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第三十九話



      *



「──どういうつもりだ?」


「どういうとは──いえ、言葉遊びが過ぎますね。まさか、あなたが問いただしに来るとは思いませんでした──桐条さん」


 私の顔色を一目見て、失言と悟ったのか平井要芽が素直に謝意を示す。だが、それも言葉の上でしかなく、真意がどこにあるのかキッチンに向かう横顔からは伺えない──いや、そもそも目の前の副会長が私や天之宮姫子、真田凛華に己をさらけ出した事などなかった。例外は優之助が絡んだ時、ただ一つ。


 だが、優之助に全てを見せているかとなると話は別。答えは否、だ。だからこそ、私は彼女を最も警戒する。篠崎空也や刀山剣太郎の強さよりも、当真瞳子や成田稲穂の危うさ、狂気よりも、平井要芽の嘘偽りなく純粋な好意の中に込められた優之助(大切な存在)への騙りを。


「(平井の答え次第では──いや)」


 知らず血の気が引くほど握りしめていた拳に気づき、気負い過ぎだと苦笑する。ほんの少し前の自分を、そんな自分を救い出してくれた存在を思い浮かべると肩の力が抜け、自然と深く呼吸できる。そうして広がった視界で、初めて平井が一度も手を止めずに作業をしている事に気づく。


「──料理か?」


「はい」


 確認は作業の内容と料理ができるのかという二つの意味で。お世辞にも家庭的な匂いのしない──私もそう人の事はいえないが──平井の一面に、今もその目にしているにも関わらず、()()と理解するには少しの間が必要だった。それでも振り返ってみれば、先ほどもこちらを一瞥したきり、視線は常に手元にあった。料理は意外と言えば意外だが、それに取り組む彼女の真摯な眼差しは何度か見覚えがある。


「優之助に、か?」


「朝食を食べ損なった上、昼食もまだですから必要かと。じきに空腹も思い出すでしょうし」


「──手伝おう。何をすればいい?」


 どうやって優之助の腹具合を知り得たのかに疑問があるが、料理を作っておく事自体に異論はなく協力を申し出る。


「では、こちらを」


 さして抵抗もみせず、私の提案を受け入れる平井。その目線につられてみると、耐熱ボウルの中に一口大に加工された人参が敷き詰められていた。


「レンジで七分ほど温めてください」


「わかった」


 レンジは作業をしている平井の斜め後ろ、私の胸元ほどの大きさの冷蔵庫の上に鎮座されている。平井の後ろを通り抜け、何気なく平井の手元を見やると、包丁を使いジャガイモを危なげなく剥いていた。


「(なるほど)」


 思わず納得するほど、平井の手つきは慣れた者の"それ"だった。わざわざ包丁を使わずとも、皮剥き器(ピーラー)や皮剥き用のグローブがあるが、普段から家事をする人間なら包丁の方が速く、剥いた皮もちらばらない。なにより芽の部分は結局包丁で削がなければ届かない事が多く、二度手間になりやすい。特にグローブは水を流しながら使わないと纏わりつくし、普段の置き場所にも困る。


 しかし平井の包丁さばきは手の中で踊らせたジャガイモをりんごの皮むきもかくやとばかりに薄く長く剥いていく。凹凸を意に返さず、芽の処理もいっそ鮮やかだ。


「随分手慣れているな」


「私も自炊派なので」


 言われてみると、平井が食堂を利用する姿をあまり見た事がない。生徒会長である天之宮より忙しく動いている彼女が、わざわざ食堂へ出向いて食べるのは不便なのだろう。弁当も確かに手間と時間はかかるが、最も忙しい日中とは違い、前日の晩に下ごしらえ(準備)さえしていれば、朝は詰めるだけですむ。手慣れていれば、そう手間と時間も掛からない。


「──天之宮姫子(会長)の目的は優之助さんや当真瞳子と共同戦線をとる事にあります」


 不意に平井が天之宮の思惑を語りだす。その間も手はジャガイモを危なげなく一口大の大きさに加工していく。あまりの手際の良さに私はただレンジの終了を待つしか出来ない。手伝いを買って出た手前、居心地の悪さを覚えるが、平井は特に咎めず、口調も調理の下拵えもよどみなく進めていく。


「情報交換だけならば電話で済みます。わざわざ事情聴取(建前)で時間を取らせたのは彼女なりに相手の出方を直接確認したかったのでしょう。それなりに信用できると判断していても、実際組むとなれば腰を落ち着けて挑む必要もありますし」


「随分と天之宮らしくない選択肢だな」


 平井の推論を()()()()否定的に返す。平井は成田稲穂の足止めから、優之助の部屋(ここ)に来るまで合流はおろか、電話連絡による意思の疎通すら図っていない。にもかかわらず、平井の一言一言には確信が満ちている。それに悪戯心が湧いたのは果たして誰の影響なのか、内心でそんな事を考えながら、試すように硬い表情を平井に向ける。


「彼女のプライドは確かに人並み以上ですが、それに固執するほど愚かではありません。それは春休み前、優之助さんと当真瞳子が戦った時にもわかるはず。自らが脇に追いやられ、蔑ろにされても彼女は引き際を見誤らなかった──状況はあの時に近い。目的の為になら自分を律せるからこそ、天之宮姫子は共闘という選択肢をとれる」


 特に誇るでもなく、淡々と根拠を上げる平井。断続的な電子音鳴ったのはまさにその時。レンジのアラーム(もの)かと振り返るが、完了までまだわずかに時間ある。改めて見回すと、炊飯器の運転切り替えを示すモニタが点滅していた。やや遅れて、今度こそレンジの過熱が終了する。中からボウルを取り出し、入れる前より人参の赤みが増した──芯まで行き届いていれば充分に加熱できた証拠──のを確認すると、平井の横まで運んでいく。


「──次はこちらをお願いします」


 そう言ってジャガイモの入った別のボウルを私に手渡す。予想はついていたので加熱時間を確認し、先ほどと同じ操作でレンジを作動させる。


「ありがとうございました。あとは一人で出来ます」


 レンジの稼働を耳で確認したのか、こちらを見ずに礼を口にする平井。普段通りの抑揚の薄い口ぶりと共に、こちらも普段通りに隙一つ見せず動くその手には、中ほどまで水を注いだ深鍋。備え付けのコンロに火を入れ、沸騰を待つ。


「今更だが、何を作るんだ?」


「カレーです」


 いつの間に取り出していたのか、市販の固形ルーの箱が鍋の脇に見える。


「──圧力鍋がないのでレンジを併用して野菜の火の通りを早めました。お米が炊き上がる頃には出来上がるでしょう」


「ついでにルーもレンジで加熱したらどうだ? 少しは煮込みが早くなるはずだ」


 こちらを見る平井の瞼が僅かに持ちあがる。短く、そうですね、と呟くとルーを小皿に移し、少量の水を含ませる。


「ジャガイモの分が終われば入れておく」


「お願いします」


 加熱でルーが弾けないようラップに包まれた小皿を受け取ると、今もレンジの中で湯気と踊るジャガイモの様子を確認する。平井の方は平井の方でレンジで時短した人参をあらためて湯に通すつもりなのか、静かに鍋へと移している。あとはジャガイモを同様にくぐらせ、ルーを溶かし込めば完成だ。


「(もう少しだな)」


 人参より量が入っている為、ほどよく身がほぐれるには時間が掛かる。設定時間と中を交互に見ていると、


「続きを聞かなくていいのですか?」


「──あぁ、そうだったな」


 珍しく平井から水を向ける事に驚きながら、元々の目的から脱線していたのを思い出す。


「天之宮の狙いは()()()()()()()だろうが、なぜ優之助に隠す必要がある」


 事前に天之宮から聞いていたのを白状しつつ、一番の疑問を率直にぶつける。生徒会と優之助達とが手を結ぶなら──何より、平井要芽自身が優之助の味方であるのなら、隠す必要のない、むしろ明かすべき情報ではないのか? 好意と裏腹の行動が私にはとても不審に感じる。


「──優之助さんに襲撃者の正体を知られたくない。それだけではいけませんか?」


 はぐらかされているのだろうか? しかし、平井の表情からは冗談の欠片も伺えない。真意を計りかねる私にレンジの加熱終了を告げる音。ようやく湧き出した緊張感が削がれていくのを感じながら、それでもボウルと小皿を入れ替え、再び操作する。


「だとするなら、その理由はなんだ?」


 内容の本質が変わっていないのを承知で、少しでも掘り下げようと食い下がる。いつもの平井なら──いや、天之宮の思惑を指摘した時ですら──理と利を詰めて相手に対している。それがなぜ、この問いに関してはこうも答えに鋭さがないのか、首を傾げたくなる。


「──あの女を優之助さんに会わせたくない。本当にそれだけです」


 もはや、平井の言い分は繰り言にしかならない。どうしてこうも──


「(──いや、まさか)」


 ()()()()()()()()()()? 嘘偽りなく、誤魔化しも衒いもなく、ただの感情論──ただの女の嫉妬から優之助と成田稲穂を会わせたくないとでも言うのか。


「本当にそれだけ?」


 唖然とした体で、ただおうむ返しに尋ねる私に無言で首肯する平井要芽。肩を震わせ、俯く彼女からは、どのような感情が渦巻いているのか、こちらからはうかがい知る事は出来ない。ただ、その姿には妙な既視感を私に抱かせる──それはキャンプ場へ向かう道中、どう接すればいいか手を焼く優之助と共に。


「──っ!」


 記憶の片隅によぎった思い当たる節(光景)が鮮明に浮かぶ。それを察したのか、逃れるように平井が私の手からジャガイモの入ったボウルをさらう。手に持ったボウルの熱さに身を竦ませながら鍋に具を入れていく動作そのものは速いが、先ほどとは比べ物にならないほどぎこちなく、動揺の為か投入したジャガイモが湯を弾き、かき混ぜたおたまが鍋の底を二度三度と不格好に叩く。


「(滑稽だな)」


 平井の事ではない。勝手に相手を大きくし、無様に踊らされた自分に対してだ。何も難しい話ではない、初めから目の前の恋する乙女(平井要芽)は心のままに動いていた。


 それが羨ましくもあり、妬ましくもある。そして、それを素直に認められる今の自分が少し誇らしいとすら思える──今はそれだけでいい。これから追いつけばいいのだから。


「──食堂はまだ開いているのだから、持ち込めばよかったんじゃないのか?」


 それはやっかみの混じった私なりの反撃。答えなど初めからわかっている意地の悪い確認だった。


「──手作りを食べてもらいたいと思うのはおかしいですか?」


「なるほど」


 これも新しい発見なのだろう。消え去りそうなほど掠れた声で答える平井に言いしれないものを──ほんの少しだけ、天之宮姫子の気持ちがわかる。


「──もう一つだけ聞きたい」


 だが、からかうのはここまでだ。気を取り直して、聞いておかなければならない事を平井の背に問いかける。一時の混乱から立ち直ったのか(もしくは私の空気から真剣さを察したのか)、レンジから取り出したルーを鍋に投入していく手際に先ほどまでの硬さはない。


「どうぞ」


「いつまで優之助に隠しておくつもりだ? 向こうが顔を見せいようとすれば、いずれ──」


「させません」


 平井が短く即答する。それはつまり、成田稲穂を自らの手で倒すという宣言。平坦だが、一切の有無を許さないその響きに思わず身が硬くなる。


「──」


 香ばしい匂いがあたりにたちこめだし、食欲を掻き立てる。完成が近い事を知らせる小気味のいい沸騰音に紛れて、


 ──()()は必ず返す、そう聞こえたような気がした。



      *



「──そろそろ再開しましょうか?」


 会長の言葉にそうだな、と頷く。


「結局、さっきは大して建設的な話はできなかったものね」


「「──そうだな」」


 主に瞳子達(おまえら)のせいでな。喉から出かかる抗議の言葉を俺と天之宮姫子(もう一人の発端)は飲み込む。お互い、()()()()()()()()()()()()()()()()()のは勘弁してほしいからだ。


 そう、俺達と生徒会との話し合いは一度中断・中座を経て、今に至っている。きっかけは恥ずかしながら俺──正確には俺の腹の虫──だ。


 朝食を食べ損ね、なんだかんだで空腹そのものを忘れた頃に俺の意志とは関係なく自己主張を始めた腹の虫。それに気を揉んでいた俺を救ってくれたのは、絶妙のタイミングで昼食を用意してくれていた要芽ちゃんだった。


 ジャガイモを煮詰め溶け出したとろみのあるルーに、刺激的な中辛の香りとまさしく俺好みのカレーをよそい配膳を済ませると、要芽ちゃんは用事があると帰っていった──当然、ベランダから。その時点でお昼時を大きく回っていたという事もあり、一度食事の為に中断しようという話になった。


 当初は要芽ちゃんの作ってくれたカレーを全員で食べようとしたのだが、さすがに七人分を賄うには量が足りず、食堂を利用する事になる。と言っても、食べるのは結局うちのリビングでなのだが。


 寮内にある食堂では、食材を購入できる他にもいくつかのメニューに限りテイクアウトが可能だ(大半の生徒が利用した後だったので大したものは残っていなかったが)。カレーはともかく、要芽ちゃんが炊いてくれていた五合分の米では足りず、追加のライスと売れ残った惣菜パンを購入し、ようやく腹を充分に満たす事ができた。


 そうした経緯もあって、進行はグダグダなままだったが、満を持しての再開の運びとなった──とたいそうに言っては見ても、空也と剣太郎は食べ終えるなり漫画を読みだすし(こちらを気にするな、とばかりに手を振るだけ)、瞳子も漫画を読みはしないものの、話し合う気があるのかがどうにも掴めない。


「(これ、収拾つくのか?)」


 会長も俺と同じ気持ちなのか、やや呆れたという表情を隠さない。まぁ、()()()()がやる気なのが唯一の救いか。真田さんも飛鳥もいるのだし、最悪俺が矢面に立てばいい──とそう思っていた矢先、


「そんなに気負わなくてもいいわよ、優之助。勿体ぶってはいるけど、どうせ話の内容()は私達が協力するかどうかなんだから。というより──」


 緩やかに弛緩したこの場において真っ先に発言し、今での遅れを取り戻す以上の勢いで進行を加速させたのは、俺や会長ではなく掴みどころがないと評したばかりの瞳子だった。


「──いかに私達と帝達(異能者同士)を潰し合わせようとするか、でしょ?」


 その囁くような一言は周囲の空気を一瞬で凍らせる斬れ味を纏わせて。


「そうよね? ()()()()()()


 どこか嫌みったらしく役職を強調させる瞳子。中断前と同じ位置、同じ構図に座する俺達だが、纏っている雰囲気は、ほんの数秒前からですら対極。そんな弛緩した空気の中、リビングには紙の擦れる音が規則正しく、どこか白々しく響く。


「(──瞳子(こいつ)、火種ぶっこみやがった!)」


 それは生徒会の泣き所を容赦なくついた格好。帝や国彦といった、相手側の異能者達に対し、生徒会の手札に連中の制圧力が期待できるのは、真田さんか、飛鳥くらいのもの。奇しくも会長自身が戦力の確保の必要性を認めている。当然、当真家はそれを協力するだろう。


 だが、いかに共同出資の結晶である天乃原学園の為とはいえ、リスクをまるまる被って帝達を相手するのは客観的に見れば明らかに損。そういう風に映るのはわかる──あくまで()()()()、だが。要は生徒会──ひいては天之宮家に──自分達を売り込み、価値を吊り上げようとしているのだ。これこそがこの社会における常道なのだろう。名家の、あるいは社会の、またあるいは集団の、それら一切合財の肩書の代表として"らしい"手段を講じているだけなのだ──気持ち悪さすら感じる遣り取りをもって。


「────」


 瞳子の唇が何事かを紡ぐ。しかし、俺の脳がうまく機能しないのか、瞳子の声がどこか遠い異国の言葉に聞こえる。認識できる(わかる)のは瞳子の笑み──魅力的だが、出来ればあまり見たくない、仲間以外には慈悲も容赦もない人でなしの一面()


 見ていられず、視線は会長達へ。会長、真田さん、飛鳥、それぞれが瞳子の一言一言に耐えては短くも反論し、食い下がっている。その光景は、鈍くなった思考でも彼女達の旗色が悪いのを嫌でも伝わってしまう。


「(なんだろうな。これは)」


 皮肉と言えば皮肉な話。生徒会を打倒し得る現状ほぼ唯一の手段である解任要求に必要なものは生徒達がその意志を統一する事のはず。しかし、もう一方の生徒会やその味方であるはずの俺達もこうやって損得勘定に振り回されている。意志の統一、すなわち協調性を人から奪う最たるものが損得勘定だというのに。


「(──あぁ、そういえば、国彦も金勘定で動いていたな)」


 ふと、国彦の事を思い出す。あいつはあいつで『王国』(チーム)の為に利害関係で帝と手を結び、俺達と敵対している。『王国』という名の小さな社会であり集団(コミュニティ)()として、抜け目なく立ち回り、有利な条件を(雇い主)から勝ち取った上で──おそらく、今の瞳子と同じように。


 にもかかわらず、なぜか、俺はどうしても瞳子と国彦(それら)が違って見えてしまう。それは多分、


 ──『王国』の事を差し置いてでも確認したくなったんだよ。俺達の中で誰が最強なのか? 誰の信念や想いがもっとも一等に輝いているのか、をな。


 国彦のその言葉が俺の中に残っているからだろう。誰よりも損得勘定を貫いていながら、誰よりもその心の赴くまま、胸の躍るまま、自らの道を歩む。そんな生き方を見せられて何も感じないわけにもいかない。


 だからこそ、思う。今の瞳子はうまく言えないが、()()()()()()()()()()()、と。


「(だって、()()()瞳子(おまえ)は──)」


 ─────────────────したじゃないか。だから、俺は──



      *



生徒会(あなた達)では『帝国』や『王国』(彼ら)に──いえ、その背後にいる当真瞳呼(存在)に勝てない。それはわかっているのでしょう? 私達に任せた方が全てうまく立ち回れるという事も」


「それは、あなたが生徒会になり替わるつもりだと、そう受け取っていいのですか? 当真瞳子さん」


 本来の主家である当真瞳子ですら慇懃無礼に接する書記(凛華)を脇目に見ながら、生徒会の、この学園の長である天之宮姫子()は、つきつけられた無機質な鋭さを──冷たい現実を──伴う指摘を噛みしめる。


「まさか。そこまで恩着せがましくはないわ。……そうね、ただこれからは多少便宜を図ってくれるならそれでいいの」


 それのどこが恩着せがましくないというのだろう。期間も程度も触れず、ただ便宜を図るようにしろ、など私達に傀儡になれと同義だ。


「そんな図々しい条件を飲めると思う? それとも、()()()、飲まなければ当真家はこの件から手を引くとでも言うつもりかしら?」


「それこそ、まさかよ。手を引いてどうなるものないでしょうに。"この学園を好き勝手に利用しようとする一切から守る"──それによってもたらされる恩恵のどこに価値を置いているかに違いはあれど、その目的(想い)は同じはず──違う?」


 ただ、と一度区切り、妖しく揺れる瞳をこちらに向ける。講堂で御村と戦った時に見せた刃の視線。いや、むしろ、あの時より酷薄に映る。狂気や流血など入り込む余地のない理性的──であるはずの──な交渉でありながら血の通わない空虚なやりとりに皮肉すら覚える。


「──ただ、もし、袂を分かつというのなら、私達は私達で目的の為に動くだけよ。達成さえすれば、両家の長は何も文句は言わない。私達がどんなに足の引っ張り合いをしていたとしてもね」


 遠目からでも怖気が湧く迫力を間近に受け、私だけではなく、凛華や桐条さんまで、身構える。


「(やはり、そうくるわよね)」


 つくづく予想通りというべきか、そもそも分が悪い事は初めから分かっていながら、この場を設けた時点で私の負けというべきか。嘆きたくなる気持ちを隅にやり、それでもこの旗色の悪さをどう覆そうか、頭を巡らせる。


 しかし、自嘲したくなるほど打てる手段は少ない。辛うじて出来るのはプライドに固執せず、私の安い頭で譲歩をどれだけ引き出せるか。ただ、それも相手が虚栄心で着飾った世間知らずだった場合の話。目減りのしない、あるかないかわからないもので満たされるほど、目の前の女はそれこそ安くない。それでも、成さなければならない事があるのなら出来る事を躊躇しない。……例えそれが無駄だとしても。


「だからといって、悔しさが消えるものではないけれど」


 思わず吐いて出た言葉は精一杯の負け惜しみ。意識して発音していない分、聞き取り辛かったのか凛華と桐条さん、そして当真瞳子まで怪訝な表情を浮かべている。その中身といい、実は失言を口走ってしまうほど弱っていたという事といい、知られずによかった、と内心安堵しながら弾力の弱いソファーから腰を上げる。座ったままでは頭を下げるに適さないから。


「──ちょっと待った」


 けれど──ただ一人、私の覚悟を拾う様に、悼むように、慈しむように、その男子生徒は軽く手を上げて、私を制する。


「会長。()()()()()()()()()()()止めてくれ。──あんたがやると一生根に持ちそうで怖い」


「……聞こえているじゃない」


 これで一体何度目の事だろうか。折角の覚悟を台無しにした張本人である御村優之助は、そんな憎まれ口を叩きながら、矢面に立つ。本来守る必要のない私の前を。



      *



「──これで三度目よ」


「三度目? 何の?」


 いきなりよくわからない事をのたまう会長に聞き返す。土下座すら厭わない雰囲気を匂わせていたので思わず止めてしまったのだが、何かいらないスイッチを押してしまったようだ。


「(考えてみれば、瞳子を止めたいのと、会長の土下座を止めさせるのは別口だよな。しかも、止めたら止めたらで因縁を付けられるのならあまり変わらない気がしてくるし)」


 どうやら、何をやっても根に持たれるのは確定らしい。いったいどうしろというのか? 本当に。


「不服そうね、優之助」


 早くも後悔しかける俺の耳元に、瞳子が口を寄せ囁きかける。傍から見れば、まるで睦言を交わしている(イチャついている)ともとれるそれは、会長にわざと見せつけているのだろう。


「──まぁな」


 会長達のやや険悪な空気をどこ吹く風で挑発──俺を含めて──する瞳子。やっている事は()()()ないが、皮肉と煽りを織り交ぜるやり口はいつもの"それ"だ。内心、妙な安心感を覚えながら、寄せてくる頭をやんわりと引き剥がして流す。


「さすがにあの言い様は身も蓋もない──というか、少し狡いのでは、と思うよ」


 ついでに言えば、大人げないともいいたい所なのだが、年齢詐称(事情)を知らない会長達の手前、それは自重する。それはさて置いて、当真瞳呼の差し金(帝や国彦)を抑えられない弱みに付け込んで自分達を高く売り込むなんて、マッチポンプじみた駆け引きにはやはり手放しで賛同する事は出来ない。


 まして、天乃原学園の特徴は生徒の自己管理や責任を自覚的にさせ、成長を促すシステムにある。その一環で生徒会に実際の経営を関わらせているのであって、腹芸を学ばせるなんて意図はないはず。会長は天之宮本家の代表として、どんなに不当かつ理不尽な相手でも引く気がなければ、不利を言い訳するつもりもなくても、"大人のやり口"で陥れていいはずがない。第一、そもそもが誠実さに欠ける交渉だ。仮にも味方にする事ではない。


「でも事実よ。生徒会に月ケ丘帝(『皇帝』)王崎国彦(『王国』)と張り合える人材がいる? そこの真田凛華(書記)桐条飛鳥(会計)が相手になるとでも?」


 水を向けられた真田さんと飛鳥は無言。明らかな侮辱、そして挑発とわかっているからこそ、手を出さない。剣太郎と二対一で戦い、届かなかった事実があるから反論も出来ない。


「そうなると、私や篠崎空也(『空駆ける足』)刀山剣太郎(『剣聖』)、そして御村優之助(あなた)しかいないじゃない。──私はね、労力に見合った報酬(権利)を主張しているだけよ。それのどこがいけないの?」


「俺だって、なにもタダで損を引き受けろと言いたいわけじゃない。けれど、元はと言えば当真瞳呼(身内)が引き入れた問題だろ」


「同じ当真と言っても私の政敵で、さらに言えば、天乃原学園の問題を悪化させる一因を作り出した時点で当真の総意に背く裏切り者よ。大局的に見て、当真家そのものを害そうとする存在でしかないわ」


 それはわかっているでしょ? 瞳子の目がそう語る。当真瞳呼は異能者優位の差別主義者。そんな奴に当真(異能者)の舵取りを任せてしまうと、異能者と現代社会(それ以外)との抗争──どころか戦争にすらなり得る。


「私は異能者達を人間との戦争(最悪な展開)に導かないよう立ち回っているだけ。あなたがどう感じるのかは勝手だけど、個人的な感傷で口を挟まないで頂戴」


「つまり当真瞳呼(向こう)と違って、自分は当真家の為に動いていると?」


「そうよ」


「今までの行動は全部その為に?」


「そうよ」


「それは嘘だろ」


「──言い切るわね」


 こちらの断定に激昂するどころか、むしろ呆れの混じる呑気さで応じる瞳子。しかし、その凪いだ表情に反して空気は張りつめ、こちらの皮膚を粟立たせる。まるで嵐の前の湖面に立たされた気分だが、構わずに続ける。


「おまえが当真家の為なんて、そんな殊勝なタマかよ。──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()奴がさ」


 緊張の上で成り立つ沈黙に誰かの喉が鳴る。それが自然とばかりに隣で向き合う瞳子と俺。その二人がほんの少し前、明確な狂気と殺意、そして真剣を持って命を奪う側、奪われかけた側に分かれていた事実を思い出したのだろう。その事でどうこう言いたいのではないとアピールに、誰にともなく肩を竦める。


講堂での決闘(あの時)の事は完全に瞳子の独断だ。異能者を守る立場の当真家があんな風に異能者の存在を喧伝する真似を推奨するはずがないからな。それとも、当真家の何らかの意図が折り込み済みか?」


「いいえ」


 さほど逡巡を見せず、俺の指摘を肯定する。発言の矛盾を即座につつかれたはずだが、気まずさを感じているわけでも、平然を装っている風でもない。それどころか、先を促すように小首を傾げ、こちらを見つめてくる。


「──あっさりと認めんじゃねぇよ。さっきの最悪な展開に導かせないだとか、異能者達の為って()()()はどうした?」


「わかっているのなら、取り繕っても無駄じゃない。──えぇ、認めるわ。()()()()()()()()()。でも、今の私は当真家の代表としてこの交渉に立っている。個人的な好悪の問題ではな──」


「たしかに瞳子(おまえ)は腹黒いし、俺に黙って裏でこそこそと立ち回ってそう──というか、実際してるよな?──だし、人を貶めるのが大好きなドSだ。けれど──」


「酷い言われようね」


 顔をしかめる瞳子に、でも事実だろ、と返しながら続ける。


「──けれど、()()瞳子(おまえ)は違うだろ? おまえが本当にそのやり方を望んでやっているなら俺は何も言わん。味方でいるし、尊重もする。でもな、言ったよな? "当真家の代表としてこの交渉に立っている"と、おまえの戦いじゃないじゃん。他の家がどうこうじゃない。時宮の地で育った、当真瞳子のやり方はそれでいいのか? そう聞いているんだ。──改めてもう一度聞く、このやり口でおまえは満足か? 目の前の敵から総取りするのではなく、身内(俺達)から図々しく上前をはねるわけでもない、同盟相手の弱みを突いて狡すっからく取り分をねだろうとして、一遍も悔いはないか?」


 ()()()()()()()()()なんて、今の自分に納得していないのを認めたと同じだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()奴がいざ自分の番になれば、例外だと言うのか。


「(──そんな自分勝手、誰が許すかよ!)」


 国彦を思い浮かべたのは、なにも立場や状況が似ていたというだけではない。そもそも瞳子も同等以上にエゴイスティックだからだ。それこそが、それが時宮の地で生まれたものの性。子供だと言われようが、理屈で動くのではなく、その方が楽しいから──その一点で俺達は誰の敵にも回るし、味方にもなる。


 その一方で自分の本位を曲げて進もうとする奴は遠からず自分自身を殺す。そんな危うさも秘めている。自分のスタイルと望まぬ生き方を強いる当真の立場を始めとした社会的な()()()()、今の瞳子はそうした板挟みの戸口に立っている。


「子供じみていようが、折り合うのではなく両方を取る──そうしなければ生きられない。異能者はそんな社会不適合者(面倒くさい連中)ばかりだ。だから今の瞳子は見てられないし、何より俺が納得しない──多分、講堂での決闘(あの時)のおまえと同じ気持ちさ」


 もっとも、あそこまで物騒じゃないけどな、と苦笑する。


「――瞳子ちゃん、さすがに僕も大人げないと思うよ」


「まぁ、そうだな」


 話は聞いていたようで、それぞれの思いのままを表すように空也の足刀が、剣太郎の持つ栞が、瞳子を首筋を捉え、窘める。目線を手元にしながら一瞬で間合いを詰めて瞳子に寸止めをかける技量は凄いが、それより俺達の話を聞いていた方が驚きだ。まぁ、それはいいんだが、


「……あの、そういう物騒なのはナシで」


「そうなの?」


 空也が不思議そうにこちらを見る。──いや、ここは俺の部屋なんで、暴れられても困る。


「そうなんだ」


 しばらくして、大人しく元の位置に座り込む空也。肩を落とし、丸まった背中が消化不良だと訴えているが、気づかないふりをしてやり過ごす。剣太郎に至っては、とうの昔に詰めた間合いを解いて何食わぬ顔で続きを読んでいる。こいつはこいつで興味を失うのが早すぎだ。


 瞳子は、俺達のそんな遣り取りを見て毒気を抜かれたのか、張りつめていた空気がたわみ、萎ませていく。それは浮かべた表情と同じ、本当に呆れたという意志の表れ。


「──たしかに合わないわね。()()()()()に」


「かなり感情よりな理屈だけどな」


 どれだけ理屈の筋が通っていようと──いや、むしろ通せば通すだけ、客観(外の意見)に近づいていく。そんなものを当事者同士で言い募らせても意味がない。こと人と人との関わりあいで生じた問題には絶対の正解がない以上、ただの水掛け論になる。ゆえに例え稚拙と言われようと、破たんしているとしても、自らの望みを込めて相手にその意思を示す──感情の通わない選択では誰が納得しないから──納得がないまま選んだ選択では後悔しか残らないから。


「というか、理屈なんて社会(しがらみ)の中で感情を肯定する為の免罪符みたいなものだしね。──うん。なんか、ストンと落ちた」


 ──この辺にね──胸を指しながら誇らしく笑う瞳子。変わらず皮肉っぽいが、憑き物が落ちたような、どこか幼さすら漂わせる笑顔。


 そんなレアな表情(一面)も一瞬の事、会長達の方へ佇まいを正し、頭を上半身ごと斜めに傾ける。


「──天之宮姫子に生徒会の面々。今までの暴言について、ひとまず謝罪させてもらうわ」


「……まだ、上から目線よね」


 それでも、と会長は口元を歪める。笑む形に。


「──こちらも改めて申し出させてもらうわ。私達に協力して頂戴」

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