07 腹ペコロリ精霊②
「……アルカさん」
俺は諌めるようにそう言った後、店員に対して慌てて頭を下げた。店員は少し不思議そうな顔をしていたものの、それを子供の戯言だと受け取ってくれたようで、軽く笑うと、すぐに下がって行った。
「冗談ではないか。あの娘も冗談だと思っておろう」
そうアルカさんは軽い口調で返す。
どう見ても十台前半の少女が、どう見ても中年の女性の事を娘と呼ぶ。そのあたりに、アルカさんが長い時を生きている精霊だという事を思い知らされる。
「ご主人も、色々と隠したがっているのはわかっておる。……だが、なぜそうも不必要なまでに隠す必要があるのだ。先程の一角獣も、ご主人が自ら狩ったのだと言えば良かったろうに。それが一気に名声となろう。それだけの事を、ご主人はしたのだぞ?」
「……そんな事したら、変に目立つじゃないですか」
そう俺は言った。
「一度に大金が入ったなんて聞きつければ、目をつけられる可能性が高いです。そうなれば、盗人に襲われる可能性も大いにあるでしょうし……」
「追い払えばよかろう。一角獣を倒したご主人なら、下種な考えを持つ連中など軽くあしらう事など造作も無かろうに」
「それは、アルカさんがいるからの話でしょう?」
「……む? どういう事だ?」とアルカさんは問う。
「アルカさんがいなければ、俺はただの冒険者ですよ。アルカさんもそのうち次の契約者を見つけるでしょうし、そうなれば自分の身は自分で護らなければならないですし」
「……なるほどな」
彼女はそう言って、何か腑に落ちたような表情をした。
「先程から何を妙に謙遜しているかと思えば、そういう事か。良いか、ご主人。きみふぁ、ふぉうふぁら――」
「……すみませんアルカさん。食べてから喋って下さい」
「……けぷ」
彼女は口の中に入れていた物を飲み込み、息をつくと、机に肘をついて不敵に笑った。
「ご主人、どうやら君は、精霊契約という物をどうやらわかっていないようだ」
舐めてすらいるぞ。
そうフォークの先端を俺の方に向けながら、彼女はそう言って続ける。
「精霊との契約というものは基本的には、どちらかが死ぬまで縛られ続ける物なのだよ。まぁ、だいたいがニンゲン側が先に死ぬ事になる。つまり余は、ご主人が死ぬまでご主人の剣となり力となる、そういう契約をしたのだのだよ。ここまではわかるか?」
「なんと、なくは」と俺は頷く。
「まぁつまり、こうなった以上、ご主人が生きている限り、余の力はご主人の力だという事だ。自分のやった事を、余の力による物だと過度に卑屈になる事などない。まぁ、余の力を振るう以上、そうなってしまうのも仕方無いとは思うがの。……だが料理が出てきて、その料理を包丁が作ったと言う料理人がどこにいる」
一々包丁の例えを使う事の多い人だな、と俺は思った。同じ刃物であれば、自分と包丁とを同列にする事に抵抗は無いのだろうか。
「ええと……つまり、アルカさんが次の契約者に移りたいからと言って、そう簡単には出来ないという事ですか?」
「そういう事だな。まぁ、もっとも、どちらかが死ねば契約は解消されるが故、極端な話、余がそなたを気に食わないと殺してしまえば、契約は解除されるのだが」
まぁ、その逆も然りだ。
彼女は言った。
「……!」
「まぁ待て、落ち着きたまえよご主人」
思わず立ち上がりかけた俺を、彼女がなだめる。
「余はただ、そういう事が出来ると言っただけだ。極端な話だと。ご主人を認めていると言っただろう。契約をしている以上、基本的にはお互いを傷つける事は許されん。余が契約者であるご主人を殺せば、この身も死してしまう程の大きな損害を追う事になるだろう。本当にどうしようもない、余程の事が無い限り、ご主人を手にかけたりはせぬよ。安心してくれたまえ」
「……はぁ、余程の事がない限り、ですか」
ぼそりと俺はその言葉を繰り返しながら、少しだけ安心する。
しかし、どうやら話は凄い方向に進んでいるように思った。アルカさんの力を借りるのは、一角獣から身を護る為の一時的な関係だと思っていたからだ。あの時はああするしか仕方の無い事とは言え、どうやら俺は死ぬまで精霊と一生契約したままの関係になってしまったらしい。
「……でも、俺が契約者で、アルカさんは良いんですか?」
「なに、問題はなかろう。正直な所、一角獣にあっさりと殺され、契約は解除される物だとは思っていたがな。しかしまぁ、余は別に多くを求めるつもりなど無い。余は名声や富を求める訳でも無い。最低限の事さえ致してくれれば、あとは喜んでご主人の力になる」
「最低限の事?」と俺は聞いた。
「なに、簡単な事だ。食事を用意してくれるだけで良い。こんな風にな」
「食事?」
少しその意外な言葉に、俺は驚いてしまう。
「そんな事でいいんですか?」
「そんな事とはなんだ。重要な事だぞ。ニンゲンの三大欲求の1つ、食欲だ。人間が争うのも食欲故の事。本来精霊は食べずとも生きていけるので、どうしてニンゲンは皆、そんな事で争うのかと理解が出来ず、ある時気になって口にしてみたのだが……これは納得だった。これほどまでに素晴らしい事がこの世にあるとは思わなかったのだ。これは争いあうに決まっておる」
そう彼女は言う。
人間が争うのは味のせいではなくて、飢餓のせいなのだろうが……それはわかっているのかわかっていないのかはわからないが、彼女があまりにも楽しそうに話すので俺は黙って聞いていた。
「余が求めるのは、食事を用意してくれる事、それのみに尽きる。……あの泉にいた間は、本当に苦痛だった。水浴びくらいしか暇つぶしが無かったのでの」
彼女は苦々しそうに言って続ける。
「精霊は人間と違い、空腹という物は感じない。しかしあの素晴らしき感覚を味わえないというのは……地獄だったのだ。本当に、食べられない事は死よりも耐え難い事だった」
「……そうですか」
そう俺は言った。
「でも、食事を用意するくらいなら、俺もなんとか出来ると思います」
「うむ。なら良いのだ。よろこんで余は、そなたの契約精霊となろう。よろしく頼むよ、ご主人」
にこり、とアルカさんは歯を見せて笑った。子供特有のその邪気の無い笑みに、なんだか心惹かれてしまう。
「はい、こちらこそ。アルカさん」
一時はどうなるかと心配になったものの、この様子なら問題は無さそうだった。剣士のクラスではあるものの、精霊遣いのように、精霊と契約した。そんな、かなり珍しいアイテムを手に入れた。その時の俺は、その程度の事だと思っていた。
しかし俺はこの時、アルカさんの本当の怖さに気付いていなかったのだ。それはよく考えなくともわかる事だった。彼女はこの時、久しぶりの食事にも関わらず、ナポリタンを10皿も食べたのだから。