君は地球を救えるか
待ちに待った、松田苑手伝いの日。
「おはようございます!」
緊張を気取られないように声を張り上げる。松田苑の職人が、次々とこっちを見て会釈した。
その中から年配の、背は俺より低いけど肩幅ががっちりとした人が近づいてくる。額に手ぬぐいを締め、藍染めの羽織りを袖を通さず肩に掛けている。コワモテだけど穏やかと評判の松田苑の親方だ。
親方を前に俺は被ってた手ぬぐいを取って頭を下げる。
「初めまして、正津夕樹です。宜しくお願いしまっす!」
「君が夕樹君ね。高島さんから話は聞いてるよ。」
親方は手に持ってたお茶を渡してくれた。
「すみませんっ……いただきます!」
「入って3ヶ月だって?どうだ、慣れてきたか?」
「あ、はい。ヒデさんに面倒みてもらってて……なんとか」
突然後ろから背中を軽くはたかれる。お茶片手にヒデさんが「いただいてます」と親方に軽く頭を下げた。
「こいつほんと手焼けるんですよ。スピードが俺の4分の1以下」
「英明君は手入れが早いからな。今年もあの真ん中のモッコク頼むよ。仕上がりが鳥籠みたいってお客さんも喜んでんだ」
「いやぁ、ほんと有り難いっすね〜」
松田苑は個人庭を中心に回っている。昔からの繋がりで茶庭の管理が多い。だから従業員一同お茶を習ってる。……というか親方が先生で、毎週土曜は昼で仕事を終え、午後にお点前をしているのだそうだ。
ちなみに、俺のいる高島造園は個人庭と公共、両方やってる。割合としては半々といった感じ。公共とは主に役所の仕事で、学校や保育園などの公共施設の緑地管理を担う。街路樹もそうだ。
現場によっては一週間以上作業がかかる所もある。少ない人数で長い日数入るより、大人数で短期間に終わる方がお客さんの負担も少ないから、そういう時は同業者同士、手を貸し合って頭数を揃える。横の繋がりがものを言う業界だ。
ヒデさんはちらっと親方を見る。ヒデさんは背が高いから自然と見下ろす形になる。
「そういえば……松田さんとこも確か入ったんですよネ。女の子」
親方はコワモテを早々に崩す。
「そら来た」
「ったり前じゃないですかー。俺なんかよりゆーきの方が気にしてて、な?」
「え?いや、その………………気になります」
「夕樹君は25だけっか?……てえことは千花と同級か。おい千花ー!高島さんの職人紹介するから来い」
「はーい」
向こうから鈴振るような声が聴こえた。俺とヒデさんは一斉に同じ方角を見る。やがて目の前に現れたのは、親方と同じくらいの背の、華奢な女の子。
「これがうちの新入り。宜しく頼むよ」
俺は途端、目を見開く。
ーーうっそ……
その立ち姿はまるで、殺伐としたアスファルトの上に咲く一輪の花。ここ空気、空気違うって……!
「森村千花です。ご指導どうぞ宜しくお願い致します」
この丁寧な物腰はお嬢……なのだろうか?
「千花ちゃん、虫は大丈夫なの?」
固まる俺を置いてすかさず質問するヒデさん。
「虫ですか……好きではないですが慣れました」
ーーこんな子が土方仕事なんて。
「こいつな、うちの最年少の正津夕樹。苗字だと呼びにくいから、みんな〝ゆーき〟って呼んでんの。まだあんまり役に立たないけど、木登りは猿並みに得意なんだよ、な?」
いきなりふられて俺は噛み噛みになる。
「は、は、は、はい!そーなんです!」
くすっと笑う森村さん。その仕草、まじ女神。
ヒデさんは昔何人も引っ掛けたという爽やかすぎる笑顔で、すでに森村さんの緊張を解いている。ヒデさんは「おい」と小声でこずいてくる。
「千花ちゃんに負けんなよ。キャリア的にもお前らライバルなんだからな」
はい出ました、競争心。……俺はとりあえず頷いたけど。
——競うって……こんな可愛い子とさ……
「あ、千花ちゃん、俺これから登るから、ゆーきと一緒に片付けお願い」
「はい、承知しました。」
俺は森村さんが動く前にトラックに走り、必要な道具を持てるだけ持ってきた。
***
「……あの、さ」
ヒデさんが木に登ったのを見計らって話しかける。
「森村さんはさ、どうして植木屋になろうと思ったの?前はOLさんて感じ……?」
森村さんは笑顔で首を振る。
「千花でいいですよ。皆にそう呼ばれてますし。ゆーきさんは?」
「あ、俺は……会社合わなくて辞めちゃって、失業者向けの訓練校行って、なんとなくここに来た感じで……」
清涼な空気をもろに浴びて、しどろもどろになる俺。
「私は将来、樹木医になりたくって。あの……その……」
「?」
俺が不思議そうに千花ちゃんを覗き込むと、千花ちゃんはぽっと顔を赤らめる。
「何て言いますか……私、地球を救いたいんです」
——そーか、そーか、地球をね。…………へ?
「スケールでっけーなー」
気づくとヒデさんが木の上から顔を覗かせて笑っている。
「志は登る木よりも高く。ゆーき、お前も見習え」
「……うす!」
とりあえず波に乗っておく。
「ヒデさん〜手が空いてしまいますが、何かお手伝いできますか?」
千花ちゃんは両手をメガホンのようにして木の上に呼びかける。
「お〜さすが気が利くね。……じゃあ、下の胴吹き払っててくれる?俺、先に向こうの枝に乗ってるから」
「じゃ、俺も……」
「お前は片付けろ。仕事は早いもの勝ちだぞ。んじゃ千花ちゃんヨロシク」
俺は置いてかれた感じがして、たちまち途方に暮れた。
***
植木屋の中でも、樹木医を志す人がいるという。〝植木屋の常識は、樹木医の非常識〟と言われ、木の扱い方に差が出てくる。
植木屋は木を一定以上大きくしないために〝切っていじめる〟のであり、樹木医は〝治療する〟と言えば分かりやすいだろうか。
植木屋とは読んで字のごとく、確かに木を植えるし、移植もする。専ら木の維持管理をするのが仕事。
一方で切れと言われれば容赦なく伐採。壊せと言われれば庭も壊し、その後は家が建ったり駐車場になったりする。
庭は減るばかりで新しく庭を造る機会もそうそう無い。緑地の保全にこれっぽっちも貢献出来ていないのが現実。
餅は餅屋に、木は植木屋に任せておけと言うが、この国に木が残るかどうかは、国民一人一人の心にかかっている——