第三十五話
優しい手の絶対手護は超触覚の補正を受ける事で運動エネルギー完全制御による攻撃無効を実現している。それはより正確に言い換えると、超触覚はあくまでもタイミングや距離を測っているに過ぎない。つまり、発動するだけならば超触覚は必要とせず、なにより、手の部分にこだわる必要もない。
「──ただし、超触覚の補正が無い分、精度は落ちるがな」
それに、よほどの事がない限り、手以外でこの能力を使おうとは思わない。なぜなら、
「超触覚の補正がなければもろに喰らうどころか、最悪、運動エネルギーが体内で暴発するだろうに。えらくレートを上げてくれるじゃねえか!」
「……それでも、必要ならやるさ。こういう事もな」
固く握られた『王国』の手が軋みながら開かれていく。運動エネルギーの増幅能力で底上げした筋力が『王国』の拘束を解かせたからだ。
「ふん、いよいよ掛け金が割に合わなくなってきたな。……なによりだぜ、優之助ぇ!」
腕力で競り負けてもなお、『王国』の態度に陰りは見られない。いくら持ち前の頑丈さに自信と勝算があったとはいえ、その身をわざと晒して『優しい手』の攻撃力と真正面から打ち合おうとする胆力ゆえだろう。そんな男が採算を度外視して勝負にきたらどうなるか、まずどちらかは取り返しがつかなくなるだろう。
「痛み分けとか、もう少し穏当な決着の付け方があってもいいと思うぞ? こんな情緒もへったくれもない、成り行きのような展開での決着がお望みか?」
「こちとらそうお上品に生きてねぇよ! なにせ、武装集団の頭だからな。そんな事気にするくらいなら、端っから襲撃なんぞするか! ……要は勝ちゃぁ──俺が最強と証明できればそれでいい」
「そう言うと思ったよ」
半ば予想通りの、そしてある意味もっともな返答を聞きながら、大気ごと抉り出すような異音を伴った、必倒の一撃を繰り出す。もとより手加減したつもりはないが、相手は『王国』、今度は一撃では止まらないと想定しての攻撃。
向こうもこちらの覚悟など、折り込み済みとばかりに全力の突進を敢行する。ただそれだけならば、先ほどまでと変わらない。しかし、ただ一つだけ違っていたのは俺の一撃に自らの拳を合わせようとした事。攻撃一本槍で駆け引きをあまり好まない『王国』からわずかに感じさせる『優しい手』への警戒がそこにある。
序列持ちの中でも屈指の強度と筋力を備えた互いの攻撃が鼓膜に悪そうな轟音を響かせ、周囲の木々を揺らす。単純な力比べなら拮抗する状況。少なくとも平時の平地ならばそうなっていた。
「──む」
旗色の悪さに喉を鳴らしたのは、『王国』王崎国彦。その足元は『優しい手』によって崩れた岩肌の露出した地帯。運悪くと言うべきか、割れた岩端に体重が持たず、踏ん張りが充分に利かない。一方、こちらは能力で空也ほどではないが、足場を気にせず攻撃できる。俗にいう腰の入った一撃を腕だけで打てる。いや、腕だけではなく──
「これでどうよ!」
握りこぶしを素早く広げ、『王国』の手を包み込む。運動エネルギーの操作を攻撃から防御へ転換──“絶対手護”へ。運動エネルギーを奪われた『王国』の腕は突き手を戻せず、こちらに絡めとられたまま、されるがままに。その手を抱えるように引き寄せ、膝を叩きつける。
再び、常識外の物体同士がぶつかりあい、生み出された衝撃が鼓膜を振るわせる。それにまぎれて微かに聞こえるのは、生木を割いたような湿り気のある響き──俺の膝が『王国』の骨を折った音だ。
その耳に障る音が『王国』から伺える普通の人間らしい反応という、なんとも『王国』の非常識な体質を物語る事実は、同時に『王国』へまともに与えられたダメージでもある。ここからが本当の勝負──
「──にならなくて悪いが、ここまでだ、国彦」
「なるほど、急に出し惜しみがないと思ったがそういう事かよ──優之助」
『王国』の全力に対する迎撃から一転、そこから追撃できるチャンスも振り捨てて、飛びずさる事で距離をとる。意識して気の抜けた態度で攻め手に水を差す俺に、国彦も苦笑を隠さずその歩みを初めて止める。自分で言ってなんだが、もちろんそんな態度一つで気が抜けたなどと言う事はなく、攻めるに攻められない事情があるからだ。
唐突だが、異能はそれほど便利な代物ではなく、むしろ性能がある一定方向に偏り過ぎて“それ”しか使い道がない、が大半だ。例えば、瞳子の『殺眼』は複数の殺意を飛ばせるが、制御は甘くなるし、そもそも不定形のはずの殺意を“刀”としてでしか形にできない。
空也の異能のタネも発動に制限や負担はなく、連続して展開できるが、“モノ”自体は握り拳大という大きさを一瞬しか展開できない。
剣太郎に至っては、斬るという一点のみで、技量はともかく身体的には人並み、つまりは剣の腕が恐ろしく立つだけの人間だ。
では『王国』はどうか? 生半可な攻撃では傷一つつかない頑丈さに、1tある肉体を十全に操る筋力、例え深く斬りつけられても半日で治る回復能力、ここまで見ると死角はない。だが、それが異能である以上、明確な代償が存在する。それは超人の肉体を動かす為に必要な枷、とまあ大仰に言ってみたが、とどのつまり、燃費が異様に悪いのだ。
国彦が金で動く理由は『王国』の維持にあるが、その財政の何割かを自身の食費が占めており、文字通りの意味で食い扶持を稼いでいる。火事場の馬力や常識外れの治癒能力で消費するカロリーだ。いったい力士何人、何十人分を平らげるのだろうか、想像もつかない。
そんなに燃費が悪いのなら、持久戦に持ち込めば勝ち目が出ると思うだろうが、むろん国彦だって馬鹿じゃない。燃費が悪いと言っても全力で戦う時に限っての話だし、相手がそうすると気づいていれば、国彦だって省エネを心がける。全力さえ出さなければ、出さない日常であるのなら、人より多少食べるといった程度でしかない。
今にしても、ただ動くだけならば、もう少しもっていただろう。しかし、病気や怪我をした時、栄養補給に求める量が普段より多くなるように『王国』の体は一度怪我をすると、回復に相当量のカロリーが飛んでいく。俺達を包囲した時にある程度補給したようだが、全力戦闘を長時間維持するとなれば、その限りではない。その後の俺との小競り合いと込みで考えると、ガス欠になるのは目に見えている。
つまり、『王国』の防御力を超えて攻撃できた時点で勝算は生まれている。まぁ、そのダメージを与えるというのが、一番の難題であるのだが。
「というか、なんで持久戦に持ち込んだ? ……いや、持久戦は雇い主の意向だとしてもだ。包囲するだけなら『皇帝』に任せておけばよかっただろ。なんで出しゃばった?」
「……乗ったはいいが、性に合わねぇ」
「さいですか」
「お前の方こそ、むざむざ包囲なんかされやがって。ヤル気あんのか?」
「ヤル気も何も、ケンカ売られた口なんだがな。あと、俺が動かないのは──そろそろ、あいつが暴れたいんじゃないかと思っただけだ」
「──時間稼ぎご苦労様、優之助」
「──どうやら、こちらの方も顔を出さないままなのは本位じゃないらしいぜ?」
『優しい手』の一撃で地形が変わった山道の片隅で複数の人影が木漏れ日によって形作られる。影は俺と国彦との対峙に合わせて二手に。俺の側には白鞘が映す細長い影を携えて、国彦の側には一つを中心に折り重なり束ねる事で、太く大きな影となって。




