18 後輩冒険者②
「い、いったー……な、なんでス?」
レドリーは痛む手をおさえながら、眼を見開いて驚く。彼女の耳や尻尾がぴんと警戒するように立つ。
『雑種如きが、汚い手で余に触れるな』
そう、アルカさんが冷たい声で言い放つ。
と言っても剣の姿のままなので、やはり俺にしか声は聞こえないらしい。レドリーはただただ何が起こったのかわからず、手をぶんぶんと振りながら必死に痛みを和らげようとしていた。
「……アルカさん、何してるんですか」
俺はレドリーに背を向けて小さく声を出す。
『ご主人、そなた、あまりに軽率なのではないか?』
そう俺を批難する声からは、苛立ちの色が見えた。
『余を何故このような者に触れさせようとする。余はご主人の剣ぞ。この者が邪な心を抱き、我をご主人から奪おうとしておればどうする』
「レドリーはそういう奴じゃないです。大丈夫な奴ですよ」
『そういう事ではない。……はぁ。まったく、リュシアン、そなたは余と契約したのだぞ。今まで知識が無かったとは言え、気をつけよ。余にとっての使用者はご主人だけであり、ご主人にとっての剣とは余になるのだぞ。次このような事があれば、余はそやつの手を刎ねるでの』
「す、すみません……?」
アルカさんの言っている事が、俺にはあまり理解出来なかったが、とにかく俺は怒られるだけの事をしてしまったらしい。
彼女が怒った理由はよく分からないものの、ここは素直に謝り従う事にする。とにかく黒赤の剣を、俺以外の人間に触らせてはいけない。
後で落ち着いた時に、彼女に精霊契約の事を、一度詳しく教えて貰った方が良いだろう。
「……?」
幸い、レドリーは弾かれた手をまだ気にしているようで、俺とアルカさんのやり取りには気付いていないようだった。
「悪いな、レドリー。この剣は少し特殊で、俺以外には触れられないみたいなんだ。先に言ってなくてすまん」
「ああ、いえ……勝手に人の持ち物に触ろうとした自分が悪いんスから……すみませんっス。でも、他の人が触れないって、呪いのアイテムとかなんですか? だとしたら兄貴も、大丈夫なんですか? 外せないとかじゃないんですか?」
『誰が呪いのアイテムか。手ではなく首を刎ねてやろうか』
「冗談でもそういう事言わないで下さい」
『……ふん』
(……冗談、だよな?)
とはいえ、助けて貰った恩はあるものの、俺も若干アルカさんの事を『呪いのアイテム』だと思っている節はある。外れないし。……勿論、言わないけれども。
「ところでレドリー、お前もゴブリン駆除に来たって言ってたが、あと何匹くらいなんだ?」
と俺は話題を剣から無理矢理変えた。
「ああ、ええっと、そうっスね……」
レドリーはバックパックから『討伐数計測表』を取り出して確認していく。
「あー……10匹になったっス。さっきので、なんとか届きました。依頼は10匹なので、これで終わりっスね。兄貴は?」
「俺も10匹で終わりだ。……丁度良い、もし良かったらレドリーも一緒に帰らないか。そんな状態なら、1人だと色々と危ないだろう」
「ほんとっスか?」
耳をぴょこんと立てながらレドリーはそう声を上げた。
「いやぁ、ほんっと助かりまス。アイテムも切れてましたし、1人で帰るのは怖かったんスよね……後で何か奢らせて下さい」
「いや、別にそんな大した事じゃないから――」
『ほう、食事とな!』
頭に響くような大きな声で、アルカさんが思念を飛ばしてくる。
「……」
『ご主人、ここは断るでないぞ!』
「いやいや、兄貴には命を助けて頂いたんですから、それくらいさせて下さい」
とレドリー。
『そうだぞ、それだけの事をご主人はしたのだぞ。素直に受け取るべきだ』
とアルカさん。
「……」
両方に一度に話しかけられ、俺は少し混乱してしまう。レドリーにはアルカさんの言葉が聞こえていない為に、声がかぶってしまうので性質が悪い。
『まさか、ご主人は断るつもりでは無いだろうな。そやつは命を助けて貰ったご主人に「奢る」と言っているのだぞ。きっとこやつの知っている中でもとびきり美味い場所へと連れて行ってくれるに決まっておろう。ああ、楽しみだ。ご主人、この機会を逃すべきではないぞ』
「……アルカさんは誘われてないので、食べられないと思いますよ」
『大丈夫だ。後で上手く合流するでの』
「いや、それはどうかと……」
「兄貴……どうかしましたか?」
苦い顔をしながら顔を背ける俺の事を、レドリーは不思議そうな目で見てくる。
「兄貴とは久しぶりですし、色々とお話もしたいんですけど、ダメ、ですかね?」
『ご主人、折角の申し出だ、断るでないぞ。断るでないぞ』
首を傾けるレドリーに、声を上げ続けるアルカさん。
多分、俺が承諾するまで、アルカさんはそうして俺に思念を飛ばし続けてくるつもりだろう。
俺はレドリーに向けて手を軽く振る。
「ああうん、じゃあ、今日は素直にその好意に甘えさせて貰う事にしようかな」
「ほんとっスか! やった。ほんと、積もる話もありますし、今日は兄貴にはどんどん食べて貰いますっスよ!」
どこかで聞いたかのような言葉を言うと、レドリーは嬉しそうにゴブリンの死体から所持品などを剥ぎ取り始める。大きな尻尾が嬉しそうにぶんぶんと揺れていた。
そういう事を軽々しく言って失敗した例を身近によく知っているので、忠告してやろうかとも思ったのだが……やめておく。俺の知っているその一例はかなり特殊だろう。何しろ相手が精霊だったのだから。
俺もゴブリン達の屍骸から売れそうな物を一通り剥ぐと、レドリーと共にその場を後にした。
3階へと上がる階段へ戻る途中に、1匹の屍鬼を見つけた。
おそらくは、先程死んでいた冒険者が魔物と化したのだろう。幸いにも間接を切断しているので、立ち上がる事も出来ず、勢いよく襲い掛かってくる事も出来ず、ただただソレは蠢きながら、呻き声を上げる続けるだけの存在だった。
このような状態であれば、恐れる事はほとんど無い。
レドリーはそれを見つけると、無表情に彼女の大きな剣を突き刺した。生き物として2度目の息の根が止まるのを確認すると、彼女は軽く祈る。レドリーにしても、もう5年も冒険者をやっていれば、屍鬼に会う事などもう何度もあるハズだ。
「いつも思うんですけど……自分もダンジョンで死ねばこうなると思うと、複雑な気分っスよね。カレンもこうなったんスかねぇ……」
「どうだろうな」
そう俺は返した。カレンがどこで死んだのかは知らないが、地下迷宮であればその可能性は高いだろう。俺はいつも皆に気を配っていた彼女が屍鬼となり、知性を失い、ただ本能の赴くままに冒険者に襲い掛かっていく姿を想像して、そして冒険者達に再び殺される様を想像しようとして……そこで思考を無理矢理打ち切った。
「兄貴が来てなかったら、自分も今頃は、こうなってたんすかねぇ……」
そう言って、レドリーは軽く身震いしたが、その後にこりと笑った。
「まぁ、生きてるうちはいっぱい食べましょう!」
『飯だ!』
と黒赤の剣が俺にだけ聞こえる声で叫ぶ。