「狂奏」
「まだ予備があるのか、そんな物騒なモノ」
「……」
その形相は般若のごとし、凶器を手にこちらをにらむ大月姫香だった女と相対する。互いに目を反らさず慎重な足取りで間合いを計る。
「なぜわかったかって? 刃物を隠してる女性の気配には慣れてるんでね」
「……」
「問題はパネマジだな。今の技術ってすごいよ本当。未だに騙されるしね」
「……」
「だからそんなの早く仕舞いなって。それとも僕好みに剃ってくれるのかな。特定の所の毛をさ」
「その軽口、すぐ叩けなくしてやる。まな板の魚のように3枚にも30枚にも300枚にも、おろしてくれるわァァッ!!」
両の袖口からさらに出した剃刀を、獣爪のように指に挟んでみせる。そういやアメコミにこういうキャラいるよな。確かX-23だっけ?
“ヒュパッ”
「フハハ……。ああ惜しい惜しい……!!」
「ありがとう。ちょうど今かすったココ、剃り残しがあったんだ」
「次は、皮ごと剃ってくれようぞ……!!」
おおっ……。平静は崩さずにしてみせたが今のは速かったな。なるほどもう前戯は終わり、互いに本気のプレイをしないといけないな。
「ちょこまかと!!」
荒れ狂うかまいたちのような攻撃をかわしつつチャンスを伺う。
なるほど言うだけはある。常人なら一瞬でなます切り、気づけば皿の上で天井を見てるとこだ。
「ちょこざいな!!」
依然として超高速にも余裕綽々に対応してみせる。が、段々部屋の隅へ隅へと追いやられてる。
「ウ!」
幸いこのド派手な動きがたたったか、浴槽前の段差に気をとられた隙に、腰に隠してた予備銃ベレッタ・ナノを抜く。
「く!」
しかしわずかに遅かった。醜く歪んだその顔に引き金をと思った瞬間にはすでに手首を切られ、銃は血しぶきとともに床に落ちていた。
「鈍し遅し、そんなものにばかり頼っておるからそうなるのだ!」
「……」
「狭き場所での間合いにゃらば、刃物の方が速い。フュハハハ!」
「……」
「もっともどのみち、もひゃやこれまでのようだがにゃあああ!」
ついに追い込まれ壁に背をつく俺に、女が勝ち誇った表情でにじりよる。
「そうだな、確かに接近戦ではナイフの方が速い。銃は抜き構え、引き金までに3動作。その点刃物なら1動作で終わる」
「フフフ……」
「だが君はそのスピードを理解していない」
「にゃに……」
「少しずつ呂律が回らなくなってきてるぞ。なのに全力で動き回ったよな」
「エッ……?」
そう、馬力がある車ほどボディが温まるんだ。カロリーを使うからな。そうなればどうなるか。
「ウッ、クク。カッ。カカカ、カフッ!?」
「そう、血行が良くなる。そろそろ充分に“まわってきた”頃かな。どのみちもはや、これまでだ」
膝と剃刀が崩れ落ち、乾いた音が室内に響く。両手で首を押さえ涎を垂らし瞳孔も見開き息も絶え絶えに、声にもならない声でうめく。
「ケケケケッ、けへ!! こふぉ……!!」
「君の所の薬さ。依存性抜群だが致死量に難あり、少量を料理に混ぜてたっていう新型をさっき口移ししといた。カプセルいっぱいにね」
「アガガガッ、がっ!! がぁぁぁっ!!」
「まあ君もね、昔から散々おかしなモノ他人に食べさせてきたし因果応報、自業自得ってことで」
「キシャマッ、ぁぁ!! わぁぁぁっ!!」
先ほどの俊敏さはどこへか、刃を再び手に取るも自由が利かず這い回るのみ。そんな彼女に目線を合わせるよう屈む。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。散り時も美しくあれ――」
そっと背後へ移り肩から抱きすくめるように手を回す。左手で頬をつかみ自分の顎に押し当て、取り上げた刃を右で白い首に走らせる。
「ひゅーっ……!!」
弾き裂いた喉笛が音なき音色を奏で、舞い散る桜のように溢れ出る鮮血が声なき喝采をあげる。
「“もう最期の時が告げているのを感じます。自分の運命は変えられません。何事も摂理の欲する通りになりましょう”。byモーツァルト」
「……」
「何度やってもこれが君のたどる運命なのさ。無情なことだがね」
やれやれ。この密室、ある種生命の営みの儀を行う神聖な場とも言えるのにな。残ったのは死のみとは哀しき皮肉だ。
せめてもの慰めにと、俺はそっとその瞼を閉ざしてやった――。