第123話 「オタ地獄」
昼休みが終わり5時間目の授業が始まる。
今日は担任である小岩井恭子先生の現国だ。
濡嶺の事は授業が始まる前に簡単に聞いていた。
サンレイとガルルンの様子から大した相手では無いと判断したのか英二も普段と変わらない。
「今日はサイを描くがお」
「点数付けてくれるもんね小岩井先生」
後ろからガルルンと晴美の声が聞こえてきた。
「恭子ちゃん先生に100点貰うがお、テレビでサイの親子やってたがお、ライオン追っ払って格好良かったがう、子供は可愛かったがお」
授業中だが晴美も思わず振り返る。
「昨日のテレビだね、私も見たよ、子供を守って戦うサイは凄かったね、大勢で掛かるライオンも倒しちゃうんだから凄いよね」
動物番組好きのガルルンと話を合わせるために晴美も見るようになっていた。
後ろで話す2人の会話を聞きながら英二がちらっと左席のサンレイを見る。
「じゃあ、おらはマンボウ描くぞマンボウ、黒い紐みたいな寄生虫が皮膚にびっしり付いてて格好良いマンボウを描くぞ」
机の上に落書き帳を広げるサンレイの手を英二が掴む、
「止めろ、格好良くないからな、キモいからな、寄生虫の絵を小岩井先生に採点させるな、ガルちゃんみたいに可愛い絵を描け」
「格好良いぞ、マンボウには40種類くらい寄生虫が付くんだぞ、おなかの中も皮膚も寄生虫だらけだぞ、マンボウは寄生虫パラダイスだぞ、寄生虫のコンビニみたいなものだぞ、そんでおらが今から描く黒い紐みたいなヤツはペンネラって言って体の一部をマンボウの皮膚に刺してぶら下がって寄生するんだぞ、でも養って貰うだけで親のすね齧って小遣いくれと暴れるバカ息子ニートよりよっぽど良心的だぞ」
ドヤ顔のサンレイに英二が弱り顔を向ける。
「なんでそんなに寄生虫が好きになったんだ……説明はいいから他の絵にしろ、寄生虫なんてキモいの描かなくていいからな」
サンレイがムッと口を尖らせる。
「だってだって、ガルルンに負けてられないからな、得意な絵を描いて恭子ちゃんに100点貰うんだぞ」
ガルルンが絵が旨いのはサンレイも認めている。だからこそ対抗意識を燃やすのだ。
「寄生虫が得意な女の子なんて厭だからな、普通の可愛い絵を描け、サンレイもガルちゃんと一緒にテレビ見てただろ、ライオンとかキリンとか描けるだろ、それと先生をちゃん付けするな、せめて恭子先生って呼べ」
どうにか宥める英二の左でムスッとしながらもサンレイが頷いた。
「わかったぞ、じゃあハイエナ描くぞハイエナ、昨日テレビでやってたぞ」
「ハイエナって……まあいいか」
もっと可愛いのを描けと言いかけて英二は止めた。サンレイが拗ねると厄介だ。
ニタッと悪い笑みをしてサンレイが続ける。
「んじゃ、ハイエナに決まりだぞ、ハイエナが鹿みたいなヤツを襲って食べてるとこ描くぞ、日本のテレビじゃ放送できないカメラの外で倒れた鹿もハイエナの口も真っ赤になってるの描くぞ、赤のクレヨン足りるかなぁ~ 」
「止めなさい! サンレイはマジでゲスいよね」
英二が叱った瞬間、教室がぐらっと揺れた。
「なっ……地震か? 」
「違うぞ! 」
サンレイがバチッと消えると英二の右横、小乃子の机の上に現われた。
「おわっ、なんだ? サンレイかよ」
広げたノートの上に座るサンレイを見て小乃子が慌てて椅子毎後ろに下がる。
「小乃子、英二、そこから動くな、おらの後ろにいれば安全だぞ」
「地震じゃなくて敵って事か」
サンレイの声のトーンがマジに変わったのを聞いて英二の顔が強張っていく、
「晴美と宗哉はガルが守るがお」
ガルルンが宗哉と晴美の間に立つ、
「仕掛けてきおったか…… 」
秀輝と委員長の前にハチマルがさっと現われた。
宗哉が振り返る。
「仕掛けてきたって濡れ男か? 」
「うむ、妖気を消しておるが間違いあるまい」
「間違いないがお、汗かきの匂いがお」
鼻をヒクヒクさせるガルルンの手を晴美が握る。
「この揺れが濡れ男の所為なの」
ガルルンが分からないというようにハチマルを見る。
「うむ、彼奴がこれ程の術を使えるなど思ってもおらなんだ。じゃがHQから何か貰ろうておるなら話は別じゃ」
「妖気が教室を覆ってるぞ」
まだ揺れは続いていた。変な揺れである。
地震の揺れは上下や横揺れだが今教室を襲っている揺れは円を描くように左右前後に揺れていた。まるで遊園地のコーヒーカップに乗っているような揺れである。
「授業中に仕掛けてきやがって…… 」
英二の顔に怒りが浮ぶ、事情を知っている小乃子たちを巻き込むのも厭なのに無関係のクラスメイトや優しい小岩井先生が巻き込まれたのだ。
「落ち着かんか英二、理性で怒りを押さえ込め、いつでも魂宿りが使えるように気を静めるんじゃ」
後ろからハチマルが注意して小乃子の机の上に座るサンレイが英二の頭をポンポン叩いた。
「そだぞ、放課後ならともかくみんながいるところで爆発は使えないぞ」
「わかった。魂宿りだな、わかった」
英二が息を整えて目を閉じる。
回るような揺れが止まると同時に妙な感覚が襲ってきた。
目眩を感じて秀輝が右隣りにいる委員長に手を伸ばす。
「なん!? これは呼子に攻撃されたのと同じ感覚だぜ」
「頭がぐるぐるするわ、気持悪い…… 」
ふらつく委員長を秀輝が抱き寄せた。
「妖気の渦で平衡感覚をおかしくさせたのじゃ、秀輝はスポーツマンじゃからこの程度なら平気じゃろう委員長を頼むぞ」
「任せてくれ、呼子の時と比べたら大したことないぜ」
秀輝に説明するとハチマルがサンレイとガルルンを見つめる。
「サンレイ、ガルルン、お主らは大丈夫か? 」
「おら平気だぞ、この程度子供騙しだぞ」
「ガルも平気がお、鍛え方が違うがお」
元気にこたえるサンレイとガルルンは普段と変わらない。
サンレイの後ろで英二が小乃子を抱き締める。
「小乃子、大丈夫か? 俺に掴まれ」
「うん、ありがとう英二」
委員長ほど参っていない小乃子だが優しい英二の胸に顔を付けて嬉しそうに礼を言った。
サンレイが英二の頭をポンポン叩く、
「霊気を集中してるから平気なんだぞ、そのまま気を溜めてろ」
その後ろでガルルンが晴美を宗哉の膝の上に座らせる。
「宗哉、晴美を頼むがお、ガルは英二のサポートするがお」
「ガルちゃん!? 」
晴美が吃驚した顔で言うと振り返って宗哉を見つめる。
「宗哉くん御免ね」
「大丈夫かい晴美さん、落ち着くまで遠慮は無しだよ」
優しく微笑む宗哉の膝の上で晴美が嬉しそうに頷く、
「うん、ありがとう」
晴美を抱きかかえる宗哉の左右にサーシャとララミが付く、
「御主人様、大丈夫デスか? 教室全体が何か変デス」
「電磁場に乱れがあります。重力や空気の流れもおかしくなっています。私のセンサーの故障でしょうか? 」
大雑把なサーシャと違いララミが的確に報告する。
「ありがとうサーシャ、故障じゃないよララミ、妖怪の仕業だ。ララミとサーシャは僕と晴美さんを守ってくれ」
体を鍛えている秀輝や英二ほどではないが宗哉もそれ程苦しくない様子だ。
「了解しましたデス」
「センサー異常ではないとすると緊急事態と言うことですね、御主人様と晴美さんを優先的に御守りします」
装備しているセンサー類は同じものだが人工知能の種類が違い、ララミの方が少し優れていて会話が自然と成立している。
小岩井先生が教卓にもたれ掛かりながら大声を出す。
「みんな落ち着いて、これくらいの揺れなら大丈夫だから、みんな………… 」
騒ぐ生徒たちを落ち着かせようとしていた小岩井先生がバタッと倒れる。
「恭子ちゃん! 」
声を掛けるサンレイの目の前で座っていた生徒たちがその場に崩れていく、
「なんだ? みんな平衡感覚やられたんか? 」
ハチマルが直ぐ近くで倒れた浅井を抱えて調べる。
「眠らされておるだけじゃ、濡れ男の術らしいの」
「なんだ寝てるのか、オタ雑巾なんて昼休みに倒しておけばよかったぞ」
安堵するサンレイをハチマルが睨み付けた。
「先手を打つつもりが先にやられてしもうたわ、お主らの責任じゃぞ」
濡嶺をからかったサンレイとガルルンを叱りつけるとハチマルが教室内を見回す。
「それにしても変じゃのう、秀輝たちは儂らの霊力で守っておるから術に掛からんのはわかるがクラスの4分の1ほどが眠らずに起きておる」
「中川も早川も藤田も元気がお、目眩してぐったりしてるだけがお」
ハチマルやサンレイの言う通り36人いる生徒のうち英二たちを除いた残りの25人中、8人が倒れずに起きている。対象物を判別して術に掛けているという事だ。
宗哉がハチマルに振り返る。
「考えるのは後にしよう、それよりこの術は解けないのかい」
「そうじゃな、この程度の術ならサンレイでも解けるじゃろう」
暗に解けと言われてサンレイが青い雷光を身に纏う、
「おらがビリッと解いてやるぞ」
「サンレイちゃん凄い…… 」
英二の前席で中川が驚きの声を出す。
しまったという顔で英二が声を掛ける。
「中川、後で説明するからサンレイに任せてくれ」
「わかってるよ、サンレイちゃんの霊能力だろ? みんな知ってるぜ」
サンレイやハチマルが不思議な力を持っていることはクラスメイトはもちろん他の生徒たちもそれとなく知っている。だからこそ学校のマスコット的存在としてもてはやされているのだ。
「雷探! 」
サンレイの両手から伸びた雷光が教室を包み込む、雷探は読んで字の如く雷を使って探る技だ。
「んだ? 結界だぞ、HQってクソ坊主が使った結界と似てるぞ」
バチバチと雷光をあげながらサンレイが首を傾げた。
「やはりな、濡れ男如きがこの様な術を使えるはずがない、HQに御札でも貰うたんじゃろう、サンレイだけでは少し掛かりそうじゃな、儂も手伝うとしよう」
ハチマルが身を乗り出したその時、教室の前のドアがザザーッと開いた。
「そうはさせるか! 」
濡れ男の濡嶺が姿を現わす。
「来たな、濡れ雑巾……来たな? 汚い濡れ雑巾だぞ」
言葉遊びをするサンレイを濡れ男が怒鳴りつける。
「誰が濡れ雑巾だ! 俺をバカにしやがって貴様ら全員ボコってやるからな」
怒ると汗をかくのか只でさえ張り付いているシャツやズボンから濁った水のようなものが浮き上がってくる。
「ああ……あれが濡れ男か……じめっとどころか濡れたシャツがべちゃっと張り付いててマジでキモいな」
声を震わせる英二に呼応するように秀輝が口を開く、
「俺もオタだがあれは擁護できんぜ、マジのキモオタだぜ」
「キモオタに失礼だよ、あれはキモオタを越えた気持ち悪さだよ」
人の悪口など余り言わない宗哉も辛辣だ。
「そうがお、キモオタってからかったら怒ったがお」
「お主らがからかうから今こんな事になっておるのじゃぞ」
迷惑顔で言うガルルンを見つめてハチマルが苦い表情だ。
サンレイが飛び掛かる。
「先手必勝だぞ」
「何が先手必勝じゃ、先に結界を破らんか」
叱るハチマルの言葉も戦闘態勢に入ったサンレイには届かない。
「雷パァ~ンチ! 」
サンレイの青い雷光を走らせたパンチが濡れ男の頬を掠めた。
「うえぇ~~ 」
悲鳴を上げながらサンレイが戻ってくる。
「やられたのかサンレイ」
心配そうに声を掛ける英二にサンレイが右手を見せる。
「ヌルってしてるぞ、ナメクジ触った感じだぞ、臭いぞ、ネバネバ付いたぞ、キモ過ぎだぞ、おらの右手が…… 」
右手には黄色く濁った半透明のゲル状の体液が付いていた。
サンレイの雷パンチは濡れ男がかわしたのではなくヌルッとした粘液で逸れたのだ。
「キモ過ぎるぞ、あいつは英二に任せるぞ」
先程までのやる気が一瞬で削げた様子だ。
「ヌルベチャだぞ」
英二のシャツで右手を拭こうとするサンレイを怒鳴りつける。
「止めろ! テッシュ出すからそれで拭け」
慌てて出した英二のポケットテッシュを奪うようにしてサンレイが手を拭き始める。
ガルルンが厭そうな顔で口を開く、
「妖怪の匂いも妖気も感じないがお、でもナメクジみたいなキモい匂いがプンプン漂ってくるがお、キモ過ぎる妖怪がお」
直ぐ後ろで晴美を膝の上で抱えたまま宗哉が振り返る。
「濡れ女は柳の妖怪って言ってたけど濡れ男はナメクジの妖怪みたいだね」
「おかしいのぅ、濡れ女と同じじゃと思っておったが儂の覚え違いかの」
首を傾げるハチマルの後ろで委員長を横に抱いた秀輝が吐き捨てる。
「どっちでもいいぜ、べたべたしてキモい妖怪って事には変わりないぜ」
「そだぞ、キモオタ妖怪だぞ、ヘンタイ妖怪は英二が相手するんだぞ」
すっかりやる気の無くなったサンレイが小乃子の机の上に座り込む、
「ちょっ、待ってくれ、俺も厭だぞ、ナメクジの妖怪なんてキモ過ぎだ」
慌てた英二がガルルンやハチマルを見るが2人ともさっと視線を逸らした。
英二たちの様子を見て濡れ男の顔が怒りで赤くなっていく、
「貴様ら好きかって言いやがって……俺を怒らせたらどうなるか教えてやる」
大きく息を吸うと濡嶺の体が倍近くまで膨らんだ。
「オタ地獄流し!! 」
叫ぶと共に吸い込んだ息を一気に吐き出す。
「何をしたんだ? 何も変わってない…… 」
英二が辺りを見回した。
「中川? どうした中川? 」
先程まで普通に会話をしていた中川が何かに取り憑かれたように虚ろな目をしている。
「英二ダメだぞ」
中川に手を掛けようとした英二をサンレイが止めた。
「操られてるぞ、今の中川は危険だぞ」
「操られてるって……くそっ、俺のせいで……あの野郎! 」
怒る英二の頭をサンレイがポカッと殴った。
「落ち着けって言ってるぞ、落ち着いて霊気を溜めてろ、それと小乃子を下がらせろ、ハチマルの側に連れて行け」
英二の顔から怒りが消えた。
「小乃子、大丈夫か? 後ろで休んでろ、ハチマルの傍なら安心だ」
「うん、英二も気を付けてね」
まだ少し頭がクラクラするのかしおらしい小乃子を連れて英二が教室の後ろへ下がる。
小乃子をハチマルに預けると英二は秀輝と一緒に前に出てきた。
ガルルンが晴美と宗哉をサーシャとララミに任せてサンレイの横に立つ、
「起きてる8人みんなおかしくなってるがお、サンレイは早く結界を解くがお」
「そだな、キモいヘンタイ妖怪は英二に任せておらとハチマルで結界を解くぞ」
机の上からぴょんと飛び降りるとサンレイが床に片手を着く、
「させるか! 行け!! 」
濡れ男が命じると近くにいた中川がサンレイに襲い掛かる。
「止めろよ中川ぁ~、操られても殴りたくないぞ」
サンレイがバッと跳んで中川を避ける。
後ろで結界を解こうとしていたハチマルにも操られた女子が襲い掛かっていた。
「面倒じゃな、結界を解くのは後じゃ、英二、さっさと濡れ男を倒せ」
襲ってきた女子を取り押さえながらハチマルが命じた。
「倒せって言われても……キモいし…… 」
「ヌルッとしてそうで触るのも厭だよな、サンレイちゃんがナメクジみたいって言ってたしな、キモ過ぎるぜ」
口籠もる英二の横で秀輝も厭そうな顔だ。
濡れ男が大声で怒鳴る。
「さっきからキモいキモいとバカにしやがって、俺様の力を思い知れ! 」
空間がぐにゃりと歪んだ。
中川の前にある机の上にプラモの箱が幾つも現われる。
「おおぅ、プラモだ…… 」
中川がフラフラとプラモの山に手を掛ける。
「一つ積んでは作るため、二つ積んでは予備のため、三つ特価で買っちゃった♪ 」
嬉しそうに歌いながら前の机から後ろの机にプラモの箱を積み直していく、
「中川が変になってんぞ」
じとーっとした目で言うサンレイの傍で秀輝が口を開く、
「こいつプラモ好きって言ってたからな、プラモオタクだぜ」
「それよりもなんで行き成りプラモが…… 」
驚く英二を見て濡れ男が楽しそうにニヤリと笑う、
「ふははははっ、オタ地獄流しだ。業の深いオタどもはオタクの地獄へと流されるのだ」
「オタの地獄って……中川はプラモ地獄かよ」
「でも地獄って言うより嬉しそうだぜ」
英二の隣で秀輝が楽しそうに言った。
中川がプラモの箱を高く積み上げると空間の裂け目から鬼が現われて崩していく、
「ああぁ……せっかく積んだのに…… 」
嘆く中川を余所に鬼はスッと消えた。
「一つ積んでは作るため、二つ積んでは予備のため、三つ特価で買っちゃった♪ 」
中川がまたプラモを積み始めた。
「これって賽の河原だ」
ハッと気付いた英二に後ろからハチマルが声を掛ける。
「その様じゃの、買うだけ買って作らないプラモの恨みで出来た地獄らしいの」
「おらも知ってるぞ、作る作る。いつか作るって買うけど時間が無いとか言って結局作らない積んどくモデラーだぞ」
漫画やテレビで見たのかサンレイはオタ知識も豊富に持っている。