第六十七話
そこに居たのは一人の女生徒だった。天乃原学園の制服に黒縁の眼鏡、そして三つ編みの髪型はいかにも文学少女という演出を施していたが、この場ではむしろ違和感の塊でしかない。いうまでもなくこの学園で目立たない為の偽装──おそらく見た目通りの年齢ですらないだろう。
手には文庫本。席に腰かけ、ページをめくる姿は先ほどここから離脱した誰かを連想させるが、彼女ほど本の中身に目を通していないのはここからでもわかる。それも演出の範囲の内だが成田と私の視線に晒された今、長々とフリを続けても意味はない。
その事に気づいたのか、あるいは単純に飽きたのか肩をすくめて文庫本を放り投げると、物静かな風体に似合わぬ爆発的な瞬発力を発揮して檀上──私達と同じ舞台へと降り立った。
「──せっかく変装までしたのにもう少し付き合ってくれてもよかったんじゃない?」
冗談めかした物言いと共に目の前まで近寄ってくる女生徒。そんな彼女を見て、真っ先に思い浮かぶのは優之助のさらに友人である当真瞳子。姿かたちはともかく、物腰や口調はどことなくというレベルではなく似ている。
「むしろ突っ込み待ちだろ? 明らかに浮いてんじゃねぇか──それも含めて」
声に棘を込めながら成田が女生徒の手元を指さす。握りしめたそれはまたしても姿恰好とは正反対の凶器──成田の『プラズマ・シャフト』より長い柄で構成された無骨な薙刀だった。立っている場所の効果もあってか、得物を携えているとますます春休み前の出来事がよみがえる。
「──綺麗でしょ? 当真の宝刀、名は『死化粧』。さすがに柄の方はとりかえたけど、刀身は間違いなく国宝ものの刃だわ。刃に掘ってある溝が肉の差し抜きにいい塩梅を与えてくれるのが特徴で、刃と突き刺した相手の両方を赤に染めるのがその名の由来だそうよ」
「──初対面の相手にする話かよ」
「(同感だ)」
まさか皮肉で指摘した得物について嬉々として語られるとは思わなかったらしく、苦虫を噛み潰したような表情を見せる成田。当真瞳子も優之助相手に掴みどころのない一面を見せていたが、これもひと味違うやりにくさだ。それでも見れば見るほど、話せば話すほど共通点が増えてくる。特に目だ。やや大きめのフレームの眼鏡の奥から覗くのは──
「──!!」
思考を破ったのは一筋の銀閃。女生徒の薙刀が私に向けて突き刺そうとした残滓だ。
かろうじてかわす事が出来たが、それは私が彼女を警戒していたのと彼女の放つ刃が無造作だったから。無造作──人に向けるにはあまりにも感情のこもらない、まるで人を人とは認識していない動作だ。
「おそらく君の感じた通りだ」
まるで栞を挿し込むように背後から現れた気配と、投げかけられる男の声──共に月ケ丘清臣のものだ。
「(いつの間に)」
当真瞳呼よりは手前の座席にいたはずだが、いったいどうやって私に気づかれず舞台に降り立ったというのか? 疑問はあるが、反応を止めるつもりはなかった。振りかぶる遠心力を利用し、バックブローを放つ。
「む……」
手ごたえはあった。だが、感触から伝わるのは攻撃の失敗、なにより狙ったはずの対象ではなかった。行動の結果に遅れて映し出された視覚には月ケ丘清臣と私との間に立ち塞がり主を守る二人の女。
「驚かせたようですまないね。こちらとしては君に危害を加えるつもりはない。彼女達は『シャドウエッジ』──一応、私の護衛だ」
言いながら、軽く指を鳴らす。合図を受け、無言で私のバックブローを止めた女がしずしずと主の背後へと下がる。
その姿かたちは、天乃原の制服とは違う黒で統一された衣装を身に纏い、整った造形だが冷たく、無機質な印象。だが、平井要芽のような氷でもなければ、天乃宮姫子のように人形じみたものではなく、不吉さをたたえた死人に近い。
「──感じた通りとは?」
値踏みを悟られないよう、おうむ返しで質問する。そんな私のささやかな腹芸をどう受け止めたのか、特に追及する事なく、言葉の通りだ、とこちらの質問に短く答える月ケ丘清臣。
「端的に言えば、人を人とは思っていない。彼女は極端な異能者優位の差別主義でね──いや、もはや差別ではないな。異能者でない生物は同類とはないと"区別"している。だから、先ほどの一撃も本人からすれば、虫でも追い払ったつもりだろう」
「人を虫扱いとは相当だな」
「逆に言えば、虫扱いだからこうやって私と会話ができている。本当に殺す気ならばまた違った結果になっていただろう。下手に動かなければ、これ以上攻撃される事もない。まぁ、虫は虫でも油虫なら嫌悪、雀蜂のような危険な種なら警戒と防衛だ。場合によっては話は別だろうがね」
つまり、私は羽虫程度の存在というわけだ。屈辱を覚えないわけではないが、他人が下した評価の如何をそのまた他人に詰め寄っても意味がない。
「目の前にうろちょろしなければ追い掛け回すほどの価値はない、か。私に切っ先を向けておいて、なかなか愉快な神経をしているようだな」
「付き合ってみればそんな皮肉も出てこなくなる。あれでも自分の価値観が他人と掛け離れているのを理解しているし、対外的に抑えるところは抑えている。ある意味、下手な狂人よりも厄介だよ」
「私を殺そうとしたのは対外的にどうなんだ?」
「当然、問題だ。だから私がわざわざここまで降りてきた。見えないかもしれないが、正直、私も辟易している。事前に天乃宮関係者に危害は加えないと打ち合わせたはずだが、どうやら顔を忘れたか、見分けがつかなかったのだろう。私としては天乃宮とは正面から対立したくはないのでね──本当に困ったものだ」
それはつまり、天乃宮関係者でなければどうでもいい、という事か。他人をこき下ろせるほど立派な人柄ではないのは成田への言い様でわかっていたが、人物評価の訂正は必要なさそうだ。
「血を分けた肉親ですら異能者でなければ、別の種族扱いだ。犬猫に親愛を込めて家族と呼ぶ人間はいるが、彼女の場合、生物学上そうなったから仕方なく"対外的に"血縁と認知しているらしい──表情が一層固くなったが、どうかしたか?」
「……いいや、何でもない」
よぎった記憶と感情を振り払う。揺れた視界には親しげに話しかける女生徒もどきと鋭い目つきに剣呑さをにじませる成田が見える。攻撃から逃れた分、離れているので会話のこまごまとした所は聞き取れない。だが、その後に何が起こるのかは嫌でもわかる。その予感に従い二人からさらに遠ざかる。
──判断は正しかった。空気を割らんとばかりに轟き、稲光が舞台の上を走る。現象の余波として衝撃が頬を叩くが、あと1、2歩分出遅れていたらそんなものでは済まなかっただろう。
熱心にコミュニケーションをとろうとする女にいよいよ限界が来たのか両者の間に火花が散った──もちろん比喩ではなく成田の異能だ。
さすがにそこまでされて近づくのは無理だったようで、女は爆心地から舞台の隅の方まで移動していた。再び見せた脚力にも驚きだが、例えるなら気の立った猫を微笑ましく見るような目をしている事に気づき戦慄する──あれを見てかわいらしさを見出すその神経に。
「少々、馴れ馴れしすぎたかしら? まぁ、初対面だと身構えるのも仕方がないわね。それに自己紹介もろくにしてないし──」
屈託のない笑みを浮かべ、そう自己完結させる女。そして手にした薙刀を横に一閃させ、場の空気を切り替える。
同時に表情をにこやかなものから礼を尽くすものへと引き締め、成田に向き直る。見つめたのは二呼吸ほど、敵対する意思はないとばかりに薙刀を後ろ手に構え、優雅に腰を折る。
「──はじめまして、時宮高校序列一位『サンダーガール』成田稲穂。私が月ケ丘高校元序列一位『絶槍』にして、当真家当主候補の一人、当真瞳呼──そこの男に倣うなら当真家側の黒幕として暗躍中よ」




