第五十二話
「──なに、この生まれついて頑丈さが一番の取柄でな。他は愛嬌程度だ──現に、お前の剣術でも傷つけられねぇだろ?」
私の『炎竜』を棒立ちで受けたまま、犬歯を覗かせる『王国』。愛刀を通じて伝わる感触からして、生身のそれとは明らかに異なる硬度。おそらく刃先すら通っていない。
「(本当にいったい何で出来ているのよ、この体!)」
刃が骨にぶつかった時ですら、ここまでの手ごたえにはならないだろう。悔しい事に『王国』の金城鉄壁は私の『紅化粧』を絡めとっていて拮抗状態に持ち込まされている。
「(下手に切り替えせば、体を崩してしまう)」
要は鍔迫り合いに近い膠着状態だが、本来の武器対武器ではなく、武器対肉体という勝手が違いから、うまく立ち回れない。しかも──
「そして実のところ、不用意に近づいちまったのは瞳子の方だったわけだが──仮にも女だ、多少は手加減してやるよ」
──しかも、武器はおろか、両手の塞がっているこちらに対し、『王国』の両手は完全に手すきだ。巨体に比例して長い腕は、今、この瞬間、私を狙って、大きく振りかぶっている。あれを落とすのと、私が体勢を立て直すのと、どちらが速いのか?
「あら、それはどうもありがとう。お礼にこれ以上ない敗北を味わせてあげる」
「それだけ、減らず口がいえりゃあ、上出来だな──とりあえず、寝てろ」
むしろ穏やかといえる口調とは裏腹に私へと迫る拳は唸りを上げる。──それのどこに手加減の要素があるのだろうか? 呑気な感想を浮かべながら私の瞳は『王国』の動きを他人事のようにただ眺めていた──わけではない。
「──"古流"は古ければ古いほど──」
──武芸百般に近くなる。呟きは『王国』に怪訝な顔をさせるだけで、もはや凶器そのものといえる拳を止めるには至らない。私は近づく拳を体捌きで誘導し、それによって深入りした『王国』の袖口を掴む。
例年にない暑さで早まった夏服の薄い袖口は、それでも問題なくこなす。後は掴んだ肩口を支点に一本指歩法を小出しに使い、体ごと入れ替える──当真流組内式、『転』。
「(──さすがね)」
本来なら、不用意に先走った上半身から縦に引き倒されるところ。それを覆したのは『王国』の獣じみた運動能力と反射神経だった。例え、私が十全のタイミングと技のキレを発揮しても、その巨体は不恰好に転ぶ事を許さない──本来なら。
しかし、比較的平地に近いとはいえ、山道は緩やかな坂。その僅かばかりの傾斜がつま先を必要以上に踏みしめさせる。地面はいくら舗装されたといえども、その圧力に耐え切れず陥没し、必然、『王国』の動きが止まる。
「──私、素手が苦手なんて、一言も言ってないけど?」
拳を中途半端に出したまま、私に無防備な背を見せる『王国』。それはほんの数瞬前に私が味わった感覚。迫る『王国』の拳を研ぎ澄まされた集中力によって時が緩やかに見えたように、秒刻みで引き伸ばされた時間感覚は、私の挑発をただ受けるのみ。同時に比例して『王国』の屈辱を煽る。
「っ! てめぇ──」
「俺を忘れてないか? 『王国』」
激高する『王国』に向けて無感動な声色で告げる剣太郎。動けない『王国』の前へと相対し、完全な一刀を打ち放たんと切っ先が揺らめく。
「──舐めんな!」
止まれば死、下がっても死の中で活を求める──常人なら、ただ棒立ちで終わる場面、しかし、『王国』は迷わずに"それ"を選択する。
「おらっ!」
振り下ろした拳を勢いそのままに、狙いを私から剣太郎、ではなく、足元の地面に変える。挟まった足を引き上げる為か? ──いいや、違う。
大きな音を残し地面を抉る──剣太郎の足元も巻き込んで。鳴動する道路に合わせて黒檀の木刀が持ち主の意志に反して乱れ、斬り込めたはずの間を逃す。いかな『剣聖』とはいえ、不意に足元を揺らされては本来の斬れ味を発揮するのは難しいという事だろう。あの一瞬のうちに、そこまで考えついた『王国』の判断は結果、正しかった。しかし、『王国』は一つ忘れている。そんな状況下でも苦にせず動ける存在がいる事を。
「──僕も忘れないでね」
修繕にいったいいくら要り様になるだろうか。私や剣太郎が容易に近づけないほど陥没させた地面を越えて『空駆ける足』篠崎空也が走る。ロイヤルガードの攪乱に向かったはずのしなやかな足は担当分を置き去りに、一目散に『王国』の元へ走る。
それを妨害せんとするのは、本来の割り当て相手である『皇帝』のロイヤルガード。その彼女達が空也に向けて再び網を飛ばす。剣太郎がいようと関係ない、『王国』が持ち直すまでの時間を稼げればいい。そんな判断といったところか。
それなら矢を射かけるより、よほど援護になるのは確かだろう。ただ回避し続けていた先ほどとは違い、『王国』へ向かっていく空也の行動を読み切ったのか、狙いは正確に対象を捉えている。不意打ちでなくとも、逃げきれない。
「"それしかないとは言え、芸がないのは否めない"──だっけ?」
アルトボイスが不敵に響く。次の瞬間、覆いかぶさるように広がる網が真っ二つになって空也を通り過ぎていく。
「──その言葉そっくりそのまま返すよ、『皇帝』」
私が見たのは、体を包みかける網へ向けて蹴りを振り抜く空也の姿。一つ妙なのは網が空也の足に届く前に二つに裂かれたという事。いくら空也の蹴りが鋭いといっても、触れずに斬るなどという剣太郎じみた真似はできない──異能を使わなければ。しかし空也の異能は“力場干渉による障壁を作り出す事”だ。
「(──まさか)」
不可視の障壁は、一瞬しか展開できない分、頑強にできている。仮に力場を薄く鋭く尖らせ、縦に立ててに展開したとしたら? それを足に装着し、そのまま蹴り抜いたとしたら? もしかすると、斬れ味を帯びた蹴りになるのではないか?
果たして、その推察は正しかったのか、こちらを一瞥した空也が笑みを浮かべる──心なしか、意地悪く。
「──『切り裂く足』」
私の知らない新たな力を一閃、二閃すると空也は高く高く上昇する。切り裂いた網の切れ端がまるで羽根のように舞い、飛び去っていく鳥の“それ”をいやがおうにも連想させる。あれは──
「──剣太郎!」
「あぁ、ここでは巻き添えを食らうな」
同じく気づいた剣太郎が首肯する。『神算』で一足早く読んだのか、『皇帝』はすでに待避している。
「(っ、逃げ足の速い)」
舌打ちしつつも、“ターゲット”から少しでも遠くへ離れようと、足を急かす。その一方、“ターゲット”である『王国』は──
「ふん、いいぜ。──来な、空也」
およそ目視では確認できないほど空へ上がった空也に睨みを入れ、その両足を踏みしめる。迎え撃つ気か? いくら『王国』でもあれを食らって無傷で済むとは──
「──もしかして、動けない?」
よく見ると、踏みしめ、一回り肥大化した下半身の大元である足首から先が埋まっている。抉り出した地面が『王国』の体重に負けて崩れてしまっているのだ。
もはや、緩やかな斜面など跡形もなくなった道路は私や剣太郎を遠ざけたものの、同時に自分自身の身動きをさらに取れなくなってしまっている。剣太郎の攻撃を潰す為の判断がここへきて、文字通り足を引っ張ってしまっていた。
それでも、『王国』の目に影はない。強がりの一片すらなく、ただ獰猛さをその強面に刻む。
遠くの空が鳴いている。飛行機が音の波をかき分けているのに似たそれは、空也の仕業。序列持ちでも比類なき頑丈さを誇る『王国』に対して、大げさなほど助走をつけた為に掛かった準備時間だったが、"その瞬間"がくるのは本当に瞬きの間だった。元序列七位『空駆ける足』の必殺技、『コメットストライク』。
「──つっ!」
着弾と同時に発生した衝撃波と巻き上がる土煙で、二人がどうなったかわからない。息を吸うにも困難な状況で辛うじてわかるのは、近くにいる剣太郎の気配。視界すらまともに確保できないのにその気配がわかったのかというと──
「瞳子、そのまま動くな」
剣太郎の気配が──というより、剣気が──爆発的に密度を増して溢れんばかりに膨れ上がる。見えないからこそ、剣太郎のやろうとしている事がわかり、言われるまでもなく(有無を言う暇もない、というのもあるが)、身を固くする。
「──ふっ!」
大気が再度、震える。頬をなでるひりつくような太刀風が土煙を切り裂き、跡形もなく吹き飛ばす。改めて、剣太郎の剣の非常識さに驚きを通り越して呆れ果てていると、開けた視界に『コメットストライク』の爆心地でしゃがみ込む人影。一目見て、誰だか判別できる丸みを帯びた華奢な肢体──空也だ。
「空也!」
「や、瞳子ちゃん」
地形を変えるほどの事をやらかしておいて、どこまでも軽い張本人に剣太郎に向けた同種の"呆れ"が頭をもたげる。
「──それで、『王国』は?」
「吹っ飛んじゃった」
ある方角を指差しながら、あっけらかんと言い放つ。
「いや、あなた、吹っ飛んじゃったって──」
「いや、ね。足場がこんな感じじゃない? 踏ん張りが利かなかったようでさ──ついでに僕の蹴りで脆くなった地面がさらに削れちゃったもんだから、押し出す形になったんだよ」
「この先に?」
この先に、とおうむ返しの空也から、『王国』が"落ちて"いった先を見る。
戦場となった道路は山を切り開いた時の名残で大型の車両は建機が余裕で通れるほどの広さがあったのだが、それが今や、『王国』と空也の攻撃で半ば以上穿たれ、大穴を晒している。都市部と学園を繋ぐ道と同じく、木々の合間から見える一面の景色と、少し道から外れるだけで急激な斜度の坂が山頂へと続いている。常人が落ちれば、まず無事では済まないだろう。
幸も不幸も同じ要因とは皮肉な話だ。自ら掘った墓穴に足を取られて追いつめられておきながら、結果そのおかげで空也の『コメットストライク』から致命的なダメージを逃れられた。踏ん張りが利かなかったからこそ、被害は少なく済んだのだ。そもそも、あの瞬間の判断がなければ、剣太郎の剣で終わっていた。悪運にもほどがある。
「──まぁ、『王国』なら、死にはしないでしょう」
「落とした僕がいうのもなんだけど、無茶苦茶言うね」
「それより瞳子、気づいているか?」
「えぇ、『皇帝』の姿が見えない」
剣太郎の指摘に首肯する。『コメットストライク』の巻き添えから逃れる時までは、その姿を確認していた『皇帝』がロイヤルガード共々消えている。
「通しちゃったかな?」
「どうだろうな」
「あのね、瞳子ちゃん、剣太郎。『王国』の事なんだけど──」
「『王国』の事はひとまず置いておけ。瞳子の言う通り、坂道から転げ落ちた程度では死ぬどころか自己再生で無傷で戻ってくる。だが、戻るには時間がかかるだろう。後回しだ」
「や、そうだけどね。そうじゃなくて、あの先って──」
「『皇帝』を追うわよ。剣太郎、空也」
「あぁ」
「あぁ、もう──」
──落ちた方角って、優之助がいるんじゃなかったっけ? かろうじて聞き取った空也の呟きを私は華麗にスルーしてみせる。あっちは優之助に任せておけばいいのだから。




