06 腹ペコロリ精霊①
「……で、どうして見えているんですか?」
自宅近くにある、街中でもそこそこ美味しいと評判な飲食店。
昼時のピークを過ぎたのか、それとも今日は珍しい日なのか。珍しく客足が少なく、席も空いていた。2人用の席に案内された俺は、向かい側の席に平然として座り、注文をし、運ばれてきたナポリタンをずずずと満足そうに啜っているアルカさんに聞いた。
テーブルの上には飲み物の注がれたグラスが2つ置いてある。つまり、店員には彼女の姿が見えているのだ。いや、店員だけではない。タバサさんにしても、街の住人にしても、皆『精霊の指輪』無しに彼女の姿を捉えている。
森の中では少しばかり透けて見えていた彼女だったが、今でははっきりと見えている。どこからどう見ても、ヒトの少女に見える。もっとも、それにしてはえらく美人なのだけど。
「ふぉれふぇふぁふん、ふぉなふぁふぉ」
「すみませんアルカさん。口の中の物を食べ終わってからでお願いします」
「……む」
皿の上に残っていた物を口の中にかき込むと、ごくん、と音が聞こえて来そうな程豪快に飲み込んだ。彼女の小さな喉が大きく動く。それからアルカさんは口を開いた。口の周りがケチャップのせいか赤く染まっているせいで、まるで子供と食べているかのようだ。と言っても、この街に来て以来、子供と食事をした事など殆ど無いのだけれど。
今のアルカさんは、先程のドレスではなく、この街の人間が着ているような一般的な服装をしていた。相変わらず服の色は黒と赤色の物だったが、自然と似合っていた。
「それは多分、そなたと契約したからだろうな。ご主人」
「契約」と俺は聞く。
「そうだ。詳しくはわからないが、前の持ち主の時もこうだった。大方、ニンゲンと契約する事で、剣としてだけではなく、ヒトの姿になっても実体を伴う事が出来るようになるみたいだ。だからこうして、食事にありつく事も出来るのだよ」
そう言って、彼女はまた美味しそうに麺をかき込んで行く。
「……はぁ」
俺は曖昧に頷く。
本来、霊体のハズの精霊が、実体を持ち可視化する。そんな事、本当にありえるのだろうか。精霊遣いや高位魔術師との繋がりなど無いので詳しい話はわからないものの、少なくとも今までそんな話を聞いた事は無かった。
「ご主人と契約しなかった所で、この街に来て別のニンゲンと契約するつもりだったのだよ。そうしなければ食事を食べる事は出来なかったからな。……それよりご主人の言っていた通り、ここ料理は非常に美味だな。もう1つ食べてもいいか?」
すまぬ、これをもう1つくれないか。
とアルカさんは、俺の了承を得るよりも先に近くの店員に声をかけていた。腰まである綺麗な金髪がふぁさと揺れる。
「お嬢ちゃん、ほんとによく食べるねぇ! 嬉しいよ」
店員も店員で、アルカさんがまるで良く食べる子供程度にしか見えていないようで、普通に接している。
「次で4皿目ですけど……本当に良く食べますね」
「……なんだ、食べるなと申すか?」
アルカさんが目を丸くする。
「いえいえ、そんなつもりは無いです。むしろどんどん気にせず好きなだけ食べて下されば。……ただ、単純に、そんなに小さな身体なのに、よく入るんだなと思いまして」
そう俺は答える。
彼女が食事をとるのであれば、それを止めるつもりなどなかった。彼女が居なければ俺は死んでいただろうし、一角獣の角を売ったお陰で今は金に余裕がある。それもすべて、彼女のお陰である。命の恩人に食事を振舞う事に、何の抵抗も無い。たとえそれが精霊であったとしても。
……まぁ、欲を言ってしまえば、こんなにも食べると分かっていたのなら、もう少し単価の低い店でも良かったかなというのはあるのだけれども。
「うむ、余は精霊だからな。実体を持ったと言っても、別に栄養を取り入れている訳でも無い。水を流し込むような物だ。実体である以上満腹という感情はあるがの。と言っても、まだまだ入るぞ、ご主人」
「そのご主人って言うの、もしかしなくとも俺の事ですよね……?」
「何だ? この呼び方は不満か? ならきちんと『ご主人様』と呼んだ方が良いか? それとも『マスター』の方が好みか? 『持ち主様』、『旦那様』、『主』、『閣下』……まさか『父』や『兄』と言った呼ばれ方の方が好みか?」
「いや、そうじゃなくってですね……さっきまではアルカさん、『そなた』だとか、『貴様』とか呼んでたじゃないですか。何故いきなり……」
「勿論、余が『ご主人』と契約したからに決まっておろう。……何、リュシアン、余はそなたの事を認めているのだよ。まさか本当に一角獣を倒してしまうなどとは思わなかった」
「自分も、まさか勝てるとは思いませんでした。結構ギリギリでしたけど……」
「うむ。余から見ても、本当に紙一重の勝利と言った所だった。だが、過程はどうあれ勝ちは勝ちだ。見直したのだよ」
褒められた事にいささかの照れくささを感じながらも、俺は返す。
「まぁでもそれは、ほとんどアルカさんの力ですから」
「何を言うか」
そうアルカさんは言う。
「先程も言った通り、余はそなたに包丁を与えたに過ぎん。それを使って料理をしたのはご主人、そなたに他ならない。どんなに良く切れる包丁があっても、調理方法を知らない素人には、料理を作る事は出来ん。『薬草収集』をして生活をしていると聞いておったからの。剣の素養など無いと思っておったのだ」
「それでも、包丁が無ければ料理は出来ないような気もしますが……」
そう俺が言いかけた所で、ナポリタンのお代わりが来て会話が途切れる。
一角獣と戦った時の事を思い出す。
剣になったアルカさんを振るったのは確かに俺だ。しかし間違いなく、一角獣を倒せたのはアルカさんのポテンシャルのお陰に違いない。俺が元々持っていた剣で戦ったとすれば、間違いなく今ここにいなかったハズだ。
(あれは、斬れ味が良い、なんてレベルじゃなかった……)
アルカさんに言われる通り、彼女の手を握ると、彼女は光の粒子となり、そして黒赤の剣へと再び姿を変えた。
それは今まで握ったどんな剣よりもしっくりと手に馴染んだ。泉で彼女を拾った時は感じなかったような魔力をその剣からは感じた。それがきっと、契約をしたという事なのだろう。
一角獣は防御力の高い魔物として知られている。加えて自身の魔力で肉体を硬化しているはずなのだ。しかし剣となったアルカさんは、まるで食材の『トーフ』を斬るかのように、軽々と一角獣の身体を斬り落としてしまった。
自身の防御力を過信していたのだろう。無警戒な状態になっていた一角獣の右前脚を、初撃斬り落とせたというのが大きかった。アレが無ければ、より一角獣から蹴りを多く喰らっていて、首を落とす前に殺されていただろう。
「……お、今までより量が多いのではないか?」
「気付いたかい? お嬢ちゃんが良く食べるからね、旦那からのサービスだとよ」
少し驚くように言ったアルカさんに対して、中年の女店員が言う。おそらくは店主の妻なのだろう。アルカさんは満足そうに頷いた。
「うむ。ニンゲンにしては中々殊勝な心がけではないか。礼を言おう」
その発言に、俺は焦る。