13 『初心者殺し』の迷宮
ダラムの街は縦7×横7の計49地区からなる。
均等に区切られたそれは、昔どこかの酒場で教えて貰った『碁』という遊びの、盤の目のようだ。街の端から端まで行くだけでも、数日はかかってしまう。
街の地下には多くの迷宮があり、どの迷宮も他の迷宮とどこかで繋がっているらしい。しかし基本的にはどの入口から入るかによって、迷宮の雰囲気は変わってくる。39地区地下迷宮が他迷宮と繋がっているのは、地下15層くらいから。つまりそこまでは、独自の文化が存在する事になる。
39地区地下迷宮。
別名『初心者殺し』の迷宮。
地下1から3層に出てくる魔物はほとんどが巨大鶏。読んで字の如く、家畜の鶏を異様に大きくしたかのような初心者向けの魔物。普通にやっていればまず負けないので、その場所で死ぬ冒険者など年に数人しか聞いた事が無い。よほど冒険者に向いていなかったのか、運が無かったのであろう。
普通の鶏と違い、肉は硬く、食べられはするが美味しくもない。売れる部位もあまりなく安価で、経験値も低め。特殊な鉱石が落ちている事も無ければ、珍しいアイテムを拾う事などもまず無い。
狩りの場としての効率はこの上なく低く、このような場所に来るのは本当の初心者か、他の場所で活躍する事の出来ない落ちこぼれのソロ冒険者。あとはどうしても死にたくない冒険者。具体的に誰の事かは言わないでおきたい。
彼らのような存在でも、この場所でなら、死ぬ事はない。
だからこそ、勘違いが起こる。
巨大鶏を相手にして優位に立てたが故に自信をつけてしまい、より効率の良い狩り場やアイテムを求め、『初心者殺しの迷宮』の4層へと足を進めてしまう冒険者が後を絶たない。そこで問題は起きてしまう。
この『初心者殺し』の迷宮、地下4層以降は生態系ががらりと変わる。
それまで出てくる魔物は巨体鶏ばかりだったにも関わらず、4層以降は急にゴブリン達の巣へと姿を変える。自分の力を見誤った初心者達は、そこで見事にゴブリンにやられる。ゴブリンと言えば、本来Dランク冒険者達が相手をする魔物なのだ。初心者が敵うような魔物ではない。
殺された初心者達は、荷物を奪われて装備も剥ぎ取られる。ゴブリンがヒトの武器を装備する。ますます彼らは強くなる。加えて冒険者の死体がスケルトンやグールになってしまう。その悪循環。
だから『初心者殺し』の迷宮は、その名の通り他の迷宮と比べ、初心者の死亡率が異様に高い。
……と言っても、1から3層までは、基本的には巨大鶏だらけで安全な場所なのだ。駆除さえ怠らなければ、ゴブリンもそこまで上がってこない。日々街に増え続ける冒険者達が、練習として安全に使える場所なのだ。
効率は悪いが、人は少なくない。
巨大鶏は人任せにしていてもまったく問題ない。そう害もない上に、放っておいたところで血気盛んな新米冒険者が、我先にと飛びかかってくれる。俺は運よく1羽も相手にする事なく、4層まで足を進める事が出来た。
『――先程のエルフの娘』
道中、剣の姿になったままのアルカさんが、俺に話しかけてくる。
『随分とご主人に親切だったの。ご主人に危険な橋を渡らせまいとしておった』
「エルフ……ああ、タバサさんの事ですね。彼女は冒険者達を死なせないようにと、気をつけてくれてますからね。丁寧な仕事で、人気も高いんです」
そう俺は口に出して返す。
彼女によれば、俺がどんなに小声で話していても、彼女が回線を開いている限りは彼女に俺の声は届くようになっているらしい。
しかし結局口に出さねばならないらしく、もし誰かが俺を見ていれば、独り言を話す不審な人間に見えているだろう。もっとも、冒険者なんて頭のおかしい人間ばかりなので、気にしたところでという所なのだが。
『それにしては、妙にご主人の事を気に入っているように見えたがの……』
「そうですか? ……うーん、彼女は誰にでも基本的には優しいですからね。勘違いする冒険者は多いみたいです。タバサさん、結構冒険者からプレゼントを貰う事が多いみたいですし」
『つまり、わざとああして、媚びていると?』
「いや、あれは多分天然じゃないんですかね。だからよく変な人に絡まれる機会も多くて、時々揉めているのを仲裁しに入る事があります。あやうく殺人沙汰になりかけた時もありますからね。まぁ、そういう事もあって、更に、彼女は良くしてくれているんでしょうが……それで俺が勘違いしてしまっても、またややこしくなりますからね」
『なるほどなるほど、なるほどのう』
「ん? なんですかその反応? ……それよりアルカさん。人前でヒトの姿にならないで下さいね?」
『わかっておる。そんな事はせぬわ。心得ておる』
(本当かな……)
彼女はどうにも、気まぐれな性格のように俺は思えてしまう。
「……と」
そんな話をしながら、人気の無くなった4層に足を踏み入れて早々、死体を見つけてしまった。人間の死体だ。まだ体温はあって、おそらく俺が到着する少し前に死んだのだろう。色々と乱雑に装備を剥ぎ取られている様子を見るに、ゴブリンに殺されたのだと推測できる。残っている道具は基本的に新しい物で、やはり彼も初心者なのだろう。
「……」
こういう死体を見ると、迷宮に戻ってきたのだと思う。
迷宮に潜る以上、俺もいつかこうなる日がくるのかもしれない。また、きっと彼にも、何かしらの夢や目的があってこの街へとやってきたのだろうと思ってしまう。3層までにいた冒険者達と同じように、少し前までは熱心に巨大鶏を追いかけていたのだろう。そう思うと、かつての自分と未来の自分を同時に見ているかのようで、少しだけ身が震えた。
周囲に魔物の気配が無い事を確認する。
俺は残っていたアイテムで、使えそうな物や身分の証明になりそうな物を彼の鞄から貰うと、今度は自分鞄からナイフを取り出した。死体のへのせめてもの情けとして、関節の骨を外し、肉を切る。普段は剣を使っているのだが、アルカさんをそんな事に使うのは気が引けた。そう思っていたら、彼女に怒られた。
『別にナイフなど使わずとも、余を使えばよかろうに』
「……いいんですか?」
『一々持ち主が剣の事を気にするな。ご主人の遣いたいように使えば良いのだ。ご主人は妙に余に遠慮しているように見える。余はご主人の道具。余は食事さえ出来れば問題ないのだ。後はご主人の好きにすれば良い』
その食事という部分が大きすぎるのだけど。
とは思う物の、それは言わなかった。
アルカさんを使って、死体の関節部分を砕いていく。
ダンジョンのような魔力の強い場所で死者を放置しておけば、死者はそのうち屍鬼や動く骨と化してしまう。それを防ぐために、スキルの『魂の浄化』は存在するのだが……わざわざそれを取得する程、余裕がある冒険者というのも少ない。今ならスキルポイントに余裕があるが、必要だとも思えない。
俺がしているのは、彼がもしグールやスケルトンと化してしまっても、動くことが出来ないようにする為だ。関節が動かなければ、魔物と化した所でほとんど無害。彼としても、魔物になって他の冒険者を襲いたくは無いだろう。
10年以上も冒険者続けていると、たとえうだつがあがらなくても、頭が悪くとも、それなりに得られる経験がある。
『ご主人は優しいの』
その作業が終わってから、黒赤の剣の姿になったアルカさんは言った。剣についた血や脂を拭き取ろうとしたが、アルカさんにはまったくそう言った類の物は残っていなかった。俺がわざわざ手入れなどしなくとも、本人の魔力でどうにかなるそうな。便利だ。
「いえ、自分の為にしているだけですよ」
そう俺は返して言う。
「昔、痛い目を見てしまいまして。パーティーのメンバーがグールになってしまいまして、他の面子を殺し、そしてそいつがまたグールになるという……地獄絵図でした。俺もその時に大怪我をしてしまいましてね。それ以来どうも、こういうのを見るのが駄目でして。時々夢にも出てきます。迷宮に潜れば自分もグールになるんじゃないかと思うと、めっきり、迷宮の奥に潜る事は少なくなってしまいました」
『……なるほどのう。それでご主人は、怖くなって地上で「薬草集め」に勤しんでおったと』
「……まぁ、その通りですね」
少しひっかかる言い方ではあったが、だいたいそうなので否定はしない。
「と言っても、今はこうして、戻ってきてますけどね。アルカさんの食費も稼がないといけないですし」
『なんと! 急に迷宮に潜るなどと、周囲の人間は驚いておったが、それは余の為か……ううむ。ご主人は誠に素敵な所有者だな。見上げた物だぞ』
……いや、あなた、食事を用意しなければ俺を殺すつもりでしょう。
とは思ったものの、やはりそれも言わなかった。
『まぁ、大丈夫だご主人。余とご主人が力をあわせれば、この程度の階層余裕だろうて。さっさと終わらせて、食事に戻ろうぞ』
「そうだと良いんですけどね……」
そこまで話した所で、自分の物でない足音をかすかに聞き取る。俺はそちらに向けて黒赤の剣を構えた。
――やはり、ゴブリンだ。