03 一角獣と精霊契約
「――と言いたい所なのですが、すみません、アルカさん。どうやらそこに連れて行くのは、難しいかもしれません」
「……どうしたのだ?」
引きつった俺の表情を見て、アルカさんはきょとんとしながら、俺が視線をやるほうを見た。
そこには1頭の馬のような姿をした魔物がいた。純白の姿で、普通の馬より一回り以上大きな巨体。その額には大きく鋭いツノがついていた。
一角獣。
龍、不死鳥、そして一角獣。教会の象徴、三聖獣として祀られるような魔物のうちの1つ。
本来なら、こんな森にいるハズの無い強力な魔物。非常に獰猛で好戦的な魔物だ。本来ならBランク以上の冒険者達が、何人も束になって倒せるような、迷宮も地下の地下にいるような魔物だった。それがどうして、このような場所にいるだろうか。
「……」
一角獣はまるで重力に逆らうかのように、宙に浮いていた。強い魔力のせいだ。
思わず下唇を噛む。
そこで俺は先程死んでいた『精霊の指輪』の持ち主の事を思い出す。あのランクの高い冒険者はきっと、一角獣に殺されてしまったのだろう。そうであれば、なぜこのような森で死んでいたのかと言う事に、合点が行く。
(さすがに、やばいよな……)
一角獣ははっきりと俺の姿を捉えていて、敵意を持っているようだった。おそらくこのような状態では、まず間違いなく逃げる事などは不可能だろう。かと言って、まともに戦って俺が勝てる相手でも無い。慌てて剣を構えていたものの、正直既に諦観に似た感覚を持っていた。
……俺は、ここで死んでしまうかもしれない。
「成程な。……そなたには折角ショクドウに連れて行って貰おうと思っておったのに、残念だのう」
ぼそり、と彼女は言った。
俺が死ぬ事に対してではなく、食堂に連れて行って貰えないという事を残念がる。そこで改めて、俺はアルカさんが精霊であるという事を思い知らされてしまった。精霊にとって、人間の生き死になど些末な事なのだろう。
「……アルカさんは、あいつに勝てないんですか」
駄目元で、俺は彼女に聞いた。
「無理だな」
そうアルカさんは返した。
「余はあくまで剣の精霊でしかない。剣という物は自発的に動く物ではなく、あくまで振るわれる物だ。『我自身に』戦う力はそう無いのだ。余自身が出来るのは下級モンスターの首を刎ねる程度。聖獣ともなると傷一つつけられそうにない。悪いな、リュシアン。……もっとも、霊体として姿を消す事は出来るから、そなたと違って死ぬ事はないだろうが」
冷や汗をかいている俺に対して、彼女は非常に淡々としている。
『我自身に』、その言い方はまるで、彼女が剣として振るわれれば、聖獣などとるに足らない存在だとでも言いたげに聞こえた。
「……なら、アルカさんが剣になって、俺が振るうなら、アレに勝てたりしますかね?」
「……ほう?」
にやり、と不敵な笑みを浮かべながら彼女は俺を見る。
「『貴様』は面白い事を言うな。余を振るうという事は、余と精霊契約を交わすと言う事だが……その事について、リュシアン、貴様はわかっているのか?」
先程まで『そなた』と呼ばれていたのが、『貴様』に変わる。
精霊とのルールなどは知らないものの、どうやら俺は、彼女をそうさせるだけの事を言ってしまったらしい。
わかっているかわかっていないかと言えば、正直よくわからない。俺は今まで精霊とはまったく縁の無い暮らしをしていて、これから先も無いと思っていたのだから。
「教えてやろう。貴様は余に、貴様の道具に成り下がれと言っているのだ。貴様は剣精霊を扱えるだけの器である。そう言っているのだよ」
そう言うと、アルカさんは少しおかしそうに笑った。
「……駄目、ですかね?」と俺は聞く。
「駄目と言うよりも、難しいと思うがの……。『薬草集め』の依頼をしなければ生きていけないような人間に、余を振るう事が出来るかという疑問があってな。いくらよく切れる包丁でも、職人の腕が無ければ魚は捌けぬ。貴様が言っているのは、猫に小判を与えよと言うような物だよ」
「……」
つまり、ある程度の腕が無ければ、どの道一角獣を倒す事は出来ないという事だ。それだけの腕が俺にあるかと言われれば……正直、難しいかもしれない。
それでも――
「それでも、アルカさんを振るえば勝てる可能性があるんですよね」
これでも、迷宮に潜っていた冒険者の端くれだ。一角獣のような強い魔物とは対峙した事はないものの、数年前までは迷宮の奥深くを目指す為に、多くの魔物を相手に剣を振るっていた事はある。
あがけるのであれば、あがきたい。
死ねばすべてが終わりなのだから。
「うーん……それはまぁそうなのだが……まぁ、一応助けて貰った礼というものもある。確かに、そう冷たく見殺しにするのも悪いな。冥土の土産として、最期に一度くらい、精霊の力を経験をさせてやるのも良いかもしれんの。……良いだろう。リュシアン、貴様に力を貸してやろう」
「ありがとうございます」
「その代わり、もし万が一生き残ったのなら、その美味いショクドウとやらに連れて行けよ」
「ええ、好きなだけ食べて貰います。これでもかってくらい、腹いっぱいに詰め込んで貰いますよ」
きっと俺自身、どこかで一角獣に勝つのは無理だと思っていたのだろう。だから、自身を鼓舞する為にも、そんな大口を叩いてしまった。
そんな台詞を吐いてしまった事を、俺は後々まで後悔する事になる。
というのも、アルカさんと契約した俺は一角獣を倒してしまい、生き残ってしまったのだから。