「誘惑」弐
首から下3つの部位は順に大きく、細く、大きく。どれもが寸分の狂いもない黄金比で出来ているかのようだ。
まさに西洋美術の女神像を思わせる美しさ、そして男なら誰もが惑う煽情的な妖しさを併せ持つ見事な造形だ。
例えるなら決して相容れることのないはずの天使と悪魔が心血を注ぎ合った奇跡、と評しても障りないだろう。
“億戦錬磨”の俺でさえ思わず生唾を飲み込み、喉を鳴らすほど妖艶な香りが立ちこめる。
「あっ……っ」
塞いだ唇から吐息が漏れ、ある部分を見ればチェリーやハチ……おっとこれ以上綿密に表現するとR18になっちまうか。自重だな自重。
――でも妙だな。これほどの上玉だし心中はいざ聖戦いや性戦に血湧き肉踊る、ってなモンだが肝心の“剣”が抜けない。抜けやしない。
そんな馬鹿な、この俺が。冗談だろ、俺にとってこれは狼の牙、鷹の翼、折れるその時こそすなわち死、というぐらいのものなのに――
「もうっ、焦らさないで――」
ごめん、可愛くてついだとか何とか言ってひとまずお茶を濁すが心臓はバクバクだ。まずいヤバイ、困ったぞ。
そう、こんなの言いふらされでもしたら今まで築いてきたモノがパアだよ。どうする!?
「!!」
だが幸か不幸か、事に及ぶ前に訪れた賢者タイムのために鋭敏に感じ取ることができた。
――左で柔肌を撫でながら右で背後から忍び寄る殺気を、振り下ろされた凶刃を止める。
「クッ!? アアア、ッ!!」
ふう、よく襲われる日だな。起き上がりざまナイフを持つその手をひねり、逆に向こうの頭へ銃を突きつける。
刺客の正体はもちろん、さっきシャワーに行った黒髪ロングだった。
「穴をもうひとつ増やす前に聞こう。君らは誰だ? 悪いが昔から恨みを買い過ぎててね、逐一覚えてないんだ」
だがこの女さほど動じていないし、ショートボブも最初から何事もなかったように頬杖を突き酒を飲んでいる。
両方とも余裕だな。まあ話してもらうのはひとりで充分だし、別にそれでも構わないが。
「“相手が勝ち誇った時、そいつはすでに敗北している”。さあ時間や」
うっ……ぐふっ!? ――しかし引き金を触れる指に力を込めたその時、前触れもなくまったくの突然だった。
激しい脱力感と痺れが瞬く間に全身を支配して床に崩れ落ち、狙いの反れた弾丸で天井の照明を砕いた音だけがその場に虚しく響く――
パニック映画で怪物が人体を喰い破る前兆のように胸が上下に激しく痙攣、いや躍動する。呼吸もできない――
「アハハッ! やっぱこいつ飲んだんですねぇ、あの時のコーヒー!」
「即効性のある毒じゃおもろないしね。遅〜い代わりにものスゴイのを入れてやったんよ」
そして、まるですぐ目の中で赤い花火がパッと輝いたかと思うと視界は急速に闇に落ち、何も見えなくなった。
眼球の血管がやられた、か。意識も遠のいて、死――
「んでる場合じゃないんだよ。“日本全国竿姉妹計画”の完遂まではな」
「エッ!? ――あがっ!!」
拳銃を手に起き上がる。そしてそのまま、状況を理解してない黒髪の眉間と心臓に一発ずつ再び引き金を絞る。
「薬も胸も盛るべからず。自然体こそ一番ってことさ」
昇天し赤潮を吹く肢体が床に転がるより早く、その口に手榴弾を突っ込みショートボブへと亡骸を蹴り上げる。
――そうして赫音と黒煙ののち、スプリンクラーで視界が晴れると肉片やら何やらが床と壁一面、同色におびただしく引っ付いていた。
が、どうも数が少なく妙だ。それに窓ガラスも粉々になってるが、これは衝撃によるものじゃない。爆発の前に割れる音がしたからな。
「逃がすかよ」
窓から飛び降りあとを追うが、そいつは意外にもすぐそこにいた。一糸纏わぬ姿のまま、ホテル前の通りで街灯を背にたたずんでいる。
「忘れ物だ。ブラとショーツ」
「ありがと。いつもフルオーダーしとる高っかいやつやから助かるわ」
「とにかく、まったく一生の不覚だな。危うくお前なんぞと一線を越えるとこだった。道理でタタないはずだぜ」
そう吐き捨ててやると女は腰に手を当て冷たく笑う。
「その結果生まれたのがアタシらやん。その忌むべき血はちゃんと身体に流れとるんやで」
「悪いが俺は親父と違い健全なんでね。とりあえずはひさしぶりだな。もう何年になるか」
「今の名前は【淡島路流】や。どうぞよろしゅうに、ツキヨちゃん!」