第四十一話
「やはり、聞いてたか」
一言一句まで相違なく再生された国彦の台詞。それはつまり、俺と国彦との戦いをかなり前から観戦していた事を指している──俺が地面に転がされている間も、ずっと。多分、あの時、俺が水を向けなければずっと出てくる気もなかったに違いない。
「えぇ。──気づいてたの?」
「途中からな。じゃないと、あんな居る前提で振る事が出来るわけないだろ」
いなかったら完全にピエロだ、そう言っておどけてみせる。
「そうか、『優しい手』の攻撃補正に『制空圏』を利用してるんだっけ。国彦みたいなゴリ押し一辺倒の力バカに『制空圏』を使う必要ないと思って油断してたわ」
「(えらい言われようだな国彦)」
言葉の端々に強いアクセントを込め、述懐する瞳子。それが隠れている事に気づかれた理由の考察なのか、単に国彦への暴言なのか、判断しかねる俺の肩をしなやかな指が二度三度と叩く。振り返ると、空也が内緒話をするように手を当てて俺の耳へと持っていこうとするので、軽く腰を落としてそれに合わせる。
「あのね。瞳子ちゃん、国彦に協力を断られたらしいんだよ」
なるほど、と思う。国彦本人から向こう側ついた理由を聞いていたが、瞳子に断りを入れた上での事だったらしい。よくよく考えてみれば、俺が思いついた程度の事を瞳子が実行しないはずがない。二人の間では既に敵として関係が成立してたようだ。まぁ、それはそれとして、
「他に言う事ないのか? 加勢に加わらなかった言い訳とか」
「他に言う事なら確かにあるよね。ハルちゃん、カナちゃんの事とか」
「──それもそうだった。国彦の言う通りだった場合、どうなるんだ?」
「仮定の話じゃないわよ。ハルとカナが当真瞳呼に協力しているのは事実だから。国彦の発言はあくまで確証の補強に過ぎない」
微かな期待を込めた確認を瞳子があっさりと打ち砕く。
「知ってたのか?」
「ハルとカナの留学先に当真瞳呼が接触した形跡があったと聞いているわ」
確証に至った事実を告げる事で追い打ちを掛ける瞳子。天之宮と当真のお膝元である学園内ならともかく、留学先に常時監視の目を貼りつかせるなど不可能に近い。だが、当真瞳呼が外で妙な行動をとれば、その察知は決して難しくない。
「──そういうことは早く言えよ。確定じゃねぇか」
お手上げのポーズで茶化して見せる。しかし、ため息が交じって内心が誤魔化しきれない。裏付けはとれてしまった。いずれ生徒会は帝達との繋がりを辿って、ハルとカナの敵対を察知するだろう。そうなれば、確実に処分に動く。そしてそれはそう遠い未来の話ではない。
「そりゃあ、ハルとカナが望んだ展開だろうけどさぁ……」
考えの違いはあれど、学園の現状を好ましく思っていないのは双方同じだ。もう少しやり方はあったのではないかと、そう思ってしまうのが止められない。少なくとも、瞳子の関係者である俺が絡まない限り、ハルとカナは直接、当真瞳呼の企てに関与する事はなかった。踊らされるかも、と危惧する事もなかった。
「さっきも言ったけど、あまり気負う必要はないわよ。当真瞳呼が誰かを利用する事には変わりなかった。それが、たまたま私の手駒の親類だっただけの話よ。つまり、学園で事が起こるのは必然。むしろ当事者になってくれた方がただ巻き込まれるより守りやすい」
「その分、別の難易度が上がるけどね」
「空也、所々鋭い指摘はありがたいんだけど、それは俺を凹ましたいだけだよな?」
「それでどうするの? 今からでもハルとカナの側につく?」
「まさか。ハルとカナが生徒会を対立するのなんて、とうの昔に知っているさ。その上で生徒会──というか、瞳子に協力してんだろうが」
「つまり、生徒会に協力するのは変わらないと?」
「基本は俺が連絡し、事を起こす。生徒会は適宜協力。騒ぎが起きても、こちらに便宜を図る。やる事は変わらないし、頼まれた仕事くらいちゃんとするよ。だから俺は──俺は講堂での件からこのかた、おまえについて行くつもりで協力しているんだけどな──一応、振り回される覚悟くらいしているさ」
「──そう、ならいいのよ」
瞳子がそっけなく返す。ソファーに伏せた顔からは表情が、喉ごと押しつけくぐもった声が、それぞれ瞳子の感情を覆い隠す。それは自分の反応を誰にも見せないという拒絶の意志表示。
不貞腐れちゃったね、再び俺に耳打ちしながら淡い笑顔を見せる空也。この場にいる元同級生縛りの面子には、思いの外あっさりと決断した俺を瞳子が生意気に思っているのだと気づいているのだ。
そして周りに気づかれているのを瞳子は理解している。だからこその不機嫌。お互い険悪ではないとわかっているので、普段なら放っておいても問題ないのだが話題の大元は当真に関する事だ、いつまでも脇に追いやったままでは困る。
しょうがないなぁ、とばかりに空也がぬるま湯の様な気まずい沈黙を破りにかかる。
「どう動くと思う? 瞳子ちゃん」
言うまでもなく、ハルとカナが、である。瞳子がぶっきらぼうに口を開く。
「決まっているでしょ。解任要求に動くわ。生徒会への対抗戦力として国彦と帝が協力関係にあると公言した上で」
「するのか? 公言」
意外だと思う。いずれはバレるにしても、当面だけでも、無関係を装って混乱に乗じた方が物事がうまくいく様な気がするが。
「私達が繋がりを把握している以上、隠すメリットはないわ。例え、私達が生徒会に暴露しないとしてもね。それなら、早い内から関係を明かして一般生徒の関心を得た方がいいでしょう。国彦がいいデモンストレーションをやって見せた事だしインパクトはあるでしょうね」
「解任要求の為の意志統一というハードルはかなり低くなる、か。ハルとカナがたった一年で生徒会を打倒する勝算とはそれか」
「でしょうね。もし、このままなら本当に、ハルとカナはこの学園を去らなければならなくなる」
奇しくもそれは時宮のファミレスで告げられたこの学園に来る羽目になった瞳子の脅し文句。だが、その言葉はあの時よりも重く聞こえる。
「そうならないようにするにはどうすればいい?」
「理想は解任要求をさせない事ね。生徒会がその気になれば、あっという間に退学処分まで発展するわよ」
解任要求は一片の言い訳も許されない完全な形での敵対。生徒会にいながら反抗的な態度を示していた飛鳥のケースとはわけが違う。いくらなんでもそれ穏便に収まるわけはない。
「わかってはいたけど、やる事なんて決まっていたな。──と、いうわけだ、聞き耳を立てても無駄だぞ、帝。これ以上はそうそう作戦を漏らしたりしねえっての!」
ここに居ない人間に向かって悪態をつくその姿は、傍から見れば正気を疑われても仕方がない。しかし、この部屋にいるのは空也、剣太郎、瞳子、そして俺の四人。誰も俺の不可解な対応を止めはしない。帝──月ケ丘帝の異能を知っているからだ。
当真の血筋を受け入れた月ケ丘家の異能は当真と同じく、瞳を介して発動する種類の異能だ。そして、月ケ丘家現当主、月ケ丘帝の異能はある意味で世界を手に出来る異能とすら言われている。
その名は『導きの瞳』。発現した能力は遠視と透視、そして共感覚。
共感覚とは、絶対音感などにみられる"音が色づいて見える"といった複数の五感で物事を知覚する能力の事だ(例えに出した"音が色づいて見える"現象は『色聴』と呼ばれ、絶対音感の中でもポピュラーなものらしい)。帝の場合、視覚を通じて他の五感全てを感じる事が出来る。つまり、見るだけで手触りや味、匂い、音を聞き分ける事すら可能というわけだ。
その共感覚に遠視と透視が加わり、五感情報を得られる異能。その射程は『制空圏』を超え、精度においても触覚だけの『優しい手』に対して『導きの瞳』はタンパク質やアミノ酸、周波数、紫外線等を本来の器官を介さずとも文字通り見て感じ取れるのだから比べるべくもない。それはこの情報化社会では"運動エネルギーの制御"や"殺意を形に出来る"などよりもはるかに有用な人の上に立ち、率いる王としての力。世界を手に出来るというのもそう大げさな話ではないのだ。
当真瞳呼が帝を引き入れた理由の一つは少なくとも、敵に回すと政治的な駆け引きにならないからだろう。瞳子や会長の二人が現代社会の全てを決するとまで言い切ったな地味な根回しを始めとした──政治的な搦め手は完全に意味をなさない。
「それにしても、生徒会が帝の異能について、つっついてこないのはありがたかったわね。優之助の説明には異能について一切触れなかったのにね。普通、あれで納得しないわよ?」
「キャンプ場の時も大したアドバイスは送ってないぞ──真田さんが気を遣ってくれたおかげなんだけどな。それに、おまえもそうする必要があるのわかっているから珍しく口添えしてくれたわけだし」
帝の異能を防ぐ手段はない。さすがに読心までは出来ないものの、常時隣で見聞きされているのと同義だ。知ってどうなるものでないなら、知らずに過ごした方がストレスはない。会長達にはそんないらない気苦労を背負わせたくないが為に要点をぼかして会話を進め、今も瞳子や空也、剣太郎に俺のやろうとしている事をつまびらかにはしていない。いや、もしかしたら、気づいているのかもしれない。それは俺がはじめから覚悟していた事でもあるのだから。
「天之宮は根掘り葉掘り聞きそうだったけどね。最後の方、かなり恨みがまし気に見てたわよ」
「それでも、俺が言わなかったから聞く事はしなかった。あっちも何かあるって気づ──っっちょ、いて、痛てぇよ! なんだ? 何か言ったか瞳子」
「ううん。べっつに~」
*
──ねぇ、優之助。あなた気づいてる? 本当に手強い相手を。私や当真瞳呼なんて、その前では塵芥も同然のはかない存在だって。
私がらしくもないやり口を選んでまで生徒会を追い込もうと考えた理由が本当にあなた達の為だったしたら、笑うのかしら? でも真実がそうだとしたら?
気づいてる? 天之宮姫子──天之宮家がその気になれば天乃原学園の運営を自らの手に戻す事が出来る事を。しかも、この瞬間、今すぐにでも。
それをしないのは、ただ世間の批判を恐れているだけ。誰が見ても無茶だとわかるシステムを強行して失敗した時の嘲りや失笑から逃れたいだけ。でも、その傷口を少しでも小さくする事は出来る。"今なら"出来る。
一つは天之宮姫子が生徒会長になったから。学園側から権力の返上を実行すれば、たとえ、身内がそれをやったとしても"民主的に"選んだ会長がやった事として言い訳がたつ。
そして、もう一つ。これが私達にとっては致命的。権力を返上するに至った理由を私達の暴走による秩序の維持が困難だとすれば、結局、教育は大人の力を借りなければならないと結論づけられるから。つまり、私達の小競り合いを口実にされるのよ。私達の自らを掛けた闘争を他者の道具に使われる位なら、私の主義なんて捨てても構わない。
でもそうしなくていいと言ってくれるのなら。私はあなたをただ信じる──例え、結果が敗北になるのだとしても、一緒に破滅してくれるのならそれでいい。そう思う。
でも、そうでないのなら、私はどうすればいい? このまま手をこまねいて、当真の取り分や個人的な好悪などどうでもよくなるくらいに、私達が築いてきたものが他者のおもちゃにされ、汚され、打ち捨てられるのが怖い。
大丈夫よね? 天之宮姫子にほだされてはないわよね? 天之宮は自分のプライドが高い事を自覚して、なおかつ、それを利用──捨てる事すら計算──できる。普段偉そうな女が突然窮地に追い込まれてしおらしくなる。そうやって味方をする様に仕向けるのが彼女のやり方だとしたら? あなたはそれでも生徒会に協力する事に迷いはないの?
信じていいのよね? 私について行く覚悟があるって言ったもの。信じていいのよね? 優之助 私の不安を笑い飛ばして
──私を選んでくれるよね?
「──っっちょ、いて、痛てぇよ! ──なんだ? 何か言ったか瞳子」
「ううん。べっつに~」




