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第三十六話

「──久しぶり、優之助」


 天乃原学園にきて、何度目の「久しぶり」だろうか、親しげにそう声を掛けてきたのは国彦の背後で蠢く影の群れ、その中心。俺や国彦と同じく天乃原学園の制服を纏う男子生徒だった。


 身長は170あるかないかのあたり。国彦と比べると極端に低く見えるが、それを差し引いても小柄に感じるのはあまり筋肉の付いた体つきではないからだろう。


 空也も同程度に小柄だが、しなやかさが印象深いアスリートの“それ”に対し、男子生徒の体には戦闘力が備わっているようには見えない──少なくとも、俺の記憶の中で彼が戦闘の矢面に立った所を見た事がない。時宮高校元序列十位『皇帝』月ケ丘(つきがおか)(みかど)はそういうタイプではないからだ。


 そんな優男の周りに控えるは()を守る少女の形をした剣、通称、ロイヤルガード。年の頃は俺達と同じか、その少し下。一様に整った顔つきはタイプの違いはあれど、魅力的に映る。黒を基調としたシックな装いは注意深く見ると俺達の母校(時宮高校)で支給された制服と同じデザイン。そして、同時に(さい)やトンファー、投げ槍、果ては弓矢で狙撃してきた少女達も同じく身に着けていたもの。本来十二人いるはずなのだが、そばにいるのはその半分以下。これはつまり──


「──他は空也達への陽動か? 帝」


「うん。篠崎や刀山が相手だと大して時間稼ぎにはならないだろうけどね。けど、もしかしたら、篠崎の足ならこちらにこれるかも──」


「──その通りだよ、『皇帝』」


 中性的な響きが空から降り、それを追い越さんとばかりにしなやかな影が木漏れ日を受けて地面とその先に立つ帝の姿を陰らせる。その影の大元は時間稼ぎにあっているはずの時宮高校元序列七位、篠崎空也。


 帝のもしかしたらに応え、文字どおりに飛んでやってきた勢いそのままに異名ともなった足で標的を狙う。あり得ない急角度からの跳び蹴りは例えるなら『皇帝』を打倒せんとする革命の弾丸。


 それに無表情で対応するのはロイヤルガード達。暴徒鎮圧に使われるジュラルミン製の盾を構え、主の前に十重二十重と立ち塞がる。しかし、速度の乗った空也の蹴りは今や砲弾に近い。盾を吹き飛ばされ、あえなく後退する。それでも表情からでは読めない意地が『皇帝』()に土一掴み、小石一つすら通さない。


「下がれ。ろくに足止めも出来ないお前達に止められるはずがない」


 だが、そんな少女達の意地とは裏腹に、帝は視線をこちらから外さず、にべもなく少女達に下がるよう告げる。


「防いでもらっておいて、その物言いはないんじゃないかな? 『皇帝』」


「嫌味はやめてもらおうか『空駆ける足』。いくらでも軌道を変えて蹴り込める貴様が直線できた以上、仕留める気がないのは丸わかりだ──それより、僕は今、優之助と話している」


 だから邪魔しないでもらおうか、言外にそうにじませる帝に肩をすくませ、やれやれと首を振る空也。


「剣太郎は?」


「足止めに回ったロイヤルガード(彼女)達を足止めしてるよ。自分の足ではどうやっても間に合わないからって、ね」


「そうか──悪いな、帝。話の腰を折った」

「構わないよ、優之助。最初に中断させたのはそこの『空駆ける足』()だ」


 混ぜっ返すなぁという顔の空也にまぁまぁと目配せを飛ばす。また話を戻そうとして堂々巡りになるのはご遠慮願いたい。


「それで、帝。とりあえず確認だが、俺や瞳子の敵に回ったという事でいいのか?」


「──うん。いろいろあってね」


当真瞳呼(とうまとうこ)ってやつか? ──ややこしいけど、瞳子じゃない方な」


「わかるし、想像している通りだよ。そして、協力者が──」


「俺だ!」


 ものすごいドヤ顔で割り込んできたのは国彦。俺と帝にまたか、という気持ちにさせるが、下手に突っ込むとまた脱線しかねない。唯一の救いは珍しく大人しい瞳子だが、周りがこうも前に出る中、逆に沈黙が怖い。本当に前も後ろも気が休まる面子がいねぇ……。


「──まぁ、そういう事だよ」


 いや、補足しようよ、帝。気持ちはわかるけれども、気持ちは。


「さらに補足するなら、俺が雇われたのは『皇帝』(こいつ)に、だ」


「お前がするんかい! つか、俺の知りたい事と若干ズレてる!」


 俺の心を読んでいるとしか思えないタイミングからの、割とどうでもいい情報に突っ込みが止められない。一方の国彦は顎をくしゃり、自らの耳をこちらに見える位置まで持ってくる。そこには、小型のインカムが取り付けてある。どうやらあれで指示を受けていたと言いたいらしい。


「(まさか、さっき足を止めたのは、警戒からでも、ダメージを受けたからでも、まして消耗を気にしたわけでもない、と言いたいのか?)」


 だとするなら、なんだかなぁ、と思う。自分で言わない辺り控え目アピールしたつもりだろうが、ああもこれ見よがしな仕草だと、気づかない方がおかしい。というか、なぜ今更謙虚さを出す必要がある?


「一応、雇い主だからな」


 俺が気付いたのを見てから、謙遜気味に言ってのける国彦。いや、お前、自分から包囲網解いたじゃん。あれ、明らかに命令違反じゃん。


「『王国』が全て言いなりになるとは思っていないよ。ある程度は折り込み済みさ」


 帝は帝で完全に割り切ったという体で、まるで当てにしてないというように聞こえる。まぁ、納得しているならこちらが口を挟んでも仕方がない。それよりも──


「──()()()()協力する事になっているんだ?」


「どこまで、か。面白い表現だ。……そうだね、一先ずはこの学園に関わる全ての事柄を解決する所までかな。その延長線上にある当真の進退までは請け負っていないと言っておくよ」


 台詞の後半はどちらかと言えば、瞳子に向けてだろう。せり上がる寒気に思わず瞳子に振り返るが、当の本人は気にせず続けろと目配せをこちらに送っている。俺に任せた方が情報を引っ張れると判断したようだ。


「それにしても、まさか()()がわざわざ出張ってくるとは思わなかったよ。……俺みたく年を誤魔化してまでな」


「そこは次期当主候補(当真瞳子)と同じさ。家の実利と個人的事情──いや、娯楽と言い換えた方がいいのかな? 僕だって、君が他の序列持ちと小競り合いしているのをただ見ていられるほど物事に達観しているわけじゃない」


「──別に天乃原学園(ここ)でなくてもよかったんじゃねぇの?」


「もののついでだよ──どちらが、というわけでもないけれど。ただ、普通に遊ぶより楽しめそうなのは間違いなさそうだ」


 それについては敵味方双方に否はないらしく、瞳子は苦笑を、空也は複雑そうに顔を背け、国彦は男臭く口元を歪ませていた。


「どいつもこいつも難儀な性格だ」


 違いないね、と帝も首肯する。


「んで、これから、どうするんだ? 再開するか?」


「いや、せっかく再会──いや、洒落ではないよ。せっかく“編入”したんだ。少しくらいは学園生活を楽しもうと思う。授業を受けるのは煩わしそうだけど」


「そうでもない。強制的に学ばされるわけではないと思って受けると、案外悪くない」


 所詮、今の身分は仮初めのものだ。いつでも放り出せるという余裕からか、それとも、昔を懐かしんでいるのか、現役だった頃の息苦しさを感じないでいられる。言葉にすると難しい想いをうまく伝えられたかどうか、肝心の帝は踵を返し引き返すようで、そもそも聞こえていたのかすら読み取れない。


「とりあえず今日の所はこの辺で。明日からよろしく、優之助」


 無防備に背中を晒し、この場を離れようとする帝。その退路をロイヤルガード達が、あるものは脇を固め、またあるものは殿を務める事で安全を確保していく。


「……相変わらずね、彼」


 一団が木々の奥に消えていったのを見計らい瞳子がそう声を掛けてくる。去りゆく先を見つめる視線は困った人間を見た時のそれだ。


「そうだな」


 お前も充分困った人間(同類)だがな、とは言わないでおく。


「金払いはいいんだがな。正直あいつとはそりが合わん」


「いや、お前も行けよ! なにしれっと敵がここに残って会話に入ってんだ!」


 なぜかこの場に残った国彦をそんな風に突っ込みを入れる。


「いちいち些細な事をつつくんじゃあねぇよ。相変わらずその辺は固いというか、つまらんやつだな」 


 これみよがしにため息を吐きながら首を振る国彦に頭痛と眩暈を覚える。そんな俺の耳に甲高くも澄んだ響きが遠くから聞こえる。天之宮の本宅からわざわざ持ち込まれたという学園の時報を司る大時計だ。年代物(アンティーク)の長針が頂点に達し、それに連動して起動するギミックから生み出される鐘の音が、午後の到来を告げていた。


「(どうしたもんかね)」


 始業式は国彦が襲撃してくる前に終わっている。この後、特に予定のない俺は降りかかってくる問題とは裏腹の手持ちぶさた加減に途方にくれる。辛うじてできるのは思い出したように襲ってくる空腹を何で満たそうか、と頭を悩ませる事くらいだった。

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