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高原署に神留まり坐す  作者: 公月奏
昔話パート2
31/56

「宿縁」

 それは幽けし記憶のひと欠片か、あるいはただの夢幻の類か。これは日本国がまだ“倭国”といい、歴史上初の“元号”の誕生せし遥か遠い時代の物語である。

 常陸国の谷津(やつ)と呼ばれる山深き未開の地、現在の茨城県行方(なめがた)市――そこにとある土地神の伝承があった。

 名を【谷津神(ヤツノカミ)】あるいは【夜刀神(ヤトノカミ)】という蛇の妖怪とされ、姿見た者を末代まで呪い殺すという恐るべき邪神として語り継がれている。

 当時の茨城(いばらきのくにの)国造(みやつこ)――行政を司る官職の任にあった壬生(みぶの)連麻呂(むらじまろ)は「動くものすべてを打ち殺せ」と配下に命じ、夜刀神を退け見事自らの務めを果たした。

 ――と後世に伝わっているが、それは勝者が造り上げた偽りの“真実”なのかもしれない。

『恵みであり呪い。火によって栄え滅びる生か。なんという喜劇にして悲劇よ! フハハハッ!』


 村を覆う紅き波を眺むるは、眉目秀麗なる面持ちと夜風にたなびく長髪の美丈夫の姿がひとり。

 その顔が歯をむき出し一転し邪に笑むと、背後より草をかき分け現れた別の影によって歓喜の声がまたひとつ重なる。


『今戻ったぜ蛭子、これにて一丁上がりだ』

『おおっ遠呂智(オロチ)殿、これは見事なお点前で。それはもう最上の嫌がらせと相成っておりますなァ』

『ケッあの小娘が、生意気に俺のタネを拒みやがるからさ。むしろ因果応報、自業自得だろうぜ』

『近しき者同士で血を伝える、で御座いますか。生憎それだけは私には理解に苦しむ行為ですな』

『天賦の才に恵まれし傑物を創るには必要なことだ。“我が父”の生まれし国では日常茶飯事だぜ』

『……』

『そもそも他ならぬお前らこそそうして生まれたンだろがよ? クク』

『それは言わぬ約束でありましょう』

『おっとそりゃ悪かったな。ククッ』

『……』

『まあ、兎角これで仕込みは完遂だ。国造どもとぶつかり合わせるお膳立ても首尾よく整えてやったし、あとはゆるり観戦といこうや?』

『フッ、流石万事抜け目なきことで』

『さて、谷津の蛇姫よ。同じ一族の徒として、そして兄妹の誼として俺が手を下すことはせずにおこう。だがその代償として永遠に悪名を後世に遺してもらうぜ。クカカッ!』


 ふたりの男たちのその視線の果てに在るは、豪炎の中小さな童を腕に抱き叫ぶ小さき姿。ひとしきり泣きはらしたのち、その娘が涙を拭い空を仰いで言う。


『サヨ……。そなたを喰らった八俣も、すべてを企てた蛭子も。必ずやわらわが葬ってやろうぞ』


 視線は変わらず天へ。だが瞳は何処へか。娘は呟くと亡骸をそっと置き、地に突いた刀を振り向きざまに引き抜いた。


『そしてトウゴ……ぬしを殺めたこの犬畜生どもらにも然るべき報いを。今ここにしかと誓おう』


 底なしの憤怒を帯びた瞳と固き復讐の念込められし刃が黒白に輝く。

 その果てにあるは精悍なる面持ちをした鎧姿の男をはじめとする“ヒトを拐かし村に火を放った悪しき蛇神”を討つべく集結した、茨城国造の兵らであった。


「先ずは貴様からじゃ。壬生連麻呂ォ!!」


 黒髪から覗く、赤く鋭き一対の角。それを除いてはヒトと変わらぬ齢十五ほどの手弱女である。

 しかしその眼光その迫力その威風その殺気はまさに見るものすべてを縊りばらばらに斬り刻み、撲殺し刺殺し圧殺し扼殺し突き殺し射殺し鏖殺する――紛うことなき祟り神。

 否、それではとても事足らぬ、際限なき憎悪に途方なき殺意を宿した邪神そのもの、この世のすべてをひと呑みに喰らい尽くさんとする姿がそこにあった。


『わらわの欲するは連麻呂の首ただひとつ。だが手向かうならば動くものすべて撫で斬りぞ。犬死にを望む者のみ参れ』


 心が恐怖に染まる。だが逃げるわけにはゆかぬ。村人らの無念が為、常陸国を守る責務が為。連麻呂も負けじと叫ぶ。


『黙れ、蛇めが。無辜なる童を謀り盾とした所業、許してはおかぬ。正義が為滅してくれよう!』


 力強き布告に、兵の士気も高潮してゆく。貴様などもはや、人々を手にかけた化け物ぞ。連麻呂様の名の下に討ち取ってくれる――と。


『それが遺言か。よろしい、ならば死せよ』


 谷津神が白刃を地に突き刺す。すると雪のように白く美しい柔肌が一面固く黒い鱗に包まれる。

 唇が裂け伸びた舌がふたつに割れ、黒髪が腕や尻に脚と融け、太く長い螺旋状の胴体を形作る。

 そうして瞬く間に、山のごとし巨躯の大蛇が姿を現したのだった――

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