第30話 「トイレの怪」
翌日、学校で騒ぎが起きた。
西校舎だけでなく本校舎のトレイも故障したのだ。
壊れたのは全て大便器で男子用の小便器は無事である。
女子トイレは使用できなくなった。運動場と体育館と学校食堂のトイレは無事である。
業者に修理を頼むが急なこともあり3日ほどかかるとのことで学校側は緊急処置として男子トイレも個室となっている体育館と運動場のトイレを全て女子用とした。
男子は小便器は使用できるのであまり問題ないだろうとの判断だ。
特別に授業中でも自由にトイレに行けるようになって一先ず騒ぎは収まった。
自由に行けるといっても男子はともかく女子は恥ずかしいのか授業中に行くものはあまりいない、厳しい先生の静まり返った授業などではおとなしい女子は行くに行けない。
サンレイの前に座る篠崎晴美も自分からは人に話し掛けないおとなしい女子だ。
「ん!? 」
ノートに落書きしていたサンレイが手を止めた。
前に座る晴美がもじもじと太股を上下させている。
「晴美ちゃんどうしたんだ? 」
サンレイが晴美の背を色鉛筆で突っついた。
「なんでも…… 」
晴美は振り返りもせずにその場で首を振る。
垣田先生がじろっと睨んでいる。今は数学の授業中だ。
数学の垣田先生は小声で話していても怒鳴りつける怖い先生だ。
他の先生が怒らないサンレイの落書きも怒鳴りつけて怒ったことがあるが翌日の授業では何も言わなくなるどころかサンレイを恐れているのが目を見てわかった。
サンレイが何かしたのだと思うが英二は怖くて聞いていない。
「 ……そっか」
暫く考えていたサンレイが手を上げる。
「先生トイレ行くぞ、そんで1人じゃ怖いので晴美ちゃんにもついて来てもらうぞ」
サンレイは立ち上がると晴美の腕を引っ張った。
「晴美ちゃんトイレ行くぞ」
「サンレイちゃん…… 」
それまで少し青かった晴美の顔にパッと赤みが戻る。
サンレイが教室を見回す。
「そだぞ、ついでにトイレ行きたい女子は一緒に行くぞ、みんなでトイレ休憩だぞ、いいよな垣田、ダメとか言ったら…… 」
じろっと睨むサンレイを見て垣田先生が慌てて口を開く、
「もっもちろんだ。緊急処置として授業中も自由に行っていいことになっている。先生が止める権利などないよ、好きなだけ行ってきなさい」
声が震えていた。垣田と呼び捨てにされても怒らない、むしろ怯えている。
先生に何をしたんだろう……、隣で英二が弱り切った顔だ。
「がふふん、じゃあガルも行くがお、運動場のトイレは温水洗浄便座付いてるがお」
鼻を鳴らしてガルルンが立ち上がる。
「あたしも行こうかな、休み時間に並ぶの嫌だしな」
後ろで小乃子も立ち上がる。
それを合図のように何人かの女子も立ち上がった。
晴美と手を繋いだサンレイとガルルンと手を繋いだ小乃子、その後に続いて8人ほどの女子が教室を出て行った。
手を繋いで並んで廊下を歩く晴美がサンレイの手をギュッと握った。
「サンレイちゃんありがとう、私がトイレ我慢してるの知って言ってくれたんでしょ」
か細い声で礼を言う晴美をサンレイが見上げる。
「何がだ? おらトイレ行きたかったけど怖いから晴美に着いてきて貰っただけだぞ」
「ありがとう」
ニパッと笑うサンレイにもう一度礼を言うと晴美が嬉しそうに微笑んだ。
後ろを歩くガルルンが手を繋ぐ小乃子を見上げる。
「垣田先生変な顔してたがお」
「あははははっ、垣田のヤツ、苦虫を噛み潰した顔してたな」
「苦虫? ムカデでも食ったがお? 」
楽しそうに笑う小乃子を見てガルルンが首を傾げる。
「苦虫を噛み潰す顔ってのは悔しいけど何もできない時とかに使う言い方だ。垣田はサンレイに文句を言いたいが出来なかったんだよ、何をしたんだサンレイ? 」
「あいつ、おらが落書きしたの怒っただろ、別に授業の邪魔してないのに、だから少し脅して寝込ませてやったんだぞ」
ニヤつく小乃子にサンレイが前を向いたままこたえた。
「ああ……サンレイが転入して2週間後くらいに垣田のヤツ3日ほど学校休んだっけ、あれサンレイの仕業だったのか」
「にへへへへっ、そだぞ、おら祟るのは得意だからな」
「あははははっ、そりゃいいや」
「サンレイに喧嘩売るなんて垣田先生度胸あるがお」
声を出して笑う小乃子の隣でガルルンが感心顔だ。
後ろで聞いていた女子たちも楽しそうに笑っている。
運動場にあるトイレに行くと晴美を先頭にサンレイたちが並ぶ、自由に行っていいことになっているため授業中でも数人が並んでいたが休み時間よりは遙かに少なくサンレイたちも直ぐにトイレを済ませることができた。
個室から出てこないガルルンをサンレイが引っ張り出す。
「ああぁ~~、あと1時間がう~~、温水洗浄便座がぁ~~ 」
「どんだけトイレ入るつもりだ!! 」
普段は調子に乗る小乃子も思わず本気で怒鳴りつける。
「洗いすぎてケツの毛全部抜けるぞ」
呆れ返ってサンレイは怒りもしない。
「温水洗浄便座で遊ぶんなら家で遊べ、みんな並んでんだから学校では暫く温水洗浄便座禁止だぞ」
左右からガルルンの腕を引っ張ってサンレイと小乃子が歩き出す。
教室へ戻ろうと運動場を横切るサンレイが立ち止まった。
「どうした怖い顔して? 」
険しい顔をして西校舎を見上げるサンレイに釣られるように小乃子も振り向く、
「西校舎がどうかしたのか? 今理科室使ってるな」
「妖気を感じんぞ」
小乃子が校舎から視線をサンレイに向けるとマジ顔をしていた。
「妖気って? 妖怪とか悪霊がいるって事か? 」
「妖気が小さすぎて何が居るかまでわかんないぞ」
「ガルも感じるがお、そんなに強くないけど何かいるがお」
「マジかよ…… 」
ガルルンの体毛が逆立っているのを見て小乃子もマジ顔で西校舎を見つめた。
「再来週はあたしら調理実習あるんだぜ、変な事起きなきゃいいけど…… 」
調理実習と聞いてサンレイがピクッと反応する。
「料理作るんか? 何作るんだ? 」
マジ顔から一転、幼女のような期待顔だ。
「蒸しパンとあんまんだってさ、浅子先生が只みたいな値段で小豆いっぱい手に入れたんだってさ、それであたしら砂糖と小麦粉を用意するだけでいいからって決まったんだ。簡単だし失敗はないから好きな男子にあげるって張り切ってる女子も多いよ」
「アイスだとよかったのに……あんまんより肉まんがいいぞ」
「冬にアイスはいらん、あんまんなら冷めても食べられるから男子にあげるにはピッタリだ。自分たちで食べる分以外にいっぱい作っていいって浅子先生も言ってたからな」
小乃子の腕をガルルンが引っ張る。
「虫パンがお? ガルはカブト虫を入れるがお」
満面の笑みで言うガルルンを見て小乃子が頬を引き攣らす。
「そっちの虫じゃないからな、蒸し器で蒸して作るパンだ。虫の入ったパンなんて大騒ぎになるわ」
「蒸し器で作るがお? カブト虫は入れたらダメがう? 」
子犬のように首を傾げるガルルンの頭をサンレイがポカッと叩いた。
「ダメに決まってんぞ、折角ふわふわで柔らかいのがカブトで固くなるだろ、入れるなら柔らかい幼虫にしとけ」
サンレイの頭を小乃子が叩く、
「幼虫でもダメだからな、虫なんて入れたら調理実習中止になるぞ」
「にへへへへっ、冗談だぞ、調理実習中止になったら嫌だからな」
頭を摩りながらサンレイがガルルンに振り向く、
「蒸しパンっていうのは蒸して作るパンだぞ、この前の土曜日にお母様がデカい鍋にカップ並べてプリン作ってくれただろ、あれを蒸すっていうんだぞ、同じようにして作るパンのことを蒸しパンっていうんだぞ」
「母ちゃんがプリン作るのガルも手伝ったがお、あれを蒸すっていうがう、蒸しパンのことわかったがお、あんまんはどうするがう? 」
「あんまんも同じように蒸し器で作るんだ。だから今度の実習で一緒に作るんだよ」
小乃子が教えるとガルルンが楽しそうに鼻を鳴らす。
「がふふ~~ん、あんまん美味しいがお、来月が楽しみがう、美味しいあんまん作って英二にあげるがお」
「だから変な事起きないように頼んだよサンレイ」
不安顔の小乃子を見てサンレイとガルルンがニヤッと悪い笑みを見せた。
「任せろ、おらがいる限り調理実習の邪魔は誰にもさせないぞ」
「がふふん、ガルもいるから安心するがお、できる女のガルに任せるがお」
「んじゃ戻るぞ、あんまり遊んでると垣田も怒るぞ」
サンレイが歩き出す。
「ハチマルが居ないんだぞ、おらがしっかりしないと…… 」
マジ顔のサンレイがぽつりと呟いた。
後ろを歩くガルルンと小乃子には聞こえない。
ガラガララーッ、教室のドアをサンレイがわざと大きな音を立てて開ける。
「垣田、今戻ったぞ、他のクラスも並んでて時間掛かったぞ」
「わかった。早く席に着きなさい」
元気よく教室に戻ってきたサンレイに垣田先生が目も合わさずに言った。
また呼び捨てだ。どんだけビビってんだ……、英二が垣田先生と歩いてくるサンレイを見比べる。
「んだ? お土産なんか無いぞ」
目が合うとサンレイがニヤッと厭な笑みをした。
「誰がトイレいったヤツに土産を期待するんだ」
「にひひひひっ、英二はヘンタイだからな、やらしい土産を期待してんだぞ」
「してないから、さっさと座れ」
チラッと垣田先生を見ると物凄い顔で睨んでいたので英二はそれ以上文句を言うのを止めた。
もちろん睨み付けているのは英二だけだ。
「怒るなよ、冗談だぞ」
座る前にサンレイが晴美の背中をツンツン突っついた。
「晴美、また一緒に行こうな」
「うん、サンレイちゃん」
嬉しそうに笑いながら晴美が席に着いた。
授業が再開される。
呑気な鼻歌が聞こえてきて英二がガルルンを見るとノートにトイレの絵を描いていた。
普段なら視線を感じて直ぐに振り向くのに一心不乱に描いていて反応が無い。
どんだけトイレ好きなんだ……、溜息をつくと授業に集中するように先生の話しに耳を傾ける。
英二は以前以上に集中して授業を受けるようになっていた。
家ではサンレイとガルルンの相手で宿題をする時間くらいしか取れない、バイトを始めたこともあり自主的にする勉強時間が短くなった。
基本的には頭が良い方なので授業を真剣に聞いていれば家で勉強しなくてもクラス平均くらいは取れる。
サンレイとガルルンも騒いだりして授業を妨害することはないので安心である。
夢中で落書きをしていたガルルンがクレヨンを持つ手を止めた。
「サンレイどうするがお? 調理実習が中止になったら嫌がう」
英二を挟んで右席にいるサンレイが机の上に乗り出すようにして振り向く、
「そうだな、実習まで2週間だぞ、早めに片したほうがいいぞ」
「今日は木曜日がう、英二のバイトない日がお」
「んじゃ、今日見回ってみるか」
間に挟まれた英二には聞く気が無くても聞こえてくる。
「俺のバイトって……何かするのか? 」
怖い垣田先生の授業中にも構わず思わず訊いていた。
「なんでもないぞ」
サンレイが目を細めて口を横に広げてニタリと笑う、時々見せる本当に悪いことを考えている顔だ。
何を企んでるんだ……、怖くなった英二がガルルンに振り向いた。
「ガルちゃん、サンレイと何かするのか? 俺は関係ないよね」
「がふふふふっ、蒸しパンにはカブト虫は入れちゃダメがう、だからあんまんにガルの愛を入れて英二にあげるがお、その為に戦うがお」
ガルルンも悪戯する時の悪い顔だ。
「意味がわからないから、戦うって何のことだよ、なにを…… 」
バンッ! 垣田先生が黒板を叩いた。
怖い目で睨む垣田先生を見て英二がペコッと頭を下げる。
サンレイがいるので怒られることはないが本来なら怒鳴られている。
英二はそれ以上聞けずにもやもやしたまま授業を受けた。
授業が終わり帰ろうとした英二の腕をサンレイが引っ張る。
「ちょっと付き合え、小乃子と委員長にはバイトあるって言って先に帰って貰うんだぞ」
「なっ、なんで? 」
反対側からガルルンが腕に抱き付く、
「学校に何かいるがお、調べに行くがう」
鞄を肩に担いだ秀輝がやってくる。
「何かって悪霊とか妖怪がいるって事か? 」
「そだぞ、だからバイトあるって言って小乃子たち先に帰らせろ」
授業中話してたのはこの事か……、自分に何か悪戯を仕掛けてくるとばかり思っていた英二がほっと安心して気軽に返事を返す。
「うんわかった」
「心配すんな、そんな強いやつじゃないぞ」
「妖気小さいがう、雑魚妖怪がお、悪さしてたらガルが直ぐに片付けてやるがお」
「あははははっ、ガルちゃんがいれば安心だよ」
誤魔化すように英二が笑った。
そっちの心配は一切していない、余程強い相手でなければ2人が負けることはないだろう。
英二と秀輝がバイトをしている学校から少し離れた駅近くのコンビニで小乃子と委員長と別れる。
今日のバイトが休むので代わりに入ったと言って2人を先に帰らせた。
宗哉は用事がある時以外は迎えの車に乗ってさっさと帰ってしまう、英会話の勉強や佐伯重工の跡継ぎとしての仕事など英二たちより遙かに忙しいのだ。
秀輝に奢って貰ったアイスを食べながらサンレイが歩き出す。
「んじゃ行くか、今日は下見みたいなもんだから気軽に行くぞ」
「がふふん、ちっこい妖気は感じるがお、匂いはしないがう、何処かに隠れてるがう、臆病者の小妖怪がお、ガルたちの相手にもならないがう」
英二に買って貰ったチーカマを食べながらガルルンが鼻を鳴らした。
「小乃子たち後で怒らなきゃいいけど…… 」
「そうだぜ、豆腐小僧の時も連れて行かなかったからな」
2人の後に続く英二と秀輝が顔を見合わせる。
サンレイが振り返る。
「相手が分からないからな、小乃子と委員長いたら邪魔だぞ、それにおらの勘が当たれば力は無いけどヤバい妖怪かも知れないぞ」
「ヤバい妖怪って? 」
英二と秀輝の前でサンレイが嫌そうに顔を顰める。
「トイレ全部壊れてただろ、初めは学校のトイレ全部温水洗浄便座にしたくてガルルンが壊したと思ったけど、よく考えたらバカ犬に水が流れなくなるような高度な壊し方できるはずがないぞ、ガルルンなら便器叩き割るぞ」
咥えていたチーカマをガルルンが慌てて飲み込んだ。
「 ……壊したらトイレ新しくなるがお? 便器壊して全部温水洗浄便座になるがう? 体育館や運動場みたいに新しくなるがお? 」
「ならないから壊すなよ、運動場と体育館のトイレは体育祭や何かの集会とかで学生以外も使うことが多いから新しくしたんだからな」
秀輝がこたえた。
英二は弱り切った顔でガルルンを見つめるだけだ。
「分かったぜ、トイレ壊したのが妖怪ってことだな……でも何でトイレ壊すんだ? 」
「水回りだから水に関係ある妖怪とか、河童とかカワウソとかさ」
秀輝と英二がサンレイに向き直る。
「河童なら下っ端でももっと妖気大きいぞ」
モナカアイスを食べながら話すサンレイの隣でガルルンが最後の1本のチーカマを剥いて咥える。
「ガルは会った事あるから河童やカワウソなら匂いで直ぐに分かるがう、一度覚えた匂いは絶対に忘れないがお」
「相手が分かってるならそれなりの用意してるぞ、今いるヤツは用意しなくてもいいくらいの相手だぞ、んだから気軽にしてればいいぞ」
サンレイがアイスを食べ終わってパンパンと手を叩いた。