幕間 剣精霊ノーレ③
一番賢い方法は、今すぐこの契約を『終了』させ、悪評が広まる前に新しい契約者に『龍殺し』をさせてしまう事だろう。しかし『小精霊』達が彼女を護っている以上、想像していたよりもずっと彼女が死ぬ可能性は低そうだ。だからと言って私が彼女を直接手を出して殺すなどもってのほかだ。
それに、私にもプライドという物がある。
『剣精霊』と契約しているのに、その辺りにいるような低級な魔物に負ける事などあってはならない。その程度の魔物にむざむざ殺されるなど、私の名前が折れるという物だ。
……それに、出来る事ならば『精霊の指輪』の放つあの心地良い魔力はまだ味わっていたいのだ。少なくとも、もうしばらくの間は。
だが、彼女は本当に弱かった。
もし死ぬのだとしても、せめてそれなりに名のある魔物と戦って死んで欲しいのだが……そんな魔物と出会う事すら、現状ではありえない事だった。
「今日は迷宮には潜らず『薬草』を拾いに行こう!」
『薬草ー!』
『薬草はいいぞー!』
「……」
ゴブリンすら倒せない彼女が、迷宮の奥深くに潜る事は無い。いや、そもそも迷宮に潜らない日すらある。まさか私と契約しておきながら、そんな依頼を受けるなどとは思いもしなかった。
彼女は決して危険な依頼など受ける事は無く、他の冒険者とパーティーを組むという事もなかった。
……いや、正確に言えば組んで貰えない|。
『精霊遣い』であるにも関わらず、彼女は他のニンゲン達に避けられていた。
彼女と組むのは『危険』だからだ。
彼女は『精霊の指輪』の力によって『精霊』が見えているだけに過ぎない。彼女のMPやINT値は、他の『精霊遣い』どころか、並のニンゲン達に比べてすら極端に低い。まるで獣人かと思う程、彼女は魔法の才能に恵まれていない。だから本来の『精霊遣い』のように、『精霊の力』を借りて魔法を放つという戦い方が出来ない。
『武器精霊』の私と契約するまでの彼女は、小精霊達にただ護って貰っているだけに過ぎなかった。6柱の小精霊達が各々好き勝手に判断して魔法を放ち、彼女に近づく魔物を追い払う。
しかしこれは、他の冒険者からすれば怖い事だ。
『私』や『小精霊』達の姿は、他のニンゲンには見えない。
契約によって『私』や『小精霊』達は『実体化』こそしているものの、他者から視認される事は無い。契約者以外のニンゲンに『契約精霊』を認知させる為には、契約者の『強い魔力』が必要だからだ。
具体的に言えば、並大抵のニンゲンであればレベル45程度の魔力だろうか。勿論、魔力の才能の無い彼女に関して言えば、更にもっと高いレベルが必要だろう。
他の冒険者達からすれば、彼女と一緒にいると、何も存在しないハズの場所から次々に魔法が飛んで来るという状態になる。
それ故に、彼女と組むのは、いや、彼女に近づくのすら危険だと言うのが、他のニンゲン達の共通認識のようだった。「虚空に向けて自分達には見えない精霊と話している危険なニンゲン」というのが、彼女だった。
だから彼女は、他のニンゲン達からはいつも距離を置かれていた。
当たり前だろう、『小精霊』は私からすれば『劣等種』でしかないが、それでもニンゲンからすれば畏敬されるべき存在。ニンゲンが簡単に近づいて良いものではない。本来は彼女のように馴れ馴れしくしようものなら、首を刎ねられても文句は言えないのだから。
……もっとも、当の彼女は『私』や『小精霊』達の事を、家族か何かだと勘違いしているようだが。
「ノーレ、一緒にお風呂入ろう!」
「……正気ですか?」
呆れてしまう。
彼女は気にしていないようだったが、それでもやはり、同族に避けられるのは傷つくのだろう。時々ふとした時に、ひどく悲しい表情を見せる上に、眠っている間、涙を流す事もあった。
「……寂しい」
ぼそりとそう、寝言を漏らす。
「……」
多分、それが彼女の本心なのだろう。普段は決してそんな事を言わないにも関わらず、私の事を抱きしめながら涙を流す事がある。『精霊の指輪』の魔力は心地良いが、どうにもそんな風にされるのは我慢ならない。その度に私は光の粒子となり、部屋から抜け出す。
本当はこのままどこかへ行ってしまいたいくらいなのだが、契約がある以上、それは出来ない事だった。それとなく、何度か逃亡を図った事もあったのだが、契約違反による身体の痛みが相当の物で、私はすぐにそれを諦めた。
「……これではまるで、私が慰み者になっているみたいではないですか」
そう私は一人言つ。
寂しいだなんて。流石は群れないと生きられないニンゲンと言った所だろうか。私には到底理解できない感情だ。私は『剣精霊』。彼女の『人形』になる為に契約をした訳ではない。
『まぁまぁ、そう言ってやらないでよ、ノーレ』
「……」
声をかけられる。どうやら聞かれてしまっていたらしい。
私がベッドを抜け出すのを見て、ついて来ていたのだろう。
『小精霊』達のまとめ役的存在。『先代の契約者』がこの街に来て一番最初に契約したのが彼女だった。『小精霊』の癖に、私に対してすら妙に気を遣ってくるので、正直なところ気に喰わないでいた。
『主様はノーレと違って、そう強くないんだよ。「小精霊」達は小さいから、どうしてもニンゲンの代わりにはなれないし……私達もノーレくらい大きかったら良かったのにな。それなら主様の寂しさを少しは癒せるかもしれないのに』
「……そんなにニンゲンが恋しいなら、『小精霊』達に頼らず、彼女が自分自身の力で強くなれば良いだけの話だと思います」
『それが出来りゃ苦労しないんだって。私達が護ってやらなきゃ、主様はすぐに死んじゃうだろうしね』
「……でしょうね。あれだけ弱いニンゲンも珍しいです」
『大目に見てあげて。……どうにも主様は、この街に来るまで冒険者になるつもりは無かったみたいだからね。「狩り」の経験も無ければ、魔物達と戦うのも初めてみたいなんだよ。能力が低くて当然』
「……ならなぜ彼女は、ダラムの街にいるのですか?」
『さぁ。何度聞いてもはぐらかされるけど……どう考えても夢を見てやって来たタイプでは無いよね。あれは』
「……」
ニンゲンの事情など知った事ではないが、どこにも生きる場所を見つけられないニンゲンが、最後の望みとして、この街の冒険者になると聞いた事がある。大抵そんなニンゲンは、この街に来てもすぐに死んでしまうらしいのだが。だから彼女もきっとそうなのだろう。ここまで生きているだけでも運が良いのだ。
『……ねぇ、ノーレ。主様に力を貸してあげてよ』
そう小精霊は言った。
『ノーレが思っているように、私達もこのまま主様をただ護っているだけじゃいけないって思ってる。私達に頼らないでも良いように、主様には強くなって貰いたい。でも私達だけじゃどうにも上手くいかない。主様は魔法も上手く遣えないから、私達じゃ役に立たない。だから、ノーレの「剣精霊」としての力を貸してやって欲しいんだ。そうすればきっと、あの子もこれ以上、泣かなくて済むかもしれない』
「……何を言っているんですか? 私は既に契約して、力を貸しているじゃないですか」
『本当にそう思ってる?』
「……何が言いたいんですか?」
私は彼女を睨みつける。含みのある言い方だった。それはまるで、私が悪いみたいな言い方だ。
『ノーレ、もう少しでいいから、ちゃんと主様の事を考えてあげて』
「……それは一体、どういう――」
「――2人共、ここにいたんだ?」
私の言葉は、ふいにやってきた彼女の言葉に遮られた。彼女は眠気眼を擦りながら、部屋から外へと出てきた。
「どうしたの? 目が覚めたら2人がいなくてちょっと心配したんだよ」
『ごめんごめん、主様』
「……起きていたんですね」
「今ちょうどね。2人がいないから、なんだか寒くって……。ほらほら、2人共、早く戻って眠ろ」
ぎゅ、と彼女は私を後ろから抱きしめるようにして、部屋に連れ戻そうとする。ほんのりと、彼女の体染み付いた『薬草』の匂いが漂う。長い間『薬草収集』を続けた為に、身体に染み付いた匂いだ。安っぽい匂いだ、と思う。
「……離れて下さい。あと精霊は『人』ではなく『柱』です」
「柱? んー、そうなの? ……それより、やっぱりノーレをこうしてるとあったかいね。ノーレも良くない?」
満足そうな顔をして、彼女はそう言った。
「……」
私は何も答えない。
確かにこうして抱きしめられていると、身体が温まってきて心が安らぐのだ。『精霊の指輪』が心地よい魔力を放っているせいだろう。
「ところで、2人は何の話をしていたの?」
『秘密。同じ契約精霊仲間としての話かな。ね、ノーレ』
「……そうですね」
本当は『小精霊』如きに、私を仲間扱いして欲しくはないのだが、かと言って『彼女』の事を話していたとも言うのもどこか面倒だった。
それに、その心地よいぬくもりを前に、わざわざ言い争うのも何かが違う事だと思ったのだ。