だから・・・僕は願う
3年後の8月21日 隣町の病院。
23歳になった僕は、隣町にある大きな病院に来ていた。
職場で行われた人間ドックの結果で異常が見つかり、再検査が必要になったからだ。
不安の中……1つ目の検査が終わり、2つ目の検査がある検査室の前のベンチに僕は座っていた。
そんなとき、ため息まじりに廊下の先を見つめていた僕の視線が一瞬止まった。
薄いピンク色の検査着を着た1人の女性が、車椅子に乗って廊下を横切った。
「えっ? 今の……遥?」
車椅子に乗った、見覚えのある長い黒髪女性は……偶然にも彼女だった。
「さっきの……絶対、遥だよな。」
遠目から見たその姿は少し大人っぽくはなっていたが、僕は彼女だと確信していた。
「春川さーん。」
タイミング悪く看護師に呼ばれてしまった僕は、しぶしぶ検査室へ入った。
そして、検査が終わった僕は急いで彼女が通り過ぎた廊下へ向かったが……彼女の姿はなかった。
僕は全ての検査を終えたあと、病院の中を探してまわったが見つけることは出来なかった。
「もう終わって帰ったのかな。」
そんなことをつぶやきながら、もしかして?という思いで入院病棟の受付へと向かった。
「どうされました?」
「あの、お見舞いに来たんですが部屋がわからなくて。」
「どなたのお見舞いですか?」
「笹浪さん、笹浪遥さんです。」
正直、こんなやりとりの中、僕は複雑な心境だった。
会いたいという気持ちはあったが、怪我かなにかで病院に来ていただけで、入院していないことを願った。
「笹浪さんなら402号室ですね。」
「あ、ありがとうございます。」
願いも虚しく……彼女が入院していることを知った僕は、彼女が入院してる病室へと向かった。
病室の前に着いた僕は、部屋の中に入る勇気がなく……入り口で立ち止まった。
あの夏、泣きながら「ごめん」と言って走り去った彼女の姿が蘇る。
突然、僕が目の前に現れたら……彼女はどう思うだろうか?
「はぁ……。」
僕は廊下の壁にもたれ、うつむきながら小さくため息をついた。
入り口でしばらく悩んだ結果、会う勇気がない僕は彼女の姿だけ見て帰ろうと思い、そっと病室の中を覗き込んだ。
そこには……静かに横たわり眠っている彼女の姿があった。
想像していたよりも重い病気なのか……彼女は少し痩せた気がした。
「あの……どちら様ですか?」
入り口で覗いている僕に、後ろから1人の女性が声を掛けてきた。
「うわっ!」
思わず声を出して驚く僕に……その女性は続けてこう言った。
「もしかして……秋くん?」
振り返った僕の前にいたのは……彼女の母親だった。
「あっ……はい……お久しぶりです。」
数年振りに再会した彼女の母親の表情は、どこか悲しげな印象だった。
「元気にしてた?」
「え、ええ……まあ。」
「良かったら遥に顔をみせてあげて。」
「あ……え、いや……あの……。」
会わずに帰ろうと思っていた僕は戸惑い……思わず彼女の母親にこう聞いた。
「遥さん……どうして入院しているんですか……?」
彼女の母親は僕の言葉に少し驚いた顔を見せ……しばらく黙り込んだ。
「あの……なんかすいません。」
「良いの、ごめんなさいね……。」
そう言ってうつむく彼女の母親の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
その姿を見た僕は、彼女がとても重い病気で入院したのだと理解した。
「今日は帰ります! また、来てもいいですか……?」
「そう……残念だけどいつでも来てね。」
「ありがとうございます! では、失礼します。」
病院を出た僕は、帰り道……ずっと彼女のことを考えていた。
僕はいつもの公園のベンチに座り、空を流れる雲を眺めていた。
そして……誘われるように僕は笹葉神社に立ち寄った。
拝殿に着いた僕は、賽銭を投げ込み手を合わせた。
そして3年前……この神社で彼女の健康と幸せを願ったことを思い出した。
もし、あのとき僕が呪いの短冊で彼女の健康と幸せを願っていたら……。
そう思えば思うほどに、後悔に似た悔しさが込み上げてきた。
「おやおや……何回目かしらね。」
「えっ? あっ……。」
僕が振り返るとそこにはあのときの老婆が立っていた。
7月7日以外は現れないと思っていただけに、予想外の再会だった。
「また、願い事かい?」
「ええ……まあ。」
「ふっふっふ。」
少し薄気味悪い笑みを浮かべる老婆を見て、僕は老婆に言った。
「お願いがあります……七夕じゃないけど、短冊を貰えませんか?」
僕の言葉を聞いた瞬間、さっきまで笑みを浮かべていた老婆の表情が曇った。
「正気かい? あれがどういうものか理解しているんだろう?」
僕は頷き、これまでの出来事と彼女が病気で入院していることを話した。
「その子が救ってくれた命なんだろう?」
「だからこそ……僕は彼女を助けたいんだ!」
僕の言葉を聞いて、しばらく黙り込んだ老婆が口を開く。
「覚悟は出来てるみたいだね。」
「はい……。」
「あんたに会うのはこれで最後だね……。」
そう言って1枚の白い短冊を僕の前に差し出した。
短冊を受け取った僕は、最後に老婆にこう聞いた。
「七夕じゃないけど……願いは叶うんですか?」
「それは問題ないさ、あんたの願い叶うと良いね……。」
そう言うと、老婆はうっすらと透けるように消えてしまった。
家に帰った僕は、彼女の病気が治るようにと、短冊に願いを書きこみそっと裏返した。
短冊の裏に60の数字が浮かび上がる……そう、カウントダウンが再び始まった。
だけど、以前と違い数字の意味を理解していた僕には……少なからず恐怖心があった。
そんな恐怖心からか、僕は短冊を吊るさずカバンにしまった。
あとから思えば、どうしてこうもあっさりと僕は短冊に願いを書けたのだろうか?
多分、彼女が病気で死ぬかもしれないという不安が、僕をそうさせたのだろうと思う。
「これでもう大丈夫だ。」
そうつぶやいた僕は……最後に彼女に会いたいという思いから、お見舞いに行く決意をした。
8月24日 病院にて。
お見舞いの花束と果物を買い、僕は彼女が入院している病院へ向かった。
病院に着いた僕は、病室の前で小さく深呼吸をした。
数年振りの再会に、僕の心臓は激しく音を立てていた。
トントン。
「はーい。」
数年振りに聞いた彼女の声は、あのときと変わりなくとても澄んだ綺麗な声だった。
もう一度大きく深呼吸をして、僕は病室の中へ入った。
「えっ……秋……くん?」
僕はそっと頷き、ベッドの近くまで行った。
「久しぶりだね。」
そう言ったあと……しばらく言葉が出てこなかった。
「ご……めん……なさ……い」
僕の顔を見た彼女が、涙を流しながら最初に言った言葉が「ごめんなさい」だった。
「謝らなくても良いから。」
「だって……たし、酷いことを……。」
「わかってるから……全部わかってるから。」
彼女は両手で顔を覆い、震えながら小さく頷いた。
「本当に……叶ったんだ……。」
「えっ?」
「ううん、なんでもないの。」
涙を拭う彼女の左手首には、誕生日に2人で買ったブレスがついていた。
「懐かしいね。」
そう言って、僕は右手首につけたブレスを彼女に見せた。
「うん、ずっとつけてた。」
そう言って、彼女は笑顔で僕を見た。
こうして、再開を果たした僕達はしばらく幸せな時間を過ごした。
この日から、可能な限り時間が空いたときは彼女に会いに行った。
僕は人生最後の時間を、彼女と一緒に過ごしたかった。
そして僕のこの幸せな時間は、10月20日までは続くはずだった。
9月5日 仕事中のこと。
営業の仕事をしている僕が外回りをしていたとき、突然知らない番号から電話があった。
「はい、もしもし!」
「秋くん? 遥の母です。」
電話をしてきたのは彼女の母親で、その声は少し震えていた。
「おばさん? どうしたんですか?」
僕がそう聞くと、彼女の母親はしばらく黙り込んだ。
「おばさん……?」
「あのね……遥が。」
「えっ?」
「遥がね……亡くなったの。」
あまりに突然過ぎて、僕はしばらく言葉が出なかった。
「う、嘘ですよね……?」
僕がそう言ったあと、電話越しに聞こえてきたのは、彼女の母親の鳴き声だけだった……。
「すぐに向かいます!」
僕は電話を切り、急いで病院へと向かった。
病院に着いた僕は、彼女の病室へ駈け込んだ。
そしてそこには……眠るようにして生涯を終えた彼女の姿があった。
「嘘……だろ?」
僕は短冊に願いを書いた……だから死ぬはずがないと思っていた。
そんな彼女の突然の死に……僕はそれ以上言葉が出なかった。
彼女は、彼女の母親が花瓶の水を取り替えに部屋を出ていた、ほんの僅かな時間に亡くなっていたそうだ。
僕はありえない現実を受け入れることが出来なくて……泣くことも出来なかった。
ただ……ただ……眠ったように動かない、彼女の姿を見続けていた……。
その日家に帰った僕は、カバンから短冊を取り出し裏にあるはずの数字を見た。
「なんでだよ!!」
始まっていたはずのカウントダウンの数字が、跡形もなく消えていた……。
数日後 お葬式。
彼女の母親から現在の住まいを聞いた僕は、彼女のお葬式に参列していた。
お焼香を終え、僕は彼女の母親に挨拶をした。
「来てくれてありがとうね……。」
「いえ……。」
「病院で会えて、遥本当に喜んでいたわ……。」
「そうですか……。」
「願いが叶ったって……本当にはしゃいじゃって……。」
僕の頭の中に彼女の嬉しそうな笑顔が浮かんだ。
「七夕の日に、笹葉神社でお参りしたのよ。」
「えっ?」
「真っ白な短冊を嬉しそうに眺めてた……。」
「まさかっ! おばさん、あとで遥さんの部屋を見せてください!」
お葬式のあと、僕は彼女の部屋に案内してもらった。
彼女の部屋に入った僕は、窓際で揺れる真っ白な短冊を見て……言葉を失った。
僕はゆっくりと近づき、窓際でゆらゆらと揺れる真っ白な短冊をそっと手に取った。
「最後にもう1度、秋くんに会いたい。」
彼女の人生最後の願いは……僕との再会だった。
そして……短冊の裏側の数字は、無情にも0と刻まれていた。
「遥……また僕は……。」
僕は膝から崩れ落ち、短冊を握りしめまま、ただ……泣き続けた……。
1つだけ願いが叶う真っ白な短冊「呪いの短冊」 だけど決して願いを書いてはいけない。
願い事の先にあるのは、残酷な結末だけなのだから。




