第42話 冬休み
ハマグリ女房の料理対決から数日が経ち、期末テストを終えた英二たちは冬休みを迎えていた。
ふんばり入道や旧鼠にハマグリ女房だけでなく他の妖怪たちも英二の力を狙っているのを知ってサンレイとガルルンは警戒していたが宗哉の豪邸で開かれたクリスマスパーティーが終わる頃にはすっかり警戒心も無くなっていた。
部屋の大掃除も終わり新年を迎える忙しさも一段落ついたある朝、英二が目を覚ます。
「ハチマルおはよう」
机の上にある写真に微笑みかける。
水着姿のサンレイとハチマルが満面の笑顔で映っていた。
夏に宗哉の別荘がある南紀白浜の海で撮った写真だ。
毎朝一番に挨拶するのが日課になっていた。
「もう直ぐお正月だよ、宗哉がしてくれたクリスマスパーティーでサンレイとガルちゃんがはしゃいで大変だったよ、ハチマルとも楽しい事いっぱいしたいから早く目を覚ましてくれよな」
写真を手に取って話し掛ける。
「正月はバイトが忙しいからダメだけどGWくらいに会いに行くね、ハチマルのパソコンを置いてある蔵を掃除しようって秀輝が言ってくれたから、宗哉や小乃子たちも連れて行くからね」
サンレイが復活するまでは毎朝写真を見て泣いていた。
ハチマルも無事だとわかって今は笑顔だ。
冬休みなので9時頃まで寝ていた英二が顔を洗って遅い朝食をとろうと台所へと行く、リビングでテレビを見ていたガルルンが元気よく声を掛けてきた。
「おはようがお、休みだからって寝坊がう」
ソファーに座ってにぱっと笑顔を見せるガルルンの隣で母が呆れ顔で口を開く、
「ガルちゃんの言う通りよ、冬休みは短いんだから有意義に使いなさい」
「大掃除の後くらいは寝坊させてくれ、それにしてもガルちゃんは元気だな、昨日遅くまでゲームやってたのに…… 」
大きな欠伸をする英二を見てガルルンが得意気に鼻を鳴らす。
「がふふん、大掃除くらいでガルは負けないがお、ゲームだったら3日くらい徹夜できるがう、レースゲームも特訓して英二に勝ってやるがお」
隣に座る母がガルルンの頭を撫でる。
「ガルちゃんは偉いのよ、朝からお皿洗ってくれたりトイレ掃除してくれたのよ、英二も見習いなさい」
「がふふふふ、手伝うのは当り前がう、母ちゃん美味しい料理作ってくれるがお」
「ああぁ……もう可愛いぃ~~、ガルちゃんにはお年玉いっぱいあげるわね」
母がガルルンを抱き締めて頬摺りをする。
一緒に住むようになって2ヶ月経っていないがすっかり家族の一員だ。
父も母も実の息子の英二を放って置いてサンレイとガルルンの事ばかりである。
「まぁいいけどさ…… 」
パンでも食べようと台所へ向かおうとした英二が足を止めた。
「あれ? 」
リビングを見回してから台所を探す。
サンレイの姿が見えない、普段ならガルルンや母と一緒にテレビを見たりトランプなどをして遊んでいるはずだ。
「サンレイはトイレか? 」
聞きながら廊下奥にあるトイレを見るが電気は点いていない。
「四国行ってるがお、ガルも行きたかったがう、直ぐ戻るからって連れて行ってくれなかったがお」
拗ねるように口を尖らせてガルルンがこたえた。
英二の顔色がサッと変わる。
「爺ちゃん家に? サンレイに何かあったのか? 消えたりしないよな? 」
母が抱いていたガルルンをサッと離す。
「サンレイちゃんに何かあったの? 」
口を尖らせていたガルルンがにっと笑顔を見せる。
「心配無いがお、妖怪テレビを取りに行ったがお、直ぐに戻ってくるがう」
「あぁ……よかった…… 」
安堵した母がガルルンをまた抱き締めた。
「もう消えるなんて厭よ、サンレイちゃんもガルちゃんも私の娘なんだからね」
「母ちゃん……心配無いがう、ガルはずっと一緒がお」
嬉しそうに胸に顔を埋めるガルルンの頭を母が愛おしそうに撫でる。
「仁史も英二も親不孝でサンレイちゃんとガルちゃんとハチマルさんだけが私の生きがいなんだからね」
安心していた英二が顔を顰める。
「兄貴と俺を一緒にするな、俺は勉強も手伝いもそこそこしてるだろ」
「一緒よ、あんたたちが可愛かったのは幼稚園までよ、母さんはガルちゃんやサンレイちゃんみたいな娘が欲しかったのよ」
本気とも冗談ともつかない顔で言う母を見て英二がボサボサ頭を掻き毟る。
「へいへい、男で悪かったですね」
頭を掻く手を止めてガルルンを見つめる。
「直ぐに帰ってくるなら心配無いなサンレイ……何しに行ったんだっけ? 」
「妖怪テレビを取りに行ったがお、姉ちゃんからのクリスマスプレゼントがう、ハチマルから連絡を受けたがお」
母の腕の中でガルルンが満面の笑みでこたえた。
ハチマルの御神体であるパソコンはサンレイと同じ蔵で眠っているので人としての姿を現わすことはまだできないが意思の疎通はできるのである。
「ハチマルか……早く戻ってこないかな」
思いを馳せるように言うと改まって訊いた。
「妖怪テレビって何? 」
「妖怪のテレビがお」
笑顔満面のガルルンを見つめる英二がマジ顔で口を開く、
「妖怪のテレビって何? 妖怪が人間みたいにテレビをやってるのか? 」
「そうがお、妖怪たちのためのテレビ放送がう、それを見る事の出来る器械が妖怪テレビがお、流石神様がお、品薄で手に入らないのによく買えたがお」
英二が頭を掻きながら続ける。
「つまり妖怪がやってるテレビを見れる機械だな、そんな物があったのか……って言うより売ってるのか? 誰が作ってるんだ? 」
「妖怪の世界も進んでるがお、妖怪ラジオは昔からあったがう、テレビは7年ほど前からできたがう、器械を誰が作ってるとかガルは知らないがお」
「妖怪テレビか……どんなのかな、俺も見せて貰おう、人間でも見れるよね? 」
興味津々の顔で訊く英二を見てガルルンが鼻を鳴らす。
「がふふん、ガルとサンレイが居るから見れるがお、妖怪テレビは妖気を受信して映すがう、だから近くにガルやサンレイが居ないと映らないがお、ガルたちがアンテナと電気の役目をしてるようなものがう」
「楽しみだ。秀輝や小乃子にも見せてやろう…… 」
朝食をとろうと台所に向かう英二の背にガルルンが声を掛ける。
「妖怪みんなの歌が面白いがう、ガルやサンレイの知ってる妖怪もいっぱい出てくるがお」
「みんなの歌? N○Kがやってるヤツみたいなものかな…… 」
何か知らんが妖怪テレビは面白そうだ……、楽しそうにニヤけ顔をして英二が台所に入っていった。
リビングにやって来た英二が牛乳の入ったコップをテーブルに置くとトーストを齧りながら横のソファーに座る。
テレビに向かって正面にある長いソファーにガルルンと座っている母が振り向いた。
「今日は昼からバイトあるんでしょ? 」
「うん、昼から夜中までだ。年末はバイト代良いからな、大晦日と1日と2日もバイトだからサンレイとガルちゃんの相手は頼むよ」
口の中のパンを牛乳で流し込む英二をガルルンが見つめる。
「正月もバイトがお? 英二と遊べないがう…… 」
しょんぼりするガルルンを見て英二が優しく微笑む、
「バイト代の他にお年玉もくれるって言うからな、秀輝の親戚がやってるコンビニだし断れないよ、バイト代入ったらガルちゃんとサンレイに可愛い服でも買ってやるからさ」
「服もいいけどガルは英二と遊びたいがお…… 」
「3日から休みだからいっぱい遊んでやるよ、大晦日と2日は小乃子と委員長に篠崎さんが遊びに来てくれるよ、深夜はバイト無いから大晦日の夜に秀輝も誘ってみんなで初詣に行こう、宗哉も来るからね」
「はつもうデー? 発毛……育毛促進するがう? 」
英二を見てガルルンが不思議そうに首を傾げる。
「がわわ~~ん、ガルはこれ以上毛だらけになりたくないがお」
大きく口を開けて驚くガルルンに英二が慌てて手を突き出す。
「違うから、毛は関係ないからな」
「発毛は関係ないがお? 」
「発毛じゃなくて初詣だ。初詣って言うのは年始に神社に行って無事に新年を向かえることが出来ました今年もよろしくお願いしますと神様に挨拶するんだ。それで小乃子や委員長に篠崎さんも誘って宗哉の車で大きな神社に行こうって話しだ。屋台が出るからみんなで遊ぼうって事だよ」
弱り顔で話す英二の前でガルルンの顔がぱ~っと明るくなっていく、
「いいんちゅと小乃子だけじゃなくて晴美も来るがお……やったぁ~~、みんなでゲームして遊ぶがう、妖怪テレビも見れるし今年の正月は豪華がお」
機嫌を直したガルルンを見て安堵する英二を母が見つめる。
「小乃子ちゃんと菜子さんともう1人が遊びに来るのね、プリンかシュークリームでも作ってあげるわね、それと、あんたと仁史のお年玉を小乃子ちゃんたちに回すからね」
「了解だ。お年玉はバイトの店長に貰うからいい、俺の分は小乃子たちに三千円ずつくらいやってくれ、バカ兄貴は帰って来ないだろうし……帰ってきてもやらんでいいからな、あいつ3月に帰ってきた時に俺の金盗って行きやがったからな、兄貴の分はガルちゃんとサンレイに上乗せしてあげてくれ」
「そういう事ならわかったわ、ガルちゃんも喜んでるし賑やかな正月になりそうね」
我が母ながらしっかりしてるなぁ……、パンを食べながら英二は思った。
もちろん口が裂けても言葉に出すような事はしない。
所変わってある山の中、朽ちて屋根の落ちた廃寺で引っ詰め髪をした着物姿の女が大きな声で誰かを呼んでいる。
「はつもの~、はつもの~、居ないの、はつもの~~ 」
2週間ほど前にサンレイたちと料理勝負をしたハマグリ女房だ。
「はつもの~~、ここに居るって聞いたのに……はつもの~~~ 」
境内にハマグリ女房の声が響き渡る。
朽ちた本堂の裏の藪がガサゴソと音を立てて何かが出てきた。
「誰だ? 俺様を呼ぶのは」
着物と言うには程遠いボロを纏った小僧だ。
姿は小僧だが嗄れた年寄りのような声をしている。
ハマグリ女房が笑顔で振り向く、
「やっと出てきてくれた。こんにちは」
そこらの男が見たら一目惚れするような美女の笑顔に小僧が素っ気ない返事を返す。
「なんだハマグリか……何用だ。俺様は初日の出をどの山で拝もうか検討中で忙しい、くだらぬ事ならお前でも許さんぞ」
近付いてくる小僧の様子が変だ。
山奥の廃寺に住んでいるボロを纏った小僧と言うだけでも充分におかしいが近くで見たその顔には大きな目が一つあるだけだ。
顔の真ん中に大きな目、その下に鼻は無く大きな口だけが付いている。いわゆる一つ目小僧というヤツだ。
同じ妖怪仲間なのでハマグリ女房が臆しもしないで話し掛ける。
「久し振りね、10年前の初日の出が上る海で会った以来だわ」
「くだらん昔話をしに来たのか? 」
小僧が大きな一つ目でギロッと睨むがハマグリ女房は笑みを崩さない。
「怖い怖い、女の子には優しくするものよ」
「何が女の子だ? お前のような売女に優しくなどして何の得がある」
「うふふふふっ、相変わらず初物だけしか認めないようね」
そこらの男なら一瞬で赤面するようなハマグリ女房の可愛い笑みにも小僧は動じない。
「当り前だ! 俺様は一つめしか認めん、世の中は何でも一つめだけが美しいのだ。初物だけが尊いのだ」
大きな目を見開いて力説する小僧を見てハマグリ女房が大声で笑い出す。
「あははははっ、そんなのだからいつまで経ってもDTなのよ」
「童貞で何が悪い! くだらぬ女で失うより俺様は童貞を貫くのだ。いつか必ず俺様に相応しい処女が現われる。その日まで大切に守り抜くのだ。だから俺様は初物しか認めん、一つめだけが尊いのだ」
クワッと目を血ばらせた小僧が両手を構えた。
ハマグリ女房がバッと後ろに跳んで距離をとる。
「慌てないで、貴男と戦うつもりはありません、その逆よ、良い話しを持ってきたの」
「良い話しだと? 」
怪訝な顔をした小僧が構えていた両手を降ろした。
「聞くだけ聞いてやろう、だがつまらぬ話しなら生きては帰さんと思え」
「うふふっ、大丈夫よ、きっと気に入るわ」
ハマグリ女房が近付いていく、何やら耳打ちされた小僧がバッと顔を上げる。
「なんだと……力が手に入るのか? その人間を喰らえば俺様は今より強くなるんだな」
「保証しますよ、大妖怪になれるチャンスです」
「大妖怪か……本当だろうな? 」
「山神が認めた人間ですよ、凄い霊力を持っています。それを喰らえば間違いなく数段レベルアップしますよ、霊力は凄いのに修業は碌にしていないので力は殆ど使えません、こんなチャンスは他にありませんよ」
ニヤッと口元を歪ませるハマグリ女房の向かいで小僧が声を出して笑い出す。
「ぐははははっ、その人間は俺様が貰った。俺様が喰ってやる」
「但し一つ問題があるの」
ニヤつくハマグリ女房を小僧が見据える。
「問題だと? 」
「その人間に味方する妖怪がいるのよ」
「妖怪のくせに人間の味方をするのか……そんな奴は俺様がぶっ殺してやる」
いきり立つ小僧を見てハマグリ女房が楽しそうに続ける。
「チビと山犬の2匹よ、貴男に倒せて? 」
「山犬だと……厄介だ。俺様でも倒せんぞ」
テンションが一気に下がった小僧にハマグリ女房が何やら耳打ちする。
「水胆? これを使えば俺様の力が何倍にもなるのか…… 」
「そうです。詳しくは話せないけど水系の大妖怪が作った薬です。それを使えば山犬でも倒せますよ、但し、薬の効き目は15分ほどしかありません、ですから戦って叶わないと思った時にだけ使ってくださいな」
小僧はハマグリ女房から貰った小さな丸薬を大切そうに懐に仕舞う、
「わかった。人間を喰らって大妖怪になればお前にも何かと目を掛けてやるぞハマグリ」
黄色い歯を見せて下品に笑う小僧の向かいでハマグリ女房がニッコリ笑って頭を下げる。
「楽しみにしていますわ、旨く行けば私の主を紹介しましょう、水系の大妖怪ですよ、貴男が力を手に入れて山系の大妖怪になれば手を組んで人間どもを支配しましょう」
「人間どもを支配するのか……ぐははははっ、それはいい、俺たち妖怪の怖さを人間どもに思い知らしめてやろう、ぐはははははっ」
「それでは私はこれで」
大笑いする小僧に再度頭を下げるとハマグリ女房は廃寺を出て行った。
山道を下るハマグリ女房が振り返って廃寺を見上げる。
「単純ね、あれじゃあ無理ね、でもいいわ、薬の効き目を確かめるのに丁度良いわ」
ニヤリと口元を歪ませて呟くとハマグリ女房は霧のように姿を消した。