10 稼がねば
翌朝、昨日と同じ飲食店から出てきた俺は、早速アルカさんの怖さを思い知らされていた。
「……」
「いやー、非常に美味だったなご主人。……ん、どうしたのだ? 顔色が優れぬようだぞ?」
低血圧なのか?
非常に満足気な表情をしたアルカさんが、暢気そうに尋ねてくる。
朝早くから『ご主人ご主人、食事に行くぞ』と俺をベッドから叩き起こした彼女は、朝だというのにも関わらず、この店のメニューにある12種類すべてのパスタを軽く平らげてしまった。ナポリタンは勿論の事、ベーコンと新玉葱をふんだんに使ったカルボナーラ、デビルフィッシュのペペロンチーノ、チーズとなすのミートラグーソース和え、などなど。次々に運ばれてくる麺を、その小さな身体へと流し込んでいった。
臭いだけでも、いや、見ているだけでも胃もたれしてしまいそうな量をあっと言う間に完食してしまった彼女の表情には、まだまだ余裕がありそうだった。後に残ったのは、空っぽの皿と、彼女の小さな口の端についた可愛いらしい汚れと、飲食店では今まで見た事も無いような請求金額だった。
「……」
一角獣の角を売った時に出来た金を、多めに持っていて良かった。何日かは銀行に行かずとも良いと思っていたのだが、今では財布の中はほぼ空の状態になっていた。
「アルカさん、本当によく食べますね……」
俺は憂鬱な気分になりながら言った。
朝は食べないというのもあるのだが、俺はほとんど手をつけていない。
「……そうかの?」
アルカさんは俺を見上げながら、首を傾げて声を出す。
背の小さな彼女の、長く綺麗な金髪が揺れる。どこにでもいそうな可愛らしい少女の姿。もっとも、それにしては少し顔が整いすぎている気もするけれども。そんな少女が、どうしてあれだけの量を食べるなどと思えようか。
「いやぁ、これでもまだ上手く体が動いてなくての。昔に比べればまだ食べられていない方なのだよ……。これから少しづつ、食べる量も増やしていけるとは思うのだが……」
アルカさんは少し恥ずかしそうに顔を赤らめて、首を掻きながらそう言った。
「……」
絶句する、とはこういう事なのだろう。声が出なかった。
可愛い顔をして、彼女はなんて事を言うのだろうか。
彼女の表情からすると、それは決して嘘ではなさそうに思える。だからこそ、彼女が何を言っているのかと、信じられなくなってしまう。あろう事か彼女は、『食べられない事』を恥ずかしがっていた。
「せっかくご主人が好きに食べてよいと言ってくれたのにな……申し訳ないぞ……」
俺の体から、さぁっと血の気が引いていくのがわかる。
――ええ、好きなだけ食べて貰います。これでもかってくらい、腹いっぱいに詰め込んで貰いますよ。
確かに俺は、アルカさんと契約をした時に、俺はそんな事を口走った。
しかしそれは、一日限りの関係だと思っていたから出来た事だ。昨日は助けてくれた礼という事もあり、金額など気にしないで食べて貰うつもりだった。だが彼女はどうやらそれを、これからずっとの事だと受け取ったらしい。
今や、俺と彼女は精霊契約で結ばれてしまった関係である。
もしかすると彼女は、これからもずっとこのペースで食べ続けるつもりではないのだろうか。
……なら、彼女の食費は誰が払う?
普通に考えるなら、俺だ。
俺は彼女の持ち主であり、契約者なのだから。
(これからも毎日、これだけの量を、いや、これ以上の量を食べ続けるつもりなのか……?)
さすがにそれは……マズい。
何がって、それは勿論、金が。
一角獣の角を売った事で、ちょっとした小金持ちになったつもりだった。
しかしこの様子で、先程の値段が1日3食続いたとする。
……計算するまでもなく、食費だけで2ヶ月も持たないであろう事は予想がついてしまう。家賃や俺にかかる費用を『抜いて』だ。本当なら俺1人であれば、それだけの金額があれば、そこそこの生活をしても、一年近くは持つだろうという計算だったのに。
「あのー……アルカさん?」
「なんだ、ご主人?」
満面の笑みを浮かべながら、アルカさんは俺を見た。
「……ちょっと、食べ――」
食べる量を減らしてくれないか。
そう言いかけた所で、俺はふとある事を思い出して言葉を慌てて止める。
――余が君を気に食わないと殺してしまえば、契約は解除されるのだが
――本当にどうしようもない、余程の事が無い限り、ご主人を手にかけたりはせぬよ。
俺は脳裏に、昨日彼女と交わした会話の事を思い出していた。
余程の事が無い限り、アルカさんは俺の命を奪わないと言った。精霊契約の関係にある以上、契約者の命を奪う事は、自身も死してしまう程の大きな損害を追う事になる、そう言ったのは、彼女自身だ。
しかし――
――食べられない事は死よりも耐え難い事だった。
今、俺が彼女に頼もうとしている事は、彼女の考える、余程の事に該当するのではないか。
「……」
ぞくり、と背筋に寒気がした。そこで俺は初めて、何かとんでも無い事をやらかしたのではないかと思い始めていた。
「……ん? どうしたのだ、ご主人?」
彼女は可愛く首を傾げる。
……これは、まずいかもしれない。
いや、かもしれないではなく、間違いなく、まずい。
このままのペースで彼女が食べ続けるのであれば、すぐにでも金が尽きてしまう。それはつまり、彼女に食事を用意出来ないという事だ。食事が用意できないという事はつまり……
「ご主人?」
「わっ!」
「……どうしたのだご主人。先程から少し様子がおかしいぞ。もしかして、あまり麺類は好みでなかったのかの?」
そう言いながら、アルカさんが心配そうに俺を見る。
(……言えない。食べる量を減らして欲しいだなんて。かと言って、金が続かないだなんて。そんな事を言えば間違いなく、俺はこの少女みたいな精霊に殺される。首を刎ねらてしまう……!)
俺は昨日一日という短い付き合いながら、アルカさんの事を少しは知ったつもりだ。彼女はヒトが死ぬ事をどうとも思っていないきらいがある。それに、俺1人軽々と殺せてしまう程の魔力は持っている事も、『ステータス確認札』で確認済みだ。
「……」
「?」
だとすれば……どうにかするしかない。
「い、いやぁ、実はそうなんですよ。パスタはあまり得意じゃなくて。美味しいと評判だったからアルカさんを連れてきてはみたんですけど、どうもですね……」
そう咄嗟に俺は嘘をついた。
「……なんだ。そうだったのか。どうりで食が進まぬなと思っておったのだ。余もご主人が美味しそうに食べる姿を見たくての。よし、それでは今から別の店へ行こうぞ。なに、余の腹の事は気にせずとも良い。少し歩けば、また入るだろうしな」
「ああいえ大丈夫です大丈夫です。朝はほとんど食べませんから。次は夜にしましょう」
「……そうか。残念だな」
おそらく自分が食べられない事にしゅんとなるアルカさん。この上、まだ食べるというのか。
……本当に、この状況をなんとかしなければいけない。
精霊契約は死ぬまで続く以上、この関係を辞める事は出来ない。彼女を殺せば終わるとは言え、そんな事はまず不可能だろう。相手は精霊、殺す手段も思いつかなければ、殺す前に間違いなくこちらが殺されてしまう。それに、彼女は一応俺の命の恩人でもある。そんなアルカさんを殺す事など出来ない。
(料理を自分で作る……? いや、駄目だ。俺に料理の腕は無い。それにそんな事をしても、食材費はかかる。問題の根本的解決にはならない。金だ……とにかく金を稼がなければ……)
金を稼ぐ。それも、かなりの額を稼がないといけない。
『薬草収集』のような日銭程度では意味が無い。それは彼女の食費の足しにすらならない。
だとすれば――
(死ぬのが怖いとか、言ってる場合じゃないよな、これは)
そう、俺は冒険者なのだ。この街の冒険者が金を稼ぐ方法と言えば、迷宮に潜る事だ。それしか方法が思いつかない。
迷宮に潜りたくないなど、言っている場合ではない。迷宮に潜れば死ぬ可能性が出てくるが、潜らなければ確実に殺されてしまう。
……やるしか、ないのだ。
こうして俺は死にたくないから潜らなくなった地下迷宮に、死にたくないが為にまた潜る事になったのである。