33 隠し洞窟と脱出条件①
精霊には詳しくは無いのでわからないものの、剣精霊というのはそんなにも多く存在する物なのだろうか。それとも偶然なのか。アルカさん並の力を持つ精霊がそうそういても怖いが、俺が今まで気付かなかっただけで、精霊達は案外身近にいるのかもしれない。
「私は400年程前、以前の所有者や他の契約精霊達と共に、迷宮からこの場所へと落ちてしまいました。丁度、先程の貴方と同じように。以来私は、ずっとこの水底に沈んだままでいます」
400年。
その途方も無い年月に、俺はただ驚くより他無い。
そんな俺に、彼女は続ける。
「私や他の精霊達は、彼女を助ける事も出来ないままに、この水に落ちてしまったが故に力を出せなくなってしまいました。貴方の契約精霊とは違い、当時の私達は誰1柱として、ここの水の怖さを知らなかったのです。私達がそれに気付いた時には既に遅く、彼女は抵抗する事も出来ぬままに『ヌシ』の餌食となってしまいました」
もっとも、知っていたからと言って、何かが出来ていたという訳でも無いのですが。
そう彼女は付け加える。
「……『ヌシ』?」
「はい、そこに見えている大きな魚の事です」
彼女はここからでも水面にはっきりと映る大きな陰に目を向けながらそう言った。
先程の巨大魚だ。
という事は、あの魚は少なくとも400年以上も生き続けているという事になる。
「他の魚や魔物の話では、ここは『隠し洞窟』という物なのだそうです。『ヌシ』はこの場所を護る存在ではあるものの、本来はそう強い魔物でもなかったそうなのです。しかしあまりにも長い間、誰にも討伐も発見もされなかったが故に、再発生も初期化もされずにここまで大きくなってしまったのだと聞きました」
『ヌシ』とは『主』の事で、迷宮で言う『階層主』のような物なのだろう。
ここが彼女の言うように迷宮ではなく『洞窟』なのだとすれば、さしずめあの巨大魚は『洞窟主』という事になるだろうか。
つまりは、ボスだ。
「現にこの400年、迷宮の崩落と共に落ちてくる以外の方法で、この場所にやってきたニンゲンを私は見た事がありません」
「……他に、出口があるんですか?」
そう俺は尋ねた。彼女に自分の事を話したのも、彼女であればこの場所の事を知っているかもしれないと思ったからだ。
「あるにはあります。ここの水底には水路があり、そこをずっと行くと『海』に出るのだそうです。本来はそれがこの『洞窟』に辿り着く為の正規の道だとか。それが私の知る唯一の通路になります」
「……海、ですか」
『海』と言えば、ダラムの街の南にある『森』を越え、更にその先にある『山』の越えた向こう側に存在する物だ。
信じられない話ではあるが、もしそれが本当だとしてもかなりの距離になる。歩いたとすれば、数日近くかかるハズだ。
「勿論、そのような長い距離をニンゲンは泳ぎ続ける事も、呼吸なしでいられる事も出来ません」
「……」
俺の習得した『水中歩行』の技能には、水中で呼吸が出来るという効果は備わっていない。それに『水中で呼吸出来る』という技能も聞いた事が無い。
噂に聞く伝説級アイテム『水龍の鱗』でもあれば、水中で呼吸をする事も可能になるかもしれないが……本当にそんなアイテムがあるのかどうかすら定かではない上に、勿論今、そのようなアイテムがここにあるハズも無い。第一睡眠や食事も必要になる。
この『洞窟』が『隠し洞窟』のまま誰の目にも触れられず、『ヌシ』も討伐されないまま、というのも納得ができる話だ。
……しかしそうなると、その水路を使って脱出するという方法は難しいだろう。
「百年に1度か2度程、丁度今のように、迷宮の形が変わる際に、短時間ではありますがこの場所の天井に穴が開く事があります」
前回穴が開いたのは、確か70年前の事でしたでしょうか。
そう言って、彼女は俺が落ちてきた穴を見上げる。
釣られて俺もそれに目を向ける。
「私やリュシアンがそうであったように、同じくあそこからニンゲンが落ちてくる事が数度程ありました。……といっても、落ちてきたニンゲン達は皆、私に気付く事もなく、また何が起こったかを理解する間もなく、一瞬で『ヌシ』に食べられてしまいましたが。水路での脱出が不可能な以上、私は今の所、あの場所以外にニンゲンがこの場所に来る方法を知りません」
「……なら、あの天井が塞がれば、迷宮に戻る方法はなくなるという事でしょうか」
「そうなると思います」
そう彼女は言って、目を細める。
「ただ、それまでの時間もあまり残されていないように思えます。迷宮も自己修復機能を働かせますから。あの様子では、あの穴もあと30分程で塞がれてしまうと思います」
「……そんなに早いんですか」
穴が修復されるという事は予期していたが、それまでの猶予の時間は、俺が想定していたよりもずっと短かった。
「過去の経験から言えばそうなります。だいたいこの場所に出来た穴は、遅くとも1時間以内には塞がってしまいます。迷宮が外の洞窟に繋がるのを嫌がっているのです。と言っても、まだ前兆が起きていない以上、今すぐに閉じてしまうという事は無いでしょうが……それが起きてしまえば、5分以内には確実に塞がってしまうと思います」
それを聞いて、血の気が引いた。
「……30分」
いくらレドリー達がロープを探しに行ってくれていると言っても、それだけの時間で戻ってこれる可能性というのは限りなく低い。いや、おそらくは不可能だろう。
入り口から6層まで片道2時間の道のり。そして6層に入ってからも、かなりの距離を歩いている。彼女達が無事に迷宮の外に出れたとしても、その時にはもう既にこの天井は塞がれている事だろう。運良くロープを持っている冒険者に出会えたとしても、流石に30分という時間で戻ってこれる事は難しいだろう。
そうなると、もうどうしようない。床に穴を開ける事は出来ないだろうし、穴が開くのを待つという訳にもいかない。
前回この天井に穴が開いたのが70年前。もし次また70年後にこの天井に穴が偶然にも開いたとしても、それまで生きていられるはずもない。それに運良くまた穴が開いたとして、そこを通りかかった誰かが俺に気付いてくれたとしても、また同じようにロープを持ってきて貰う間には、穴は再び塞がってしまう事になる。
「……つまり、俺はここから出られない」
「いえ、可能性が無いという訳ではありません。私の力さえ使えれば、貴方をここから脱出させる事は十分に可能な事だと思いますから」
「ノーレさんの力?」と俺は聞いた。
「私は風と光の二つの属性を持つ剣精霊です。貴方が私を振るえば、この洞窟から出る事くらい造作も無い事でしょうから」
そう言って、彼女は俺を見た。
「振るえばって……」
俺はその言葉に、少し驚いてしまう。
――余を振るうという事は、余と精霊契約を交わすと言う事だが……その事について、リュシアン、貴様はわかっているのか?
「はい。そのままの意味です」
彼女は俺の表情を見て頷く。
「リュシアン、私と契約してくれませんか?」