幕間 剣精霊ノーレ⑦
悲嘆に暮れる私の事を、小精霊達は慰め続けてくれた。
彼女達だって契約者を失い、本当は泣きたかっただろうに。来る日も来る日も、泣き続ける私を励まそうとしてくれた。
『小精霊』達には本当に申し訳なく思った。
『彼女』が私を満足させる為に龍を倒すなどという目標を持たず、迷宮に潜り続けていなければ。子鬼を倒す為に小太刀の姿になっていなければ。私が自分を満足させて欲しいなどと、彼女にワガママを言っていなければ。私が彼女と契約を結んでいなければ。
いや、そもそも私が彼女の前に現れなければ。
彼女はきっと今も子鬼1匹倒せないままで、迷宮に潜る事もなく『小精霊』達と共に『薬草』を拾い続けていて、『小精霊』達だって、こんな場所で動けなくなる事も無かったハズなのに。
『……それは違うよ、ノーレ』
『ノーレのせいじゃないよ!』
『誰も悪くないって』
『そうだよ、あの魚が悪いんだよ』
『私達もマスターを護れなかったんだし』
『だから謝らないでノーレ』
小精霊達は、誰も私も責めようとはしなかった。むしろ私に優しい言葉をかけてくれた。
私が満足していると伝えたところで、冒険者である彼女は迷宮に潜り続けていただろう。それに、私が契約をしていなければ、もっと早くに彼女が命を落としていた可能性だってあった。
だけどどうしても、感情の波が押し寄せて来て、悲しみが止まらなくなる。気を遣わせたくなどないのに、皆の前で泣いてしまう事があった。水中では動けないせいで、隠れて泣く事も出来なかったのだ。
どんなに慰めてくれても、私の罪悪感が消えるという事は決してなかった。
それどころか、彼女を失った事への寂しさと、後悔の念は日に日に強さを増して行く一方だった。
どうして私は、もっと彼女に素直になれていなかったのだろうか、満足していると伝えなかったのだろうか。もっと早く、彼女の事が好きだと気付けていれば良かったのに。
もう一度だけで良い、彼女に会いたい。
そんな思いばかり重ねながら、時間はただただ過ぎて行った。
水中では動く事が出来ずに不自由だったけれども、それでもまだ救いはあった。
『小精霊』達がいてくれたからだ。
彼女達は私に本当に優しく接してくれた。
あれだけ生意気な態度をとっていたにも関わらず、私をまるで妹のように扱い、気を遣ってくれた。
皆私よりもずっと長い時を生きていて、もう何度も契約者を失う悲しみは経験していたらしく(と言っても、『彼女』程素敵な契約者はいなかったと皆、口を揃えて言うが)、過去の契約者達との思い出話を聞かせてくれて、気を紛らわせようとしてくれた。
途方も無い年月の中、時にはもう何度聞いたかわからない話を聞いた。
しかしそれでも、私はその時間に救われた。彼女達と何か話をしていないと、ふいに寂しさが襲ってきて、泣いてしまいそうだったからだ。
それでもどうしても我慢が出来ない時があって、泣いてしまう時はあった。
『もう、ノーレは本当に泣き虫だなぁ』
『……すみません』
『いいよ、思いっきり泣いてすっきりしな』
『そうそう、泣け泣け!』
『ないちゃえ!』
『カタルシスはいいぞ!』
『……そんな風に言われると、泣けませんよ』
困ったように私は言う。
皆が笑ってくれるから、私もつい釣られて笑ってしまい、救われてしまった。
少しづつ、少しづつ私は、『小精霊《彼女》』達に対して素直になれるようになっていった。
それは多分『彼女』に素直になれなかった分を取り戻そうという意味もあったのだと思う。だけど小精霊達の前でどれだけ素直になれても、どうして私はそれを『彼女』の前で出来ていなかったのだろうかと、毎晩小精霊達が寝静まった後、後悔して泣いてしまったけれども。
『彼女』の事を忘れた事は1日たりとも無かった。
もし仮に忘れたかったとしても、忘れる事など出来なかったであろう。
私達の頭上にいる巨大魚の中からは『精霊の指輪』が魔力を放ち続けていたからだ。
途方もなく長い時間が流れたにも関わらず、あの巨体から『精霊の指輪』が排出されてくることはなかった。
魚が『指輪』を気に入ったあまり、離すまいとしていたのか、『指輪』自身に何か考えがあって、魚から離れようとしなかったのか、はたまた偶然なのか、それはわからない。
しかし『精霊の指輪』を孕み続けている巨大魚は、その魔力の影響なのか、日に日にその巨体を大きく、強く成長させているようだった。
おそらくはあの様子だと、生命力もあがり、『ヌシ』はこの先何百年、いや何千年と生き続けてしまうかもしれない、そう小精霊達は口々にそう言った。
私達は皆、その巨大魚の事を『ヌシ』と呼ぶようになっていた。
それは図らずとも私達の『契約者』の事を『主様』と呼ぶ1柱の小精霊とかぶってしまったのだけれども、他の小魚達があの魔物の事をそう呼んでいる為に、他に名付け様もなかった。また私たちが『彼女』の事を護れなかったという戒めの意味も込めて、そう呼ぶようにしたのだ。
言ってみれば自傷行為。
でも、そうでもしなければ、私達は自分達を許せなかった。
『ヌシ』に対する復讐心はあった。
だけど、水中にいる私達は無力で何も出来ない。
それに契約者の力がなければ、力も使えない。
その契約者がいない。
そんな私達に出来る事といえば、こうしてお互いに会話をし、お互いの寂しさを必死で埋め合い、それから目を逸らし続ける事だった。もっとも、私は他の精霊達に比べれば、話す事なんてほとんど思いつかず、全然皆の役には立てなくて、皆の寂しさを埋めるというよりは、皆に慰め続けて貰っているような物だったけれども。
『ノーレは妹みたいな物だからね。気にしないで!』
『そうそう、いもうと!』
『主様の事、今までずっと助けてくれてたんだし、今度は私達が、ね』
『妹って言っても、凄く大きい妹だけどね』
『でもそれ、水中だとヒト型になれないから関係ないし!』
『もうすっかり、私達よりちっちゃいイメージだよね!』
そんな事を、皆は言ってくれる。
いつの間にか、『小精霊』達はすっかり私の姉だった。
そうして、私達がこの水底に沈んでから、40年が過ぎた頃からだったろうか。
再び別れの時が来る。
『小精霊』達が寿命を迎え始めたのだ。
◆◇◆◇◆
彼女達は私とは違い、あまり長くはこの世にとどまれない存在だった。
皆、ニンゲンと同じくらいの寿命しかないのだ。
『じゃあね、皆。みんなと一緒にいれて、楽しかったよ!』
『さきにいってるね、ありがと!』
『さよなら、みんな! 今更多くは語らぬ! ……ごめん嘘、みんなともっと話してたいよー! みんなはいいぞ!』
『もし本当に転生なんて考えがあるのなら、またみんなで一緒になりたいね』
『……ありがとね、2人とも。……もう、泣かないでよ、ノーレ。最期なのに……こっちまで泣きそうになるじゃん……』
1柱、また1柱と小精霊達は消滅して行った。
消え行く彼女達を見送りながら、どうして私は彼女達とは違うのだろう、そう思った。
どうして私は『剣精霊』であって、『小精霊』ではないのだろうか。
どうして私は彼女達と同じように、共に消えて行く事を許されないのだろうか。あれだけ最初は、私は彼女達の事を嫌っていて、一緒にされたくなどなかったハズなのに、今では大好きになってしまった彼女達と一緒の存在でありたかった。大好きなみんなに、また置いていかれてしまう事が寂しかった。
そうして、この場所に来て50年が経ったある日。
遂にその時は来てしまった。
最後に残った『小精霊』も、消滅する日を迎えたのだ。
『今までありがとう、ノーレ。本当に楽しかったよ』
最後に残った『小精霊』は、私達のまとめ役をしてくれていた彼女だった。
『……私もです。今まで本当に、色々とありがとうござました』
彼女と過ごした時間は、私達の『契約者』と共に過ごした時間よりも、もう遥かに長くなっていた。
その間、彼女には本当に助けて貰った。姉のように、いつも私に気を遣ってくれて、泣いている時は慰め続けてくれ、そうして私の知らない色々な事も教えてくれた。……しかしどうしてだろうか。目の前の彼女の最期の時に思い出すのは、『契約者』と共に過ごしたあの2年の事ばかりだった。きっとあの2年が濃すぎたせいだろう。
『もう、また泣いてるんだから、本当にノーレは泣き虫だなぁ。……でも、ごめんね。これからはもう、誰も泣いているノーレを慰めてあげられないんだよね。あーあ、せめて1回くらいは、主様みたいに、近くで抱きしめてあげたかったんだけどな』
せめて私も魔力で姿を投影する事も出来ていればなぁ。
そう、その『装飾具』から思念は送られてくる。
小精霊の弱い魔力では、残念ながらそれは不可能な事だった。
『いえ、私の方こそ……ずっと、貴女にはご迷惑をおかけしてばかりでしたから。それに、そもそも皆さんをこんな事にしてしまったのは私のせいですし……』
『だから、ノーレのせいじゃないんだって。……もう。何回、何千回、何万回言ったらわかってくれるのかかね、この子は』
本当に、心配なんだから。
彼女からは、呆れた声の思念が飛んで来る。
しかし、彼女から感じる波長は悲しい感情だった。色々と堪えて、我慢をしてくれているのだろう。
『昔よりずっと素直になってくれたのは良い事だけど、そうネガティブな事は、次の契約者の前では絶対言わない方が良いよ』
『……次の契約者、ですか?』
私は聞いた。
もう50年も一緒にいたが、そんな話をするのはこれが初めての事だった。
『可能性はあるんじゃない。ほら、前に1度天井に穴が開いたじゃん。もしかしたら主様みたいに、同じようにあそこから落ちてくるニンゲンもいるんじゃないかな。そうしたら、契約して出して貰えるかもしれないし』
『でも、「ヌシ」がいる以上、その可能性はかなり低そうですね。そもそも精霊の事を視認できるニンゲンも少ないですし。……それに、だとしても私はもう契約など……』
『まぁ、強制はしないけどさ、ノーレには誰かと契約して欲しいな。主様みたいなニンゲンはそうそういないだろうけど、折角私達よりノーレはずっと長く生きられるんだしね。もし私達に罪悪感を感じてて、私達に感謝しているのなら、今度はノーレが誰かの役に立ってあげて。……大丈夫、ノーレの笑った顔を見せてやれば、ニンゲンはすぐにノーレと契約したいって思ってくれるよ。ノーレは笑ったらすっごく可愛いんだから。笑わなきゃ勿体無いって!』
『……私の笑った顔、見た事があるんですか?』
『おっと……ああ、うん。ごめんね。これは本当は言わないで逝こうって、皆で言ってたつもりだったんだけど……最期だし、まぁいいか。1度だけ見た事があるよ』
『……え? いつですか?』
私は声を上げて聞いた。
私がヒトの姿で笑ったことなんて、ほとんど無かったハズだ。
誰かに見られたのは『彼女』に1回だけ、その時も小精霊達は離れていた思っていた。
『ノーレはもしかしたら自分じゃ気付いてないかもしれないけどね、笑ったんだよ。主様がいなくなる直前に、ベッドで主様と2人で一緒に話してた時があったでしょ。主様に背中を向けてさ。その時、ノーレ、もうもの凄く幸せそうな笑顔で寝てたんだよ。その顔を見て、みんなで可愛いねって言ったんだよ』
『あっ……』
まさか、あの時小精霊達は皆眠っていたと思っていたのに。
彼女達は起きていただなんて。
『ああ、もっと色々と言いたい事があるんだけど……ごめんね。ノーレ、そろそろ時間みたい。なんだか身体がもう重くなってきたや。だから、次の契約者には、今度こそ言いたい事はちゃんと言って、素直に甘えて、後悔しないようにするんだよ。ニンゲンは波長を読み取れないし、言わないとわからないんだから』
――……それに、私はもう……
――……ん、何が?
――……
その言い方だと、私と『契約者』のやり取りについても、小精霊達には聞かれてしまっていたのだろう。多分、彼女には私が何を言いたかったのかも気付かれていると思う。だから傷つくと思い、彼女達はそれを私に話さず、隠してくれていたのだろう。彼女達は私よりも、ずっと知性があって賢い、尊敬すべき精霊達だったから。
『あー、あと最後に。「精霊の指輪」、あの『ヌシ』からなかなか出てこないやつの事だけど……もしあの指輪が落ちてくる事があったら、出来ればその時は、ノーレが持っていて欲しいな。……あれは……主様との大切な……思い出……だからね。ノーレが、いるのに、他の精霊の、とこに、いっちゃうのは……少し、寂しい、な……て……』
その言葉を最後に、彼女が言葉を発するのはもう2度となかった。
『……』
そうして、今度こそ間違いなく、私は1人きりになってしまった。
どれだけ泣いても、今度こそ誰も慰めてくれる存在はいなかった。
◇◆◇◆◇
それから350年という、今までよりもずっと途方もなく長い時間を、私は1人で過ごす事になった。出来れば、その時間の事は語りたくない。私は泣いてばかりだったから。
こんな事なら本当に『彼女』には、いや、『彼女達』には、もっと甘えておけば良かった。
そうすれば、こんなに寂しいこの時間も彼女達との幸せな思い出に浸る事で、より楽に逃避が出来たかもしれないのに。そうすれば、ここまで毎日後悔して泣き続ける事も無かったかもしれないのに。
――次の契約者には、今度こそ言いたい事はちゃんと言って、素直に甘えて、後悔しないようにするんだよ
小精霊に言われた言葉を思い出す。
『次の契約者、ですか……』
こんな場所に、ニンゲンがやってくるなどとは思えない。それにこの水中にいる限りは『ヌシ』がいる。彼はもうニンゲンの手には負えない程に強くなってしまった。だから彼をかわして私を救ってくれるニンゲンが出てくるなどとは到底思えない。その可能性は限りなく低い。
だけど、もし仮に。
もし仮に、私に新しい契約者が出来る事があれば。
その時は彼女の言う通りにしてみるのも良いかもしれない。
きっと、それからの350年という長い時間を1人で待ち続ける事が出来たのも、『ニンゲン』達と過ごしたという幸せな思い出に後悔しながらもすがりつき、『小精霊』達の優しさと、その言葉にかけてみようと思えたからだ。だからどんなに泣いて、心が折れそうになっても、その時を信じて待ち続ける事が出来たのだと思う。
そうして、私がここに来て400年が経ったある日の事、それは起こった。
私の新しい契約者となる彼が、迷宮から落ちてきたのだ。
◆◇◆◇◆
「精霊、ですか……?」
そう言って目を丸くする彼も、私が今まで契約した事のない種類の『精霊遣い』だった。いや、もしかするとニンゲンというのは、誰1人として同じような種類などいないのかもしれないけれども。
彼は見るからに普通のニンゲンだった。
精霊遣いらしくない精霊遣い。
以前の私なら、決して彼と契約など交わさないであろう種類のニンゲンになる。以前の私なら、きっと。
聞くところによると、彼は元々ただの剣士なのだそうだ。
『精霊の指輪』を偶然にも拾ったせいで精霊が見えるようになったのだと言う。
そのような境遇は、彼女に似ていた。
と言っても、彼は彼女には似ても似つかない。
そもそも性別が違う。見た目も違う。背の高さも、見た目から感じる『力』や『魔力』も、声も、話し方も、性格も。
何もかもが違う。
だけど、彼女と同じように『精霊の指輪』を持った彼と初めて会話をした時に、『何か』が彼女と似ていると思ったのだ。
……何か?
……なんだろう?
「来い! ノーレ!」
私の名前を呼び捨てにした事だろうか?
いいや、それは偶然だろう。
きっとその時の彼には余裕が無く、敬意を払い忘れただけだろう。
一瞬、どきりとしてしまったが、ただそれだけの事だ。
だけど、その『何か』の正体は、その後すぐにわかった。
彼と契約して400年ぶりの『実体化』を果たした私が、空中で彼の手を掴んだ時にその正体はわかった。
彼からは、彼女と同じ匂いがしたのだ。
体に染み付いて取れない『薬草』の良い匂い。
私がこの400年間、ずっと思い出の中で恋焦がれてきた匂い。それこそが、彼から感じていた『何か』の正体だった。
「来ました! リュシアン!」
ああ、それから、妙に鈍感そうなところも似ているかもしれない。
私が彼に握られた瞬間に、彼の能力に応じて少しだけ剣の形を変えた事にも、多分彼は気付いていないだろう。あの400年間憎くあり続けた魚を一撃で葬れるであろう高い魔力を、彼からは感じてしまい、その予想外の力に驚いて少しだけ姿を変えたけれども、多分2人とも、私の細かい調整にはあまり気付かない方だと思うから。
勿論、だからと言って、彼が彼女と同じだとは思えない。
……だけど、もし彼の事を、彼女と同じように、好きになれるのであれば。
今度の契約者には、素直に甘えてみようと思った。
もう次こそは、後悔をしてしまわないように。