第90話
気を失った英二を小脇に抱えたハマグリ女房が化け杉に向き直る。
「山犬を殺せ、ここにいる人間どもを全て殺しなさい、もう用はありません、後腐れの無いように全て殺しなさい」
操られていた女子を倒して床に押さえ付けていた秀輝が振り向く、
「てめぇ~、英二との約束はどうした! 」
秀輝が押さえている女子をロープで縛っていた宗哉が手を止める。
「英二くんをおとなしく従わせるために嘘をついたんだ。初めからこうするつもりだったんだね」
2人を見てハマグリ女房が大笑いする。
「あははははっ、本当に頭の良い……貴男の言う通りよ、英二くんが手に入れば後は邪魔なだけ、英二くんも死ぬまで霊力と精気を吸い取られるのよ」
「スギギギギッ、スギギギギッ」
ハマグリ女房の横に立って奇妙な声で笑う化け杉にガルルンが飛び掛かる。
「英二を返すがお」
「スギギギッ」
化け杉の根が飛び掛かってきたガルルンにぶち当たる。
「がはっ~~ 」
苦しそうに呻いてガルルンが秀輝と宗哉の前に転がった。
「ガルちゃん! 」
秀輝と宗哉が同時に声を出す。
「がぅ、がはっ、ぐはっ……わふぅ……こんな雑魚妖怪に…… 」
2人の前でガルルンがヨロヨロと起き上がった。
「ガルが戦ってる間に逃げるがお」
「ガルちゃん…… 」
押さえ付けていた女子を素早くロープで縛り動けなくすると秀輝と宗哉がガルルンの左右に立った。
「僕たちも戦うよ、英二くんやガルちゃんを置いて逃げるなんてできないよ」
「だな、英二やガルちゃんを見捨てて逃げて一生後悔して生きるなんて厭だぜ」
「秀輝……宗哉まで……ガルは……ガルは…… 」
ガルルンが花粉症でぐしゃぐしゃな目から大粒の涙を流した。
後ろからサーシャとララミの声が聞こえた。
「これで終わりデスね」
「全員縛り上げましたです」
サーシャとララミがバッとガルルンたちの前に出てきた。
操られていた生徒たちは全て縛り上げている。
「御主人様には手を出させませんデス」
「此処は私たちが引き受けます。御主人様はガルルンさんを連れてお逃げ下さい」
「サーシャ、ララミ」
目の前で構える2人を見て宗哉が嬉しそうに声を掛けた。
ハマグリ女房がガルルンたちを見据える。
「うふふふふっ、頭が良いって言ったのは取り消すわ」
愉しそうに笑っていた顔が一変する。
「貴様ら全員大バカだ! 私に敵うとでも思っているのか」
綺麗な顔はそこには無かった。
目を吊り上げ裂けたように口を大きく広げた軟体動物のようなハマグリ女房がいた。
屋上では2匹の雷獣とサンレイが戦っていた。
「雷パァ~ンチ! 閃光キィ~ック! 」
右から襲ってきた雷獣にパンチをぶち当て後ろから向かってきた雷獣に蹴りを入れる。
「ギャギャーーッ、グギャーーッ 」
2匹の雷獣が叫びを上げて転がるが直ぐに起き上がってサンレイを威嚇する。
先程から何度も遣り合ったがサンレイの電気攻撃では雷獣に致命傷は与えられない。
睨み合っていたサンレイがハッと顔を上げる。
「英二が危ないぞ」
依り代である英二とは離れていても気を感じることができる。
「おらの電気が効かないけど雷獣の電気もおらには効かないぞ」
サンレイが2匹の雷獣を見据える。
「電気が一番得意なだけで電気以外が使えない訳じゃないぞ」
息を整えるとサンレイが両手を構えた。
「操られているだけだから生かしてやりたかったが悠長に戦ってる場合じゃないぞ」
動きを止めたサンレイに牙を剥いた雷獣が飛び掛かる。
「焔爪! 」
炎を灯した爪で雷獣を切り裂く、
「ギギァヤァ~~ 」
雷獣が2つに分かれて床に落ちていく、後ろから残りの雷獣が襲い掛かる。
「閃光キィ~ック! 」
振り向きざまに回転キックをお見舞いすると倒れて転がった雷獣にサンレイが右手を向ける。
「爆突、8寸玉! 」
サンレイの右手から爆発する気が飛んで倒れている雷獣に突き刺さる。
「グギャギャ~~ 」
絶叫をあげて雷獣が四散した。
「どうだ参ったか、ずっと一緒に居れば英二やガルルンの術くらい覚えるぞ、ガルルンの十分の一も力ないけどな」
肩で息をつきながらサンレイが床に両手を付ける。
「待ってろよ、直ぐに行くからな」
サンレイの全身からバチバチと雷光が四方に走って行く、
「ハマグリの結界なんて紙を破るより簡単だぞ」
バチッと雷光を残してサンレイが姿を消した。
ギョロリとした丸い目、耳どころか後頭部まで続く裂けた口、ウネウネと伸びる手足、軟体動物の本性を現わしたハマグリ女房にメイロイドのサーシャとララミが向かって行く、
「英二くんを放しなさいデス」
サーシャの左ジャブがハマグリ女房の頬を捕らえた。
パンチを受けてぐにゃりと顔を歪ませたハマグリ女房が愉しそうに笑った。
「うふふっ、機械人形か、凄いわね、最下級の雑魚妖怪なら倒せるわよ」
凄いと言いながら平然としている。
「倒れたところをサーシャが英二さんを助けなさい」
ララミが胸元を掴んで足払いを掛けて投げ飛ばす。背負い投げだ。
「倒れる? 誰がです」
ハマグリ女房の胴がゴムを伸ばすように伸びていた。
「何故!? 」
理解できない現象にララミが一瞬動きを止めた。
「柔道とか言う格闘技ですね」
他の妖怪と違い人間社会のことはよく知っている様子だ。
「こうやって投げ飛ばすのですね」
ハマグリ女房が関節の無いゴムのような腕でララミを掴んで逆に投げ飛ばした。
「ララミ! 」
叫ぶ宗哉の隣でモップを構えた秀輝が突っ込んでいく、
「この野郎、英二を離せ」
「スギギギギッ」
ハマグリ女房の横にいた化け杉が針のような葉を飛ばす。
「秀輝くん、御主人様!! 」
横に手を広げたサーシャがバッと秀輝の前に出る。
「ぐっ…… 」
全身に針が刺さってサーシャが呻く、
「サーシャ! 」
宗哉と秀輝が同時に叫ぶ、サーシャが腕を振って針を防いでくれたので2人には殆ど刺さっていない、前にいた秀輝の右腿と左腕に数本刺さっているだけだ。
「問題ありません御主人様、スキンが少し痛んだだけデス」
振り返ったサーシャは酷い有様だ。
綺麗な顔に何本も針が刺さっている。
「良かった……くそぅ」
安堵する秀輝が右腿を押さえてしゃがむ、
「大丈夫か秀輝」
「心配無いぜ、これくらいでへばるかよ」
心配して駆け寄った宗哉の前で秀輝が右腿に刺さった針を引き抜いた。
秀輝たちの戦いを見ていたガルルンが涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を英二に貰ったハンカチでグイッと拭いた。
「英二を離すがお! 」
ハマグリ女房に向かって飛び掛からんとするガルルンを化け杉が遮った。
「スギギギギッ、スギギギギッ」
英二に切られて半分になった頭の枝から黄色い花粉をぶわっと飛ばす。
「がっ、がふっ、ごふっ、ぐぐぅ…… 」
咳き込んだガルルンがバッと後ろに下がる。
「スギギギギッ」
化け杉が針のような葉を飛ばす。
「咆哮火! 」
ガルルンが口から火を吐いた。
「スギギィ……スギギギィ~~ 」
針のような葉が焼け落ちていく、その先で化け杉が後退る。
「火だ! 火に弱いんだ……ガルちゃんも始めに言っていたよね、木の妖怪は火に弱いって、化け杉の弱点は火だ。火だよガルちゃん」
ビビる化け杉を見て宗哉が大声を出した。
「がふっ……ふががっ……そうがお、火に弱いがお……ぐふっ、がふっ……頭クラクラして忘れてたがお」
苦しそうに咳き込みながらガルルンがこたえる。
妖怪花粉症によって涙や鼻水が止まらなくなりフラついて思考力も低下していた様子だ。
秀輝が左腕に刺さった針を引っこ抜く、
「ガルちゃん、化け杉は任せたぜ、俺たちはハマグリ女房から英二を取り返す」
血が流れる秀輝の右腿に宗哉がロープを縛り付けた。
「うん、僕たちでやろう、英二くんを助けよう」
秀輝が縛ってくれと左腕を出しながら宗哉の耳元に口を近付ける。
「俺が囮になる。その間にララミとサーシャに英二を助けさせろ」
左腕をロープで縛っていた宗哉が驚いた顔で秀輝を見つめる。
「でも秀輝…… 」
「英二を助けるのが先決だ。その後で俺も助けてくれればいい」
ニヤッと笑う秀輝を見つめて宗哉が黙って頷いた。
「がっ、がふっ、ふががっ……英二は任せたがお、ガルは杉をやるがお」
2人の会話が聞こえたのかガルルンがマジ顔で言った。
「英二さんを助けるのですね」
「最優先で英二くんを助けますデス」
ララミの隣でサーシャが無数に刺さった針を気にした様子も無く言った。
覚悟を決めたような顔付きの秀輝たちを見てハマグリ女房が大笑いする。
「あははははっ、私を倒すつもりなの? 人間が? あははははっ」
腹を抱えて笑った後でハマグリ女房の姿が変わっていく、美女の姿に戻るとマジ顔をして秀輝たちを見つめた。
「ではこうしましょう、このまま何もしないで私を行かせて下さいな、そうすれば化け杉も引き上げさせましょう、秀輝くんも宗哉くんも死ななくて済みますよ」
「英二はどうなる!! 」
「英二くんを黙って渡せって言うのか」
怒鳴る秀輝の横で宗哉が顔を強張らせた。
「うふふっ、そうです。本当は全員始末する予定でしたが貴方たちが私に勝とうなどと面白い冗談で笑わせてくれた御礼に貴方たちの命は助けてあげますよ、これで英二くんとの約束通りでしょ」
事情を知らない男が見たら一目惚れするような愛らしい顔でハマグリ女房が微笑んだ。
「ざけんじゃねぇ! 」
怒鳴りながら秀輝がハマグリ女房に殴り掛かる。
「バカが…… 」
頬に当たる秀輝のパンチなど気にした様子もなくハマグリ女房が腕を上げる。
「死にたいのなら死になさい」
殴らんとしたハマグリ女房の腕をサーシャが掴んで押さえ込む、英二を抱えていた反対側の腕をララミが掴んで引き延ばす。
「今です御主人様」
ハマグリ女房の伸びた腕から宗哉が英二を引っ張り出した。
「このぅ……機械人形どもが! 」
ハマグリ女房が両腕を振り回す。
ゴムのように伸びた腕がサーシャとララミを吹き飛ばした。
「英二を逃がすな化け杉」
化け杉に命令した後でハマグリ女房がサーシャの元へと歩いて行く、
「バラバラにしてやる」
激高したハマグリ女房の前でサーシャが構える。
「御主人様、お逃げ下さいデス」
ハマグリ女房の後ろからララミがそっと近付いていく、ララミとサーシャをチラッと見ると宗哉が英二を抱えて歩き出す。
「英二くんを連れて逃げるぞ」
「わかった」
宗哉が抱えてきた英二を秀輝が背負う、
「スギギギギッ」
逃げ出そうとした2人の前に化け杉が立ち塞がった。
「お前の相手はガルがお」
ガルルンのタックルを受けて化け杉が転がった。
「英二を連れて逃げるがお」
宗哉と秀輝は無言で頷くとドアに向かって歩き出す。
「スギギギギッ、スギギギィ」
化け杉が針のような葉を飛ばすと同時に太い根を何本も伸ばす。
「咆哮火! 」
口から火を吐いて針を焼き落とすとガルルンが爪に炎を灯して化け杉に突っ込んでいく、
「焔爪! 」
「スギギギィ~ 」
太い根を炎の爪で焼き切りながらガルルンが化け杉に斬り掛かる。
「がっ、がふっ!! 」
「ギヒィ、ギヒヒヒィィ~~ 」
ガルルンの炎の爪が化け杉を切り裂き、化け杉の尖った根がガルルンの腹を貫いた。
普段のガルルンなら余裕で避けれただろう、だが今のガルルンは妖怪花粉症でフラついてまともに避けることもできなかった。
「がっ……ががっ……咆哮火! 」
腹を押さえながらガルルンが口から火を吹いた。
「ギヘェ~、ギヒヒヘェェ~~ 」
絶叫をあげながら化け杉が燃え崩れていった。
「ガルの勝ちがお……英二………… 」
俯せに倒れたガルルンから流れ出た血が教室の床に広がっていく、
「ガルちゃんが…… 」
顔を引き攣らせ言葉を失う秀輝の横で宗哉が叫んだ。
「ララミ! サーシャ! 」
サーシャとララミの手足が宙を舞っている。
「機械人形が私に勝てるはずないでしょ、化け杉は犬に負けるし……まったく」
吐き捨てるように言うとハマグリ女房が持っていたララミの頭を床に投げ捨てた。
サーシャは手足を切られて既に機能停止している。
「ヤバい逃げるぜ」
英二を背負った秀輝が走り出す。
慌てて続いた宗哉の後ろでハマグリ女房がバンッと跳んだ。
「逃がすわけないでしょ、英二くんを捕まえて貴方たちには死んで貰うわよ」
ドアの前にハマグリ女房が降り立った。
「うわぁ! 」
叫んだ秀輝が背負っていた英二を落とす。
「英二くん」
宗哉が慌てて英二を抱き起こす。
「丁寧に扱いなさい、英二くんは大事なプレゼントなのよ」
ハマグリ女房が2人をジロッと睨み付けた。
「プレゼント? 」
顔を強張らせた秀輝を見てハマグリ女房が愛らしく微笑んだ。
「そうです。私の愛するあの方にプレゼントするのよ、英二くんの霊力を使ってあの方は大妖怪より更に上の存在になるの、神を凌駕する存在にね、その為に英二くんが必要なのよ、だから丁重に扱いなさいな、死んだら元も子もないじゃない」
愛らしい笑みから一転して残忍に目を光らせる。
「でも貴方たちは必要無いわ、散々邪魔してくれた御礼に殺してあげましょう」
手を伸ばすハマグリ女房の前で秀輝と宗哉は固まったように動けない、妖術を使われたのではないハマグリ女房の残忍な目付きに身が竦んで動けなくなったのだ。
ハマグリ女房が腕を伸ばす。
「さっさと片付けましょう、これ以上邪魔が入ると面倒ですから」
動けない秀輝の前でハマグリ女房の伸びた腕の先が鋭く尖っていく、
「イモガイって知ってる? 肉食性の貝で毒針を持っているものもいるの、一番強力なイモガイは一刺しで人間も簡単に殺しちゃうのよ」
「まさか…… 」
声を震わせる秀輝を見てハマグリ女房がニィーッと不気味に笑う、
「そうよ、貝の妖怪である私も毒を持っているの、大きな象でも一刺しで殺せる猛毒よ、秀輝くんなら30秒も掛からずに死ねるわ、体が痺れて痙攣して死んでいくのよ」
「やっ、止めろ…… 」
ビビる秀輝の目の前にハマグリ女房の毒針が迫る。
「さようなら秀輝くん」
毒針が刺さらんとしたその時、バチッと雷光が走ってハマグリ女房が吹き飛んだ。
「サンレイちゃん! 」
秀輝と宗哉が同時に叫ぶ、雷光を纏ったサンレイがニッと笑った。
「おらが来たから安心だぞ」
サンレイが宗哉に抱えられている英二を見つめた。
「気を失ってるだけだぞ、よかった……秀輝も宗哉も頑張ってくれたんだな、礼を言うぞ」
ペコッと頭を下げてからサンレイが教室を見回す。
「ガルルン……サーシャもララミも…… 」
血の海に横たわるガルルン、手足だけでなく頭をもがれてバラバラになって倒れているサーシャとララミ、サンレイがぐいっと涙を拭った。
英二を抱えながら宗哉がサンレイを見つめる。
「ガルちゃんは妖怪花粉症になりながら僕たちを、英二くんを守るために戦ってくれたんだ。僕たちを逃がそうとして……ガルちゃんは………… 」
ドアの横の壁を秀輝が力一杯殴りつける。
「俺に力があれば……ガルちゃんを犠牲にして男のくせに情けないぜ」
サンレイが秀輝の腕をポンッと叩いた。
「わかってんぞ、ガルルンは勝ったぞ、おらが来るまで英二たちを守ったんだからな」
「サンレイちゃん、仇を頼むぜ」
流れる涙を拭きもせずに秀輝が言った。