44 続・剣精霊に剣精霊を紹介するという事 あるいは続・食前
3層、2層、1層と進んで行く間、俺はレドリーにこれまでの事を話した。
『指輪』を見つけた時の事、泉での出来事、契約した事、精霊の彼女が実体化して食事をするという事、その食費を稼ぐ為に再び迷宮に潜らなければならなくなった事、それから、先程あの洞窟で起こった事。
食事を用意し続けなければ命の危機になるという事については、悩んだが結局話さなかった。それも隠し事と言えば隠し事になるのかもしれないが、どうにも助けてくれた本人を背負っている状態では、そんな事は言いづらかった。
なのでアルカさんの食費をどうしても稼がなければいけない、と表現を変えた。嘘は言っていないつもりだった。どうしても稼がなければならないのは本当だった。
道中に現れた魔物は、すべてノーレさんが対応してくれた。
彼女の言葉通り、彼女1人の魔力があれば低級モンスター程度であれば十分倒す事は可能だった。彼女は精霊なだけあって、人間と比べて魔法の発動までの時間もほとんど存在しない。お陰でその辺りの心配はほとんどなかった。
時々、擦れ違う冒険者達が奇異の目で俺達を見てくる時があった。
少女と、荷物を運ぶ獣人と、そして意識を失ったまた別の少女を背負う剣士風の男。他の冒険者からすれば、それはかなり異様な光景に見えた事だろう。
まずノーレさんやアルカさん程の美少女が迷宮に潜るという事自体珍しい。
しかしだからと言って、迷宮に潜る少女達を精霊だと結びつける者もいないはずだ。
孤児や貧困民が生きる手段として迷宮に潜る事を選ぶのは、珍しくはあるが存在しない訳でもない。俺も魔法などの技能などを身に着けて、どこぞのパーティーに加わる年端もいかない冒険者達をもう何度も見た事がある。
魔物を追い払う程度の魔力にさえ抑えていれば、ノーレさんもきっとそのような存在にしか映らないであろう。幸い、知り合いに会う事もなかった為に不思議がられる事もなかった。
「……でも、一角獣が森に出るなんて、そんな事もあるんスね」
俺の話を一通り聞き終えた後、レドリーはそう口を開いた。
「ああ、そうだな。俺も本当に驚いた」
「というか、聞いた事無いっスよ。教会の象徴たる三聖獣の一角獣が森に出てくるだなんて。兄貴、それでよく生きてられましたね」
「……私も驚きです。そんな事、聞いた事がありません」
ずっと俺達の話に耳を傾けているだけだったノーレさんが、そう口にした。
「しかし、一角獣のような聖獣を倒していたのであれば、『ヌシ』を倒した時にあれだけの魔力が出たというのも納得いきます」
「成程。それでレベルが上がってたから、色々と兄貴も強かったんスね。……でも、兄貴、本当はレベルいくつくらいなんスか? 21って言ってたのも、多分嘘でスよね」
「ああ、うん。……悪い。本当は今朝までは48だった。どうにもさっき、更にレベルが上がったみたいなんだけど」
「うへぇ、マジっすか……。道理で強い訳だ。それって、BランクかAランクくらいの冒険者じゃないっスか……」
そんな話をしているうちに、迷宮の入り口が見えた。
迷宮から出ると、もう街はすっかり夕焼けに包まれていて、東の空にはうっすらと星が見えた。
西日は眩しく目に染みて、今回も無事に戻ってこれたのだという安心感が身体を包み、気が抜けた。
「……久々に、陽の光を見ました」
「そうですね、400年ぶりでしたか」
呆然と街の景色を眺めるノーレさんの言葉に、俺はそう返した。
俺も久々に陽の光を見た気がしたが、それは彼女と俺とではまったく重みの違う物だろう。約400年とたかだか半日の違い。だが、迷宮という太陽の光が届かない地下に潜ると、そのままもう出て来れないのではないかと不安になり、その感覚を忘れてしまいそうになる時がある。特に今日はそれが顕著だった。
迷宮の圧迫感から解放され、空が極端に高くなり、その高さに眩暈がしそうになる。
「ん、んぅ……」
そして西日が染みたのは、アルカさんにしても同じ事だったらしい。
背中から呻き声と共に、もぞもぞと動きが起きた。
「……んぅ、ご主人?」
「アルカさん、良かった。目が覚めたんですね」
「ん……ああ、なるほど。ここは、迷宮の外か。……余は、あのまま倒れてしまったのか」
まだ目覚めたばかりだからか、力の無い声だった。しかしすぐに状況は理解出来たらしく、そう呟き、太陽の光に目を細める。
「アルカさん、良かったっス」
「……剣の精霊アルカ」
レドリーの言葉に続き、ノーレさんもアルカさんに声を続ける。
その声に目を向けたアルカさんが、少し神妙な面持ちで彼女を見た。
「貴様は……いや、なるほど。そなたが、そうなのか」
「……はい、そうです」
ノーレさんは、俺の背中にいるアルカさんに向かって挨拶をした。片足を斜め後ろの内側に引き、ドレスの裾を軽く摘む、ダラムの街では普段なかなか見る事の無い挨拶だ。
「お初にお目にかかります、剣の精霊アルカ。私はノーレと申します、御身と同じ剣精霊。この度は御身と同じ剣精霊の身にありながら……」
「良い、良いのだ。ご主人との契約の事なら気にするでない。それに余もそなたと同じ剣精霊、妙に畏まられても困る……ご主人」
アルカさんはノーレさんの言葉を遮りそう口にした。それから俺の背中をとんとんとんと叩き、俺に訴えかける。
下ろせ、という事だろう。
俺はそれに従い、彼女を地面へと下ろす。
アルカさんが大地に立つ。
「う、ぅ……」
まだ少し眩暈がするのか、アルカさんの足取りはおぼつかず、自身の額をおさえた。ともすればまた倒れてしまいそうなふらつきぶりに、俺はあわてて彼女を支えようとする。
「大丈夫ですか。まだ、しばらく休んでいた方が良いのでは?」
「うむ。流石に、そうさせて貰おうかの。……だがその前に、剣精霊ノーレ、そなたに言わねばならん事がある」
「……はい」
俺の身体を片手でおさえ、支えとしながらアルカさんはそう言うと、2柱は向かい顔を向かい合わせることとなった。
不安げな表情をノーレさんが見せる中、アルカさんは彼女に頭を下げた。
その様に、俺もノーレさんも驚いてしまう。
「此度は契約主を助けてくれた事に感謝せねばならん。余では間違いなく、ご主人をあの場から救う事は出来なかった。……礼を言う、ノーレ」
「……いえ、礼だなどと、そのような言葉は不要ですアルカ。私も主様の契約精霊ですから。……それより私こそ、貴女にこの契約の事を……」
「だからそれは仕方のない事だと先程も言っただろうに。気にするでない」
再びアルカさんは彼女の言葉を遮る。
「……だが、そうか……礼はいらぬか。……そうだな。そなたももうご主人の契約精霊なのだからな。契約主を護る事は当然の事か。……どうやら、契約の事を気にしているのは、そなただけでなく余も同じ事のようだ」
そう表情に陰りを落としながら、一人言のように呟く。それから、アルカさんは俺の支えにしていた俺の身体をくいくいと引っ張った。
「ご主人、すまぬが背負ってくれ。人の目がある中で堂々と剣になる訳にも行かぬ。……余はやはり、まだ疲れているようだ」
彼女に従い背中に彼女を乗せると、アルカさんは俺の首に手を回した。それから俺にだけ聞こえるような小さな声で、俺の耳元でぼそりと呟く。
「力になれず、すまぬ」
「……アルカさん?」
「いやぁ、でも良かったっスよ。アルカさんも目覚めてくれて」
アルカさんの声は俺にしか聞こえなかった為に、レドリーが気にせず声を上げた。俺の疑問への返答が無いままに、皆がレドリーの方に目をやった。
「兄貴、ご飯にしませんか? ほんっと、自分お腹空いちゃって大変なんスよ。兄貴、荷物の整理をしたら早速食べに行きませんか? アルカさんが食べるなら、ノーレさんも食べるっスよね?」
「食事、ですか。確かに主様の言っていたように、今の私なら食べる事も可能かもしれませんね。興味があります」
「……うむ。なら、そやつの歓迎も込めて、今日は盛大に食べようではないか。……さ、行こうぞ、ご主人」
「ああ、はい。そうですね。行きましょうか」
背中で声を上げるアルカさんにそう返しながらも、俺は彼女の事が気がかりで仕方が無かった。勿論、その『盛大に食べる食事』の資金が、誰の懐から出る物なのかも少しは気になるところではあるけれども、それよりもアルカさんの様子がおかしいというのは明らかだったからだ。
声のトーンもいつもより低い。それは決して、疲れているからなどといった言葉では説明の行かない事のように思えた。それに、俺の首に手を回している腕の力に込められる力も、不必要に強い気がした。彼女の筋力ではどれだけ力強くしても痛くは無いものの、まるで必死に俺にしがみつくかのような力の入れ様だった。
そして道中、彼女は食前だというのに、言葉も少なげだった。
それは人気の無くなった場所で、彼女がヒトの姿から剣の姿に変わり、俺がレドリーから荷物を受け取り一度家まで帰って、それからまた合流して飲食店に行くまで、いや、行ってからも、彼女の調子はずっとそのままで、元に戻る事はなかった。