45 第2の剣精霊、食の味を覚える。①
「……おお、美味そう」
バターを下敷きにして焼いた為に、甘く香る半熟の卵。柔らかい布のように敷かれたその卵を割るようにスプーンを進めると、その下に潜っていた橙色に染まった米が現れる。
匂いからわかる、程よい塩分を含んだトマトの匂い。ケチャップという特殊な調味料を混ぜながら炒められ米からは、嗅覚だけでも思わず食欲がそそられる。チキンライスだ。
そのチキンライスに先程の半熟卵の衣を乗せ、黒に近い褐色のソースをほんのりとかけられた物、それがライスオムレット、あるいはオムライスと呼ばれる料理だった。
43地区地下迷宮からの帰路にあった小さな飲食店。
アルカさんが黒赤の剣へとその姿を変える為に、人目の無い路地裏を探していた時の事だった。44地区に限りなく近いその場所にあった、落ち着いた雰囲気のあるその店をレドリーはどうにも気になっていたようで、再集合するなりその店に行く提案をされた。
こじんまりとしたその店には、稼ぎ時だろうに、客足は多くなかった。
店内に入るなり、身なりの整った2人の女給仕達に案内され席に座る。身のこなしなども丁寧で、店も小奇麗で雰囲気も良い。かと言って、メニューを開けば値段もそう高い訳ではない。
だから、客足の少ない理由はその料理にあるのでは……などと思ったものの、それも良い意味で裏切られてしまう。運ばれて来た料理とその匂いだけでも、食欲がそそられる。きっとたまたま客足が無い日に来たのではなかろうか。
クロスが丁寧に引かれた机に座った俺達の前には、それぞれ皆一様に同じ料理、オムライスが置かれていた。
別にこの店がオムライス専門店だったという訳ではない。メニューの種類自体はそう多くはないものの、勿論他にも選択肢はあった。
「では、このオムライスをお願いします」
メニューを見て、少し考えた後に俺が言うと――
「……ふむ、余とかぶったか。まぁ良い。余もそれが食べたい。オムライスを」
そう俺の向かいの席に座るアルカさんが言い――
「私も食べていいのですか? 良くわからないので、主様と同じ物を」
俺の右隣に座ったノーレさんがそう注文をして――
「なら、自分も同じ物をお願いしますっス。オムライスを」
ここまで来るともう別の物を選びようが無いのか、レドリーが苦笑いをしながらそう言った。
このような感じで、オムライスが揃ったという訳だった。
4人分の食事が来るまでには少し時間こそかかったものの、オムライスは同時に運ばれて来た。一度に同時に卵を焼く事など出来ないだろうに、すべてのオムライスに乗った卵はまだすべて艶があって温かそうに見える。どうにかして調理の時期を工夫してくれたのだろう。
『良いか坊主、覚えといて損は無い。熱い物は熱く、冷たい物は冷たく出す店こそ良い店だ。これは基本だ。これが出来る店と出来ない店の違いは大きい』
冒険者を始めた頃、どこぞの酒場で、自称食通のおっさん冒険者が俺に言った言葉を思い出す。と言っても、そのおっさんはぬるいビールと枝豆が出てきた酒場に腹を立てたが故に言った言葉ではあるけれども。しかしとにかく、その言葉は確かだと思ったし、この店がそれを守っている感じの良い店であるのも確かだった。
ちなみにどうでも良い事だが、そのおっさんは俺にそう語ってくれた2週間程後に、二日酔いのまま迷宮に潜ってあっさりと死んだ。おっさんは冒険者としての基本が出来てなかったようで、俺はどちらかといえばその事実の方が勉強となり、それ以来酒の飲み方には気をつけている。
「……おお、美味そう」
「んー、実際めちゃくちゃウマいっスよこれ」
料理が提供されるなり、即座に手をつけたレドリーがそう言った。
「……うむ。確かに美味であるな」とアルカさんが言う。
「でスよね。ほらほら、兄貴も食べてみて下さいっス」
早く食べて、そしてこの感想を共有しろとばかりに急かすレドリーに促され、俺はスプーンに乗せたソレを口に運ぶ。
「……いや、マジで美味いなこれ」
迷宮に潜った後で腹が減っているという事もあるのだろうが、オムライスはやはり見た目どおり美味かった。
上掛けのようなふわふわの卵からはバターの香りが漂うが、牛の乳も混ざっているのか、甘くて溶けるように柔らかい。夕焼けを連想させる橙色に染まった米は、それ単体で食べ続けるだけでも十分美味しいのだろうが、そこに細かく刻まれた玉葱や鶏肉がアクセントとして混じっていてなかなか飽きない。
「でしょう? ノーレさんも、食べてみて下さいっスよ。おいしいでスよ」
そう言って、レドリーは俺から俺の隣に座るノーレさんに視線を移して笑った。
ノーレさんはスプーンを握る様子もなく、呆然としながら俺達の事を見ていた。
「ノーレさんも、食べて下さいね」と俺は言う。
「……はい」
そう彼女はこくりと頷くものの、少しばかり表情を硬くしながら、自分の目の前に置かれたオムライスを見つめた。
「……今までニンゲンが食べるのは見てきましたが、いざ自分が食べるとなると、何分初めての事ですので、よく分からなくて」
「気にせず口の中に入れて、噛んで飲み込めば良いんですよ。こうやって、スプーンを使ってすくって食べれば」
そう言って俺は、ノーレさんにお手本を示すようにして、オムライスをもう一度掬って見せて、食べてみせる。
「……」
ノーレさんは少しの間戸惑ってはいたが、やがて意を決したようにスプーンを上から鷲掴みする。それから不慣れな手つきでオムライスをすくうと、腕全体でスプーンを近づけて行くようにして口へと運んだ。
「ああ、まだ熱いから冷ましてからじゃないと」
「あっつ……む、ん……ん……」
冷まさずに口に入れたせいか、一瞬彼女は苦い顔をしたが、精霊故にすぐに温度の調整を働かせたのかそのまま咀嚼を初めた。
その様子を俺もレドリーも、そしていつの間にかアルカさんも手を止めてじっと見つめていた。
奇妙な沈黙と注目の中、彼女はごくりと嚥下すると、少しだけ目を閉じてから口を開く。
「……なんなのでしょう、この感覚は」
何かを思いつめるような表情でそう言うと、彼女はまたオムライスを口に運んで行く。先程の失敗から学んだのか、今度は口に含む前に軽くふーふーと息を吹きかけてから口に含んで行く。