微温湯の悪夢
毎回タグ付けには困ります。ファンタジーでありながら今回はダレかさんの、さる人への思いが明確なので、悲恋って形にしましたが……悩む……
――微温湯のような悪夢を見た。
蜂蜜のような茶髪。左右で色の違う瞳を持った、愛おしい彼とボクとの夢だ。
月光のような柔らかな笑み。おおよそ感情を失ってしまったボクのそれらを大体掘り起こしてくれた、愛おしい彼との夢だ。彼との日々は砂糖菓子のように柔らかく、甘い泡沫の夢であった。嗚呼、儚いとはこのコトか。
壊れたレコードみたいに歪に再生されるそれに、どうして陶酔しないでいられようか。ボクは、本当に純粋無垢なまでに夢の中の彼と戯れていた。
赤い月が照る夜に、廃墟でダンスの真似事をしたことも。もう一人の親友とそこここに潜り込んで、スリリングを味わった事も。ぜんぶ、すり抜けていく。嗚呼、終わらないで。
だが、いつか終わるのが夢なのだ。
……暗い森。新月の夜。二人きりで。駆け抜ける。そう、ヘマしたから。
本当ならこんな単純なヘマを打たなかった。でも、魔力が、宝石の魔力が。ボクを狂わせた。だから。代償が必要だ。こんな高い代償と知っていたのなら、決して手を出さなかったのに。
彼が、ボクの代わりに。
ボクの代わりに撃たれた。
当時から小柄だったボクは、彼に覆い被さられて、死んだふりをした。幸い、彼が流す血の量が多くて。ボクは死んでいると思われた。だから追っ手たちは踵を返した。
……ボクは、彼を、彼を身代わりに生き残ってしまった。
親に殺されかけ。親に捨てられ。手酷い扱いを受けて。そうして売られて。散々な思いで。彼と、ようやく二人きりで?
幸せと言う字は、辛いに一を足して構成される。彼が、ボクの一だった。それを引かれたボクは、ならば辛いとしか思えないではないか。
ボクは、彼をこんなにも愛しているのに!
元々神と言う存在は嫌いだった。ボクは何もしていないのに、教会に行くといつも痛い思いをする。元々神に受け入れられていなかった。それのせいで! 最愛の人を奪われた!
ボクは、神を、許さない……!
「――天っ、宮さん!?」
「……何だ、キミか」
悲鳴交じりの声が聞こえてきて、ようやくボクは正気に戻った。彼の首を無意識に締めていた事に関して、意識しないようにする。
嗅ぎ慣れた匂い。どこか落ち着きのある空間。……ああ、ここはあの世界線に酷似した場所か。何の因果か応報か……。
ボクは現在特異な立ち位置に立っている。本当に特異過ぎて、説明するのが億劫なほどに。それに付随する、また違う立場を、どうにか精査しようとその懐かしい髪色を持つ青年に声をかける。
「竹内君……まったく。眠る私に不用意に近付いてはならないよ……先に忠告しておくべきだったな。意識はしっかりしているかい?」
身体を折り曲げて酸素を拒絶している青年――竹内君はボクの声が聞こえているのか、否か。彼は床に四つん這いになっては咳き込んでいた。首を絞められていたのだ、当然だろう。割と長い時間締めていたらしい。
ボクは申し訳なさと、罪悪感とを押し殺し、書庫部を駆ける。
その際に蔵書のタイトルを横目で確認しておく。なるほど? どこの世界線かは把握した。
ボクはコップに水を入れて、キッチンから竹内君の所へ戻る。ボクは足が速いから、その行動は一瞬で終えた。罪悪感に背中を押されたのも、少しはある。
「竹内君、私が分かるかい。ほら、ソファーに座って。水でも飲むと良い」
「ゴホッ……すいません……」
ボクは竹内君をどうこうできるほど、筋力は無い。何とか自力で起き上がった竹内君はソファーに力無く座ると、ボクからコップを受け取っては一息に飲み干した。
まだ少しはゴホゴホとしていた。だが、背中を擦ってやっていたりしているうちに収まる。収まった所で、ボクは竹内君の着ているスーツの、ネクタイにまず手をかける。
「少し失礼するよ。ネクタイ締めていない方が、まだ呼吸も楽だろう」
声を出す気力がまだ湧いていないのか、彼はコクンと頷いた。だからボクはネクタイを緩めて、シャツのボタンを上から二つだけ外す。
その首の状態を見る。……細い線が、軽く首についていた。赤い線が軽く円についているが……ネクタイを絞めれば見えない位置についている。
良かった。安堵を覚えながらも、ボクは竹内君に詫びを入れる。
「……悪夢に魘されている私を、起こそうとしたのだろう? すまないね。……反射的に鋼線でキミの首を絞めてしまった。本当にごめんよ」
「――あんたの本業を忘れていた僕も悪い、っですし……」
「いや、この銃刀法が云々の現代日本に対する、私の法律破りの条件反射が悪くないか……?」
「……いや、本人が反省してんのに、どうやってキレろと……?」
議論が平行線の一途を辿る気配を察知した。本当にキミって奴はお人好しだ。そうしたところが嫌いでも無いのだが、それにしたって宜しくない傾向だろうに。息をするように人を殺す事に関して、キミは嫌悪感を抱いているものとばかり思っていた。
ボクは深く息を吐いては竹内君の横に座る。そこで竹内君は自分がどこに座ったのかを理解したらしい。
この黒いソファーベッドは、ボクの基本生息地となっている。
「そのっ! すいませ、今退きますから……!」
「バカ者。今動くと大変だぞ。慌てなくて良いから座ってな」
竹内君の頭を軽く叩いて座らせる。竹内君は戸惑いながらも黙って座り直した。
竹内君の声帯の辺りは、未だ軽く潰れているらしい。声がいつもより掠れていた。顔には紫色の斑点が浮かび上がっている。よくもまぁ、その状態でボクの名が呼べたな。
……ボクは、あと少しで、また愛おしい人を、殺そうとしていた。その事実をようやく認識してきて、手が震え始める。
竹内君が生きている事を認識したくて寄りかかると、竹内君がボクを見下ろす気配がした。
「……あの、天宮さんの方こそ、その……大丈夫ですか? いつもより顔が青いようですし……それに、汗が」
そこで言い難そうに口を閉じてしまった竹内君に、続きを察しては言葉尻を拾ってやる。
「悪夢は魘されるものだろう? 珍しく寝るからこうして嫌な夢も見る。キミが気にしてもどうにもならないさ。それにしても久し振りに汗なんてかいたよ。どんな猛暑でも汗を浮かべない自信はあったのだがね」
「へ、へー……?」
反応に困った竹内君が相槌を返してくる。
……ボクは不感症だ。変な感覚障害を結果的に持っている。原因は分かっているのだが、もう排除するのは遥か昔に諦めた。
痛覚が働かない。味覚がほとんど働かない。それと暑さ寒さを感じない。汗腺も働かない。面倒だからそれらを纏めてひっくるめて、不感症と称している。
暑さ寒さを感じない。例えば気温三十度のビル街を、上から下まで真っ黒な、いつもの格好で歩いていたとしても、何も思わない。汗腺が働かないため汗の一粒も落とさない。
だから竹内君としてはボクが汗をかいているのは珍しいだろう。臭うなら風呂でも入ろうかしら。でも、汗を書いている事への不快は感じない。……感じないのだ。
「……こうした時に、キミみたいな平凡さが羨ましくなるなぁ。ねぇ、汗臭い? ちょっと風呂にでも入ってこようかしら」
「いえっ! 寧ろなんか甘いかお……ナンデモナイデス」
「? 変な竹内君」
声を裏返らせた彼は、甘い香りがすると言いかけて止まった。変なの。
首を傾げながら何と言おうか困っていると、竹内君がボクに恐る恐る問いを出した。
「……どんな夢、見てたんです?」
竹内君にボクはキャラキャラと笑う。ああ、本当にどうしてキミはそんなに……
「――今この瞬間がこの世なら、過去はあの世だ。そうは思わないかい?」
「……またいつものです? 知りませんて」
「では、この世とあの世を隔てる境界は何処に存在しているのだろうねぇ。もしも逢いたい人に逢えるなら……例え三千世界の鴉でさえ殺してやるのに」
「都々逸でしたっけ?」
最近、由無事を解説する楽しみが失せてきている。少しばかり残念であるが……そう言えば彼は文系か。まぁ、知っていたとしても不思議ではない……?
思い直したボクは、面白可笑しくって笑ってしまう。ああ、どうしてこうキミは彼と違うのだろう。あいつはもっとバカだった。色々な意味でね。好きなタイプのバカだった。
またもや罪悪感が押し寄せてきて、ボクは珍しく感情を持て余す。
「……すべては移ろうのだよ。総ては悪夢にまで還元される」
「いつも以上に意味が分からないです。日本語話せ」
「失敬な」
ボクはもう一度竹内君の頭を軽く叩いてやる。ボクは実に非力だから、たいして痛くはないだろう。
しかし、いって、とふざけた声で竹内君が応じて。
そうして、ボクたちは顔を見合わせて笑った。その竹内君の顔の、斑点交じりの愉快な悲惨さと言ったら!
「変な顔だなぁ!」
「天宮さんだって」
そうして、もう少し笑い合う。
……こうした微温湯のような現実も、やがては全て過去になって。
そしてボクを苛む悪夢に還元されるのだ。ボクは、それを知っているが、今はその現実からそっと目を反らした。微温湯は心地いい。そうだろう?
前回は前半が(作家ではない人が書いた)原稿用紙上で進行していたので、今回は夢にしてみました。どっちも楽しくはあるけど、書き方なってないで読まれてなさそうだなぁ……