31 状況確認②
『――とにかく、自分はロープ持ってくればいいでスかね』
「悪い、そうして貰えると助かるが……大丈夫か?」
『任せて下さいっス』
とにかく今はレドリーにロープを探して持って来て貰い、俺が『どうにかして』あの巨大魚から逃げ、ロープで脱出を図る。そういう流れで話は進んだ。その『どうにかして』が難しいとしても、それ以外にこの場所から出る方法が思いつかないのも事実だった。
『……それでは余は、この娘について行くとするかの』
頭にアルカさんの声が響いた。
『剣ではないこの姿では、移動こそ出来れども、そう戦う事は出来ぬだろう……だがそれでも、この犬娘が蜥蜴達から逃げる手助けくらいなら出来るかもしれん』
「……いいんですか?」
リザードマンの巣窟である6層を、レドリー1人に移動させるのは危険な事だ。アルカさんがレドリーを護ってくれるのであれば、本当に助かる。
しかし、アルカさんがそう言ってくれるとは思わなかったので、少し意外に思ってしまったのも事実だった。精霊契約がどちらかの死によって解除される以上、彼女が俺の事を助ける必要性が無いと思ったからだ。
それに加えて、今朝彼女から聞いた精霊契約の件もある。
――余はご主人の傍よりそう離れる事は出来ぬ。そんな事をすれば余にも契約の力が働き、苦痛が待っておるのでの。
それは彼女にしても勿論、わかっている事だろう。
『……うむ。契約の範囲はこの距離が限界だろうな。これ以上離れれば、こうして思念を送りあう事も出来なくなるどころか、魔力によってこの身を「痛み」が襲う事になるだろう。現に今ですら、余は体が少しばかり重く感じておる』
そう彼女は返す。
『だが、今はそうするしかない状態なのも事実だ。この犬娘が死んでしまえば、ご主人も助かる可能性はほとんど無くなってしまうだろうからの。余はご主人を気に入っておる。食事の件もあるしの。出来ればご主人には、簡単に死んで貰いたくはない』
「……すみません。ありがとうございます」
『なに、その変わり、無事にここを出た暁には、たらふく食べさせるがよいぞ』
その声は妙に明るかった。おそらく、俺に心配させまいと気を遣ってくれているのだろう。
『それでは兄貴、行ってきまスね。ご無事で』
「悪い。気をつけてな」
『気にしないで下さいっスよ、仲間じゃないっスか。任せて下さいっス!』
そうレドリーが言ったのを最後に、それきり2人の声は聞こえなくなった。
何度かこちらから声をかけてみたが、やはり反応は無かった。思念の届く範囲を離れたという事だろう。
(だけど、間に合うといいんだけど……)
と俺は天井の穴を見て、2人の身を案じると共に、自分に残された時間について考える。
あの穴が迷宮の変化によって起きた物である以上、時間が経てば塞がってしまう可能性があった。時々迷宮が形を変える際に、あのような崩落が起きる事がある。しかし、大抵はいつの間にか、何もなかったかのように修復されてしまい、穴は塞がってしまうのだ。
その修復にかかる時間がどの程度のものかは定かではないものの、きっとそう長くは無いハズだ。もしこの場所からの脱出口があの出口しか無い場合、あの穴が塞がってしまえば、俺はここに閉じ込められる事になる。
もしそうなってしまえば、それは死を意味するだろう。
迷宮の床に意図的に穴を開けるなどと言った事は聞いた事が無い上に、出来るとも思えない。次にまた偶然穴が開くのを待つとするのであれば、それは何十年後、いや、下手をすれば何百年後という可能性すらある。
その制限時間の事を考えると、レドリー達がロープを探してくれているのをただ待っているという訳にはいかない。
俺も何か出来る事はないかと周囲を見渡してみたが……残念ながら何もない。やはり周囲は一面の水が広がっているだけだった。
「……」
水に映る大きな陰を眺める。
間違いなく、あの巨大魚は高レベルの魔物だろう。
それも、9層程度には普通いるハズがないレベルの。
レドリーがロープを持って来てくれたとしても、あの魔物がいる限り、脱出出来る可能性は低いだろう。それ以外の脱出口を探そうにも、あの魚のせいで探す事も出来ない。
しかし、この水中では剣精霊の力が使えないとなると、どうにも打つ手がない。彼女の力であればもしやとも思ったのだが、どうやらそういう訳にもいかないらしい。
(だけど……さっきはなんで、俺は黒赤の剣を放り出してまで……)
と俺はレドリーの代わりに6層から落ちた時の事を考える。
レドリーが落ちていれば、彼女はきっと巨大魚からは逃れられなかっただろう。結果的には俺はレドリーを助けたという事にはなるのだが、それでも結果は結果でしかない。レドリーが死ねば良かったという訳ではないが、まずは自分の安全を確保し、それから彼女を助けるのが普通だろう。
他の冒険者を庇って死ぬ冒険者など、余程の馬鹿でもない限りこの街にはいない。自分の命あってこその仲間という物だ。
(だけど実際、そんな馬鹿な事を俺はやった訳だ……)
彼女が下層に落ちると思った瞬間、頭の中が真っ白になってしまって、考えるよりも先に体が動いてしまっていた。
思えば、昨日もまったく同じような反応をしていた。ゴブリンの群れに囲まれているレドリーを見つけた瞬間、俺は後先考えずに体を動かし、気付いた時には魔物の群れの中に飛び込んでいた。
「……」
今日などは特に異常だ。
あのような状況で自分の剣を手放すなど、普通あり得ない。
勿論、黒赤の剣を持ってここに落ちていれば、それこそ巨大魚に挑もうとして惨事になっていたかもしれない。だとしても普通、自分の武器を捨てたりはしない。振り返っても異様にしか思えない事を、俺はやったのだ。
ブランクなどと言う言葉では説明のつかない事象。
一体俺はどうしてしまったのだろうか、と額を抑えながら考える。
(……いいや、それも一旦置いておこう。今はそんな事よりも)
と俺は思考を戻す。今はこの場所から一刻も早く出る手段を考えなければならない。
「だけど、本当にここはどこなんだ……」
そう呟き、そこで、腰のポケットに入れていた地図の事を思い出す。
水を含んでいるせいでふやけてしまったソレを、俺は破れないように慎重にはがしていく。
俺が落ちた6層の場所を確認して、7層、8層の地図と照らし合わせる。俺が落ちた場所はどうやら迷宮でも最南西だったらしく、7、8層にはそれに対応した場所の事は書かれていない。
つまりこの空間は『存在しない』事になっているのだ。購入をしていないのでわからないものの、この様子だと9層も同じ事になっているだろう。
地図を見れば何かしらわかる事もあるかと思ったが、どうにも見つけるのは難しそうだ。
「となると、やっぱりここは別の洞窟か、迷宮の隠し部屋……?」
「……いいえ、ここは迷宮ではありませんよ」
「え? ……っ!?」
独り言のつもりで吐いたその言葉に返答されて、思わず心臓が跳ねた。
振り返る。
いつの間に、そしていつからそこにいたのだろう。
俺のすぐ背後、水面の上に立つようにして、1人の少女が立っていた。