16 ゴブリンの群れと冒険者
しかしながらあの2匹以降、なかなかゴブリンに出会う事は出来なかった。
「……おかしい」
そう俺は呟いた。
かれこれ10分程迷宮を歩き続けている気がするが、ゴブリンの姿は見えない。気配すら感じない。単騎で行動している以上、慎重に行動しているというのもあって、10分間の移動距離はそう長くは無い。しかしどうにもこんな事は珍しいと思った。
これだけの距離を歩けばもうあと数匹、数群に会っていてもおかしくないはずだ。
(……ぱっと思いつく可能性としては、2つ)
無い知恵を使って考える。
1つは、他の冒険者達と迷宮に乗り込むタイミングがかぶり、先にゴブリンが狩られているという可能性。
もう1つは、群れを組むゴブリンが更に大きな群れを組み、どこか一箇所に集まっていたり、動いているという可能性。俺は単にそれに出くわしていないだけ。
迷宮では、魔物の死体は放置しておけば、ものの数時間もしないうちに迷宮の床や壁に吸い込まれていき養分となる。再発生までには一定の時間があるので、死体が見つからないからと言って、どこかに魔物が『いる』と思い込んでしまえば、時間の無駄になる事がある。
しかし『いない』と決め付けるのも勿論危険である。
後者の可能性だとすると少しばかり厄介ではある。
ゴブリンの集団がどれだけの規模かはわからないものの、多勢に無勢という言葉もある。いくら先程黒赤の剣のお陰でゴブリンを圧倒出来たといっても、多数のゴブリンを相手にして同じ事が出来るかと問われれば怪しい。
単騎で行動する以上、俺の腕は2本しかなく、剣は1本しか無い。それにいくら黒赤の剣の力があったとしても、俺自身の技量がそうある訳でも無く、ブランクもある。
連携を取られれば危ない。
「出来れば、集団には会いたくないけど……」
『そんな事を言っていると出くわす事になるぞ、ご主人』
そうアルカさんが言った。
……その言葉通り、そんな事を言っていると出くわす物なのである。
それは、そこから更に5分程迷宮をさまよい続けた時の事だった。
「――うらぁっ!!」
遠くからそんな、叫び声ともかけ声ともつかない声が聞こえた。
同時に、金属が打ち付けられる音も。
近づくと、そこには1人の冒険者が、多数のゴブリン達に囲まれていた。背の低さや声を聞くに、おそらくは女性だろう。そして、ゴブリンは8匹程。やはり、思っていた通りゴブリンは集まっていた。
ゴブリンと戦っている女は両手剣を持ち、見るからに重そうな鎧を身につけていた。クラスはおそらく俺と同じ剣士。そんな鎧をつけて、よく動けるなといった風だ。
彼女は壁に追い詰められていた。
1対8。
彼女は大きな声を上げ、『威圧』のスキルを放ち続けている。一度に多数からの攻撃を受けないよう、気をつけているのだろうが、それでもどうしても避けられない部分はある。開口部の大きい兜からは、打撃でも受けたのか、血が流れているのがはっきりと見えた。
間違いなく劣勢、このままではかなり危ない状態であろう。
「……っ!」
そんな姿を見て、俺は思わず駆け出していた。
俺が加わったところで、1対8が2対8にしかならない。しかしそんな彼女の姿を見た時、かあっと、頭に血が上っていて体が自然と動いていた。
『助けるのか?』
脳内にアルカさんの声が響くが、俺はそれに答える余裕も無かった。
他人の戦闘に介入すると、時々、獲物を横取りするなと文句を言ってくる冒険者もいる。しかしこの場合は加勢したとしても文句は決して言われないだろう。というよりも、加勢しないと間違いなく彼女は殺られる。
全速力で駆け寄り、一匹のゴブリンの首を切り落とす。ゴブリン達は直前まで女の『威圧』に気を取られていたせいで、反応が遅れた。
やはり斬っているという感触は殆ど無い。
首までかかるタイプの兜をつけていたというのにも関わらず、そんな事お構いなしと言ったふうに、黒赤の剣は兜ごと切断してしまう。
「え……」
剣士の女が、その光景に声をあげる。
他のゴブリン達も、唐突の事に何が起きたかわかっていないという風に口を開けて、動きが止まった。俺はそれを逃さず近くのゴブリンの懐へ潜り込み、剣を振るう。上半身と下半身が綺麗に分かたれる。
慌てて事態を認識し始めた残りのゴブリン達が、剣士姿の女から俺へと敵意の向きを変え、武器を構える。
棍棒を持った2匹のゴブリン達が、突撃するかのごとく襲い掛かってくる。俺は向かってくる彼らに対し、黒赤の剣に魔力をこめて振り下ろす。2度目ともなると遣い勝手もわかってくる。
「――火よ」
先程と違って、近くには女がいた。
彼女を巻き込まないように意識して魔力を弱めたつもりだが、それだけでも十分な威力があったのか、黒赤の剣から放たれた魔力炎は、ゴブリン達の命を易々と刈り取った。無茶苦茶な威力ではある。
仲間の死に怯んだゴブリン達に向かって、俺は剣を振っていく。
残りは4匹。
恐慌状態に陥り、連携を取れなくなったゴブリン達を相手にするのは容易な事だった。
ゴブリンは元々そう強い魔物では無いという事に加え、黒赤の剣の前には防御も無意味と化す。一撃さえ入れば勝てる状況。それに、以前に比べて彼らの動きが遅く見えた。
それはきっと、以前に比べて俺のレベルがあがっているからだろう。
レベルが上がれば、ステータスにも補正が加わる。
組合が設けた対象レベルだと、ゴブリンは、冒険者のレベルが10から18程度のステータス補正がかかっていれば倒せるとされる魔物だった。単純に考えれば、迷宮に潜っていた3年前と比べ、今の俺のレベルは2倍以上になっている。
レベルが48に上がった俺のAGI補正からすれば、彼らの攻撃を避ける事は造作も無い事だった。以前苦戦したのが嘘のように、一方的な展開となった。
黒赤の剣の威力には驚きながらも、俺は最後の一匹を切り捨てた。軽く剣を払っただけで、黒赤の剣についた肉片や血は一瞬でなくなり、脂も消えていた。魔力が働いたのだろう。
『……ほう、急に飛び出したので気がかりだったが、上手く余を使えているじゃないか』
息を切らせる俺に、アルカさんはそう告げた。そこでふと、我に返る。
(勝てて、しまった……)
彼女が死ぬのではと思った瞬間、頭に血がかあっと上り、つい何も考えずに突っ込んでしまった。考えなしの行動だったのだが、幸いにも、なんとかなってしまったようだった。
(だけど、どうして……)
という疑問が沸く。
ゴブリンを倒せたのは、結果論に過ぎない。
以前の俺なら、こんな無謀にも近い事をやっていただろうか。いいや、きっとやらなかったハズだ。いくら人が死にかけていたとは言え、魔物の群れに突っ込んで行くなど自殺行為に等しい。今よりもずっと無茶無理無謀な事をやっていたとは言え、ここまで命知らずな事はしなかったハズだ。
(黒赤の剣がいるから気が上がっていた……? いや……)
「あ、あのー……ありがとうございまス」
そう声をかけられて、再び思考が戻される。助けた女が声をかけてきたのだ。
「ああ、うん……大丈夫だった?」
考えていた事を一旦棚置きして、俺は彼女の方へと顔を向ける。
「え、と、あれ……もしかして、兄貴でス?」
彼女が俺の顔を見て声を上げた。
その女の声と呼ばれ方に覚えがあり、また兜の隙間から覗く彼女の顔にも見覚えがあった。遠目やゴブリンを相手にしている時は気付かなかったが、それはよく見知った少女だった。