後編
『……え? え? え!?』
ワールドメッセージによって宣言された、狩りイベントの開始。
突然のことに、状況が上手く判断できない。
口調がさっきの女と明らかに違った。
多分、別人だと思うけど……。
あの場に、他のプレイヤーがいたのだろうか。
「商品は無いけど、興味のある人は参加してねぇ! 場所は――」
『……場所までバレてる』
目標は[黒狗]と言っていた。
さっき聞いたばかりなのだから、まず聞き間違えたという可能性はない。
……十中八九、このキャラクターの事だろう。
『お父さん、何やってんの……!?』
先のメッセージでは、確かにこう言われていた。
“かつて、このWoAを救った英雄の一人”
家ではパッとしないサラリーマンが、ネトゲの世界では英雄?
……にわかには信じられない。
普段とは違った一面を見たいとは思ったけど――
ここまで斜め上だとは微塵も思って居なかった。
…………
一旦、深呼吸をして落ち着く。
……何をして英雄になったのかは分からない。
だけど、メッセージでも言われていた[黒狗]――
今も“二つ名”で通っているぐらいだ。
相当な有名人だということは、これまでのことから判断できた。
『まずは街から出て、ログアウトしないと……』
流石に強制的に切断して、ペナルティを受けるのは忍びない。
右も左も分からないまま、闇雲に逃げ続ける。
――が、反対方向から一体の悪魔がこちらへと走って来た。
『やば――他の悪魔……』
急いで横道へ身を隠したものの――
この距離では、既に発見された後だろう。
――飛び込んで来たところを返討ちに……!
そう思って、身構えていたのだけれど――
何事も無かったかのように通り過ぎて行った。
…………?
『気づ……かれて……ない?』
有名なの? 有名じゃないの?
黒っぽい服装のアバターなんて腐るほどいる。
その中でも[黒狗]と判断できるだろうから、あえて場所しか言わなかったのだと思ったのだけれど……。
――あの女も「久し振り」と言っていた。
もしかしたら、そこまで記憶に新しくないのかもしれない。
狩りイベントなんて、結局のところ個人が主催したものだし――
報酬もないのなら、参加者だって殆どいないんじゃ……。
『上手くいけばこのまま逃げ切れる……?』
そう気を緩めて、出口の方を確認した矢先に――
『――見つけた、君が噂の[黒狗]だね』
『――え?』
また――例の[黒狗]という名前で呼ばれた。
『……中身は男って聞いてたんだけど、その声は……へぇ、なるほど』
……参加者!?
この様子だと、お父さんの事も知ってる……?
『どいてもらうから……!』
『そんな古臭い装備で勝とうっての? こっちは最新ガチャのコンプ特典だぜ?』
相対する悪魔は豪華なアバターに包まれている。
……課金プレイヤー。
少なくとも、そこらの雑魚とは違う。
『――それでも!』
――――
『……え、弱くない?』
豪華なアバターの割には、あっけなく倒すことができた。
見かけ倒しとはこの事である。
『うるさいな!【ブエル】は戦闘職じゃないんだよ!』
『あっそ。それじゃあ急いでるから。バイバイ』
人目につかない所での戦闘だったけど――
それでも時間を使ってしまった。
『もしかしたら仲間を呼ばれてるかも……』
《奥義》は使える。
だけど、スタン中に見つかったときのことを考えると怖い。
『……いざと言うときが来るまで、温存しておくべきだよね――』
『さっすが[シトリー]! ドンピシャ!』
さっきの青年のものとは違った女性の声。
――新しいプレイヤーだ。
こちらの行く手を遮るように現れたその姿は――
薄く青色がかった白髪が風に揺れていた。
全体的に白っぽい服装に統一した、女性のアバター。
声からして、自分よりも年上の女の人。
この雰囲気だと、彼女も参加者に違いなかった。
『次から次へと――!』
――――
――強い……!
さっきの【ブエル】とはレベルが違った。
こっちの攻撃がまるで当たらない。
同様に、向こうの攻撃もあまり当たっていないのだけれど――
それでも、ジワジワとHPが削られてゆく。
『……なんで!? 今までの敵は簡単に倒せたのに――』
『いやー。グラたんの時とは全然違うねー。攻撃が当たる当たる』
向こうからすれば、これで当たっている方らしい。
『……そんな馬鹿な』
レベルもカンストまでではないけど、上級なのは間違いない。
装備も最後まで強化されていて、まず負ける要素はないはずなのに。
『さて、ロビーには他の人が待機してるから――』
確か――ゲーム中にHPが0になったらロビーで復活するシステムだったはず。
さっきの【ブエル】が消えたのも、飛ばされたからだ。
『一旦、死んでから話を聞こうか?』
『くっ――!』
「≪Pay with blood and life ≫」
温存だなんて言っている場合ではない。
今が、その“いざと言うとき”だ。
『――あっ!』
五秒程度待機しておいて、この人が向かった方向と逆の方に逃げよう。
そう考えていたのだが――
『[シトリー]! 偽グラたんが消えたけど、どこに逃げてる?』
さっきも言っていた[シトリー]という名前――
もう一人の仲間と連絡を取っているのだろう。
『……うん……うん。そっか、了解。動いてないんだね』
『――!?』
バレてる!? なんで!?
会話の内容から考えるに、その[シトリー]の能力なのだろうか。
――予定変更!
急いで逃げないと――
『≪This gate divides hope and despair≫』
《奥義》の発動。
ジャラジャラと音を立てて――
巨大な“門”が、地面からせりあがってきた。
ちょうど、通りに面した側を塞がれた形である。
目の前には強敵と、簡単には通れそうにない“門”。
――万事休す。
『反対側に逃げるしか――』
出口とは反対方向だけれど、仕方がない。
慌てて踵を返し、駆け出す。
五秒のスタンさえ凌げば、まだ希望はある――
『残念だけど、逃げられないんだよねー』
『――そりゃそうだろ』
「≪This gate divides hope and despair≫」
反対側の出口を塞ぐように現れた“門”。
淡い期待が――脆くも崩れ去った。
『また別のっ――!』
『【ケルベロス】っつうのは本来――』
“門”の手前に誰かがいる。何かがいる。
紅に、緋に、朱に染まっている――
全身に血の色を纏った獣が、そこにいた。
『門の外に逃がさないための番犬なんだよ』
バフの重ね掛けによる重ね掛けで凄いことになっている。
それに加えて、前後を挟まれての二対一。
『勝てたら出してやるぞ? ホラ。かかってこいよ』
『う……』
この状況――絶対に勝てない。
本当に最後の手段だけど……。
強制的にログアウトするべきか悩んでいたところで――
白い方の【ケルベロス】が口を開いた。
『とりあえず――私たちは全部事情を知ってるから』
『……全部?』
『お父さんのアカウントでログインしてるってこと』
『――!』
『身内でのログインで、データの損失も無い。今なら、謝れば許されるレベルだ』
紅い人がズイズイとこちらへと歩を進めてくる。
『――何をすべきかは分かってんだよな?』
この威圧感。
どこかで味わった気がする。
『ご、ごめんなさい……!』
気が付くと、条件反射のように謝罪の言葉を口にしていた。
それはもう、土下座をする勢いで。
そして――
『[シトリー]! こっちは終わったよ!』
「現時点をもって、狩りイベントは終了! みんなお疲れさまー。参加ありがとねぇ!」
――という宣言により、逃走劇は幕を下ろした。
――――
数分が経って、‟門”が消えてゆく。
その向こう側には――二人の人影が。
『[赤狗]! [白狗]!』
『げっ――』
例の女――!
一瞬、こちらに敵意を見せたが――
[白狗]と呼ばれた方の悪魔の方へと駆けて行く。
どうやら、この二人とも知り合いらしい。
その駆け出す様子はまるで――
自分と最初出会った時のようだった。
『ベアトちゃん久し振りー!』
……どうやら、ベアトという名前らしい。
とっても仲が良さそうだけど――
お父さんとも知り合いなのだろうか。
この“二つ名”といい、共通点があり過ぎる。
『あ、あの……』
『あ゛?』
……凄まれた。
『とりあえず、お前はこっちに謝る必要があるだろ』
[赤狗]と呼ばれていた彼女の言葉に反応したのか――
ベアトではない方のキャラクターがこちらへと歩いてきた。
この[黒狗]よりも背の低い、少年のアバター。
……誰だろう。
『今日は大騒ぎだったねぇ』
『え――』
耳を疑った。
この声は聞いたことがある――
というより、間違えるはずもない。
口調は違うけど――
『……お母さん?』
『お母さん!?』
ベアトは驚いてた様子を見せているけど、他の二人はそれほど反応がない。
もしかして……知っている人?
『……もうすぐお父さんも帰ってくるし。私たちも帰ろっか』
――――
「お母さんがそろそろご飯だって。……黒狗」
「……はぁっ!?」
[黒狗]と呼ばれ、挙動不審になるお父さん。
こんなに取り乱しているのを見るのは初めてだ。
…………
「いただきまーす!」
「いただきます」
「はい、召し上がれー」
食卓に家族が揃う。
いつもよりも、騒がしい食事風景だった。
話している内容は――
もちろん、WoAで起きた今日の事件のこと。
「――お姉ちゃんにも手伝ってもらってね。「VRだと目に来る」って愚痴ってたけど」
「っ……!? ゲホッ……!」
お母さんのお姉ちゃんということは――
瑠夏おばさんのことだろうか。
「……あぁ!」
どこかで感じた威圧感……。間違いない。
家に遊びに来ていたときも、いろいろ厳しかったイメージがあったけど――
そのまんま、あの[赤狗]から感じていたものだ。
条件反射で謝ってしまったのも納得した。
「瑠夏さん、もうアラフォーだろ……。無理させるなよ……」
「ベアトちゃん、次はみんな揃って遊びに来てって言ってたよ? どうする?」
「そうだな……葵ちゃんにも今度予定を聞いてみるか……?」
「私、もっと昔の話を聞きたいんだけど!」
何から何まで。一から百まで。
余すことなく聞きたい。
一日では語り切れない、お父さんたちが秘密にしていた物語を。
お父さんたちが作り上げた英雄の歴史を。
私の親は――とある世界で、かつて英雄だった。