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後悔のその先へ  作者: 神崎涼
5/7

「え……。本当に……?」

「うん……。昨日上司に言われた。来年の四月からだって」

「そんな……まだ二年目なのに」

「一般的には早いけど、うちの会社ではときどきあるらしい」


 三月に入ってすぐに転勤を告げられた。俺が勤めていたのは日本各地に支社のある自動車メーカーなので転勤があることは知っていたのだが、まさか自分が二年目からその対象になるとは考えもしなかった。いや、正確にはその可能性から目をそらしていたという方が正しいかもしれない。

 転勤先は今の部屋から新幹線を使っても二時間以上かかるので、引越しすることは避けられない。


「そっか。じゃあこの部屋は一人で住むには広すぎるし、私も新しい部屋探さないと……ね」


 遥香は俺を責めなかった。責めても仕方ないと分かっていたのだろう。こればかりは俺にもどうしようもないし、誰が悪いわけでもない。ただ少しだけ泣きそうな遥香の声に、俺まで泣きそうになった。


「ごめん」


 謝っても仕方がないのだが、それでも俺は謝ることしかできなかった。あんなに幸せな生活がこうも簡単に終わってしまうのか。俺は未だに信じることができてなかったし、遥香も急にこんな話を聞いてもきっとすぐにはのみ込めない。

 遥香のような公立の保育園に勤める保育士は、転勤があっても自治体内に留まることが主だし、そうじゃなくても遥香は働き始めてまだ一年でようやく慣れてきたところだ。婚約どころか結婚に関しての話題にほとんど触れたことのなかった俺には、現状ただ付き合っているだけの関係の遥香についてきてくれとは言えるはずもなかった。

 とは言っても、離れるからと言って別れると決まったわけではない。この世の中には遠距離恋愛で続いている人たちだって山ほどいるだろうし、俺は遥香から何か言われるまで別れるつもりはなかった。たぶん大丈夫、と自分に言い聞かせる。


 遥香には「少し気持ちを整理させて」と言われた。


 残りの一ヶ月が過ぎるのはすぐだった。遥香の態度は今までと変わらなかったし、俺も自分から転勤の話題には触れなかった。遥香がどう考えているのか全く分からなかったし、藪をつついて蛇を出すのが怖かった。

 俺は転勤先で新しい部屋を見つけて、遥香も自分の職場からすぐ近くのアパートに部屋を借りた。家具は話し合って半分ずつ分け合うことにした。

 この1LDKでの生活はゆっくりと、しかし確実に終りに近づいていった。



 その部屋での最後の夜ご飯は、遥香がいつもより少し豪華な料理を作ってくれた。遥香は「最後だからね」と笑ったが、その声はやはり少し泣きそうだった。

 食後のデザートにとコンビニで買ってきたアイスをソファに座りながら二人で食べている時に、遥香が意を決したように切り出した。


「いろいろ考えたんだけどさ」

「うん」

「私はやっぱり洸一が好き」

「うん、俺も遥香が好きだよ」

「でも、洸一の会社は全国規模だからこれからだって転勤はあるだろうし、またここに戻ってくるとは限らないでしょ」

「そうだね」

「私も今の仕事が好きだし今の職場が好きだし、当分は辞めたくないと思ってる」

「うん、それがいいよ」

「洸一は何も言ってくれなかったけど、私が仕事を辞めて洸一の新しい職場の近くで新しい就職先を探せば、きっと二人の関係は続くよね」

「……俺にはそんなこと言う権利もないし、それにそれしか続ける方法はないの?」

「遠距離ってこと?」

「そう。俺も絶対に続くっていう保証はないけど、遠距離っていう選択肢もあるだろ」

「それは私も考えたよ。お互い仕事を辞められない今の状況で二人の関係を続けるとしたら遠距離しかないって」

「じゃあ、」

「でもそれって逃げじゃない?」

「え?」

「だってゴールが見えないんだよ? このまま遠距離恋愛を始めたっていつまで遠距離のままか分からない。もしかしたら一生遠距離のままかもしれないんだよ? そりゃあ初めのうちは土日を使って会えるかもしれない。でも何年もそんなこと続けるわけにもいかないでしょ? 洸一と会えなくて辛くて、しかもいつまで続くか分からなくて、そんな遠距離恋愛を続けるなんて私には……できない」


 俺は何と言われても遥香を説得して遠距離で続けるつもりだった。離れていてもいつまでも遥香のことを想っていられる自信があった。

 でも、自分はなんて甘かったのだろう。遥香は俺よりもっと現実と向き合って、将来を考えて、そのうえでこの結論に至ったのだ。だから今こうして涙を流しているのだ。この涙を見てしまったら俺はこれ以上何も言えない。これ以上遥香を泣かせることはできない。


「……そっか。それは……そうだな」

「ごめんね、私が仕事を辞めれてれば……」

「ううん、遥香は昔から保育士になりたくて、今ようやくその保育士になれてるんだろ。それを捨てるなんて絶対にダメだ」

「うん……。ごめんね」


 泣き止まない遥香の頭を撫でながら、何が悪かったんだろうと考えた。俺は遥香が好きで遥香も俺を好きでいてくれて、別れる理由なんてないはずだ。ただ、その間に大きな距離が生まれてしまっただけで。

 この転勤がもっと近くへのものだったら。あるいはもっと後の話だったら。何かが変わっていたのかもしれないけど、そんなたられば話はもう言っても仕方がない。


「遥香、今までありがとう。俺は遥香のおかげで就活も頑張れたし、就職してからも遥香にいっぱい励まされた。それに何より、遥香がいたからこの二年間本当に楽しかったよ」


 遥香の頭を撫で続ける。今までたくさんもらってきた温かさを、優しさを、少しでも返せるように。もう会うことはないかもしれない目の前の大好きな人に、自分の愛情をすべて与えきれますようにと願って。


「私の方こそ……ほんとに、ほんとにありがとう。洸一、大好きだったよ」


 過去形になった最後の言葉を聞いて、本当に終わってしまうんだなと、ぼんやりとした意識の中でそのことだけははっきりと分かった。頬に自然と涙が流れた。 


 その日は二人で泣くだけ泣いて、最後のベッドで抱き合って眠りについた。

 

 次の日は、駅まで遥香が見送りに来てくれた。こんなにも大好きな人と、これがおそらく今生の別れになるという時にどんな表情をすればいいのか分からなかったが、遥香が笑っていたので俺も頑張って笑顔を作った。

 別れの言葉は昨日たくさん伝え合った。俺たちはただ、今までありがとう、頑張ってねと言い合ってお別れした。電車が駅を離れるその時まで俺はずっと遥香を見つめていた。


 新幹線の中で、自分なりに気持ちの整理をつけようとケータイに入っている思い出を消すことにした。涙は昨日流し切ったし、気持ちは穏やかだった。

 付き合って最初のデートで撮った初めてのツーショット、一緒に行った旅行での写真、そして一ヶ月ほど前に撮った二人の最後の写真。どれもこれからの自分には要らない物だ。懐かしみながら一枚ずつ消していく。

 最後の写真を消去して、自分が泣いていることに気付いた。それほど、自然に涙が溢れていた。この体から涙が枯れることなんてあるのだろうか。俺は新幹線の中でいつまでも泣き続けた。



 自分がどんな感情を抱いていても、時間とは無情に流れていくもので、転勤してから三ヶ月が経った。

 新しい職場での業務内容は去年とほぼ同じだったので特に困ることはなく、新しい職場の上司も同期もみんな、明るいいい人たちだった。今の俺には少し明るすぎるくらいだった。この支社に入った時期は同じだが一応後輩もできた。

 新しい環境での生活は、以前と大きく変わったことはなかった。ただ、遥香がいないということだけを除いて。

 遥香と会えなくなって三ヶ月、自分の中の何かが欠け落ちたような気分だった。食事をしている時も誰かと話している時も、生きているのは自分なのだが自分ではないような、そんな感覚だった。



「お疲れ様です、佐々木さん」


 転勤してから半年ほどたったある日の昼休みに、コーヒーを淹れに入った給湯室で声をかけられた。


「ああ、須藤さん」


須藤さんは俺と同期になる入社二年目の女性社員だ。勤務態度が良く、人懐こい性格をしているので上司からの人気も高い。


「今日の夜は空いてませんか? 一緒にご飯とかどうですか?」


 須藤さんは俺と同じく会社の近くで一人暮らしをしているらしく、少ない同期どうし仲良くしませんかということで時々ご飯に誘ってくれた。のだが、俺は一度もそのありがたい申し出を受けたことはなかった。


「すみません、今日の夜は予定があって。また機会があえばぜひお願いします」

「そうですか。では次はぜひ」


毎度断っても、須藤さんは笑顔で許してくれる。とてもいい人だし、いつかは一緒にご飯に行けたらとも思っている。今日だって本当は夜に予定なんかない。

 しかし、そんな気分ではないのだ。その原因は分かっているし、いつまでも引きずっていても仕方ないのだが、何をする気も起らない。ただただ一日が過ぎていくのをまるで人ごとのように感じていた。



そんな毎日をただ流れるように過ごしていたら、気付けば一年がたっていた。就職してから三回目の春になった。

 いつまでもこのままではいけないとずっと思っているのだが、未だに自分の中から欠け落ちた何かは見つかっていなかった。




 そして今日、自分の人生の中で最大の転機が訪れた。あの夢を見たのだ。 

 正直全く信じられないが、過去に戻れるというのなら、もう一度遥香と会えるというのなら、欠け落ちた何かを再び取り戻せるかもしれない。そうしたら今度はもう絶対に離さない。もう一度、もう一度遥香と。

 戻りたい過去を記した紙を握りしめて強く願った。すると俺の体は突然光り始め、その光は俺の体を包み、目の前が真っ白になった。

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