼べぬナニカである。
食器の上に細いモノがどさり乗せられ大量にひしめくその様相は、まるで蚯蚓の蠢いているがごとしだ。
さらには得体の知れぬどろり白濁した粘液と、つぶれた鶏卵の混在したモノが上にねっとり和えられており、反吐と見紛うようで大変気持ちが悪い。
別の器を覗けば、こちらもまた長く絡むモノが熱い汁にどっぷり漬かっており、中には煮豆か何かがどっさりとごった返している。
全体が茶の一色ゆえすこぶる彩りの悪いほか、何やらブクブク気泡が吹き出すのを見るとまるでにきびのように感じられ頭が痛い。
極めつけは、器に一列に横たわる何かの生き物の丸焼きが卓上にそのままに――
『ぎゃあ!!』
平静を保っていた娘だったがこれには流石に腰を抜かしてしまう。それはまるで、焼け焦げた赤子のようにしか見えなかったからである。
『貴様ァ!! 何のつもりじゃ!!』
『何のつもりとは? これは“うんめえかるぼなあら”に“あちあちなべやきうどん”という、至高の逸品ぞ』
『はああ!?』
『そしてこちらは“その辺りの鳥を焼いたもの”だ。しかし確かにまだ血抜きが足りておらぬな。失礼した』
『どうでもよい!! おぞましきげてものを食わせようとは、いかな了見じゃ!!』
『それは心外よ。獣肉と鶏卵はそなたたち蛇の好物であろう』
『五月蝿い! そうか、わらわに毒を盛ろうとは貴様もあの蛭子めの胞じゃな!!』
娘は近くにあった短刀を手に取り激情のまま襲いかかった。
――刃が腹を貫き、肉を抉り臓物まで達する音で我に返る。握る手が震え顔に熱が帯び、呼気荒く心の臓も鼓動が速まる。
『急所を外しておるぞ』
しかし男は眉ひとつ動かさず言う。
『それでよい、繰り返す必要はない。もはや、そなたを傷つける者はどこにもおらぬ。そなたが殺める者もここにはおらぬ』
俯きながら言葉を受けたのち、娘はそっと刃を引き抜いた。血がさらに滝のように溢れ出る様を見て視界が真っ白となる。
『ううっ、うえっ、ひぐっ――!!』
膝から崩れ、嗚咽を漏らして身を震わす。男はそんな背をさすり肩を包んで言う。
壊れ物のごとく支えられてゆっくり戻り、うなだれたまま娘は呟くように尋ねる。
『貴様は何が目的なのじゃ。かような日陰者を捕まえて――』
『ほう。“日陰者”とな』
『左様。憤怒のままに大勢のヒトを殺戮せしわらわに誇り高き“谷津”を名乗り、陽の下を歩む資格はなし。これをそう呼ばずして何とする』
赤が浮かび雫が数滴こぼれる瞳を見つめたまま、男は黙って告白を聞いていた。そして少し経ったのち、
『先に頂くぞ』
『勝手にせい! 毒を喰らいそのまま逝け!! 穢れたイロモノを好むとは貴様もまた日陰者じゃな!!』
『……』
『ハハッ、そうじゃ、これは日陰者の宴じゃ! よかろう、貴様のあとわらわも喰らってやろうぞ。あははははははっ!!』
気の触れる寸前か。その瞳は明後日の方を見て、喚きながら笑う。そんな娘をよそに男は手を合わせると、何やら歌を詠み始める。
『たなつもの、百の木草も天照す、日の大神の恵みえてこそ』
『何じゃ、それは――』
『これは、ガツガツ。誰しもモノが食えるは陽の恵みゆえに、パクパク。有難く頂戴すべしという、モグモグ。信仰と感謝を歌ったものだ、ハフハフ』
『だから、それが何だと言うのじゃ』
『馬鹿げておらぬか。作物の健やかな育ちは成程、光あってこそ。されど夜、すなわち穏やかなる眠りの刻も要であろうよ』
『……』
『だのにこの歌は“月”に目もくれておらぬ。それが腹立だしくて、いつしかわたしは陽がこの世で最も好かぬようになった』
『……』
『陽の当たる道を進めぬなら月の下を歩めばよい。“谷津”を名乗れぬなら新たな名を称せばよい。何ならこのわたしが付けてやるぞ』
『えっ……?』
『この倭国もいつの日か、女子が躍進する時代が必ずやって来る。それに相応しきとびきり強く、美しい名を授けてやろう』
男は頬杖を突いてしばし経つと、はっとした顔で掌を叩く。
『そうだ! “暗闇の荒れ地に進むべき道を斬り拓く刃”――【夜刀神】だ! ようし、我ながら良き名よ』
『ヤトノ……カミ……』
『うむ、これよりはそう名乗るがよい。それにしても逆にこのわたしが欲しいほどよ。“月を読む”では何のことかさっぱりわからぬゆえな』
『……』
『ところで食わぬのか。先刻から言っていよう、いい加減に冷めて伸びてしまうぞ』
『いらぬ。先刻から述べていよう、かように忌まわしきモノは瞳に入れたくもなし』
はて可笑しな話だ、自らも食うと言ったのはどの口か。そんな笑顔に娘もまた、涙と鼻汁で顔を紅白に崩して笑い返したのだった。
『もう少しだけ生きてみとうなったゆえな。キワモノを食うなどまっぴら御免仕る』