41 剣精霊に剣精霊を紹介するという事
『――ご主人?』
その声が聞こえたのは、6層から5層へと続く階段へと辿り着いた時だった。そこに辿り着くまでに、幸いにも俺は先程の蜥蜴戦士以外の魔物には遭遇していなかった。
「……アルカさん?」
『ご主人。そなた……まさか、聞こえて、おるのか?』
短い言葉だというのに、それでもはっきりとわかる程に彼女は苦しそうで、声に余裕が無いのがわかる。
まるで今にも倒れてしまいそうな声だった。アルカさんのそのような声を聞いたのは初めての事で、俺は驚いてしまう。
「アルカさん、何かあったんですか!?」
『いや、大丈夫だ。今のところ獣娘も無傷だ。……ただ、契約違反による身体の痛みが、思っていた以上の物であったのでの。このような経験をするのは初めての事なので、完全に甘く見ておった。今はその痛みが引いた為に、まさかと思い回線を開いてみたのだが……どうやらこの様子だと、ご主人はあの場所から抜け出せたようだな』
『アルカさん、兄貴、戻って来れたんですか!?』
次いで、レドリーの思念が俺の頭に響く。
「レドリー、聞こえるか?」
『ああ、兄貴……良かったぁ。無事だったんスね』
心から安堵しているかのような、レドリーの声が返ってくる。
アルカさんの言う通り、どうやらレドリーは無事らしい。しかし当のアルカさん本人が、かなり気がかりな状態であるようなのだが。
「心配かけてすまない。こっちは今、6層から5層に向かう階段に着いた所だ。レドリー達は今どの辺りにいるんだ?」
『こちらは今、4層から3層に上がる階段のあたりにいまス。地上にまだ辿り着けてません。……かなり離れてまスね』
(……なるほど。だからアルカさんとの回線 が繋がったのか)
彼女達のいる場所からは確かに離れていた。
しかしその場所ならば、こうして思念が届いたとしても不思議な事ではない。
地図の上では、彼女達は俺のほぼ真上にいる事になる。たとえ迷宮がその形を変えたとしても、階段のある位置までは変わる事は無い。直線的な距離であれば、先程あの洞窟に落ちた時に彼女達と思念のやり取りをしたのと同じか、少し近いくらいになるはずだった。だからこうして一時的にではあるものの、俺とアルカさんは契約の範囲内になり、彼女の痛みも引いたという事だろう。
『今からそちらに引き返しまスね。……ただ、アルカさんが結構辛そうなので、どうしても少し時間がかかってしまいそうっスけど』
『……余計な事を、言うではない。それくらい出来るわ』
アルカさんがレドリーを批難するように声を上げるが、その声はやはり苦しそうで、強がっているように聞こえてしまう。
「いや、それなら多分、俺がそっちへ向かった方が良いと思う。階段付近にいるなら、悪いが3層に上がって待っていてくれないか。……ただ、どうしても契約の距離から離れる事になるので、アルカさんには辛い思いをして貰う事になりますが」
この迷宮の4、5層はゴブリン達の棲家になる。
アルカさんの今の状態が具体的にどのような物かはわからないが、話を聞く限りでは歩く事も辛いのかもしれない。そのような状態で2人に無理をさせたくなかった。昨日レドリーがゴブリンの群れを相手に遅れを取っていたという事もある。
それに比べれば、3層はまだ比較的安全な階層になるはずだった。
『でも、兄貴は大丈夫なんでスか? アルカさんがいないと、武器がないんじゃ……』
『いや、それについてはおそらく問題なかろう』
心配そうに声を上げるレドリーに、アルカさんが答えた。
『先程からご主人と念話していて、ご主人の隣にはずっと何かがいるような感覚はしておったのだが……今やっと合点が行ったぞ。その力があれば、確かにあの場所からは出る事も可能だろうからな。……だが、その感覚だと、そやつはおそらくは余の同種だな、ご主人。……まさかよりによって、「剣」とはの』
その口ぶりだと、アルカさんは俺が精霊と契約した事、それが剣の精霊だという事にも気付いているようだった。
その言葉からは同時に、今朝道具屋で俺が他の「剣」に触ろうとした事で、彼女がそれを『浮気』だと糾弾して来た事を俺に思い起こさせた。
「アルカさん、すみません、実は……」
『言うなご主人。……確かに引き裂かれそうな思いではあるが、このような事態では致し方ない事よ。とにかく今はそやつの力を遣って、この獣娘の為にも早く戻って来るのだ。悪いが余にはこのまま回線を繋げ続ける程の余力も、そちらに向かう気力もそう無い。……不甲斐なくてすまぬ、ご主人』
『あー、兄貴? ちょっとよく何を言っているのか自分には理解出来ないっスけど……大丈夫そうなら、とにかく今は3層に上がって、アルカさんを見ていまスね。ちゃんと自分が護るっスから、心配しないで下さい。……ただ、後でちゃんと、自分にも隠さずに教えて下さいね』
『ふん。貴様に護られるまでもないわ、甘く見るでない』
最後にそう思念が飛んで来るなり、回線が途切れたのがわかった。
『……主様、少し急いだ方が良いと思います』
アルカさん達との念話が終わるなり、今度は俺の腰に収まった白色の剣から声が届く。
『彼女は強がってはいるようではありますが、あの様子では、やはりかなり疲弊しているように思えます。私も昔何度か経験した事がありますが、あれは到底耐えられる痛みではありません』
「そう、なんですね。……でも今の念話、ノーレさんには聞こえていたんですか?」
階段を上りながら、俺は彼女に聞いた。
『はい。今は私も主様の契約精霊ですから。回線に割り込みさえすれば聞こえます。……しかしあの様子ですと、彼女は他の「剣精霊」との多重契約を嫌う性格の精霊だったようですね。私はあまり気にしない方なのですが、やはり精霊の中には多重契約を極端に嫌う存在もいますので。そういった精霊でなければ良いとは思っていたのですが、難しかったようです』
「自分がいるのに、他の剣を持つという事になるから……ですか?」
階段を上りきり、5層を進みながら尋ねる。
『はい。精霊によって「契約」の捉え方は異なりますが、主様の言うような考え方をする精霊も中にはいます。「同種の精霊」を嫌う者、同種だけでなく自分以外の「武器精霊」という存在を嫌う者、極端な例になると「自分以外」の精霊との契約を嫌う者も存在します。「精霊契約」を男女の契りのように捉える精霊も中には存在します。そう言った精霊にとっては、契約者はまさしく「生涯の伴侶」のような存在なのだとか』
「……なるほど」
今朝、アルカさんは会話の中でまさしくそう言った言葉を遣った。
アルカさんが他の精霊との契約に対してどこまで拒否感を持つ精霊なのかはわからないが、少なくとも自分以外の『剣』を持つ事に関して言えば嫌がっているようだった。だとすれば俺がノーレさんと契約をした事は、彼女にとっては『多重婚』のような物にあたるのだろう。
だが――
『しかしそれを知ったところで、我々には契約を回避するという選択肢はありませんでした』
「そうですね」
そう俺は返す。
アルカさんには悪いとは思うが、あの状況では、そう言った事を気にして命を捨てる事も出来ない状況だった。命あってこその契約だ。死んでしまえば元も子もないのだから、彼女には納得して貰うしかない。
「とにかく今は早く彼女達に合流しましょう」
『はい、そうですね。……主様』
突然、ノーレさんの声が低くなる。迷宮を歩き続けていた俺に、それを伝えようとしてくれたのだ。
「はい、気付いています」
しかし俺の方でも、先の角から曲がって来ているゴブリン達には気付いていた。
俺は彼女にそう答えながら、白色の剣へと手を伸ばし彼らに向けて駆け出していく。とにかく今は、早く彼女達に合流しなければならない。一々ゴブリン達を避けて道を変えてもいられない状況だった。
アルカさんやレドリーと合流出来たのは、それから1時間程後の事だった。