第100話 「別荘へ」
時は少し遡る。
3月の始め、春を運んでくる風が海を波立たせる。
ゴツゴツとした大岩を飲み込むような大きな波が打ち寄せる磯場に女と男が居た。
ハマグリ女房と狐面を被った坊主頭の男だ。男は煤けた法衣を纏って錫杖を持っている。
サンレイからハマグリ女房を助け出したHQと名乗る坊主である。
「回復したようですね」
「ありがとうございます。全てHQ様の御陰です」
狐面を被って表情を見せないHQにハマグリ女房がうやうやしく頭を下げる。
「貴女には期待していたんですがねぇ……これでは…… 」
優しい声だが棘のある口調にハマグリ女房がサッと顔を上げる。
「まっ、待ってください、もう報告はしたのですか? 」
焦りを顔に浮かべるハマグリ女房の向かいでHQがとぼけ声に変わる。
「報告? なまさんにはまだ何も言っていませんよ」
「ほっ、本当ですか……よかった」
ハマグリ女房の顔に安堵が浮んだ。
狐面の奥にあるHQの目がギラリと光る。
「しかし、もう無理でしょう、他のものに任せるので貴女は海へ帰りなさい」
「待ってください、もう一度、もう一度だけチャンスをください、お願いしますHQ様、次こそ私の命に代えて……どうかお願いします」
土下座をして頼むハマグリ女房を見てHQが思案する。
「美しい貴女にそこまで頼まれれば無碍に出来ませんね……わかりました。もう一度だけ待ってあげましょう」
「ありがとうございます」
嬉しそうに顔を上げたハマグリ女房をHQが見据える。
「策はあるのですか? 」
「策ですか…… 」
必死で考えるようにハマグリ女房が黙り込む、
「2匹の神さえ居なければ…… 」
悔しげに呟くハマグリ女房を見てHQが坊主頭を右手で掻いた。
「2人の神が居なければ勝っていたと言うんですね? 」
ハマグリ女房が大きく頷く、
「そうです。HQ様も見ていたでしょう、ハチマルとか言う神が邪魔しなければ英二くんは私のものに出来ました」
「そうでしょうか? 貴女が人間など構わずに英二を連れて直ぐに逃げれば良かったのではないでしょうか? 」
「そっ、それは…… 」
穏やかだが有無を言わせぬ気を感じてハマグリ女房が口籠もる。
此処で引けぬと言うようにハマグリ女房は気を奮い立たせて言葉を続ける。
「神がもう1人来るなんて計画にありませんでした。分かっていれば対処しています」
「確かに一理ありますね」
少し考えてからHQが提案する。
「ではこうしましょう、2人の神を私が一時的に押さえましょう、残りの山犬と英二なら貴女でもどうとでもなるでしょう? 如何です」
ハマグリ女房が嬉しそうに顔を明るくする。
「本当ですか? 神が居なければ山犬など私が倒して見せましょう」
HQがにこやかに続ける。
「分かりました神は私に任せてください、但し、15分が限界です。小さい方はともかくハチマルとか言う神は私でもそれで手一杯ですよ」
「15分…… 」
暫く考えを巡らせてからハマグリ女房がマジ顔で口を開く、
「それでいいわ、やってみせる。あの方に、なま様に認めて貰うためならどんな事でも致します」
ハマグリ女房の下げた頭をHQが錫杖で撫でる。
「なまさんに貰った水晶玉の手持ちはあるのですか? 」
「はい……あと2つあります」
下げたままこたえるハマグリ女房の頭からHQが錫杖を離す。
「それでは心許無いですね」
HQが法衣の胸元から水晶玉と御札を数個取り出した。
「しくじった私に……ありがとうございます」
うやうやしく両手で受け取るハマグリ女房にHQが続ける。
「その札は怪化札と言います。生物や器物を一時的に妖怪化する札です。霊力や妖力を持たないそこらの物に使っても10分程しか妖怪にはなれません、しかし、妖力の詰まった水晶玉を同時に使うことで数日間は持つようになるでしょう、水晶玉を複数使えば本物の妖怪を作ることも可能です」
「怪化札……妖怪を作ることが出来るのですね」
札をじっと見つめるハマグリ女房を見てHQが狐面の奥でフッと笑った。
「はい、まだ試作段階ですので副作用が出ると思います。ですので過信せずに使ってください、まぁ一時的に戦力を揃えるのには充分だと思いますよ」
「ありがとうございます。今から手下になる妖怪を集めるなど間に合いません、一時的でも力になれば充分です」
嬉しそうに礼を言うハマグリ女房の向かいでHQが錫杖を足下に突く、
「これが最後だと思ってください」
錫杖が突き刺さり大きな岩を割っていく、
「覚悟はしています。次こそ必ず」
マジ顔で頷くハマグリ女房を見てHQがニッコリと笑った。
「なまさんには私から言っておきますよ、では私はこれで」
「頼みます」
深々と頭を下げるハマグリ女房からHQが歩いて離れていく、
「そう旨く行きますかね…… 」
10メートル程離れて呟くとHQはスッと姿を消した。
春休みになる。
英二たちは宗哉の別荘である和歌山の南紀白浜へと遊びに来ていた。
「凄い、凄い、凄い」
初めて来た晴美が感嘆の声を上げる。
「わふふ~~ん、お城みたいがお、ここに泊まるがおか? 」
豪華な洋館を見てガルルンも大はしゃぎだ。
2人の前でサンレイが両手を広げる。
「どうだ!! 凄いだろ、ここがおらの別荘だぞ」
ドヤ顔のサンレイの後ろから英二が頬を引っ張る。
「誰がサンレイのだ! 宗哉の別荘だ」
「でゅひゅひゅひゅひゅ、止めろ、ほっぺ伸びるぞ、宗哉の物はおらの物だぞ」
身を捩って喜ぶサンレイを秀輝が指差す。
「ジャイアン論理だぜ」
「サンレイが喜ぶのも無理ないよな、あたしだって走り回りたいくらいに嬉しいよ」
普段はバカにする小乃子も満面笑顔だ。
「そうよね、今日から三日間お姫様みたいに過せるわよ」
冷静な委員長もうっとりと洋館を見上げている。
ガルルンがニヤリと口元を歪める。
「がふふん、ガルは今日から一国一城の主がお」
「あははっ、ガルちゃんが王様なら楽しい国になるよね」
晴美もはしゃぎっぱなしだ。
サンレイがムッとしてガルルンの前に出る。
「何言ってんだ。おらの城だぞ、おらが王様だぞ、ガルルンは番犬だぞ」
「ガルは犬じゃないがお、ガルが王様がお、サンレイはメイドでもしてるといいがお」
八重歯のような牙を剥きだして言い返すガルルンの腕を晴美が引っ張る。
「喧嘩はダメだよ、高野くん…… 」
助けを求められて英二が後ろからサンレイを抱きかかえた。
「はいはい、この城は宗哉が王様だからな、俺たちは王様に呼ばれた賓客ってところだ」
「ひんきゃく? ひん? 貧乳みたいがお、サンレイの事がお」
「貧乳……ここでもおっぱいが偉いのか! 」
サンレイがグワッとガルルンの胸を鷲掴みにする。
「おっぱいなんてもぎ取ってやんぞ」
「返り討ちにしてやるがお」
ガルルンがサンレイの胸に手を伸ばす。
「がわわ~~ん、掴むほどないがお、ペッタンコがお」
ガルルンの手がサンレイのペッタンコの胸を滑っていく、
「にひひっ、おらの勝ちだぞ、もぎ取ってやるぞ」
サンレイが掴んだおっぱいを思いっ切り引っ張った。
「犬臭い乳なんて千切れ飛べぇ~~ 」
「がおぉぅぅ~~、ガルのおっぱい千切れるがおぉ~~ 」
叫ぶガルルン、晴美が慌ててサンレイの腕を掴んで止める。
「止めてサンレイちゃん! 」
「サンレイ止めろ、違うから、貧乳じゃなくて賓客だ。ひんきゃく、胸じゃないから」
英二が後ろからサンレイを押さえ込んだ。
「んだ? おっぱいじゃないのか? 賓客ってなんだ」
ガルルンのおっぱいから手を離すとサンレイが振り返る。
「賓客って言うのは大事に扱うお客さんって事だよ、特にサンレイちゃんとガルちゃんは大事な客だからね、2人ともお姫様みたいなものだよ」
爽やかに教えてくれた宗哉の向かいでサンレイとガルルンの顔がパーッと明るくなる。
「お姫様だぞ」
「お姫様がお」
サンレイとガルルンが顔を見合わせてニヤッと嬉しそうに笑った。
「お姫様って言うことは何でもできるぞ、アイス食い放題もできるぞ」
「お姫様がお、肉食い放題がお、この辺りのチーカマ買い占めるがお」
バカな事を考えているのが一目でわかる2人の顔を見て英二が弱り顔で叱りつける。
「出来ませんって言うかさせないからな! 宗哉が許しても俺が許さないからな」
「あはははっ、ガルちゃんもサンレイちゃんもはしゃぎすぎだよ」
晴美が誤魔化すように乾いた笑いを上げる。
「我儘姫だぜ」
「国が滅びるな」
近くで見ていた秀輝と小乃子が呟いた。
宗哉が爽やかスマイルで口を開く、
「ははははっ、喜んで貰って僕も嬉しいよ、長旅で疲れただろ? 少し休んで昼から海で遊ぼうか、サーシャ、ララミ、英二くんたちを部屋に案内してやってくれ」
後ろにいたメイロイドのサーシャとララミが一礼する。
「ハチマルさんとサンレイ様は同じ部屋デスから、篠崎さんとガルルンさんも2人で一部屋にしておきましたデス、此方へどうぞデス」
サーシャに招かれてハチマルたちがついていく、
「わふふ~ん、晴美とお泊まりがお」
「うん、お話ししながら一緒に寝ようね」
ガルルンと晴美が仲良く手を繋いで歩く後ろでサンレイが英二を見つめる。
「おらは英二と一緒がいいぞ、ベッドの上で愛を育むんだぞ」
ニヘッと悪い顔でサンレイが言うと後ろにいた小乃子が怖い目でギロッと睨む、鋭い視線を感じて英二が慌てて振り返った。
「違うから、誤解されるようなこと言うな、何もしてないからな」
「あたしは別に英二が何をしようと構わんよ、でもさぁ~、サンレイに手を出すようなヘンタイは女子たち全員許してくれないよ」
ジロッと怖い目で見据えられて英二が震え上がる。
「してないから、サンレイとは何にもしてないからな」
ハチマルが溜息をつきながら小乃子の背をポンッと叩いた。
「まったく、サンレイの冗談にマジで付き合うと疲れるだけじゃぞ」
「わかってるわよ、英二が面白いからからかっただけだって」
ころっと笑う小乃子を見て英二がハァ~っと息をつく、
「勘弁してくれぇ~、サンレイも小乃子も段々冗談がきつくなってきてるぞ」
「にへへへへっ、英二を困らせると面白いからな」
楽しげに笑うとサンレイがハチマルの手を引っ張って歩いて行く、
「またハチマルと一緒の部屋だぞ」
「姉妹じゃからな、宗哉が気を利かせてくれたのじゃろう」
仲良く歩いて行く2人の後ろで英二が疲れ切った顔でその場に座り込んだ。
「悪い、悪い、サンレイじゃないけど面白いからさ」
少しも悪いと思っていない軽い口調で言いながら小乃子が英二の頭をポンポン叩いた。
「浮かれるのはわかるけど、俺を玩具にするな」
頭を叩く手を払い除けると英二が立ち上がる。
宗哉が微笑みながら口を開く、
「英二くんたちは前と同じように1人一部屋を用意したよ、荷物を置いてくるといいよ」
「委員長、久地木さん、秀輝さん、英二さん、案内致します」
ララミについて英二たちが別荘へと入っていった。
部屋に荷物を置くと英二たちがロビーに集まる。
「休まなくてもいいのかい? 」
爽やかに言う宗哉をサンレイとガルルンが見つめる。
「おら、疲れたからアイスが食いたいぞ、ずっとバスに乗ってたからな」
「疲れてないけどガルは肉が食いたいがお、チーカマは鞄に入ってるがお」
ハチマルの耳がピクッと動いた。
「長距離バスじゃからのぅ、アイスなら儂も食いたいのぅ、長旅じゃからのぅ、甘いものは疲れを取るんじゃぞ」
英二が顔の前で手を振る。
「いやいやいや、あのバスなら一日中乗ってても疲れないからな、甘いものってバスの中でケーキやアイス食ってただろ」
以前にも使った2階建ての豪華なバスで来たのだ。
飛行機のファーストクラスのような席に座っていたので数時間程度なら疲れることなど有り得ない、まさに快適な旅だ。
宗哉が英二たちを見回す。
「そうだね、みんな疲れていない様子だから海に行って遊ぼうか、お昼は出前でも頼んで食べよう」
サンレイが宗哉の手を引っ張る。
「アイスは? おらアイスが食いたいぞ」
「海を見ながら食うアイスは格別じゃからのぅ」
珍しくハチマルがおねだりするのを見て宗哉が楽しそうに声を出して笑う、
「あはははっ、アイスはバスに積んでいたのを別荘の冷蔵庫へ運んで貰っているからクーラーボックスに入れて海に持っていけばいいよ」
「ガルは肉が食べたいがお、バスの中でカツサンド食べただけがお」
「肉か……お昼まで待ってくれないかな、フライドチキンか何か用意させるよ」
「ケン○ッキーがお、ケン○ッキーの鶏丸ごと1匹食べるがお」
パーッと顔を明るくするガルルンを見て宗哉が頷く、
「わかった用意するよ、それに今夜はバーベキューだよ、肉や野菜などは用意してあるからね、もちろんアイスクリームやケーキは特注してあるからね」
「バーベキューがお、外で肉焼くがお、やったがおぉぉ~~ 」
「やったぞ、この前も旨かったからなバーベキュー 」
ガルルンとサンレイが手を上げて大喜びだ。
「はははっ、サンレイちゃんとハチマルさんとガルちゃんに喜んで貰うと僕も嬉しいよ」
傍で聞いていた英二たちも期待で顔が綻んでいた。
今日から3泊して4日目の夕方に帰る予定だ。
昼前に着いた初日は近場の海で遊ぶことにして明日は動物園、明後日は町を散策する予定だ。
直ぐ傍に浜辺があるので海遊びは時間があれば何時でも出来る。
昼食前に砂浜を散歩する。
サンレイとガルルンと晴美は貝殻集めに夢中になっていた。
「綺麗な海~~ 」
晴美が溜息をつく、もう何回も同じ事を言っている。
隣を歩いていた委員長がクスッと笑う、
「澄んだ青色の海なんて近くじゃ見ないからね」
「うん、バスも豪華だったし、別荘もお城みたいだし、夢のようだよ」
「この前も乗ったけどあのバスは凄いよな」
後ろを歩いていた小乃子が足下に落ちていた貝殻を拾った。
前でガルルンと一緒に貝殻を探していたサンレイが振り返る。
「アイスとケーキも旨かったぞ」
「あのバスならガルは住むことが出来るがお」
一番先頭を歩いていたハチマルがガルルンの頭をグリグリと撫でる。
「住むどころかあのバス一台でそこらの建売住宅が3軒は買えるじゃろうな」
「そうだよな、普通のバスでも何千万とするからな、2階建ての豪華バスなら下手すりゃ億越えてるな」
言いながら小乃子が前にやってくる。
「綺麗な貝殻がお」
ガルルンが小乃子の持っている貝殻を目敏く見つけた。
「後ろに落ちてたぞ、お前ら何処見て探してんだ」
「気付かなかったがお、ガルはウニの殻集めてたがお」
ガルルンがウニの殻を大事そうに見せる。ウニのトゲが抜け落ちて丸い饅頭のようになっている殻である。
貝殻よりも割れやすいので欠けの無いものは結構貴重だ。
「凄いの集めてるな」
「ガルちゃんらしいね」
驚く小乃子の横で晴美が楽しそうに微笑んだ。
「おらも凄いぞ」
サンレイが満面の笑みで乾燥したヒトデを差し出した。
「ヒトデかよ」
「格好良いぞ、カチコチになってんぞ、欠けてない完全体は中々無いんだぞ」
厭そうに顔を顰める小乃子の前でサンレイが自慢気にドヤ顔だ。
英二たち男は女子たちから離れて前を歩いている。
「春の海も結構遊べるもんだな」
楽しそうなサンレイたちを見て顔を綻ばせる秀輝に宗哉がこたえる。
「冬の波が色々なものを打ち上げるからね、ゴミが大半だけどさ、貝殻とか流木とかさ、色々あるよ、でもこの砂浜は管理されているから夏前には掃除するんだよ、だから貝殻集めは今が一番だよ」
「そんなもんかね、でも俺はやっぱり夏がいいな、今年も呼んでくれよ、サンレイちゃんたちと泳ぎたいぜ」
秀輝の何を想像しているか一目でわかる緩みきった顔を見て英二が溜息をつく、
「凄ぇスケベな顔になってるぞ」
「うん、否定せん、サンレイちゃんにハチマルちゃんに委員長、今年はガルちゃんまでいるんだぜ、写真撮って俺の彼女だって自慢してやるぜ」
ニヤつきながら頷く秀輝を見て宗哉が声を出して笑い出す。
「あははははっ、もちろん夏もみんなを招待するよ、去年は3日だったけど今年は5日ほど取るよ。今日来たのはその為の下見も兼ねてるからさ」
「やったぜ、また水着を買わなくちゃな」
ガッツポーズで喜ぶ秀輝の隣で英二が申し訳なさそうに宗哉を見る。
「ありがとうな宗哉、ハチマルとサンレイとガルちゃんに旅行くらいさせたいけどバイト代は服や靴に使うからさ、宗哉が色々連れて行ってくれるから本当に助かるよ」
「僕と英二くんの仲だよ、遠慮無しだ。それに僕もサンレイちゃんたちと遊びたいんだよ」
「そう言ってくれると助かるよ」
優しく微笑む宗哉を見て英二が嬉しそうに笑い返す。
「そろそろお昼にしようか」
宗哉が言うと秀輝が振り返って大声を出す。
「サンレイちゃん、飯にしようぜ、昼飯だ」
50メートル以上離れているのに聞こえたらしくガルルンが手を振るのが見えた。