前編
――私の両親は、あまりパッとしない。
なんだろう。
一流企業で働いているわけでもないし、スポーツ選手でもない。
なんてことはない、普通のサラリーマンと主婦だった。
……もちろん、私も普通の学生で。
テレビに映る芸能人を見ては羨む――
そんな退屈な毎日を送っていた。
それもこれも――
お父さんのせいだ。
友達のお父さんとは違って、趣味もこれといってないようで――
休日もたまにパソコンで遊んでいるくらい。
釣りだとか、ゴルフだとか、スポーツをしている所を見たことが無い。
旅行も年に一度か二度。
……本当につまらない人間だと思った。
確かに、働いて、お金を稼いで、私たちを養ってくれてはいるけれど。
普通に父親をしているけれど。
それでも――
私から見れば“つまらない大人”そのものだった。
どうしようもなく退屈で。
何か面白いことがないかと辟易していた時に――
あるものを見つけた。
モノとは言っても、こう――
物理的になにかあったわけじゃない。
お父さんがトイレに行っている間。
こっそりと覗いた、そのPCのデスクトップに――
気になる名前のショートカットを見つけたのだ。
「――『War of The Apocalypse』?」
それは――十年以上前から続いているオンラインゲーム。
私が生まれる数年ぐらい前から続いている、老舗タイトルだった。
――私も、過去に少しだけ遊んだことがある。
今流行りのVRゲームで何かないか探していたときに、たまたま目についたのだ。
……チュートリアルを終わらせた所で、飽きて辞めちゃったけど。
天使だとか悪魔だとかに魅かれたけど――
思っていた以上にシステムがごちゃごちゃしていて、体が受け付けなかった覚えがある。
現界で人間を味方に引き込む?
月一回のアルマゲドン?
グループ内の順位?
――こんなにやることの多いゲームのどこが面白いのだろう。
疑問が浮かぶと同時に――
お父さんの今まで知らなかった部分を垣間見て、少しワクワクした。
「もしかして――」
そのアカウントでログインすれば、他にもいろいろ見れるんじゃない?
――我ながら名案だと思った。
――――
そして――
手元には、地道に時間をかけて入手したIDとパスワード。
もちろん、ゲーム本体も事前にインストールは終わらせておいた。
万が一ばれたりしないよう――
土曜日に仕事が入っている時を狙ってログインをする。
――完璧。
ランチャーが起動され、VRスコープに映像が映し出される。
作っているキャラクターは一つだけ――
「“いかにも”って感じだなぁ」
上も下も黒っぽいアバター。
案の定、陣営は悪魔だった。
「――うわ」
予想していた以上のものを見てしまった。
レベルはカンストまで行っていないものの、ほぼそれに近い状況。
きっちり切りのいい所で止まってるのは――
カンストした所で辞めて、その後のアップデートでレベル上限が上がったということだろうか。
「……なにこれ。廃人じゃん」
そして次に目についたのはグループ名。
そこに書かれていたのは――
「……【グラシャ=ラボラス】?」
全く聞いたことのない名前の悪魔だった。
ゼブルだとかルシファーだとか、ケルベロスだとか。
もっと有名な悪魔は沢山いるのに――
なんで、こんな変なのでカンストまで遊んでたの?
やっぱりお父さんは変わってる。
つまらない大人というレッテルの上に――
変な人という新しいレッテルが貼りつけられた。
「……とりあえず、これでいいや」
選択肢もクソも無かった、気を取り直してゲームを始める。
――――
降りた先は――第一層≪辺獄≫
……誰にでも入ることのできるロビーだった。
スコアはゼロ。
当然、順位は最下位。
見たことのある風景で、少しがっかりする。
レベルから見ても廃人っぽかったし――
もう少し、何か特別なものを期待していたのに……。
『放置してたみたいだし、当然と言えば当然なのかなぁ……』
そう呟いて、走り始めた瞬間――
世界の見え方が変わった。
『うっわ。なにこれ!? 移動速度早すぎ――!』
前に遊んだ――
チュートリアルを終わらせた直後のキャラクターとは、性能が段違いだった。
普通に走っているだけなのに、景色が流れて見える。
――別世界。
高レベルのプレイヤーのみに許された――
限られた者しか見ることのできない世界だった。
…………
『凄い――』
思わず、感嘆の息を漏らしてしまう。
走るだけでこんなに凄いんだから、きっと戦闘も――
そう思ったら最後、試したいという欲求が何よりも勝った。
慣れない手つきでメニューを選択し、現界へと飛んだ。
――――
『適当な街に入れば、天使と戦えるかな?』
今いる街は、天使側の領地だったようで――
何もしてないのに向こうから襲いかかってきた。
――襲いかかって来てくれた。
…………
『――強い』
敵の攻撃が殆ど当たらない。こっちの攻撃は面白いぐらい当たる。
そもそものレベルの差もあるだろうけど――
装備の性能が段違いだった。
相手はプレイヤーだろうけど、倒すのに数分もかからない。
まるで雑魚モンスターを狩っているかのような快適さだった。
――楽しい。楽しい。楽しい!
『楽しい――!』
何も怖いものなんてないと――
ズンズンと街の中を闊歩する。
襲いに来たければ襲えばいい。
これなら、どんな敵でも返り討ちにできる気がする。
そうして、何体かの天使を倒しながら進んで行くと――
広場に、他のプレイヤーとも、人間とも違う。
別物のキャラクターがいるのを見つけた。
ふわふわとした銀髪で、アバターは成人女性タイプ。
どこか神々しい雰囲気を纏っている。
……なんだか、凄く強そうだった。
あれは――
天使? 悪魔? どっち?
恐る恐る近づいてみる。
襲ってきたらすぐに攻撃しないと。
最悪――勝てそうになくても、逃げ切れるよね?
『――?』
向こうがこちらの姿を視界にとらえたのを感じた。
視点がこちらに固定されている。
…………
近づいて攻撃を仕掛けてくる?
それとも、その場で遠距離攻撃?
身構えていたのだが――
想像していない事態が起きた。
『――[黒狗]!!』
そう大声で叫んだかと思うと、こちらに駆け寄ってきたのだ。
『……シュヴァルツ?』
合言葉かなにかだろうか?
シュバルツ……確か、ドイツ語で黒という意味だったはず。
……もしかして自分のこと?
黒っぽいアバターだから?
でも……このキャラクターの名前はそんなのではなかった。
“二つ名”だとか、そういう痛い系ではないと思いたい。
『久しぶり! 最後に会ったのはいつだったっけ……』
――どうやら、向こうの様子からして結構親しい間柄のようだった。
……浮気? こんなところで浮気が発覚するの?
少し興奮してきた。
スキャンダルの匂いがしてくる。
『今日は遊んでくれるんだよね!? ずっと戻ってくるのを楽しみに待ってたんだから!』
『……えーっと……。あなたは……誰なんですか?』
…………
一瞬、時が止まったかと思った。
あ、もしかして――地雷踏んだ……?
『……? ――[黒狗]じゃ……ない?』
彼女の目の色が変わる。
黒い羽根が勢いよく広がった。
ざわっ――
彼女の周りの空気が変わった。
――マズい。絶対に何かしてくる。
『≪神曲――』
さっきの戦闘の時にも、天使が似たようなことをしていた。
……《奥義》スキルだ。
『二部煉獄篇三十三歌≫』
『――っ!』
あのタメは間違いなくヤバい。
彼女の《奥義》が発動する前に、こちらも《奥義》を使った。
「≪Pay with blood and life ≫!」
『――透明化? しめたっ!』
この場から逃げるのに、これほど便利な能力もない。
急いで、反対方向へと駆け出す。
このキャラクターなら十分逃げられる――!
一瞬で彼女の姿は見えなくなった。
右へ左へと曲がりながら距離を離してゆく。
――が、十数秒は経っただろうかという頃に。
……流れていた景色が急に止まった。
『――あれ?』
気が付くと、視線が下がっている。
――勝手にアバターが膝をついていた。
『《奥義》のデメリット!? こんな時に――!』
……まだ? まだなの!? 早くしてよもう!
移動ができない。スキル使用できない。
もどかしい時間が続く。
『――あ、動けるようになった……?』
どうやら五秒程度のモノらしい。
……今度から、効果時間が終わる前にどこかに隠れよう。
路地裏へ逃げた方がいいと判断して、飛び込んだところで――
事態はもっと面倒な方向へと転がっていった。
「れでぃーすあんどじぇんとるめん! ここで突発狩りイベントを開催するよぉ!」
『――?』
プレイヤーの一人が、メガホンでワールド全体にメッセージを飛ばしている。
運営によるもの以外でも、いろいろとイベントが企画されているらしい。
盛り上がってて面白そうだけど――
今は参加している暇はない。それどころじゃない。
「目標は、悪魔! かつて、このWoAを救った英雄の一人――」
『……え? モンスターじゃないの?』
それって、ただの個人攻撃――
迷惑行為なんじゃ……。
――っ!
『まさか……!』
「――[黒狗]!」
――強制的に参加させられていた。
まさかの……狩られる側として。