第34話
翌日、3時間目の体育が終わってバレーボールのボールを片付けに晴美とクラスメイトの松本加世が体育倉庫へと入っていった。
「手伝ってくれてありがとうね篠崎さん」
「あっうん、私暇だから…… 」
自分から話し掛けるのが苦手な晴美が小声でこたえた。
「先生がボールを片付けろって言うのにみんなさっさと帰るんだから、結局バレー部の私が片付けなきゃならないじゃない、まったく」
愚痴を言いながらボールを片付けて体育倉庫を出る。
「篠崎さんおとなしいから無理矢理頼んだみたいで御免ね、篠崎さんが手伝ってくれたって先生に言っとくからね」
「無理矢理じゃないよ、松本さん困ってたから…… 」
「ありがと、体育で困ったことあったら言ってね、榊先生バレーの顧問だからさ、私結構仲いいんだ。じゃあ早く戻って着替えよう」
「うん」
晴美たちが歩き出したその時、体育倉庫から声が聞こえてきた。
「あっはぁ~~ん」
ビクッと体を震わせて晴美が止まる。
「何? 聞こえたよね? 」
松本が確認するように見ると晴美が青い顔で頷いた。
「あの声……ひょっとして、あれがステルスH? 」
「うん、理科準備室で聞いたのと同じだよ…… 」
震える声でこたえる晴美の隣で松本が顔を強張らせる。
「あんっ、ああん、あっはぁ~~ん」
また声が聞こえた。
確かに体育倉庫の中から聞こえてくる。
「誰もいなかったわよね、第一あんな狭いところじゃ隠れてたってわかるわよね」
マジ顔で確認を求める松本に晴美が引き攣った顔をして無言で頷いた。
「あっあっ、あああん、ああん、あっはぁあぁ~~ん」
まるで晴美たちがいるのを知っているかのように更に大きな声が聞こえる。
「まだ中にいるわね、換気用の小さな窓じゃ出られないしドアはここしかない、先生呼んでくるから篠崎さんは誰か出てこないかここで見張ってて」
「えっ私が…… 」
晴美が断る暇も無く松本が走って行った。
1人で待っていて怖くなった晴美が辺りをキョロキョロしているとララミとサーシャを連れて宗哉が歩いているのが見えた。
食堂前の自販機にジュースでも買いに行く様子だ。
体育倉庫のドアをチラッと見ると晴美が走り出す。
「佐伯くん、待って佐伯くん」
人に話し掛けるのが苦手な晴美が珍しく大きな声だ。
「御主人様」
ララミが気付いて走ってくる晴美に向かって手を伸ばす。
「ん? 篠崎さん」
「佐伯くん、一緒に来て……出たの、ステルスHの声が聞こえたの」
息を切らして話す晴美の前で宗哉が顔を曇らせる。
「本当かい? 何処に? 」
「体育倉庫の中から…… 」
続けようとする晴美に構わず宗哉が走り出す。
「御主人様」
ララミとサーシャも直ぐに続き、その後を晴美が追った。
宗哉に少し遅れて晴美が体育倉庫の前に立つ、
「この中にいるんだね? 」
「いるかどうかはわからないけど声は確かに聞こえたの、松本さんも聞いて今先生を呼びに行ってるよ」
わかったというように頷くと宗哉がララミに向き直る。
「中の音はどうだ? 何か聞こえないか」
「サーチします。少々お待ちください」
ララミが体育倉庫のドアの正面に立った。
サーシャもララミも要人警護ができるように作られた特殊なメイロイドだ。
各種センサーを装備していて聴覚は微細な音も聞き分けることができる。
「あん、あはぁん、あっはぁ~~ん」
ララミに聞くまでもない体育倉庫の中から確かに妖艶な嬌声が聞こえてきた。
「御主人様、分析の結果、人間の女性に近いですが少しずれています。人間の声を真似している九官鳥のような鳥類の音声と言ったほうがいいかもしれません」
「ありがとうララミ」
ララミに向かって優しく言うと宗哉が険しい顔をして晴美に振り返る。
「中は見たのかい? 」
「ううん、怖くて入れないよ、松本さんが先生呼びに行ってるし…… 」
「そうか……確かめてみるか」
ドアに手を掛けようとした宗哉を晴美が止める。
「先生が来るまで待ったほうがいいよ」
「その間に逃げられたら大変だ。今なら確実に中にいる。ララミの分析は確かだよ、だとしたら正体はインコかオウムか九官鳥だよ」
「でも…… 」
「見つからないわけさ、鳥なら何処にでも隠れられる。小窓や配管から入ることができるからね」
「鳥なんかいなかったよ、松本さんとボール片付けたんだよ、狭い体育倉庫なら誰かいたら直ぐにわかるって松本さんも言ってたよ」
「野生動物は人間と違って気配を消せるんだよ、小さい鳥だからじっと息を潜めていれば見つからなくて当然さ」
「でも…… 」
「大丈夫だよ、ララミやサーシャもいるからさ」
不安気な晴美にいつもの爽やかスマイルを見せると宗哉がドアをそっと開けた。
「ララミはドアの前で待機、サーシャは体育倉庫の後ろに回って窓や換気口から鳥が逃げないか見張っていろ、今から映像を記録しろ」
「了解しましたデス、動画記録を開始しますデス」
「御主人様、お気を付けて、何かあれば直ぐに参ります」
サーシャが体育倉庫の後ろに移動してララミがドアの横に立つ、
「何かあれば呼ぶ」
「待って佐伯くん」
宗哉の後を追って晴美も体育倉庫へと入っていった。
音を立てないように宗哉が体育倉庫の奥へと向かう、
「何もいないね」
声を潜めて訊く晴美に宗哉が無言で頷いた。
8畳間ほどの空間に跳び箱やマットレス、ハンドボールやバレーボールの入った大きな籠、白線を引く消石灰の入った袋などが置いてある。
跳び箱の間や籠の後ろなどを調べるが何もいない。
「おかしい? 」
薄暗い体育倉庫の中、首を傾げる宗哉を晴美が見つめる。
「どうしたの佐伯くん」
「いないのならそれでもいい、僕らが入る前に逃げたと考えればいい」
「そうだね、鳥なら直ぐに飛んで逃げられるもんね」
不思議そうな顔をする晴美に宗哉が頷いて続ける。
「いた形跡が無いんだ。鳥なら羽ばたく音が聞こえてもいい、埃や石灰がたまっている所に足跡があってもいいはずだ。それが一つも無い」
宗哉がドアに振り返る。
「ララミ、サーシャ、異常は無いか? 」
「はい御主人様、何も変化ありません、サーシャも何もないと言っています」
ララミとサーシャは無線で繋がっていて常時情報を共有している。
「僕たちの他に何か音はしなかったか? 鳥が逃げる音は無かったか? 」
宗哉が再度確認をとる。
「はい、先程声を確認してからセンサーを動作させたままですが何も異常ありません」
「そうか…… 」
考え込む宗哉の左に晴美が怯えた顔をして近付く、本当なら縋り付いて怖がりたいのだがおとなしくて控えめな晴美にはできない。
その時、右の壁に黒い影が映った。
「きゃあぁ~~ 」
晴美が叫んで宗哉の腕に抱き付いた。
「なん!? 」
何事かと見つめる宗哉に晴美が怯えながら右の壁を指差す。
「何かいた! 」
「何処に? 」
直ぐに宗哉が振り向くが何もいない。
「あはん、あっはぁ~~ん」
直ぐ後ろから大きな声が聞こえて驚いた晴美が宗哉の腕を握ったまま足を滑らせるように倒れていく、
「うわっ! 」
晴美に腕を引っ張られて宗哉も転がった。
そこへ松本が呼んできた垣田先生が入ってくる。
職員室の前で丁度出くわした垣田先生に話すと取る物も取り敢えず駆け付けたのだ。
「お前ら何をしている!! 」
怒鳴る垣田先生の目に抱き合う宗哉と晴美が映っていた。
腕を引っ張られて倒れた宗哉が晴美の上になって転がっていた。
悪いことに倒れ込んだ際に怯えた晴美が腕だけでなく足を使って宗哉をしっかりと抱き締めている。
どう見ても宗哉が晴美を押し倒したようにしか見えない状況だ。
「お前ら……学校でいかがわしいことを………… 」
声を震わせて怒る垣田先生を見て宗哉が晴美を引き離そうとするが怯えた晴美は宗哉を離さない。
「違うんです。先生……篠崎さん離してくれ」
「いや、怖い、何かいたのよ、怖いの」
離そうとする宗哉としがみつく晴美、もがいている間に晴美のジャージがずれてパンツが半分見えている。
「お前らが犯人だな!! 2人とも職員室へ来い!! 」
真っ赤に怒った垣田が大声で怒鳴りつけた。
「先生…… 」
やっと状況を把握したのか晴美が抱き付く手を緩める。
「違うんです誤解です」
晴美の手を解いて宗哉が立ち上がる。
「そうです先生、違うんです」
ずれたジャージを直して晴美も立ち上がった。
ドアの所にいた松本が後ろから声をかける。
「垣田先生違うんです。篠崎さんは犯人じゃありません、2人で聞いたんです。説明したでしょ……佐伯くんが何でここにいるのかは知りませんが篠崎さんは違うんです」
どうやって説明すればいいのか松本の顔が苦渋に歪んでいる。
宗哉が何故いるのか何で2人が抱き合っていたのか分からないので当然だ。
「話しは職員室で聞く、2人とも来なさい」
垣田先生は聞く耳も持たずに2人を職員室へと連れて行った。
松本が慌てて教室へと戻ってきた。
「大変!! 大変よサンレイちゃん」
息を切らせてサンレイの元へと駆け寄っていく、
「んだ? どしたんだ? 」
松本とはあまり親しくないサンレイが怪訝な顔だ。
「松本まだ着替えてなかったのか? もう休み終わるよ」
サンレイの後ろの席で小乃子が何をしてたんだという目で見つめる。
「慌ててどうしたの? 」
後ろの席から委員長もやってくる。
「実は…… 」
息を整えると松本が話を始めた。
話を聞くうちにサンレイの顔が強張っていく、英二たちもマジ顔だ。
「なん!? 晴美ちゃんが…… 」
絶句するサンレイの隣でガルルンがニヤッと笑いながら鼻を鳴らす。
「がふふん、宗哉結構やるがお、甘いマスクで誘われたら一コロがう」
「宗哉はそんな事しないからねガルちゃん」
困り顔で言う英二の前でサンレイがバッと顔を上げた。
「垣田のバカめぇーーっ、おらが行ってぶちのめしてやる」
「わあぁ~、ダメだよサンレイ」
今にも駆け出しそうなサンレイを英二が後ろから抱いて止める。
「離せ英二、晴美ちゃん助けるんだぞ、宗哉も……2人が変な事するわけないぞ、偉そばりやがって前から気に入らなかったんだ垣田のバカは、徹底的にやってやんぞ」
「ダメだから……落ち着けって、誤解なんだから直ぐに戻ってくるから」
「離せよ英二、離さないならこのまま電光石火で…… 」
英二の腕の中でもがくサンレイの頭を委員長がポンッと叩いた。
「落ち着きなさい、職員室に乗り込んで暴れるつもり? それこそ晴美や宗哉くんに迷惑が掛かるわよ」
「そうだぜサンレイちゃん、松本って証人もいるんだから直ぐに誤解は解けるって」
「誤解が解けなかったらその時は垣田のヤツを徹底的にボコっていいぞ、あたしも英二も誰もサンレイを止めないよ、だから今は落ち着けって」
委員長の両脇で秀輝と小乃子が言い聞かせる。
暴れていたサンレイがピタッと止まった。
「わかったぞ、でも晴美ちゃん泣かせたりしたら垣田に呪いかけてやるからな」
呪いは止めろ……、また暴れられると厄介だと英二は言葉を飲み込んだ。
委員長が松本に向き直る。
「更衣室、次のクラスが使ってるから着替えは持ってきたほうがいいわね、晴美の服も取りに行きたいから一緒に行きましょう」
「うん助かるよ、委員長と一緒なら先生にも怒られないしね」
「サンレイちゃん、先生には遅れるって言っといてくれる」
「任せろ、次は恭子ちゃんの授業だからな、晴美ちゃんのことも話して誤解を解くぞ」
チャイムが鳴って4時間目の授業が始まる。
少し遅れて委員長と松本が教室に入ってくる。
小岩井先生の現国は自習になっていた。
「恭子ちゃんが自習しろって言って慌てて戻っていったぞ」
タタッと走り寄ったサンレイが珍しく弱り顔で話してくれた。
「宗哉くんたちの事ね……小岩井先生担任だからね」
委員長は直ぐに理解した様子だ。
「どしたらいいんだ? 恭子ちゃんに話そうとしたら忙しいから後でって言われたぞ、秀輝も英二も頼りにならないぞ、職員室に行ったらダメって怒るだけだぞ」
サンレイが委員長の腕に縋り付く、学校の揉め事で頼りになるのは委員長だけだという認識だ。
「大丈夫よ、宗哉くんは頭が良いからちゃんと説明してるわよ」
「そうかな……大丈夫かなぁ~、おらが行かなくても大丈夫かなぁ~~ 」
「心配無いわよ、自習でしょ、一緒に絵でも描こうかサンレイちゃん」
サンレイの不安を取ろうと委員長が優しく言った。
「がふふん」
鼻を鳴らしながらガルルンが机の上に立つ、何事かと全員が注目した。
「これで全員揃ったがう、犯人は誰がお? 早く自首するがお、今なら大目に見てやるがお、恭子先生を困らせるんじゃないがう」
英二がハッとした顔でガルルンを見上げる。
「ガルちゃんもしかして勘違いしてるのか? 自首じゃなくて自習だからね」
「じしゅう? 自首じゃないがお? じしゅうって何がお? 」
子犬のように首を傾げるガルルンを見て全員が何とも言えない表情になる。
「自習っていうのは自分たちで勉強しなさいってことよ、用事で先生が授業できない時に生徒たちだけでおとなしく勉強していなさいって事よ」
委員長が『おとなしく』という言葉を強調して教えてくれた。
「じゃあ犯人はこの中にいないがお? 」
「いるわけないぞ、ほんとにバカ犬だぞ」
サンレイは席に戻ると委員長と一緒に落書きを始める。
「そうがう……じゃあガルも絵を描くがお、今日の弁当はシューマイがお」
机から飛び降りるとガルルンもノートを広げて絵を描き始めた。
2人を見て英二がほっと息をつく、委員長が戻ってくるまでサンレイとガルルンが職員室へ行って垣田先生をボコボコにすると息巻いて宥めるのに苦労していた。
普段からかう小乃子も手を出さないほどに大変だったのだ。
こってり絞られたのか2人が暗い顔をして戻ってきたのは昼休みに入ってからだ。
「晴美ちゃん大丈夫か? 垣田に殴られたりしてないか? 」
弁当を食べるのも忘れてサンレイが駆け寄った。
「うん大丈夫だよ、ありがとうサンレイちゃん」
晴美が疲れた顔に笑みを浮かべる。
「晴美ちゃんが変な事するわけないぞ、調べる前から分かるぞ、それなのに垣田のヤツ、おら絶対に許さないぞ」
怒るサンレイの隣りに松本がやって来た。
怒り猛るサンレイに臆しながら松本が話し出す。
「ごめんね篠崎さん、でも私はちゃんと説明したよ、でも垣田先生が……垣田じゃなくて小岩井先生か園田先生に話せばよかった……ごめんね、私も混乱してたから…… 」
すまなさそうな顔をして松本が頭を下げた。
園田先生は体育の先生だ。松本が入っているバレー部の顧問でもある。
「ううん、松本さんの所為じゃないよ」
「そうだね、垣田先生が悪いよ、僕たちの話を初めから聞いてくれないんだからね、一方的に犯人扱いさ、あれでよく教師が務まるよ」
松本に気を使う晴美の近くで宗哉が顔を顰めて垣田先生を非難した。
「松本は悪くないぞ、先生に知らせに行ったんだからな、悪いのは全部垣田だぞ、あいつが一番悪いんだぞ」
サンレイに許して貰って松本はほっと安心顔だ。
「ちょっ、サンレイそれくらいで…… 」
一番悪いのは校内でいかがわしいことをするステルスHの犯人だと思ったが話しの流れで自分に害が及ぶのを恐れて英二は黙っていることにした。
マジ顔で怒るサンレイを見て小乃子がニヤッと企み顔だ。
「そうだよな、宗哉はともかく人見知りする晴美がそんな大胆なことできるはずがないよな、ほんと嫌なヤツだぜ垣田は」
『そうだ。そうだ。垣田のヤツやっつけちまえ、サンレイちゃんあいつボコってやってよ、嫌なヤツだよな垣田って、俺もこの前怒られたぜ、わざとじゃなくても物凄く怒るよなあのバカ、あいつ居なかったら天国なのにな』
小乃子が言うと周りの生徒たちからも野次が飛ぶ、
「みんな静かに、小乃子も煽らないの」
委員長が叱ると野次が収まり教室が静かになる。
「垣田は敵がお、晴美は友達がう、何かあったらガルも許さないがお、垣田が何かやったらガルとサンレイがお仕置きしてやるからみんな安心するがお」
口の中のおかずを飲み込むとガルルンが座りながら大声で言った。
「ガルちゃんもサンレイちゃんも分かったから、次に垣田先生が何かしたら私も止めないから、その代わり仕返しをする時は私に相談してからにして、約束よ」
仕方が無いというように委員長が言った。
こうでも言わないとこの場が収まらないと思ったのだろう。
「わかったぞ、委員長の命令は絶対だからな」
不服を浮かべながらもサンレイが同意した。
「いいんちゅの許可が出たがう、これで晴美も安心がお」
ガルルンがニコッと屈託の無い笑みを向ける。
「ありがとうガルちゃん、サンレイちゃんもね」
小さな声で言うと晴美がペコッと頭を下げた。
耳のいいガルルンには小さな声でも聞こえる。
「早く弁当食べるがお、サンレイ、宗哉に弁当貰ってくるがお」
ニコッと笑いながらガルルンが大声で呼んだ。
「そだな、晴美ちゃん早く食べるぞ」
晴美の手を取ってサンレイが宗哉に振り向く、
「宗哉も大変だったな、垣田のヤツ後でとっちめてやるから今日の所は我慢しろ」
「うん、ありがとう、弁当はサーシャに持っていかせるよ」
疲れ顔で笑う宗哉にサンレイがニコッと笑顔で返す。
「悪いな、頼んだぞサーシャ」
「直ぐにお持ちしますサンレイ様」
晴美と一緒に席に戻っていくサンレイにサーシャがペコッと頭を下げた。
「どうにか収まったか…… 」
英二が溜息をついた。
先生をとっちめるなんて普段なら叱るところだが何も言わない、完全な冤罪だ。
宗哉と晴美の疲れた顔を見れば垣田先生にどれだけ叱られたのかが分かる。
生徒たちのために怒るのではなく癇癪を起こしたような理不尽な怒り方をする垣田は生徒たちからもっとも嫌われている先生だ。
いつものようにわいわい談笑しながら昼食を食べる。
サンレイもガルルンも晴美も普段通りに笑っていた。
弁当を食べ終わった英二と秀輝が宗哉を囲む、
「大丈夫か宗哉」
「何を言われたんだ? 」
秀輝は心配半分興味半分といった顔だ。
「ララミが記録を撮っていたからどうにか疑いは晴れたけど……疲れたよ」
流石の宗哉もいつもの笑みは無い。
「私の記録映像を見せていたので時間が掛かりました。生徒を信用しないクソ教師です」
「疑いは晴れたデスけど御主人様に対する無礼は許されませんデス」
相変わらず口の悪いララミの隣でサーシャも不服を顔に浮かべている。
「ララミとサーシャも大変だったね」
「はい、ですが御主人様の役に立てて嬉しいです」
気遣う英二にララミがニコッと笑みを見せた。
「それでステルスHの犯人は見たのか? 」
「うん、声は記録できてるけど映像には映ってない」
残念だというように宗哉が首を振った。
「晴美ちゃんが見たっていう黒い影を宗哉も見たんだろ、詳しく話すんだぞ」
いつの間に来たのかサンレイが右隣のサーシャの机の上に座っていた。
宗哉を挟んで左のララミの机にガルルンがポンッと座る。
「見間違いじゃなかったら人間じゃないがお、ガルとサンレイの出番がう」
「黒い影? 人間じゃないって…… 」
顔を顰める英二の背を小乃子がドンッと叩く、
「晴美に聞いたんだ。体育倉庫の壁に黒い影が映ってアッハァ~ンて声がしたってな」
「マジかよ」
小乃子の隣りに立つ晴美を見て秀輝が険しい顔で訊いた。
「うん、はっきり見たよ、黒い影が、目と口みたいなのが付いた黒い影が壁に映ってたの、それで怖くなって佐伯くんに抱き付いたら声が聞こえて、吃驚して転んだの、佐伯くんも一緒に倒れて……そこに先生が来て………… 」
小さいがしっかりした声で晴美が話してくれた。
「僕も見たよ」
同意するように頷くと宗哉が続ける。
「倒れながら声のする方を見たら壁から黒い影みたいなのが出てた。平面な影じゃない黒い靄みたいなものが壁からぬっと出てたんだ。その黒いものが『あはん』と言ったんだ」
「マジかよ、見間違いじゃないのか? 」
秀輝が驚きと疑いが混じったような複雑な顔をして確認するように訊いた。
「人間じゃないって、妖怪とか悪霊か? でもサンレイは何も感じないんだろ? ガルちゃんだって感じないし匂わないって言ってたよね」
英二も今一信用していないような口振りだ。
疑うのも無理はない、ふんばり入道のように弱くて妖力の小さな妖怪でさえも感じることのできるサンレイが何も感じないのだ。
「本当だよ、僕が英二くんに嘘をつくはずがないだろ」
「宗哉と晴美ちゃんを疑ったりしないぞ、妖怪の中には完全に妖力を消せるヤツもいるんだぞ、強い妖怪ならともかく弱くて妖力の小さい妖怪が気配を消したら妖力も小さくなっておらでも見つけるのは難しいぞ、ふんばり入道の時もトイレ1つずつ探しただろ、妖力のデカい妖怪ならそんな事しなくても一発で探せるぞ」
「サンレイの言う通りがお、妖力だけじゃなくて姿や匂いを消すのもお手のものがう、特に弱いヤツは隠れるのが旨いがお、妖怪を襲う妖怪もいるがお、今回のが妖怪の仕業なら物凄く用心深いヤツがお、ガルの鼻でも分からないほど隠れるのが旨いヤツがお」
サンレイとガルルンが庇うように話してくれて宗哉が安心顔で続ける。
「僕も絶対だと確信を持っているわけじゃない、恐怖が産んだ錯覚かも知れない、でも人間じゃない何かだとすれば全ての辻褄が合う、僕だってあの影を見るまでは妖怪や悪霊じゃなくて九官鳥みたいな人まねができる鳥だと思っていたんだ」
「なるほどな、鳥だったら見つからずに逃げることができるからな、流石宗哉だぜ」
「鳥にすれば説明は付くか……でもそれなら黒い影が気になるよね、倒れてから影はどうなったんだ? 」
感心する秀輝の隣で英二が話しの続きを促した。
「倒れて視線が逸れて見えなくなったけど、倒れた後に直ぐに確認するように壁を見たらもう何もいなかった。立ち上がるより先に確認したかったんだ。それで篠崎さんと抱き合ったままの所を垣田先生に見られて後は話さないでも分かるよね」
参ったというように宗哉が大きく息をつく、
「災難だったな垣田には後でお仕置きしといてやるぞ」
サンレイがポンポンと宗哉の背を叩いた。
普段なら止める英二も一方的に疑われた2人を気の毒に思って何も言わない。
「それでステルスHの方はどうするの? 」
小乃子の隣で成り行きを伺っていた委員長が訊いた。
「何か手掛かりがないか今まで出たところを探してみるぞ」
その日の放課後に『あはん』と声が聞こえた場所のうち調べられる範囲は全て探してみたが手掛かりは何もなかった。