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第0層 勇者

 ——勇者が聖剣を抜く姿を見た者は誰もいない。

 そんな噂が流れはじめたのは、勇者が誕生してから一年が経った頃だった。


 聖剣に選ばれし者の称号『勇者』

 にもかかわらず、彼は聖剣を使わないらしい。


 勇者が勇者として名を馳せたのは、最古の魔王復活が契機だったとされる。千年前に封印されたとされる魔王が突如として復活し、数千の魔族を率いて王国まで攻め込んできたのだ。その恐ろしさに国中が震え上がり、王家の者ですら国を捨てて逃げ出す者がいたという。


 王都の騎士団は奮闘するものの、魔族の余りの強さに次第に押され始め、ついには王都にまで侵入を許してしまった。魔王軍が王城を攻め落とすまであと数日もない。そんな危機的状況を救ったのが、かの勇者である。

 王国の危機に際し、勇者は危険を顧みることなく一人で神殿の地下迷宮に潜り込み、その最深部にあった聖剣まで辿り着いた。聖剣を引き抜くと聖なる光がその身に宿り、瞬く間に魔族を押し返したという。

 そして一騎打ちにて魔王を打ち倒し、王国を救ったのだ。

 

 それからというもの勇者の伝説は留まることを知らない。

 伝説の英雄にふさわしく、あらゆる災厄を退け、亡国の危機から人類を救う。


 史上最悪の盗賊団『霧の音』の掃討戦を始め、

 迷宮『黒猫の死刑場・モルリノロル』にて行われた『死霊王』復活の儀を食い止め、

 『白き神の薬指』と呼ばれる、教会が千年の祈りを捧げてきた神木の枯死事件を早期解決するなど、あらゆる武勇伝を打ち立てた。


 そうした話は吟遊詩人の唄にされ、今でもなお多くの者に語られている。特に若者にはその影響が顕著で、勇者の逸話に感化され、冒険家になる者や王都騎士団に加入する者が後を絶たない。こういう俺もそんな若者の一人であり、親の反対を押し切り、蔵で眠っていた弓矢を持って、冒険家になるべく家を飛び出した口だった。

 勇者に関する噂はあらゆる場所で耳にした。冒険家ギルド内での情報交換、食事の席、街を歩いていてもいろんな人から世間話として聞かされた。中には耳も疑うような噂もあり、


 勇者は商人よりも弱いとか。

 勇者はすごくケチであるとか。

 勇者は実は女性だったとか。

 勇者は幼い女の子が大好きとか。

 勇者が空を飛んでいるのを見たとか。


『勇者が聖剣を抜く姿を見た者は誰もいない』というのもその中の一つだ。


  初め俺はこの噂を信じてはいなかった。吟遊詩人が唄う物語ではバッチリ聖剣が出てくるからだ。

 必ずと言っていいほど、物語の最後は、勇者が聖剣で巨悪を斬ることで幕が降りる。

  そもそも勇者とは聖剣に選ばれた人間だ。そして聖剣を扱えるからこそ勇者なのである。

 過去、歴代の勇者たちも聖剣の力によって王国を危機から救ってきたのだ。


 ただこの手の噂を聞くようになってから数年が経った今でも、耳にすることがよくある。しかもその噂の発信源が毎回違うようなのだ。

 ホラ吹きや目立ちたがり屋だけでなく、デマを流すような性格でもなければ、理由もない人からもそうした噂が話された。


 俺は勇者を見た。そして勇者は一度も聖剣を抜かなかった、と。


 だからか、ある日から冒険家の間ではあらゆる憶測が飛び交うことになる。


 聖剣の力が強すぎるために周囲への影響を恐れて使わないであるとか、

 そもそも聖剣は真の敵と相対するまで抜くことができないのだとか、

 剣技が速すぎて、目で追えないだけであるとか、

 白き心で魔物にすら慈愛をもって接するのだとか、 


 様々な推察が出ては消えていくが、その真実は未だ解明されていない。


 だが俺は偶然にも勇者と時間をともにする機会を得た。

 その真実を目にする機会を得たのだ。


 場所は『瘴気の谷・ペレンドゥラ』

 二年前に生み出された忌まわしき大型ダンジョンである。


 このダンジョンはある都市の残骸から形成されている。白レンガで造られた巨大な外壁が周囲を一周し、その中で元あった住居を食い破るように森林が生い茂る。木々はどこまでも高く、その下は暗い。昼であっても僅かな光しか差し込まない。

 どこからか湧き出し続ける毒沼は、大きな湖のようにダンジョン中に広がる。所々では倒壊した家屋の瓦礫が大海に浮かぶ島のごとく顔を出しているのだが、広すぎる毒沼は踏まずして進むことはまず不可能であった。毒沼は体力を奪い、立つ上がる瘴気が精神を削る。移動であれ戦闘であれ、不安定な足場を常に気にせねばならないし、毒に抵抗しようとすれば常に道具か魔力を消費していく。

 寝るにも食事をするにも、立ち止まるならば風向きや場所を気にしなければならない。

 視野の通らない暗闇の中を彷徨い続ける中で、冒険者は長い消耗戦を強いられる。


『瘴気の谷・ペレンドゥラ』とはそんな過酷なダンジョンであった。


 ここがまだ街だった頃、ここには高名な魔術研究の夫妻が住んでいた。多くの著書を出し、その道の研究を十年は先に進ませたと言われている。

 そして、この夫妻が最も熱意を注いだとされるのが、秘密裏に行われた、禁忌『魔竜の制御』に関する研究である。


 魔竜、それは最強の生物種にして最高位の魔法。

 折り重ねられた膨大な魔力は物理的な質量を産むまでに至り、織り込まれた複雑な魔術式は破壊の意志と化す。

 大陸全土においても魔竜が生まれたとされる場所は、今もなお大きな傷跡が残されている。過去最も栄え発展したギリアサンク文明は、竜を生み出したために一夜にして滅んだとされる。


 もしそんな力を制御出来れば、人類は今まで見たこともない強大な力を手にすることになる。そうした欲望への挑戦は過去にも繰り返されており、魔竜の制御に関する研究は様々なところで行われてきた。だがそれが成功した試しはなく、そしてその夫妻も例に漏れなかった。


 彼ら彼女らが作った魔竜召喚の魔術理論は崩壊し、魔力を暴走させた。暴走の果てに生まれたのは『黒竜』——陰惨なる黒き神の嘲笑であり、混沌、腐食、汚染、狂乱といった現象を引き起こす。


 もっとも夫妻はまさに天才であったらしく、このとき魔術式に組み込まれていたセーフティ機能は正常に起動、生み出された黒竜は街一つを焼き尽くすに止まり、そのまま形を保てず崩壊した。


 崩れた肉体は魔力に戻り、澱んだまま街を一つのダンジョンに作り変えた。


 始めの半年は立ち入ることを禁じられ、完全に封鎖されていた。半年が経った頃、冒険家の出入りが許可されたが、三ヶ月もしないうちにまた封鎖された。

 瘴気の濃度が予測よりも高く、たちまち毒に侵されては、多くの冒険者が命を落としたからだ。このとき、死亡率が九〇パーセントを超えたらしい。


 もっともダンジョン探索は命の危険がつきものであり、たいていの場合冒険者の自己責任だ。

 だからこそ、この措置はかなり異例中の異例であり、逆に多くの冒険者に火をつけた。

 再びダンジョンが冒険家に公開されたのは、それから一年後のこと。

 そして誕生から二年を経た今、未だこのダンジョンを踏破できた者はいない。


 俺と勇者はそんな恐ろしく悍ましいダンジョンで出会った。

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